恵泉ディクショナリー

シャングリラ歴史文化学科

[しゃんぐりら]  Shangri-La

シャングリラとは

シャングリラという地名はジェイムズ・ヒルトン(1900-1954)の創造の産物である。『チップス先生さようなら』で知られるヒルトンの作『失われた地平線』(1933年)の舞台とされた。シャングリラとは、チベット語で「シャンの山の峠」という意味である。トマス・モアの「ユートピア」がそうであったように、「シャングリラ」は作品から離れて一人歩きを始め、「理想郷」の意味で用いられるようになった。
『失われた地平線』のストーリーを簡単に紹介しよう。主人公コンウェイはかつてパブリックスクールで将来を嘱望されながら、第1次大戦で深い精神的傷害を受けてからは、すっかり人が変わってしまった。その後、目立った活躍もなく「傍観者」として生きてきたコンウェイは、アジアの地方都市バスクルでイギリス領事の地位にあった。ところが、現地で大規模な暴動が起こり、軍用機で脱出しようとしたところをハイジャックされ、チベットの山岳地帯に連れ去られてしまう。機内には、コンウェイの他に、若年の部下、偽名を用いる金融犯罪者、女性伝道師が同乗していた。やがて、パイロットを犠牲にしながら飛行機は不時着し、彼ら4名はシャングリラへと辿り着く。
切り立つ山々に囲まれた谷間の地シャングリラには、修道院が建っていた。この修道院は孤立した場所にありながら、近代的な暖房施設が整っていたり、充実した図書室や音楽室が揃っていたりと、不思議なところがあった。不思議と言えば、ここの僧侶たちはにわかに信じがたいほどの長寿を手に入れていた。元来が「静寂と思索と孤独を好む」コンウェイは、世間の雑踏から離れて有り余る時間を享受している修道院の生活に惹かれていく。シャングリラに立ち入った者は再び外界に戻ってはならないという掟にも従うつもりであった。しかしながら、その後事態が急変して、コンウェイはなかば意に反してシャングリラからの脱出を試みることになる・・・。
桃源郷やユートピアの類は、外からの侵入を容易には受け付けない、閉ざされた世界としてしばしば描かれてきた。シャングリラもまた高峰に囲まれた谷間にあって、これ以上ない程の閉鎖空間であった。仮に世界が滅びるとしても、ここにいる者だけは安全であろう、そんな幻想を抱かせるほど孤立した世界であった。だから、幸運にもこの地にたどり着いた者が、何かの事情でひとたびそこを離れたならば、再び戻るのは難しい。この点で、『失われた地平線』は陶淵明の『桃花源記』の結末と似ている。その最後の1行が、「コンウェイは、果たしてシャングリラを尋ねあてるだろうか」という問いで終わっているのは、まことに意味深である。
『失われた地平線』は、1937年と1972年に2度にわたって映画化された。また、1998年に公開された『中国の鳥人』は、『失われた地平線』の翻案である。なお、中国雲南省に「香格里拉」(シャングリラ)という県があるが、これは2001年に「中甸」県が名前を変えたものである。これを機に、この地は、木材を主要産業とした後進地域から国内でも有数の観光地へと変貌した。名称変更が成功したケースと言えよう。現在、シャングリラの名は、ホテルチェーン、ライブハウス、レストラン、音楽、小説、アニメから、アメリカ海軍空母に至るまで、さまざまに分野で使われている。

2012年07月30日 筆者: 高濱 俊幸  筆者プロフィール(教員紹介)

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