参議院内閣委員会での意見陳述~待機児問題について~

2016年04月24日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

4月21日、参議院内閣委員会に参考人として招致され、昨今話題の待機児問題について意見を述べてきました。

待機児問題は子育て中の親にとって、まさに「今」解決してほしい問題であり、可及的速やかな対策が求められています。保育の量の拡大と共に質の維持向上を図ることは議論の余地のないことです。その一方で、現に今、子どもの預け先に困っている親をどう救済するかという問題に直面しているのが実態です。

国はこれまで待機児対策に何もしてこなかったわけではありません。1990年の1.57ショックを契機として、今日までの四半世紀余りさまざまに試行錯誤を重ねています。その結果、保育の受け入れ枠は飛躍的に増加しています。2015年度は、保育所と幼保連携型認定子ども園で前年比、約139,000人増。新制度により地域型保育事業に位置づけられた小規模保育や家庭的保育なども入れれば、約196,000人の増です。それでも待機児童は2015年4月で23,167人。前年4月比で1,796人増加です。

受け入れ枠を増やしても、なぜ待機児は減らないのか?理由はいろいろありますが、待機児童の定義を変えたことも大きな要因の一つです。保育所入所基準を従来の「保育に欠ける」から「保育の必要な児童」とし、パートタイム、求職中、祖父母同居も含めて、対象を拡大しました。ライフスタイルの多様化の一方で、出産後も働き続けたい、育児が一段落した後に早期に復職したい等、仕事と育児の両立を希望する女性が増えている昨今です。女性の経済的自立と社会貢献はこれからの日本社会にとって重要ですので、保育を必要とする対象を拡大したことは適切だったと思います。

しかし、待機児問題はけっして全国共通の問題ではないことも事実です。7割強は都 市部(首都圏・近畿圏の7都府県と政令指定都市・中核市)に集中しています。 急速に進む少子高齢化の中で社会保障費確保も厳しい今日、全国的には過疎や人口減少地域に住む子どもの問題、子どもの貧困対策、学童期の放課後対策、虐待や要保護児童対策、被災地の親子への支援等々、課題も山積しています。

子どもと子育てをめぐって山積している諸課題を解決するために、何よりも財源が不足しています。恒久財源の必要性を強く訴えました。同時に公費の投入増は国民の負担増も避けられないという覚悟も必要です。でも、子育て支援は社会にとってけっしてコストではありません。むしろ未来への投資です。その未来への投資は国・行政府だけに任せて解決できるのか。国民・市民との協働体制をいかに確かなものとするか、その重要性は地域の子育て支援のNPO活動に携わっている者として日々実感しています。

意見陳述に際して、私は待機児対策として、質を担保した保育の量的拡大と共に、保育士確保のための処遇改善、企業の両立支援の一層の推進等々、現時点で考え得る施策について縷々述べましたが、同時に子育て支援の根底をなす人々の意識の在り方、とりわけ地域の相互扶助の基本となる哲学の醸成と仕組みの構築の必要性についての考えを述べました。これは、私が代表理事を務めているNPO法人あい・ぽーとステーションで実施している地域の人材養成の取り組みに基づいての提言です。

NPO法人あい・ぽーとステーションでは、2004年から子育てや職業経験・人生経験等を豊かにもつ地域の方々を対象として「子育て・家族支援者養成」講座を実施してきました。港区・千代田区・浦安市・戸田市・高浜市で1600人余り人々が講座を修了して「子育て・家族支援者」の認定を受け、施設内の一時保育や訪問型保育、子育てひろばの見守り・子育てコーディネーター等で活躍しています。この人材養成の取り組みをモデルに、昨年度から厚生労働省の「子育て支援員」研修制度がスタートしたことは、内閣委員会でも議員の一人が言及され、評価していただいたことは嬉しいことでした。

恵泉女学園大学の学生も、「子育て・家族支援者」(今年度から「子育て支援員」)講座を履修できる科目を設けていますが、すでに認定資格を取得して活動を始めている学生が出ています。学生が地域の社会人と共に学び活動することで、双方に互恵的な関係も紡がれています。

こうして子どもの有無や子育て中か否かを問わず、子育て支援にすべての国民が理解と協力を惜しまないコンセンサスをいかに作れるか。仮に国や自治体だけではできないことがあるとすれば、それを率直かつ真摯に説明し、国民に求める努力もまた避けてはならないと考えます。子どもの声が騒音だとして保育園建設を阻み、公園で子どもが声をあげて遊ぶことも禁止させるような国民の意識をどう変えていけるのかを私たちは真剣に考えなくてはならないのではないでしょうか。

今回、待機児問題がこうして国会でもとりあげられるようになったきっかけは、「保育園落ちた。日本、死ね!」と書かれた匿名ブログでした。これまで政治にはあまり関心を示さないと言われてきた若い世代が声をあげ、政府や社会を大きく揺さぶったことは画期的な現象です。今回のことが契機となって、若い世代が 自分たちの思いを行政府に届けようとする機運が高まってほしいと思います。

ただ、そのためには声の届け方にも今後は一定の配慮がほしいと思います。今回は「死 ね!」という過激な表現が社会を動かす一因となったことは言うまでもありません。ブログの全文も読んでみましたが、かなり刺激的な口調です。張り裂けん ばかりの胸の内が伝わってきます。仮に通常の表現ではここまでの社会的な動きは起こらないというのも、残念ながら現実かもしれません。こうした事情は十分に理解 しつつ、それでもあえて言えば「死ね!」という言葉は今回限りにしてほしいというのが正直な気持ちです。子どもの命が大切に育まれることを願って子育て支援に携わっている者の切なる願いです。折しも「3.11」で亡くなったあまたの人々の無念さと大切な人を失った方々の苦悩が今なお生々しいこの春に、さらに追い打ちをかけるかのように大地震が熊本をはじめとして九州地方を襲い、多くの命が奪われ、人々が恐怖と苦しみの渦中に置かれています。

意見陳述の後に行われた各会派の議員との質疑応答の時間では、具体的な施策の在り方についてのやり取りも勿論交わされましたが、それ以上に子どもや親をはじめとして、すべての人が生きやすい社会をどうしたら創れるのか、そのための教育の在り方や哲学の問題に議論が展開していったことをご報告いたします。