久米宏氏の語りと平和
2026年01月19日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美
テレビ朝日の「ニュースステーション」で長年メインキャスター務める(1985年~2004年)など、テレビ界で幅広い活躍をされた久米宏氏が、本年1月1日に逝去されていたことが、1月13日に報道されました。軽妙洒脱で率直な司会ぶりは、賛否両論を呼びましたが、民放の報道番組に画期的な変革をもたらしたと言われています。テレビから退かれてから20年余になりますので、若い世代にはあまり知られていないかもしれませんが、その後、ラジオでの語りや雑誌での対談等では、近年まで活躍を続けておられました。
いくつかの追悼番組からうかがえた氏の言葉や人となりの中で、私の心に残ったことが2つありました。
1つは、彼は民放(民間放送)が好きだったということです。なぜなら「民放は戦争を知らないから。戦争に加担することはなかったから」と。
たしかに民放ラジオの誕生は1951年9月1日(中部日本放送 - CBCラジオ)、テレビは1953年8月28日(日本テレビ)でした。第二次世界大戦前・戦中は国営放送のみでした。
そして、もう1つは、彼はアナウンサーとしてではなく、できるだけ一人の人間としてニュースを伝え、発言をしたということです。なぜなら、日本社会はあまりに「右に倣え」の社会で、自分の意見や異なる意見を語ることが少なすぎる(当時)。「久米も語るから、ほかの人ももっと語ってほしい」との思いで、マイクの前に立っていたということです。
この2つのことに触れて、改めて思い出されるのは、戦後80年の昨年、NHKで放送されたNHKスペシャル「シミュレーション昭和16年夏の敗戦」とその原作である猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦 新版』(中公文庫)にみる戦前の日本社会です。"総力研究所"という模擬内閣に集められた当時の若い俊英たちが行った精緻な分析に基づいた報告書には、原爆投下以外の敗戦に至るすべてが予言されていました。それにもかかわらずなぜ第二次世界大戦突入を抑止できなかったのか、資料の掘り起こしや生存者の取材から構成されたものです。そこに映し出されていることから私なりに読み取れたことは、戦争突入は必ずしも当時の軍部や戦犯とされている人々だけの責任ではない。むしろ、戦争突入を肯定し、抗うことも許さなくなっていく時代の空気であり、それを醸成した当時のメディアの責任もけっして見落としてはならないということです。
さらに言えば、自分の意見を言わない・持たない、そして、ただ流されていくことが、結果的に抗うこともできないほどに戦争一色の空気をつくりだし、さらに言葉を持てなくなっていく怖さではないでしょうか。河井道先生が世界から戦争をなくすには、しっかりした自分の意見を持ち、「イエス」と「ノー」を、責任を持って言える女性の育成が必要だと考えて、第一次世界大戦後の世界恐慌のもと、戦争への足音が聞こえ始めた1929年に学園を創立してくださった偉業を改めて思います。
私たちはもっと自分の意見を言うべきだという久米氏の願いは、今、半分は達成されているといえましょう。SNSの普及でだれもが自分の意見を発信しています。でも、それははたして本当に自分の意見なのか? 誰かが言ったことを、事実の確認もなく、ただ同調しているだけの傾向が強くなっていることはないでしょうか?
軽妙洒脱で、ときに唯我独尊のように見えることもあった久米氏の語りでしたが、放送前は、眠る時間も割いて事実を調べあげ、推敲を重ねていたと、知人の声も紹介されていました。
自分の意見を明確にする責任とともに、それによって傷つく人ができる限りないようにという他者へのリスペクトに他ならなかったことでしょう。
平和を思い、平和の継続を願いつづけた氏の81年の生涯に敬意を表したいと思います。
多摩キャンパスは年明けから「学内表彰制度」「卒業論文口述試験」「期末試験」等々、2025年度の結びの行事が続きます。順次、ご報告させていただきます。
本年もよろしくお願い申し上げます。