タイ・チェンマイからの手紙 「長期フィールドスタディ」体験記

恵泉女学園大学では、日本や外国を理解する際に、机上の知識だけでは学び取ることのできない人間的な理解こそ必要だと考えています。恵泉女学園大学では国外現地授業として、約5ヶ月間タイで実施される長期フィールドスタディが用意されており、今も、多くの学生が現地で学んでいます。そんな様子を学生の皆さんが現地からレポートいたします。

私の体験学習先とテーマについて②

2015年10月12日  投稿者:国際社会学科3年 清水なつみ

私は、カレン民族の村にある村人が独自で自分たちの子どもたちのために学校を運営している村のコミュニティスクールで体験学習をすることに決めました。「コミュニティスクールが村に与える影響、村にもたらした変化」を体験学習のテーマにして学びます。

私がチェンライ県にあるカレン民族の村、ヒンラートノーク村のコミュニティスクールを体験学習先として選んだ理由は2つあります。1つは、9月中旬のカレン民族の村のホームステイでお世話になった村だからです。ホームステイをするまでは、自分が村で生活する姿が想像つかず、体験学習先に村を選ぶなんてないだろう...と考えていました。ですがホームステイをしたときに、今までの人生では経験したことのないような経験をし、たった2泊3日だったのにすごく楽しくて、体験学習は村でやりたい!と思うようになりました。

そして特に、ヒンラートノーク村の温かくてのんびりした雰囲気に惹かれました。 2つ目は、この村のコミュニティスクールは設立してまだ4年目の学校だからです。先生からはヒンラートノーク村の学校のほかに、もう一つチェンマイ県のカレン民族の村にある設立して約20年ぐらいのコミュニティスクールがあることを聞いていましたが、自分のテーマを考えた時に、設立して4年目だからこそ、公立小学校に通う子どもとコミュニティスクールに通う子どもが混在しているヒンラートノーク村の方に興味を持ちました。 体験学習をする上で、このテーマできちんと学習を進められるのか、タイ語でのコミュニケーション、子どもたちに受け入れてもらえるかなど...不安なことだらけです。ですが、「常に笑顔・前向き・積極的」をモットーに、自分を励ましつつ頑張ります!

村のコミュニティスクールで

私の体験学習先とテーマについて ①

2015年10月09日  投稿者:R.O (国際社会学科3年)

私の体験学習テーマは「カレン族の木の利用」です。カレン族の村で木を利用したものにはどのようなものがあるのか、なぜそれらは今も使われているのか、あるいは使われなくなったのか、などを調査したいと思っています。

滞在先は「ヒンラートナイ」というチェンマイから車で約2時間ぐらいのところにあるカレン族の村です。この村は、長期フィールドスタディの事前学習や短期フィールドスタディで恵泉の学生が訪れるため、恵泉と関わりの深い村の1つです。

私がこのテーマに興味を持ったきっかけは、長期フィールドスタディに参加した先輩の話を聞いたことでした。そこで、山岳民族の村の生活や文化がどのようなものなのか、興味を持ちました。1年の春休みにタイワークキャンプに参加し、カレン族の村の家にホームステイしたことで、想像以上に木や竹などの自然を利用しながら生活していることを感じました。そして、「なぜ木を利用した生活を続けているのだろう?」と気になりました。それがきっかけの1つとなり、「カレン族の人びとはどのように木を利用して暮らしているのか」に興味を持つようになりました。

10月から、みんなそれぞれの体験学習先に散り、生活していくことになります。うまく村で生活していけるのか、村人たちに受け入れてもらえるか、テーマについてきちんと調査できるか、良いレポートが書けるのか、不安はたくさんあります。その一方で、どのような生活を送るのか、文化や生活習慣を見られるのか、どのような人たちとの出会いや関わりがあるのか、これから経験することに少しワクワクもしています。体調に気をつけながら、テーマについて調査していきたいです。

私の体験学習先カレン民族のヒンラートナイ村

カンチャナブリを訪れて

2015年10月07日  投稿者:R.O(国際社会学科3年)

9月下旬、フィールドトリップで、タイ中部にあるカンチャナブリに行ってきました。途中休憩を挟みながら、車で片道約10時間半。疲れましたが、みんなで音楽を聴いたり、お菓子を食べたり、寝たりしながらだったせいか、想像していたよりも大変ではありませんでした。

私たちはここで、泰緬鉄道、戦争博物館4か所、連合軍共同墓地を訪れました。 泰緬鉄道は、第二次世界大戦中、バンコクからビルマ(現在のミャンマー)へ軍事物資を送るために日本軍によって建設された鉄道です。捕虜となった欧米人や強制連行されたアジア人(労務者)が劣悪な環境下で過酷な労働を強いられ、約10万人亡くなったと言われています。そのため、『死の鉄道』と呼ばれることもあります。運転区間は短くなっていますが、現在でもこの鉄道は使われており、線路の上を歩ける所もあります。私たちも、実際に鉄道に乗ってきました。鉄道は、座席も床も木製で、天井には扇風機が取り付けられていました。景色は、川や山、田畑などが見え、きれいで穏やかでした。

戦争博物館は、創設した人の出身国がそれぞれ異なるためか、展示されているものが少し異なり、雰囲気も違いました。いずれにしても、強制労働させられた人々の生活環境・労働状況の過酷さや悲惨さが伝わってきました。また、家族への手紙などの遺品を見て、切なくなりました。

