現代に通ずる足尾の、光と影から学んだこと
~足尾銅山と田中正造に関するフィールドトリップ~ 社会園芸学科

2020年02月13日
 投稿者:国際社会学科2年 内田
 ゼミ/授業名:教養基礎演習Ⅱ

11月23~24日、なんとなく肌寒い中、篠田ゼミではFT(フィールドトリップ)に行ってきました。
場所は栃木県足尾市、日本初の鉱毒事件とも言われる足尾銅山鉱毒事件について学びに行きました。19世紀後半(明治初期)から"今に至るまで"、足尾銅山での採掘による鉱毒により山々の木が枯れ禿山になるなど、大きな被害をもたらした事件です。
また生涯をかけて民権を重んじ被害者の側に立って足尾鉱毒やその背景にある権力と戦うことに尽力した田中正造。1度は習うこの事件この名前に、聞き覚えのある人は多いのはないのでしょうか。

1日目は足尾銅山周辺で、木がまだらに生える山々や、当時から残る鉱滓(有害物質も含まれる)を未だ保管している堆積場など、現在にも残る足尾鉱毒の影響を見ました。

鉱山事業主の古河鉱業が運営する古河足尾歴史館では、当時の人々の様子や、どのように採掘しどのように生活を立てていたかなど、過去の記録を見ることができました。実際に使っていた機材や当時の写真などを交えながら、館長の長井一雄さんから直接説明していただきました。

鉱山のおかげで栄え、相撲の巡業が行われるほど横浜に次ぐ大都市だったこと。古河鉱業は有名な政治家と関わりがあるほど大きな財閥だったこと。

とても教育に力をいれ小学校や病院等を作ったことなど、今は落ち着き人口が少ない足尾とのギャップに驚きました。

ガイドの山田さんとの足尾巡りでは、いい意味でも悪い意味でも足尾の"リアル"について触れたような気がしました。

当時、多くの炭鉱労働者が住むために長屋が多くあり、共同のキッチンとして工業用水を引いた井戸を活用していました。長屋が少し点在していたり、当時要人を接待するための豪華な掛水倶楽部という洋館が残っていたり、禿山はもちろん麓の閉山後衰退していった住宅街など歩いて見学しました。

当時の人々が使っている様子が想起できて、グーンと身近に感じました。歴史上の出来事ではなく、今自分たちが生活している延長線上に起こった出来事だったことを実感し、教科書や授業で学んだ知識と、現地で見聞きした情報が立体的に組み合わさって見えてきて、リアルな足尾を感じてゾクゾクしました。

生協の始まりが足尾だったことや、頑張れば昇給しプライベートのない長屋から抜け出し、ある意味で誰にでものし上がれるチャンスが有る構造だったことや、それを利用しクラブ活動などを作り足尾銅山を盛り上げていくのがうまかった古河鉱業、しかしながらその中でもそのチャンスの範囲にすら入れず強制連行され利用された中国・朝鮮人がいたことなど、様々な当時の現実問題を学びました。

山田さんの印象的な言葉があります。「足尾の光と影を見てほしい。外で語られる足尾はどうしても影の部分だけ取り上げられるが、この事件には住んでいた人々が実際にいて、その人々が苦渋の決断の末、こうなったことを伝えたいので、今回はわざと足尾の光を強調して案内した」と。実際に住み、足尾の栄枯盛衰を誰よりも近くに見てきたからこその言葉に、考えさせられました。

1日目で足尾の"光と影"を学び、立場によっても主義主張が異なりつつも、どちらにもそれぞれ違う形の足尾に対する愛が存在し、山田さんも長井さんも足尾を想っていることがわかりました。FTで一番大切なことを学んだように感じたことでありました。

2日目は田中正造について詳しく学びました。栃木県佐野市の田中正造の生家や旧谷中村を撤去させて作られた渡良瀬遊水地など、バスで様々なところを周りました。この地域は2019年に甚大な被害をもたらした台風19号の被害を受けた地域でもあります。

公害事件で大きな影響を受け、臭いものにふたをするように遊水地を作るために立ち退きを迫られた谷中村は、より弱いところに鉱毒が押し付けられているようで特に印象的でした。

遊水地となった今の谷中村はだだっ広い湿地のようになっており、当時の人々が祈りを捧げるためのお地蔵さんなどが静かに立っていて、谷中村があったころの形跡が残っているだけでした。

旧谷中村合同慰霊碑は、谷中村に点在していたお地蔵さんや庚申塔が集められている場所ですが、あまり整備されておらず、放置されているような印象を受けました。

オーストラリアの火災問題やグレタさんの演説に影響を受けたデモが世界的に広がっていることなど、環境問題に注目が集まる今だからこそ、鉱害という環境問題に生涯をかけた田中正造の生き方が現在とリンクする部分や学べる部分が多くあったように思います。今回の学びは今にも将来にも役立つ研究ができました。

FTによって、足尾鉱毒問題という一つの事柄に対しても人によって意見や捉え方が異なり、深く学ぼうとすればすれほど、いろいろな意見や見方、層が見えてきました。学んできて思ったのは、さまざまな立場の人にそれぞれ筋の通った意見があり、自分の主観で単純に断定することはできないということです。人の意見を簡単に否定せず構造を客観的に理解し、それぞれの意見を尊重しつつ、物事を図っていくべきだと考えました。物事をゼロかイチかで決めつけず複雑なものとしてとらえるようにしていきたいと思います。

ガイドの山田さんと、足尾の山々を見ながら説明を受けています。
今でもボランティアにより山々に緑を戻す活動を続けており、まだらに木々が生えていましたが(右の写真)、なかなか完全には難しいと仰っていました。
ガイドの山田さんと、足尾の山々を見ながら説明を受けています。
今でもボランティアにより山々に緑を戻す活動を続けており、まだらに木々が生えていましたが(下の写真)、なかなか完全には難しいと仰っていました。
岩肌のはげ山から、ここまで復活しました。
知らなかった足尾の光です。
こんなにヨシは大きいんです
台風19号では同じ高さまで水が貯まりました。
旧谷中村に当時のまま残るお墓。近くに延命院の跡地もあります。

担当教員:篠田 真理子

環境問題をどうやって解決するかと考えた時、大きく分けて二つの方向性があります。科学技術によって問題の解決を図る(地球温暖化の原因となる二酸化炭素を技術的に処理する等)という方向と、現代の社会の方向性を変えていく(持続可能で多様な人々や生き物と共生していく社会を目指す等)という方向です。後者の立場から科学技術と環境問題の関係を見つめつつ、望ましい社会に変えていく方法を歴史と現在から考察していきます。

篠田 真理子

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