東アジアFS

3大学共同「東アジア市民社会リーダー育成FS」

2016年度恵泉女学園大学院平和学研究科主催、3大学共同「東アジア市民社会リーダー育成FS」が、2月10日~21日までの日程で始まりました。
今回は「日・中・韓の現場で"平和共同体"を共にデザインする」をテーマとして、韓国、台湾、日本の順に訪問し、訪問する国の学生と共に現地を歩きます。

2月10日、韓国に無事到着しました。

民族問題研究所にて

慶熙大学の先生方、学生と合流し、今回のFSに込める先生方の思いを共有しました。これから3日間、共に過ごす韓国の学生と交流の時間も持ちました。まず始めに民族問題研究所を訪問しました。1991年に設立されたこの研究所には、19世紀後半から現在までに作成された韓国近現代史、在外同胞史に関する資料が所蔵されています。 それらの資料のなかには、日本から送られて来たものもあるそうです。今後は、青少年と一般市民、研究者などが活用できる市民教育や研究、交流の機能を強化していくそうです。また、訪れたときは新しい資料館への引っ越しの真っ最中でした。

2月11日、梅香里と平沢米軍基地に行きました。

梅香里は、在韓米軍(空軍)の射撃場でした。実戦を想定した空爆訓練なので、周辺住民たちと目が合うほど近い距離で飛行機が飛び、島がなくなるほどの爆撃が行われていました。騒音被害が激しく、住民たちが抵抗したため現在は閉鎖されました。
平沢米軍基地は、もともとは日本軍が使用していた基地でした。日本軍が使用しなくなった後も、その土地を基地として利用したい韓国とアメリカにより、住民たちは追い出されました。そもそも、日本軍が基地として接収しなければ、住民たちは3回もその土地から追い出されることはなかったのに、と思いました。


梅香里の平和センター

平沢 資料館入り口

旧共同墓地

2月12日は、光州を訪れました。

光州学生運動の塔の前で

p>光州は、独裁政権に立ち向かった5・18民主化運動が行われた場所です。ここには、1980年5月17日に韓国全土への非常厳戒態勢の拡大と共に勃発した戒厳軍による光州・全南地域の武力鎮圧と関連して、1980年5月18日から27日までの10日間にわたり、光州市民と学生が不当な国家権力に抵抗した過去があります。
当時の拘束の様子を再現した5・18自由公園、5・18民主化運動記録館、国立5・18民主墓地で様々なお話を伺いました。
「記憶されない歴史は繰り返される」、この言葉を忘れずに、悲惨な歴史を繰り返さないようにするには、私たちに何ができるのか考えされられました。


光州はご飯が美味しいことで有名!ビビンパ

光州自由公園

国立

東アジアFS (2016.2.14 -24)
日・中・韓 三つの島から「平和共同体」を考える

製作者:2015年度東アジアFS参加者

なぜ沖縄、済州島、台湾へ?

東アジアには有名な沖縄、台湾、済州島の三つの島がある。どれも海と熱帯林のきれいな景色で観光地になっている。しかし、この三つの島には、「植民地、虐殺、基地」というもう一つの共有点も存在する。きれいな観光地の裏面には、悲劇と沈黙の近現代史が未だに解決されないまま島の底辺に流れている。日本は沖縄を、韓国は済州島を、中国は台湾を犠牲にしながら本土の安全と生命を守っている。
東アジアはどういう地域なのか?なぜ一つになれないのか?今後どういう方向に向けていくべきだろうか?このような様々な疑問への答えを持っているのが、まさに沖縄、台湾、済州島の三つの島でもある。東アジアの矛盾が凝縮されている悲劇の島だからこそ、新しい可能性と希望の島にもなれる。

目的

「2015年東アジアFS」は、私たちが東アジア地域の多様な文化的背景を持つ教員とともに日本(沖縄)、韓国(済州島)、中国(台湾)の三つの島を同時に歩きながら、東アジアの文化と歴史の共通性と多様性を理解し、多角的な視点から事象を把握し、東アジアの平和構築のための力を身につけることを目指す。

現地での学習

沖縄

  • アジアの海上貿易の中心地、琉球王国の都・首里城は、沖縄線に備えて日本の守備軍事司令部が置かれていたので、戦争中激戦地となり、焼き尽くされた。
  • 普天間米軍基地の近くにある佐喜眞美術館は、激しい地上戦で犠牲になった多くの人々を追悼する場になっている。丸木夫妻による「沖縄戦の図」は当時の人びとの悲しみと叫びがリアルに描かれている。
  • 普天間基地の移転先・辺野古の海には、多くの自然が存在している。しかし、環境負荷の調査も許可せず、基地建設が一方的に進んでいる。北部の高江地域でも米軍の基地拡大に反対する住民の長い抵抗運動が続いていた。
  • 沖縄県平和祈念資料館は激戦地の跡で、犠牲になった多くの霊を弔い、恒久平和の精神を祈っている。「韓国人の碑」「朝鮮の碑」など沖縄戦では多くの朝鮮人の犠牲もあった。

