カンチャナブリを訪れて

2015年10月07日  投稿者:R.O(国際社会学科3年)

9月下旬、フィールドトリップで、タイ中部にあるカンチャナブリに行ってきました。途中休憩を挟みながら、車で片道約10時間半。疲れましたが、みんなで音楽を聴いたり、お菓子を食べたり、寝たりしながらだったせいか、想像していたよりも大変ではありませんでした。

私たちはここで、泰緬鉄道、戦争博物館4か所、連合軍共同墓地を訪れました。 泰緬鉄道は、第二次世界大戦中、バンコクからビルマ(現在のミャンマー)へ軍事物資を送るために日本軍によって建設された鉄道です。捕虜となった欧米人や強制連行されたアジア人(労務者)が劣悪な環境下で過酷な労働を強いられ、約10万人亡くなったと言われています。そのため、『死の鉄道』と呼ばれることもあります。運転区間は短くなっていますが、現在でもこの鉄道は使われており、線路の上を歩ける所もあります。私たちも、実際に鉄道に乗ってきました。鉄道は、座席も床も木製で、天井には扇風機が取り付けられていました。景色は、川や山、田畑などが見え、きれいで穏やかでした。

戦争博物館は、創設した人の出身国がそれぞれ異なるためか、展示されているものが少し異なり、雰囲気も違いました。いずれにしても、強制労働させられた人々の生活環境・労働状況の過酷さや悲惨さが伝わってきました。また、家族への手紙などの遺品を見て、切なくなりました。

連合軍共同墓地は、強制労働によって亡くなった連合軍兵士6,982人が埋葬されていました。自分と年齢の近い人も多く亡くなっていたことは、衝撃でした。
私が今回のフィールドトリップで最も印象に残ったのは、事前授業や戦争博物館で得た情報・その印象と、今現在の景色・その印象とのギャップです。日本軍による強制労働の事実は悲惨で悲しく、暗い印象を持ちました。その一方で、私がカンチャナブリで見た景色は穏やかで、日本軍によって過酷な生活・労働を強いられた人々がいたことが想像しづらいものでした。もし、ボゲット先生の事前授業を受けたり、戦争博物館を訪れたりしていなかったら、ただの観光で終わってしまっていたかもしれません。事前授業や戦争博物館で見たことを思い出しながら線路をじっくり見ると、「やはり、この鉄道は多くの犠牲の上にできたのだ」ということが感じられました。

歴史学者のボゲット先生もおっしゃっていたように、戦争などによる悲惨な出来事を起こしたのは日本だけではありません。しかし、同じ過ちを繰り返さないために、被害者側としてだけでなく、加害者側としての戦争の歴史も学ぶ必要があると、改めて思いました。

カンチャナブリ戦争博物館

泰緬鉄道