英語は何故世界の共通語なのでしょうか? 英語コミュニケーション学科

2021年11月25日
 ゼミ/授業名:桃井ゼミ

ベルギー・イーペルの大聖堂
ベルギー・イーペルの旧市街。歴史の中で常の戦争と直面してきたヨーロッパ式の建築では、隣の家との境を無くすことで、街並み自体が城塞の機能を果たした。
ベルギー・イーペルにおいて、最初期に使用された毒ガス兵器用のボンベ
イーペルに残されている塹壕

現在の私は「英語コミュニケーション学科」の教員ですが、元々、写真家として、ドキュメンタリー作家として、世界140カ国を訪れ、様々な社会問題の現場【紛争、戦争、環境破壊、飢餓など】を取材してきました。

これらの経験を基に、今「世界はどのように動いているのか?」「地球はどのような状況にあるのか?」を学生たちに伝えています。それが私の担当する「表現力実践講座」や「国際情勢論」などの授業要旨です。

グローバル化した現在の世界では、国や人種、文化や歴史の違いを越えた高度なコミュニケーション能力が求められています。そうした能力の獲得を目指した恵泉の「英語コミュニケーション学科」では、「英語」+「コミュニケーション」というキーワードで、多彩な経歴を持つ教員が、きめの細かい教育を実践しています。

私が担当するこのブログでは、世界の取材の現場で多様な人々と出会い、交流を重ねた経験から見えてきた「コミュニケーション」を改めて考察します。

英語は何故世界の『共通語』なのでしょうか?

日本人の多くは、最初に学ぶ外国語で「英語」を学びます。
その理由を考えたことはありますか?

最大のきっかけは、17世紀以降、大英帝国としてのイギリスが世界に植民地を作り、影響を持っていたからです。世界で使用される言語は、時代の国力を反映します。多くの人が使いたい言語とは、多くの人がその経済圏下で生活しているか、その巨大経済圏と関係を結びたい言葉なのです。
19世紀に入ると世界一の覇権国家になったイギリスは、主にフランスと世界を二分して植民地支配をおこないました。(そのため、フランス語も当時の世界共通語で、1980年代くらいまで国際的な会議でも、公式言語のひとつとして使用されていました)

しかし両国が第一次・第二次世界大戦の主舞台となったことが大きな転機となりました。経済、国土ともに深刻な被害を受けたからです。

世界的な工業化の影響下にあった二つの世界大戦は、大量生産、大量消費、大量廃棄を前提とし、兵器を中心にした軍事物資を大量に生産し、消費し、廃棄する戦いになったのです。それは人命にも及び、第一次世界大戦では死者数がおよそ900万人、第二次世界大戦では、一般市民まで含むと5000万人以上が死亡したと推測されています。

ちなみに、第一次世界大戦では、マシンガンや戦車などが開発された、急速なスピードで改良されていきました。

1915年4月、ベルギー、フランドル地方の街イーペルで最初に使用された毒ガス(塩素ガス)もそのひとつです。開発されたばかりの毒ガス攻撃では、およそ5千人が亡くなったのですが、使用されたのは現在では家庭でも使うようになった「まぜるな危険」の塩素をガス状にしたものでした。そのため、威力は人間を気絶させるくらいでしたが、多くの兵士が死亡した理由は、これも新しい戦い方であった塹壕(トレンチ)戦の影響で、気絶した兵士は、地面を掘った塹壕の中で気絶した末に、溜まっていた水に顔をつけ、窒息死したのです。
(その後、毒ガス研究は一気に本格化し、第一次世界大戦が終結した1918年までには、致死性を高めた化学兵器は3千種にまで達していました。悲しいことに、人間は残酷な兵器でも一度研究を始めると簡単には止められないようです)

二つの世界大戦の間、激戦地となったヨーロッパに物資を供給する一大拠点となったのが、ヨーロッパの移民が移り住んでいたアメリカでした。戦場で食べられる缶詰や、兵士たちの軍服などを中心にした「軍需産業」で、アメリカは好景気を続けたのですが、影響はそれだけに留まらず、フランスやイギリスが中心だった映画産業も、両国が戦場になったことで新興国アメリカに移り、その中でも、天候に恵まれ、撮影に適したカリフォルニアに、映画の都「ハリウッド」が形成されていったのです。

第二次世界大戦後の世界は、21世紀を迎える頃まで、アメリカの「一国覇権時代」を続けました。それに伴い、イギリス流の格式張った英語から、移民たちが作りあげたアメリカ流の英語が世界の共通語になっていったのです。

英語という言葉だけでも、それが共通語になるまでには深く歴史が関係し、光と闇が存在するのです。言葉を学ぶ際も、こうした歴史や国際社会の視点、それだけでなく倫理観や哲学観、宗教観が大切になるのです。

大学で4年かけて言語と向きあうダイナミズムは、こうした背景にこそあるのです。

参照

映像の世紀第2集「大量殺戮の完成」
河出書房新社 図説「第二次世界大戦」

担当教員:桃井 和馬

恵泉女学園大学特任教授 写真家、ノンフィクション作家 これまで世界140ヵ国を取材し、「紛争」「地球環境」「宗教」などを基軸に「文明論」を展開している。テレビ・ラジオ出演多数。第32回太陽賞受賞。公益社団法人「日本写真家協会」会員。主要著書に「和解への祈り」(日本キリスト教団出版局)「もう、死なせない!」(フレーベル館)、「すべての生命(いのち)にであえてよかった」(日本キリスト教団出版局)、「妻と最期の十日間」集英社、「希望の大地」(岩波書店)他多数。 大学では、「表現力実践講座」「国際社会論」「国際情勢論」などを担当。

桃井 和馬