幸せなら手をたたこう~誕生秘話と平和への願い

2016年08月08日

「幸せなら 手をたたこう 幸せなら 手をたたこう 幸せなら 態度でしめそうよ
ほら みんなで 手をたたこう」

東京オリンピックの年に坂本九さんが歌って大ヒットした歌です。
以来、私たちは誰もが小さい頃から親しんで歌ってきた歌だと言って良いでしょう。

でも、この歌が誰によって、どのようにしてつくられたのかは、あまり知られていないかもしれません。その誕生秘話がNHK:BS1スペシャル(7月31日)「幸せなら手をたたこう ~名曲誕生の知られざる物語~」によって解き明かされました。

1954年、当時、25歳の早稲田大学大学院生(木村利人さん)がフィリピンの農村でボランティアとしてYMCAのキャンプに滞在したときに、現地の一人の青年(TV放送では、ランディという名前で登場)と出会ったことがきっかけだったということです。

トイレづくり等の作業に奉仕していた木村さんを現地の人々は決して温かく迎えることはありませんでした。「死ね!日本へ帰れ!!」と厳しい言葉を向ける現地の人々の脳裏には、日本兵に村を焼かれ、家族や友人知人、あまたの人が虐殺された第二次世界大戦の傷が生々しく残っていたからです。ただ一人友好的な態度をとってくれていたランディも、実は大切な家族を目の前で日本兵に殺される経験を持っていました。

日本兵がフィリピンの人々に与えた取り返しのつかない罪の重さに打ちのめされた木村さんは、葛藤に苦しみながらも彼を受け入れようとしてくれたランディのやさしさに応えたいとの思いを募らせます。

現地の子どもたちが歌うスペイン民謡のメロディーを基に、互いに傷つき合いながらも、理解し赦しあうことへの希望を込めて作詞にあたった木村さんの心に浮かんだのが、聖書の次の言葉です。
(詩編47編) すべての民よ、手を打ち鳴らせ。 神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。

「日本は第二次世界大戦のような過ちを二度と繰り返さないために、戦争の放棄を誓い、平和構築の憲法をもった。でも、戦地の人々に与えた苦しみは海外に置き去りにしてきたのではないか」という番組の中のナレーションが私の心に重く残りました。
その後、「幸せなら 手をたたこう」は、"歌で世の中を平和にしたい。苦しんでいる人々に希望の光を届けたい"という多くの人々の願いと共に、さまざまな経緯を経て世界中に広がって行きました。

木村利人氏の「利人」はドイツ語の「リヒト(光)」。人々の「光」となってとの願いを込めてお父様が命名して下さったとのことです。

大学院時代に国際法(比較法学)を専攻していた木村さんは、その後、命と人間の尊厳の究明へと研究の道を広げ、日本の「生命倫理」の草分けとしての大きな業績を残され、日本はもとより国際的に活躍をなさっておられます。

「幸せなら手をたたこう ~名曲誕生の知られざる物語~」は、
恵泉女学園大学 第6代学長(2006年~2011年)木村利人氏の若き時代の秘話でもあります。

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