生涯就業力STEP授業Ⅲと多摩学~その2~

2020年06月15日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

先週に続いて、「生涯就業力STEP授業Ⅲと多摩学」の第2弾をお届けいたします。
初回に続けて、第2回目の授業では下表のように6つのグループに分かれて、テーマごとに外部の方々に講師を務めていただいたうえでグループ討議を行い、最終回の第3回目は再び全員で振り返りをするという流れで行われました。350名近くが一同に会したZOOM授業でしたが、終了時にほとんどの学生たちが「有難うございました」という言葉を残してZOOM画面から「退出」していったことに、少なからず感動しました。
ステップ授業Ⅲにおける多摩学の企画の趣旨と学生たちの感想をお届けいたします。ブログとしてお読みいただくには量が多くて報告書のようになってしまいましたが、この授業を担当した教員や受講した学生たちの思いが溢れていますので、最後までお読みいただければ幸いです。

「多摩学を企画して」 澤登早苗(園芸学)

多摩学は他大学でも行われています。しかし、恵泉多摩学には他大学にはない特徴があります。キャンパスが開発で大きく変化を遂げた地域と開発されずに残った多摩丘陵との境界に位置していること、必修の「生活園芸Ⅰ」の実習農場が多摩丘陵の中にあること、「園芸」「国際平和」「聖書」が教育の3つの礎となっていること、加えてこれまで地域の人々と協働で多様な地域連携プロジェクトを行ってきたことです。フィールドワークを組み合わせて行う予定だった授業をオンラインに切り替えてもこのように実施できたのは、これらを通じて培われた信頼関係があったからこそ、外部講師も、DVD「多摩NT わたしの街」の映画製作者も、これまで一緒に活動をしてきた方々だったからだと思っています。

第1グループ フットパスでたどる多摩の歴史と自然

内容 宮内泰之(園芸学)

最初にNPO法人みどりのゆび神谷由紀子氏よりフットパスや地域活性化の様々な取り組みについてお話を伺いました。次に歴史古道研究家宮田太郎氏より古道のお話を伺いました。キャンパスのすぐ脇に防人の道や頼朝、尊氏、家康、新選組等歴史上有名な人物に縁のある道が通っていること、それら古道が府中を中心に京へと繋がっていたこと等、時空の壮大なスケールに圧倒されつつ、キャンパスに誇りを感じるひと時となりました。

学生の感想
国際社会学科 徐方
私は多摩中央公園内の富澤家に行ったとき、建物から昔の雰囲気を、庭では素敵な自然を味わえました。今回の授業では多摩市の古道などについて勉強になりました。今後はキャンパスの周りの行ったことがないところを歩いて、多摩の歴史や文化、自然を発見してみたいです。そして、大学四年間で多摩と一緒に成長したい。将来は多摩を離れても、心の中に残る多摩の記憶を頼りに、その時いる場所で自分のできることを発揮できる人になりたいです。
社会園芸学科 桐生実歩
今回の授業で多摩には多くの歴史と自然があると知りました。生活園芸の時に通った道が徳川家康日光改葬の道であることを知り、知る前はただの道だったものが学んだことで見え方が変わりました。地域の方々が地元のものを使い、自然保護を訴える風景を写真で見て、ただ自然を守ろうと声をかけるだけではないのがとても温かみのある活動だなと感じました。多摩や自分の住んでいる佐倉についても、もっと知っていきたいと感じました。
教員からのコメント 志賀里美(日本語教育)

学生達は、身近にこんなに素晴らしい所・活動があるのだと新たな発見があったようで、グループワークでも「すぐそばにこんなところがあったなんて驚きだよね」「みんなで歩いてみたいよね」と嬉しそうに話し合う学生達の姿もありました。講師から「インスタ写真を取りに行くかんじで多摩を楽しんでみたらどうでしょうか」というアドバイスをいただきました。私もコロナが終息したら、ぜひ学生達と多摩の地を楽しみたいと思います。

