河井道のランターンを灯し続ける意義

2016年07月11日

先週の日曜日(7月3日)、ホテルニューオータニで開かれた日米フィラデルフィア協会のレセプションに出席してまいりました。

日米フィラデルフィア協会は1994年に創立され、20余年にわたって日米の交流に貢献してこられた協会ですが、フィラデルフィアと日本の関係は古くは江戸末期から始まり明治・昭和と活発な交流があったことを、私は今回のレセプションを機に初めて知りました。

今回のご招待は、協会が上梓した『Phila―Nipponica:An Historic Guide to Philadelphia&Japan』(フィラデルフィアと日本を結ぶ歴史的絆)(表紙の写真をご参照ください)の中で河井道先生が「恵泉女学園創立者」として紹介されていることがご縁でした。

本を開くと、内村鑑三・津田梅子・野口英世・有島武郎・新渡戸稲造と、日本の近代化を支えた多くの日本人指導者たちの名前が続き、河井道は津田梅子と野口英世の間(pp.142~147)で紹介されています。

河井先生は1898年に新渡戸夫妻とともに渡米、ペンシルべニアのアイビー・ハウス(大学予備校)で学んだ後に、1900年にブリンマー大学に入学し、アメリカで最高の教育を受け、自主性と独立の大切さを修得されました。若き日のアメリカでの学びがのちの活動の大きな糧の一つとなったこと等、河井先生のアメリカ留学時代のエピソードから日本に帰国して恵泉女学園を創立されるまでの経緯は、学園関係者はつとに承知していることですが、改めて近代日本の教育や医学・文化に貢献した前記の方々と並んで紹介されている頁を繰ると、学園を創立された時代の空気と共に、女子教育に一生を捧げられたお姿が偲ばれます。
日米両国の平和を願い、「国際」の科目を取り入れて平和教育に尽力された河井先生の教育理念と実践が評価され、カリフォルニア州ミルス大学から「人文学・名誉博士号」を授与されたのは、日米開戦直前の1941年でした。
この時の河井先生の思いが「このゆゆしい危機の折にあたってアメリカの日本に対する善意の表れとして受けるべきではないだろうか。自分のためではなく、自分の国のために、そして、この困難な時にあたって、平和と友情のために立とうと自ら誓われた」と、前記の本に紹介されています。

その後、第二次大戦に入り、クリスチャンの学校運営は厳しい道を余儀なくされましたが、キリスト教精神と教育理念は曲げることはありませんでした。

世界に心を開いて真の平和構築のために尽くす自立した女性の育成を目指された河井先生の理念とその意義を、今の日本社会にあって改めて求められていることをかみしながら、『Phila―Nipponica:An Historic Guide to Philadelphia&Japan』(フィラデルフィアと日本を結ぶ歴史的絆)の一頁一頁を読み終えました。

ちょうどこの原稿を書き終えた時、川島副学長からメールが入りました。
「たった今、卒業演習参加者94名全員無事に八王子駅前に帰着し解散しました。雨もそれほど強くは降らず、霧烟るガーデンを楽しむことができました。お祈りありがとうございました。」

卒業演習とは「恵泉での学びの最終学年にあたり、今一度創立者河井道の学園創立への想い、学園の歴史を振り返り、恵泉スピリットとは何かを共に考える科目で、恵泉蓼科ガーデンを訪ね、美しい自然の中に身を置いて、自然との対話、そして自らの心との対話をすることにより、「私の光」を見いだす時をすごす」ことを目的としたものです(シラバスより引用)。副学長が添付して下さった写真と共に、ここにご報告いたします。

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