オバマ・スピーチへのさまざまな思い

2016年08月15日

先週に続いて、今週も「戦争と平和」について考える時を与えられました。

「きのこ雲の下からオバマ・スピーチを読む」会

8月6日(日)の午後、構内のF棟ゼミ室で「きのこ雲の下からオバマ・スピーチを読む」会が開かれました。折しも71年前に広島で原爆が投下された日です。
長崎で14歳の時に被爆し、以来、被爆体験を語り続けておられる寺田修一氏(86歳)をゲストにお迎えし、参加者は院生・学部生が10名余り。主催の篠崎美生子先生(文学・日本近代文学)お心づくしの茶菓が用意されたテーブルを囲んで、アット・ホームな雰囲気で始まりました。

オバマ・スピーチをめぐる社会の反応

オバマ・スピーチと言えば、今年の5月27日、現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏が一般の予想を超えて17分間という長いスピーチを行ったことで知られています。

当初はメディア報道も感動と賞賛一色に包まれていましたが、その後、時間の経過と共に、またスピーチの全文が英文と日本語訳の両方で伝えられるに及んで、批判の声も聞かれるようになったスピーチです。

批判のポイントの一つは、たとえばスピーチが「71年前雲ひとつない晴れた朝、死が空から降り、世界が変わりました」という言葉で始まっていることに象徴されるように、あたかもある風景を見たかのように物語っていて、そこに当事者性も謝罪性の片鱗も認められないことにあるかと思います。
8月6日の朝日新聞の朝刊には、5月27日の会場でオバマ・スピーチを間近に聞いた日本原水爆被害者団体協議会の事務局長田中煕己さんの談話として、その時点で素晴らしいと評価したことを後悔するという記事(「オバマ大統領は広島で変われなかった」)が掲載されていました。
世界で唯一の被爆国である日本人にとって、オバマ・スピーチを熟読すればするほど、割り切れない思いや怒りを覚える人も少なくないことでしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160806-00010001-bfj-soci

本学で開かれた「きのこ雲の下からオバマ・スピーチを読む」会も、オバマ・スピーチへの批判の集いなのかと思いきや、実は予想とは異なる深い展開を見せたのです。

14歳での壮絶なる被爆体験を語る寺田修一氏

冒頭、寺田さんの長崎での被爆体験から始まりました。
8月9日、11時2分。爆心地から1.3キロ離れた兵器製作所に学徒動員されて働いていた寺田さんは、無残に押しつぶされた建物の下敷きになって一時は気を失いながらも九死に一生を得て、家へと3日余りかけて辿り着きます。あまたの人々のむごい死の姿を間近かに見つつ、14歳の少年が生死をさまよった道のりの凄惨さは、想像するにあまりに辛いものがあります。うかがったお話をここに再現することは私の筆力では到底、かなわないことです。
寺田さんの被爆体験記『「枯れない涙」~生き残りし者に罪はありや 戦後60年の悔恨』をお読みいただければと思います(寺田さん75歳時点での手記です)。

http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-S5-1.html

スピーチではなく、オバマ氏の一言に寄せる寺田氏の深い思い

70年余り、被爆体験を語り続けてなお伝えきれないもどかしさがあると言われるほどに壮絶なる苦しみを胸に秘めておられる寺田さんですが、5月27日のオバマ大統領の言葉には、深い感銘を覚えたと語られたのです。
17分間のスピーチに対してではなく、その後、二人の被爆者のもとに行き、肩を抱きながら発した一言、「Thank You サンキュー」という言葉に対してです。
現職のアメリカ大統領としてさまざまな障壁を乗り越えて広島を訪問したオバマ氏であり、言えることにはうかがいしれない制約があったのであろう。その中でオバマ氏が発した「Thank You サンキュー」は、たった一言ではあるが、そこにいかに万感の思いが込められていたか、言葉では表わしきれない言外の思いを受け止めたいとおっしゃったのです。