第2グループ NT開発の変遷と新しい地域づくり

内容 高橋清貴(国際ボランティア論)

DVD『多摩ニュータウン わたしの街』を観て、NT開発の歴史と住民による街づくりについて学びました。高度経済成長期に東京の住宅難解消を目的として進められたNT開発は、緑豊かだった多摩丘陵と人々の暮らしを一変させましたが、あれから約半世紀、高齢化が進み「オールドタウン」と揶揄されながらも、住民たちは日々、新しい人間の絆をつくり続けています。その姿に多くの学生が、社会とは、地域とは何かを深く考えさせられたようです。

学生の感想
国際社会学科 渡邊怜美
「開発」によって変わっていく街に反対の人も賛成の人もいるかもしれないけど、反発し合ったり遠ざけるのではなく、そこで生まれた気持ちをみんなで共有することが大切だということに気づきました。人のために「開発」は必要なのか、自然のために「開発」はあきらめるべきなのかなど考え方は様々で、どちらかだけが正解なのではなく、そこに暮らす人たちが助け合っていくことで、気持ちも前向きになり、行動することができるのだと思います。私も環境が変わっても自分がいる場所で、そこにいる人たちと地域のことを想い合い、話し合って街と自分の生活をつくっていきたいと思います。
社会園芸学科 古川えみり
昔も今もずっと変わらないものは、人とのつながり。人とのつながりがなければ、何も始まりませんし、何もできていなかったかもしれません。人とのつながりが生んだものが多摩にはあると思います。私は小さなことではありますが、自分と関わってくださる方々の輪を大切にしていきたいです。人との出会いやつながりは、知らないことだらけで、何が起きるかわからないものだと思います。だから、人々は「コミュニケーション」を重ね続け、それがいつの日か「コミュニティー」の輪になると、私は考えます。最後になりますが、少しずつ自分という小さな世界を、みんなと共に広げていきたいと、気持ちを新たにできたよい機会となりました。
教員からのコメント 澤田みどり(園芸療法)

甲乙つけ難く、それぞれがポジテイブで心に残る光る言葉で表現していました。遠かった多摩がぐっと近づくよいきっかけになったことが感じられ、知ることの大切さ、そして他人事ではなく我が事として受け止め、行動に移す意欲も見られました。マザーテレサの「愛の反対語は憎しみではなく無関心」という言葉が思い起こされます。知ることから興味を持ち行動に移すという学びを、これからの学生生活に活かしていって欲しいと思います。

第3グループ 多摩の食と農

内容 澤登早苗(園芸学)

青木幸子さん(多摩市農業委員、農家料理「青木農園」主宰)から「小さな農家に嫁いで見えてきた都市農業」と題しお話を伺いました。埼玉の非農家から嫁ぎ、農業を始めた体験をもとに、子育て・介護の中で農業に助けられたこと、「農の生け花」、市内の農家の想い、「かかりつけ」農家の勧め、人と人をつなぐ農業等について話されました。NT開発で大半の農地が失われた多摩で農業が継続されている意義を深く考えさせられました。

学生の感想
日本語日本文化学科 東海林実音
「私にとっての多摩 ~多摩地域が私たちにもたらすもの~」
青木さんは多摩で農業を行っていらっしゃいます。「農業は性格を変える」という発言から、私は多摩は人に変化を促す土地ではないかと思いました。実際、私も多摩に変えられたところがあります。それは多摩に存在する恵泉女学園大学に通うことで、物事に対する視野を広げる姿勢を積極的に持とうという考えが持てるようになった点です。一年間大学に通った今では私にとっての多摩は「自らの変革を促してくれた土地」です。
英語コミュニケーション学科 石川りさ
「私と多摩へのラブレター ~かっこいい存在~」
畑から生み出される力は偉大だと改めて感じました。私自身1年間「生活園芸」を学んで実際多くのことを学びましたが、今回お話しを聞いた青木さんは、多摩に嫁いで子育てと介護をしながら、畑とともに生きてこられた。お話を伺いながら、畑に対する愛情がたくさんある方だと思いました。園芸を学んで生きている先輩として、都市農業を、そして有機農業を、様々な困難がありながらも成功させてきたその姿はかっこよく見えました。多摩よ、私よ!最高のものがここにはあるぞ!
教員からのコメント 藤田智(園芸学)

