都市と国家 ― バチカン市国(バチカン)

2013年11月26日

イタリアの首都ローマには、バチカンというもう一つの国家が内包されている。カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂とローマ教皇の居所であるバチカン宮殿を中心とするバチカン市国である。面積はわずか0.44平方キロメートル、東京ディズニーランドよりも狭い。

中世以降、ローマ教皇はローマを中心とする中部イタリアに独立した国家を築いた。しかしながら、19世紀半ばのイタリア統一運動(リソルジメント)の過程において、教皇領の大部分は統一イタリアに編入されていき、1870年にはローマも接収された。しかし、教皇はイタリア王国の世俗的権威に従うことを拒否し、両者の関係は断絶した。和解が訪れるのはようやく1929年、教皇ピウス11世とムッソリーニ政権との間のことであり、現在のバチカンが正式な国家として認められるようになった。

バチカンと都市ローマの中世以降の歴史を切り離すことはできないが、世俗権力からの独立性を考慮してか、ローマの歴史的中心部と、バチカン市国は別個に歴史遺産として登録されている。また、バチカンがローマ市内に所有する不動産の一部には、イタリア政府からの治外法権が認められている。そのような治外法権が認められた聖堂などの建造物の幾つかは、都市ローマとしての世界遺産に含まれるという複雑な構造になっている。

独立国家としての教皇領の起源はコンスタンティヌス帝の寄進にまで遡るという通説もあるが、現在、バチカン市国内にある建造物やその内部装飾の大部分は15世紀以降のものである。中世末期、14世紀のアヴィニョン捕囚とそれに続く教会大分裂の間に、バチカンを含む都市ローマは荒廃した。教皇は15世紀にようやくローマへと帰還する。フラ・アンジェリコの手になる壁画など、バチカン宮殿内の幾つかの壁画装飾はこの時代に遡る。その後、ユリウス2世(在位1503-13年)の時代になって、サン・ピエトロ大聖堂の改築が開始され、ブラマンテやラファエロ、ミケランジェロなどを巻き込んだ一大プロジェクトが遂行されるのである。

参考)ローマの歴史的中心部とその都市で治外法権を有する教皇庁の地所、そしてサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

伊藤拓真(西洋美術史、イタリア・ルネサンス美術)

サン・ピエトロ大聖堂の威容

サン・ピエトロ大聖堂内部

2012年度文化現地研修にてバチカン美術館の見学