恵泉ディクショナリー

杉原 千畝歴史文化学科

[すぎはら ちうね]  Sugihara Tiune

杉原 千畝とは

「昔、スギハラサンに助けていただいたお礼に来ました」これは3.11の直後、一番初めに日本に駆けつけたイスラエル医療団の言葉です。残念ながらこの発言の意味を正確に理解した日本人はごくわずかでした、ここに明らかにしてみましょう。1940年7月末、バルト三国の一つであるリトアニアの領事館に、日本通過ビザを求める多くのユダヤ人が来ました。彼らはオランダ国籍をもつポーランドに住んでいたユダヤ難民です、ナチスに追われ西側へ逃れることはもうできません、唯一の脱出ルートはシベリア鉄道でウラジオストックに行き、日本海を船で渡って敦賀に着き、ここから神戸港に行き船で海外に逃れるというものです。この計画では日本通過ビザを取得することが必須です。友好関係にあるドイツが敵対視するユダヤ人を助けることは、当時としては反国家的行為です。当然ながら時の外務大臣の松岡洋右は、領事代理の杉原千畝からの日本通過ビザ発行許可を認めません。しかし杉原は妻幸子の助言もあって、独断でビザを発行しました。こうして命を繋いだユダヤ人が七千人近くもいるのです。

2012年05月21日 筆者: 岩村 太郎  筆者プロフィール(教員紹介)

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