コロナと差別と~この夏を振り返って~

2020年08月31日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

8月も最後の日を迎えました。新型コロナウィルス感染の収束が一向に見えない中、連日の猛暑も加わって、例年にも増してとても厳しい夏でした。

小中学校では夏休みを短縮して授業を再開しているところが多くみられますが、先週、文部科学大臣から、「児童生徒等や学生の皆さんへ」「教職員をはじめ学校関係者の皆様へ」「保護者や地域の皆様へ」と、3者に向けてコロナ差別と偏見をなくすメッセージが発表されました。新型コロナウイルスには誰もが感染する可能性があることから、「感染した人を責めるのではなく、思いやりの気持ちを持ち、感染した人たちが早く治るよう励まし、治って戻ってきたときには温かく迎えてほしい」という趣旨でした。こうしたメッセージが発信される必要があるほど、差別と偏見が蔓延していることに胸が痛みます。

こんな話も聞きました。保育園から帰宅した子どもの背中にいつもは見られないシールが貼られていたそうです。その子の母親は医療従事者でした。医療従事者の子どもの預かりを拒否する動きがあることに対して、この4月に厚生労働省から「新型コロナウイルス感染症の対策や治療にあたる医療従事者等の子どもに対する偏見や差別は断じて許されるものではなく、市区町村及び関係者等においては、このような偏見や差別が生じないよう十分配慮すること」という通知が発信されました。預かってはもらえたけれど、その代わりに目印のシールが貼られたようだと、保育者に問い合わせた母親が大きなショックを受けていたということです。感染予防に追われている保育者の大変なご苦労は十二分にわかりますが、こうしたところから「差別」や「偏見」へと展開していく怖さが改めて思われるエピソードです。

このことに関連して思いだされるのが、この夏にNHKの『子ども科学電話相談』で受けた小学3年生の男児の質問でした。

「どうして「差別」があるのですか?」。

受話器から聞こえてくる愛らしくも幼い声にどこか似合わなく思われる質問でした。
この子の両親は国際結婚で、肌の色が日本人と違うことから、会う人毎に、「なぜ?どこの国の子?」と聞かれて、それが次第にとてもいやになっているのだそうです。

私はこう答えました。

尋ねる人はただ聞いただけ、「差別」しようとして聞いているのではないかもしれません。
でも、聞かれるあなたがいやな思いをしていることに、気づかない。そこに、そもそも「差別」の芽が潜んでいることに、私たちは気づかなくてはなりませんね。

人はとても弱い面があると私は思います。
一人では生きていけないから、仲間がほしい。
仲間をつくるために、自分と同じか違うかで分けようとしてしまう。
肌の色や髪の色等の外見の違いを気にするのも、ひとつにはそうした心理が働いているのかもしれませんね。

私たちは弱いから自分を守りたいし、楽もしたいという気持ちが働きがち。
好きなことや考えることが同じ人どうしだと、いちいち説明しなくて済みますし、衝突も少なくて済む場合も多くて楽。自分は間違っているなんて思わなくて済むとも思いがちです。

こうして、自分と同じだと思える人たちを仲間(社会心理学では「内集団」といいます)、違う人たちを仲間ではない人(「外集団」)として「区別」するのです。
この「区別」に、やがて優劣をつけたくなります。自分と同じものは良いもの、違うものはイヤなもので劣っているとみなして軽蔑する。それが「偏見」や「差別」へと発展するのだと思います。

「偏見」や「差別」の心理の背景には、弱さゆえに自分を守りたいという気持ちが働いているのではないかしら・・・・。

小学3年生には難しい言葉を続けてしまいました。
周囲の何気ない質問に傷ついているこの男の子の気持ちを思いながら答えているうちに、いつしか終わりの見えないコロナ禍の不安を募らせながら暮らしている私たちの悲しさが思われてならなかったのです。
いつ、どこでだれが感染しても不思議ではない状況で共に暮らしているのに、感染した人をあえて非難し、「差別」する風潮から見えてくるのは、恐怖心と心の弱さにほかなりません。それがコロナだけでなく、些細な言動にも容赦ない攻撃を加える風潮へと展開している様が昨今のSNSにもみられて、なんともギスギスした社会になっていることはないでしょうか。

「それなら、どうしたらいいんですか?」。

『子ども科学電話相談』の面白さと手ごわさです。簡単には納得してくれません。核心をついてきます。

人はどんなに似て見えても一人ひとり違いがあります。違いを認めて受け入れて一緒に生きていくことがとっても大切なのだと思います。それがどんなに大変でもね。

人と同じことで安心感を得ようとすることは、一人ひとりが実は違うということに目をつぶることになってしまう。

少数の人の意見や存在を排除したり攻撃することばかりしていると、生きづらい社会になってしまいます。

そんな社会にしないためにも、私たちは違いにもっとおおらかになりたいですね。「普通」とか「みんな同じ」・・というのは幻想だと私は思います。

言葉を換えると、マイノリティーを大切にすることです。人は一人ひとり、だれもがマイノリティだと考えることが大切なはずです。

だれかをマイノリティとして「差別」する弱さから逃れるためには、だれもが、何よりも自分自身がマイノリティであることを見つめる強さを持つことから始めることではないでしょうか。

これまた小学3年生には難解だったと反省しております。
「わかりました」と元気に答えてくれた子どもの優しさに救われた思いでした。

  

8月は恵泉の平和教育の大切さをいつにも増して思う月です。
「差別」と「偏見」をなくし、真の世界平和の構築に尽くす女性の育成をめざした創立者河井道の女子教育にかけた志が改めて思われたこの夏でした。

明日から9月です。コロナ感染拡大予防のため、秋学期の授業は春学期に続けて講義科目については原則オンラインとすることに決定いたしましたが、ゼミと実習は対面授業形式を復活させます。
そして、9月3日は、いよいよ新入生をキャンパスに迎える式も執り行います。
少しずつですが、学生たちと対面で学びあえる日が戻ってきます。