ヨーロッパとイスラムの文明が共存した都市(スペイン、トレド)

2013年11月11日

「12世紀ルネサンス」という言葉がある。14-16世紀のいわゆるルネサンスに先立ち、中世のヨーロッパが迎えた新しい局面を指している。商業の発達、都市の勃興など、それはのちのヨーロッパの社会や文化の基盤を作り出すものであった。科学史の伊東俊太郎は、背後にはヨーロッパのイスラム文明との出会いがあったといっている。ヨーロッパには伝えられていなかった古代ギリシャの思想や、先進的なアラビア科学が、スペインやイタリアなどイスラム世界との接触が大きかった地域から流入し、ヨーロッパ各地に広まることによって、比較的静的であった社会に変化が起きたのである。

トレドはその流れにおいて中心的な役割を果たした都市である。現在のスペインの南部は、8世紀から15世紀までイスラム王朝の支配下にあった。トレドは、いったんイスラム王朝に支配されたのち、1085年にスペイン王朝に再征服された都市であり、また長くキリスト教世界とイスラム世界の境界線近くに位置していた。ヨーロッパにイスラム文明を伝える拠点としては最適であったといえる。
キリスト教世界とイスラム世界が混ざり合っていた歴史は、現在のトレドの街からも読み取ることが出来る。中世ヨーロッパを代表する建築様式のゴシック様式で作られたトレド大聖堂の礼拝室の一つには、天井に「鍾乳石飾り」が用いられている。それはアルハンブラ宮殿やモロッコの建造物などに見られる、イスラム建築の技術である。ユダヤ教の寺院のシナゴーグであった建物にもイスラム建築の影響が見られ、トレドにおいて文化的に多様な人びとが平和的に共存していた時期があったことを感じることができる。
レコンキスタが進むにつれ、スペインはキリスト教、のちにはカトリック以外の宗教への弾圧を強めた。新大陸においても、スペインによる先住民・異教徒への弾圧は凄惨を極めた。トレドには、近代の不寛容の時代の前には、長い領土争いの中にあっても異なる文化間の交流が進み、新しい時代を生み出したことを知る手掛かりが残されている。

荒又美陽(人文地理学)

トレドの街。中央に大聖堂が見える。

トレド大聖堂

大聖堂の中の鍾乳石飾り