レオナルド・ダ・ヴィンチの世界遺産―レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(イタリア)

2012年10月09日

西洋美術を代表する画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作は何だろう。おそらく、多くの人はパリのルーヴル美術館に所蔵されている《モナ・リザ》を思い浮かべるだろう。しかしながら世界遺産として登録されている彼の作品は、ミラノの《最後の晩餐》だけである。近年、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』などによって知名度は上がったとはいえ、さりとて《モナ・リザ》には未だ及ばない《最後の晩餐》が、世界遺産に登録されている理由はどのようなものだろうか。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」という登録名が示すように、ユネスコの世界遺産リストに登録されているのは《最後の晩餐》という美術作品だけでなく、作品が描かれた修道院および付属の教会を含むものである。同時に、世界最多の登録数を誇るイタリアの世界遺産のなかでも、唯一特定の画家の名を含むものであり、西洋文化におけるレオナルドの存在の大きさを感じさせる。

この世界遺産は世界遺産条約の第一条で定義される「文化遺産」に分類されているが、なかでも特に「記念工作物」としての性格を強く有するものだろう。「記念工作物」(外務省の翻訳文書による)というと聞きなれないが、英語でいうmonument、つまりある種の大きさを持った固定的な存在である。「記念工作物」以外には、「建造物群」、「遺跡」などが文化遺産になりうるものとして規定されている。つまり、自然遺産は言うまでもなく、文化遺産であっても世界遺産に指定される遺産は原則として場所が移動しないものに限られているのである。世界遺産条約の履行を促すために定められる「世界遺産条約履行のための作業指針」では、「動産遺産」と題された第46条において、「現在不動産の遺産であっても、将来動産となる可能性があるものの登録推薦は検討対象にしない。」とまで明記されている。
壁画で制作されたレオナルドの《最後の晩餐》が、今後移動する可能性は低い。ただし歴史を遡ると、真偽のほどはともかく、レオナルドの壁画を切り離して持ち帰ろうとした王もいたという(「フランソワ1世の見果てぬ夢」を参照のこと)。実際、19世紀から20世紀にかけては、壁画であっても修復などの結果移動させられることが珍しくはなかった。ルーヴル美術館には、かつてボッティチェッリがフィレンツェの別荘のために制作した壁画が保存されているし、またこれとは別のボッティチェッリの壁画が上野の国立西洋美術館の展覧会に出品されたこともあった。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」の世界遺産への登録にあたって、重点が置かれたのがレオナルドの壁画にあったことは明白である。ミラノの公爵家の菩提寺でもあったサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の重要性は否定できないが、それだけではイタリア中に星の数ほどあるドメニコ会修道院教会のなかでの差別化には不十分だろう。ユネスコのサイトの紹介ページを見ても、記述の大部分はレオナルドの壁画にあてられている。レオナルドの傑作に歴史的なコンテキストを与えるものではあるとはいえ、世界遺産への登録に際して、教会と修道院があたかも「付けたし」であるかの感は否めないのである。

伊藤 拓真(西洋美術史、イタリア・ルネサンス)

レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》

第二次世界大戦で爆撃された修道院の様子
Nichols, Lynn H. (1995). The Rape of Europa: The Fate of Europe’s
Teasures in the Third Reich and the Second World War より.

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