連合軍共同墓地は、強制労働によって亡くなった連合軍兵士6,982人が埋葬されていました。自分と年齢の近い人も多く亡くなっていたことは、衝撃でした。
私が今回のフィールドトリップで最も印象に残ったのは、事前授業や戦争博物館で得た情報・その印象と、今現在の景色・その印象とのギャップです。日本軍による強制労働の事実は悲惨で悲しく、暗い印象を持ちました。その一方で、私がカンチャナブリで見た景色は穏やかで、日本軍によって過酷な生活・労働を強いられた人々がいたことが想像しづらいものでした。もし、ボゲット先生の事前授業を受けたり、戦争博物館を訪れたりしていなかったら、ただの観光で終わってしまっていたかもしれません。事前授業や戦争博物館で見たことを思い出しながら線路をじっくり見ると、「やはり、この鉄道は多くの犠牲の上にできたのだ」ということが感じられました。

歴史学者のボゲット先生もおっしゃっていたように、戦争などによる悲惨な出来事を起こしたのは日本だけではありません。しかし、同じ過ちを繰り返さないために、被害者側としてだけでなく、加害者側としての戦争の歴史も学ぶ必要があると、改めて思いました。

カンチャナブリ戦争博物館

休日の過ごし方について

2015年10月05日  投稿者:(K.H) JL4年

こんにちは、今日は私たちの休日の過ごし方についてお話したいと思います!
平日は、午前にタイ語の講義があったり、午後には体験学習先候補の見学に向かったりするので、私たちはなかなか忙しい毎日を送っています。帰寮すれば、洗濯物や夕飯の調達など、生活に必要な時間にも手間が割かれ、一日一日はあっと言う間に過ぎて行ってしまいます。

では、そんな私たちの休日は、いかに過ごされているのでしょうか...?

これが、なんと驚きですが、メンバーの6人の学生の休日は、多くが「勉強」に費やされます。まさかまさか、休日だからと言って、夜遅くまで街を出歩いたり、遊び呆けたりすることは、あまりありません。

「勉強」とひとえに言っても、前年度までの報告書を読み漁るひと、タイ語の復習に時間を費やすひと、溜めた日記をまとめてしたためるひと...そして、平日の疲れを解消するように、ベットでごろごろしたり、近所の喫茶店へ出かけたり。今年の学生は、比較的落ち着いた休日の過ごし方を選ぶひとが多いようです。みなさんとても真面目なメンバーです。

それでも、寮の周りの徒歩圏内には、大きなデパートがふたつあるので、そこに生活用品の買い出しに行ったり、ちょっとお目かしをして外出をしたり...そんな日には、暇のあるメンバーも誘って、一緒にご飯を食べたり、お茶をしてから帰寮します。

メンバーのみんなで時間を過ごしていると、ぽろぽろと口からこぼれてくるのは、もうすぐ開始する体験学習に対する緊張や、それらに関する報告書が仕上げられるかの不安です。どきどきはらはら。そんな気持ちも仲間と共有し合いながら、切磋琢磨の毎日です。

共有林と持続可能な農業の活動をしているメーター地区を訪問

2015年10月02日  投稿者:人間環境学科3年 楢崎唯

10月から2ヶ月に渡って実施する学生それぞれの関心テーマにあった体験学習先を決めるため、今回は私の体験学習候補先であるチェンマイ県メーオン郡にあるメーター地区に訪問し、環境・農業系NGOグリーンネットの職員であり、地元農民であるプイさんとプイさんの父親のパットさんに話をうかがってきました。この地区の特徴は、地区全体が有機農業をベースとした持続可能な開発を進めていることです。地域銀行を創設して地域の中でお金をまわし、雇用を生み出して若者が定住できる仕組みづくりを進めています。地域の人々はNGOや政府の支援を受けながら、自分たちで自分たちの暮らしをマネージメントできるよう活動に取り組んでいますが、その背景には農民の苦難と努力の歴史がありました。

約300年の歴史をもつ村々は先祖代々から受け継がれてきた文化や知恵をもとに、農業を営んできました。いまから約30年前、大企業の誘いを受けた農民たちは、近代農法によるベビーコーン栽培を始めました。最初の年は収穫量に見合った収入を得られましたが、年を重ねるごとに収入は変わらないのに化学肥料や農薬等が値上がりし、次第に借金を抱える農民が増えていったのです。稼いだお金は子どもの教育費などに充てましたが、学校にいくために外にでる子どもたちは、卒業後も村を離れていきました。

問題が深刻化する中で農民たちは自分たちの暮らしを見つめ直し、外からの協力のもと、有機農業という道へのシフトを選択しました。現在も全ての農民が有機農業に取り組んでいるわけではありません。ですが、地域で循環できる社会を築くために、有機農業に限らずアクティビティをおこなっています。例えば、自分たちが利用する森林を自分たちで管理する森のことを"コミュニティ・フォーレスト"といいますが、メーター地区でも地域全体で取り組んでいます。

お父さんが若い世代に対して呟いた言葉が印象に残っています。「自分たちが自分の地域の"オーナー"になってほしい」。自分のことを管理するだけではなく、自分の地域のことも管理する。わたしたち日本の若者にも、同じようなことが問われているように感じました。

プイ産の家の有機の畑

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