みなさんの書かれたものをお読みいたしましたが、どれも素晴らしいもので、私は感激いたしました。その中でも「多摩は自らを変革してくれた土地だ」という思いを述べてくれた「多摩へのラブレター」。そして講師の青木先生から、畑とともに子育てと介護をしながら生きてこられたご経験を聞き、その姿に感動し、「多摩よ、私よ!最高のものがここにあるぞ!」と綴った「多摩と私へのラブレター」、の2つを選びました。

第4グループ 多摩学と平和宣言

内容 上村英明(国際法 先住民族論)

多摩市在住で、平和運動の経験も豊かな神子島健先生(東京工科大学)にその「戦争」の歴史を伺いました。多摩市には、1930年代、軍の火薬工場(多摩火工廠)が置かれ、この建設には朝鮮人労働者、火薬の製造には女子学生も動員されました。戦後は、米軍の弾薬庫となり、朝鮮戦争時には横田基地から空爆に向かう戦略爆撃機に利用されました。現在も米軍のサービス施設ですが、その歴史を土台に、2013年には非核平和都市宣言が採択されています。

学生の感想
英語コミュニケーション学科 守屋知紘
多摩は私にとって学校がある場所であり、多摩地域はわたしの地元であり、近い存在であり知っているつもりでした。しかし、このテーマでは、多摩市の平和への思いや軍事基地があったこと、間接的な加害者として戦争に参加していたこと、様々なマイナス面を教えてくれました。ただ知っているのではなく、これからはわたしも多摩の発信者になろうと思いました。新しい様々なこと、歴史を超えて教えてくれてありがとうございます。
国際社会学科 山本瞳
今まで多摩市は「平成狸合戦ぽんぽこ」のように、都市開発や自然が多いと言ったようなイメージを持っていたのですが、今回多摩市と平和都市宣言のお話を聞いて、多摩市には戦時中の火薬製造や戦後の米軍施設などの歴史があったことを知りました。また、多摩市の平和都市宣言は福島原発の事故から学んだことを人と環境に優しいエネルギーを大事にしていくという形で活用していくということが、いいと思いました。
教員からのコメント 李泳采(国際関係論)

多摩地域に戦前、軍の火薬工場があったこと、戦後米軍基地となり、朝鮮戦争やベトナム戦争時に活用されたことを多くの学生が初めて知りました。多摩地域の戦前と前後の歴史と現在の平和都市宣伝宣言が繋がっていることにも、その意味を理解することができました。多摩地域に居住している守屋さんと非居住者の山本さんは、その多摩地域の歴史を、今を生きる若者として深く受け止め、当事者として情報発信していきたいという強い意思が、3人の担当教員(上村、水上、李)から高く評価されました。

第5グループ 市民活動と子育て支援

内容 菊地牧恵(生活園芸)

グラフィックアートが本業の妹尾浩也さんは、デザインは「相手を思いやること」と学んだ経験が活動の原点、とお話しくださいました。学童保育連絡協議会や地元での多様な市民活動を通して構築し続けているネットワーク。福島キッズキャンプ@恵泉でも必要な人材を繋ぐことができたのはその賜物。「たま食ねっと。」では、子ども食堂をやっている人が助け合う空間・仲間・時間・手間の四つの「間」を提供。活動はまだまだ続きます。