済州島

  • 済州島は火山の噴火によってできた島で、昔は石造りの家が主流であった。済州島は「風、石、女性」の三つが多い島として知られ、韓国ドラマ「冬のソナタ」「チャングムの誓い」のロケ地や新婚旅行の観光地としても有名である。
  • 日本植民地時代、日本の本土決戦のために、沖縄と同様に旧日本軍の飛行場や海岸基地などが作られ、多数の島民が建設作業に強制動員された。また、海を生活基盤とする海女の抗日運動も行われていた。海女の伝統文化のユネスコ文化遺産登録も進行中である。
  • 1945年に日本の植民地から解放された済州島では、1948年朝鮮半島の分断政権樹立に反対して、民衆蜂起が発生した。これに対して韓国李承晩政権と米軍は武力で鎮圧し、約10万人近くの島民が犠牲となった。事件現場となった「4・3平和記念公園地」、「北村里」、「消えた村」など当時の住民虐殺の現場を歩いた。
  • 済州の新海軍基地が建設されているカンジョン村で反対運動をしている住民らと交流し、オルタナティブ教育を行っているコッチャワル学校で子どもたちと交流した。

台湾

  • 台湾は16民族の原住民、漢族の内省人、戦後中国内戦で敗北した国民党の人びとの移住による外省人の三つの社会構成がある。原住民博物館では、原住民の生活や成人の儀式としての首狩りの習慣などを理解し、国立故宮博物館では中国大陸文化の歴史と芸術を感じた。
  • 日清戦争以降日本の領土となった台湾は、資源開発や神社建設、台湾人日本兵の育成など、日本のアジア太平洋戦争と海外植民地政策における重要な礎となった。桃園神社、金瓜石鉱山には日本時代の神社が残っている。観光地で有名な九份は実は鉱山の町であった。
  • 日本の台湾植民地統治には多くの原住民への弾圧があり、初の原住民出身の女性国家議員、高金素梅(チアスアリ)氏は原住民の虐殺の歴史を教えてくれた。
  • 1947年2月28日、闇市場でのたばこ取締り事件で始まった住民の抵抗に蒋介石の国民党は大陸から軍隊を送って住民暴動を鎮圧した(2.28事件)。大勢の人びとが虐殺されたが、軍事戒厳令下の台湾では、90年代半ばで真相究明は禁止されていた。訪問した2.28和平公園はその象徴的な場所であり、陳明忠夫妻の証言は生きた台湾の現代史であった。
  • 協定校の世新大学の学生と交流し、台湾の社会問題、中国との統一問題を共有した。

主な訪問先

沖縄

米軍が初上陸した海

米軍が初上陸した海

済州島

海女さんの抗日運動

海女さんの抗日運動

台湾

九份にて

九份にて

考察・感想

沖縄

  • 私たちは広島の原爆も沖縄戦も体験していない。文献や資料からではなく、絵画から何かを感じるという方法も視覚的に事実を見つめることができる方法だと知ることができた。
  • 辺野古を訪れ、座込みの反対運動をしている人たちの実際の悲痛な叫びを聞き、米軍の必要性に疑問を抱いた。しかし、詠谷村にある米軍基地鳥居ステーションを訪れると我々を歓迎してくれ、地域に寄り添う活動を行っていることが分かった。もし片方だけ見ていたら偏った見方をしてしまっただろう。両方訪問できてよかった。

済州島

  • いったいどこに軍をおけばいいのか、複雑な気持ちになった。みんな米軍基地が自分の町にあるのは嫌だし、押し付けあいになっている。
  • 韓国社会・政府について、韓国本土ではなく済州島で学ぶことに大きな意味があったと思う。なぜなら、4.3事件の虐殺地を訪れることができたからだ。済州島の歴史を私たちを通して、より多くの人に知って欲しいと思った。

台湾

  • 台湾は親日国家だというイメージがあり、日本統治後の中国からの統治と比較してまだよかったということが理由として述べられもする。しかしその考え方の背景にあるものを読み取って、日本とのもうひとつの歴史を知らなければならない。
  • 原住民・内省人・外省人という複雑な民族の構造が台湾の理解に必須である。
  • 三島とも共通しているが、悲惨という言葉では表せないほどの歴史を抱えた島を、今まで観光地としてしか見てこなかった事がもどかしくなった。
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