世界遺産「イギリス湖水地方」の自然と文化(1) 英語コミュニケーション学科

2022年05月10日
 投稿者:高濱 俊幸

ポターが住んだヒルトップ農場
ワーズワースが通った湖水地方のホークスヘッド・グラマースクール

今回は、世界的に有名な「ピーターラビット」シリーズの故郷であるイギリス湖水地方(Lake District)について書いてみたいと思います。ピーターラビットとその仲間たちが暮らすのは、自然が豊かでありながら、ひとびとの暮らしが息づく田園です。作者ベアトリクス・ポターが後半生を送ったヒルトップ農場とその周辺の村、野原、森がその舞台となります。ロンドンの大都会に生まれ育った作者が、湖水地方に惹かれて移り住むことになった経緯を知るには、映画『ミス・ポター』をお勧めします。

イングランド北部に位置する湖水地方は、2017年に世界遺産に登録されました。かつて氷河に覆われたことがあって、U字谷など独特の地形が見られ、美しい自然風景が広がる場所なのですが、自然遺産ではなく、文化遺産として登録されています。それまで1987年、1990年に2度も審議されながら、なかなか登録には至らず、「三度目の正直」で世界遺産に認定されました。認定の理由の一つとして、景観の美をめぐる新たな文化の創造という面が挙げられていました。

観光地として有名な湖水地方ですが、その過去を振り返るといろいろと面白いことが分かります。ここでは美しさが「歴史的なもの」であるという観点から時代を振り返ってみたいと思います。歴史的なものというのは、昔からずっとそうだったのではなく、あるときからその美しさが発見されたということです。

では、湖水地方の美しさはいつ頃「発見」されたのでしょうか?その答えは、おおよそのところ、18世紀の後半ということになります。18世紀後半はイギリスでいくつもの大きな変化が起こります。もっともよく知られているのは、産業革命でしょうか。イギリス産業革命については、1760年を起点とするのが通例です。実際、ジェニー紡績機やアークライトの水力紡績機が60年代に発明されています。産業革命というと石炭と蒸気機関のイメージが強いのですが、初期の頃は水力を活用することが多かったようです。産業化とともに都市化も進んでいきます。ちなみに、ロンドンの人口は1800年時点で90万前後に達します。

こうした時代背景から、都市の喧噪を逃れて自然の豊かさを求める人の気持ちが強まったのでしょう。風光明媚な湖水地方に人々が押し寄せます。こうした人々の新しい動きは、1813年に出版されたジェーン・オースティンの有名な小説『高慢と偏見』にも見ることができます。第42章には、元来湖水地方を旅の目的地としていたのが、出発の遅れから急遽ダービシャーへと変更する場面があります。この変更のため、結局、小説の中で湖水地方が描かれることはありませんでしたが、当時ここが人気の観光地となっていたことが分かります。まだ鉄道がない時代ですから、馬車での移動が前提でした。

『高慢と偏見』が出版される少し前から、「湖畔詩人(Lake Poets)」と総称される詩人たちが湖水地方に移り住んで、その美しさを歌い始めます。自然の美しさを詩にすることで、詩に歌われた美しさに惹かれて人が訪れるという循環が生まれます。そうした湖畔詩人のなかでも有名なのがウィリアム・ワーズワース(1770-1850)でした。ワーズワースの場合、もともと湖水地方の出身だったのですが、1799年に再びこの地に戻ってきます。結局、80年の生涯のうち60年を湖水地方で過ごし、そのお墓もこの地にあります。ワーズワースは、多くのひとにその魅力を知って欲しかったのでしょう、『湖水地方案内』(Guide to the Lakes)というガイドブックまで書いています。第3版から、その一部を訳して紹介しておきます。

「狭い一角にありながら、光と影の効果によって、崇高で美しい光景の多種多様な姿をこれほどまでに見せてくれるところを、実際に私はほかに知らない。・・・とくに徒歩旅行者にとっては、この地方はこうした興味深い場所が集中しているために、スコットランドやウェールズのどれほど魅力的な場所と較べても、明らかに優れたものとなっている。」

ワーズワースは1日に30キロメートルほど湖水地方を歩き回ったそうですが、現在、湖水地方には、パブリック・フットパスをはじめとして総延長3,200キロメートルに及ぶ小道が設けられていて、ワーズワースと同じように自由にハイキングを楽しむことができます。
(つづきはまた別のブログで・・・)

*湖水地方については「西洋史特講Ⅱ」で講義しています。また、本学ではこの授業とは別に、「世界遺産学入門」と「世界遺産学」の授業が開かれています(2022年度)。

担当教員:高濱 俊幸

「政治思想史」は政治学の一分野です。人類はこれまで政治についていろいろと考えてきました。その結果、さまざまな政治の理論や見解が生まれました。それらを歴史的に研究するのが、政治思想史という分野です。とりわけ18世紀のイギリスを中心に研究しています。この時期としてはジョン・ロック、デイヴィッド・ヒューム、ジェレミー・ベンサムなどが有名ですが、一般には顧みられることの少ない人物にも目を向け、ときどきに興味の向いたことを、取り上げてきました。

高濱 俊幸