この寺田さんの言葉に衝撃を受けた学生も少なくありませんでした。
参加した学生は皆、オバマ・スピーチを熟読していました。
何人かが必死に寺田さんに食い下がっていきました。勿論、年長者への礼儀作法はわきまえつつ控えめに言葉を選びながら、それだけにかえって若い正義感があふれたのでしょう。涙を流しながら訴える学生もいました。
しかし、それはオバマ氏に謝罪を求めるメディアの議論とは、一線を画するものでした。学生たちは、当事者である寺田さんのお考えを押しのけて代理表象(representation)すべきではないことを十分意識していました。むしろオバマ氏と同じ戦後を生きる世代として、このように歴史を語ってよいのかを悩み、考え、それぞれに自分の言葉で訴えていたのです。聞いていて胸打たれる思いでした。

戦争には加害者も被害者もない。

こうした学生の声を静かに、柔和な笑みを浮かべながら聴いて下さっていた寺田さんは、やがて戦争とは何かについて語り始められました。
「戦争とは人が人を殺し合うことだった。捕虜となった米兵の姿を見て、あわれと思う情を持つことも許されなかった。大切な家族や異性を思う情も非国民とされることを恐れて抑制し、ひたすら戦いに勝つことだけを考えた日々。戦いに勝つとは敵を殺すことであり、それが正義だと教えられた。戦争に加害者も被害者もないのではないか」と。

未来の社会に平和をと願う学生と、平和のために「赦しの心」を解く寺田さん

これに対するひとりの学生の言葉もまた心に響きました。
「私たちは戦争を知らない。オバマさんも直接的な戦争加害者ではない。だから謝罪を求めたいとは思わない。むしろ、平和な社会を求め続けるために、この問題を真剣に考えたいのだ」と。

「どんなことでも、思っていることは何でも言っていいんですよ」とゼミ指導の篠崎先生。これは恵泉のどのゼミにも一貫した教育理念であり、指導の基本姿勢でもあるかと思います。その先生の言葉に励まされて、学生たちひとり一人が思い思いに気持を吐露していきました。
寺田さんも「こうして人が集まり、それぞれに異なる考えを交わしあうことは本当すばらしいし、嬉しい。何度でも来ますから」とおっしゃっておられました。

この会を主催された篠崎先生の考え方も、寺田氏とは異なるところがあるようでした。それでいて長年、友人知人として親交を深めておられるお二人の絆にもまた、感銘を受けました。

最後に、寺田さんは、平和構築を標榜している恵泉の学生の皆さんだからこそ伝えたいと、次の言葉を続けられました。
「被爆を体験しながらアメリカを憎む気持ちを捨てている自分は、お人好しに過ぎるかも知れない。お人好しもいい加減にしろと馬鹿にされるかも知れない。でも、馬鹿にされても、いい。この地球上に今なお、争いが絶えない。民族間の争い、思想宗教の違い、経済問題に端を発した争い・・・等々。争いのない平和な社会を築くためには、人を大事に思うこと、他者の気持ちや立場をわが事よりも優先して考える姿勢が大切だと思う。人は憎しみを持続することは難しい、赦しの心が生きる力となると信じている」。

社会人になって海外で暮らす時間を長くもち、世界各国の人々と仕事上でふれあい、時に戦争と平和についてディベイトする経験を重ねていらした寺田さんのメッセージには、私が先週このブログでご紹介した「幸せなら手をたたこう」を作曲した木村利人氏(恵泉女学園大学 第6代目学長)のエピソードにもつながるものがあると思います。

日本兵がフィリピンの人々に与えた取り返しのつかない罪の重さに打ちのめされた若き大学院時代の木村さんでしたが、同じく家族をみな殺しにされた苦しみの中にあってなお、日本人の木村さんを懸命に赦し、受け入れようとしてくれた現地の一人の青年との出会いが、あの名曲を生み出す力となったということでした。

未来の社会に真の平和をと願う若い学生たちの胸に、寺田さんの赦しのメッセージはどのように届いたことでしょうか。

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