学生の感想
国際社会学科 牧元鈴菜
「私にとっての多摩 ~人と人が繋がる街~」
私にとって多摩は、通う大学もあり、車でもよく通る馴染みのある街です。ですが、知らないことの方が多く、今回多摩のことを知ることができて興味深かったです。子育て支援の活動を様々な形で支えている側からのお話を聞き、利用する人だけでなく、市民一人ひとりが思いやりを持って街のことを気に掛けることが大切であることを学びました。また、そういった人々の繋がりが、私の見慣れた多摩の街をつくっていたことを知りました。
国際社会学科 高橋和
「私にとっての多摩~これまでもこれからも身近な街~」
多摩近隣に住み、小さい頃パルテノン多摩に通ったこともある私にとって、多摩は身近な街です。地元で子供と関わるアルバイトを続けていることもあり、子供の現状について知りたいと思っていました。「ひとりぼっちの子供を無くすことは、同時にひとりぼっちの母親を無くしたいという想いでもある」と聞き、なるほどなと感じました。妹尾さんのように想いを持ち、行動力がある方がいる街で、私も身近に活動の機会を見つけて参加したいです。
教員からのコメント 丸橋亮子(保育学)

妹尾さんのアンテナ、行動力、熱量に心打たれました。学生の感想も心動かされ自分事として語られたものであり、あの場の全員が同じ空気に包まれたと感じます。活動のお話はどれも魅力的で、それらの繋がりが生まれ発展している根底では"思いやり"がカギになっていました。今は身体的な距離が必要ですが、ご講和にあった「ソーシャルコネクティング」の大事さを意識することでどのような状況でも繋がることができると感じました。

「福島キッズキャンプ@恵泉で、地元の親父の会の皆さんが作ってくださった流しそうめん」

第6グループ 多摩市の国際交流

内容 桃井和馬(メディア社会学)

「多摩市国際交流センター(TIC)」の事務局長である竹内佳代子さんから、多摩市における国際交流を伺いました。TICは多摩を起点にする外国の人々と市民の国際交流の拠点として1993年に設立された市民、民間団体、行政を繋ぐ組織です。日本語を学ぶクラスを準備するだけでなく、ゴミの出し方、地震の時の避難方法などを一緒に考えています。お互いが、お互いの文化を知る、地に足を付けた国際交流を目指しているのです。

学生の感想
国際社会学科 佐藤優奈
「多摩へのラブレター ~感謝~」
拝啓 新緑の季節となりましたね。今年も多摩市は木々が青くとても気持ちがいいです。
美しい街でいてくれてありがとう。今日の姿に至るまで長いながい道のりがありましたね。中でも、外国人の人口がここ50年で桁違いに増えたと知り驚きました。外国人にとってもいい街として成長したのでしょう。私が通う大学の周辺には、緑だけでなく鳥なども多くいて嬉しいです。 あなたに心から尊敬と誇りを込めて。 敬具
国際社会学科 古瀬ひなの
「私にとっての多摩 ~Peace beginning from Tama~」
多摩が意欲的に行っている"国際交流"とは、他国を知り自国を伝え、相互の歴史や風習を理解するという言わば"文化の共有"とも言える取り組みです。これらを盛んに行うことが出来るのは、同時に多摩をはじめ日本が平和であることを意味します。多摩は、そのような平和の輪を積極的に広げ、またこの先も永く繋げていくために様々な国や地域の方々と交流を深めていることから、深厚博大な誇らしい地域であると強く実感しました。
教員からのコメント 島田美織(英語教授法)

「恵泉多摩学」第3回目の授業に寄せてくださった学生さんの感想を読み、一人一人が学習したことについて真剣に考え、知識を深めていることがわかりました。また、自分のグループだけではなく、他のグループの話にも熱心に聞き入り、それぞれの意見に共感を覚え反応している様子を目にし、教員としてとても誇らしく感じました。この授業をきっかけとして、学生たちが主体的に行動し、多摩の更なる発展に何らかの貢献をしてくれるものと期待しています。