フランソワ1世の見果てぬ夢 フォンテーヌブローの宮殿と庭園(フランス共和国)

2011年10月31日

16世紀のフランス美術の方向性は、イタリア・ルネサンスとの出会いによって決定づけられる。1494年のシャルル8世によるイタリア侵攻以降、数々の王がアルプスを越えて南へと向かった。中央集権の進むフランスは、分裂状態にあったイタリア諸都市を軍事的に圧倒したが、文化の面では逆にイタリアの虜となる。後世の伝記作者ジョルジョ・ヴァザーリの伝えるところによれば、ミラノを占領したフランス王ルイ12世はレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》に魅了され、本国に持ち帰るためにあらゆる手段を講じたという。繊細な壁画を損傷せず移動することの困難から、結局は《最後の晩餐》はミラノに残されることになったが、この時代には実に多くの作品がイタリアからフランスへと運ばれていった。レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》や《聖母子と聖アンナ》、ラファエッロの《美しき女庭師》など、現在ルーヴル美術館を飾る多くのイタリア・ルネサンスの名品は、この時代にフランスにもたらされたものである。フランスを席巻したイタリア美術趣味には、かつて古代の大国ローマが衰退するギリシアの美術を全面的に受け入れた現象との共通点を見出すこともできるだろう。

南国イタリアに魅了された歴代のフランス王のなかでも、フランソワ1世のイタリア美術愛好は特に際立っていた。彼は作品を手に入れるだけでは飽き足らず、数々のイタリア人芸術家をフランスに招聘する。それに応じて、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アンドレア・デル・サルト、ロッソ・フィオレンティーノ、フランチェスコ・プリマティッチョ、ベンヴェヌート・チェッリーニ、セルリオら、当時の一流の芸術家たちがアルプスを越えた。

これらの芸術家の活躍の場所が、当時のフランス王の宮廷が置かれていたフォンテーヌブローの宮殿である。豊かな森に囲まれたフォンテーヌブローは、現在ならば電車で40分ほどのパリ近郊の集落であり、12世紀頃からフランス王家の狩場や別邸として利用されていた。ここにフランソワ1世はルネサンス式の大規模な城館を建造する。その建造・装飾に携わったのが上記のイタリア人芸術家たちであり、特にロッソ・フィオレンティーノとプリマティッチョは中心的な存在として活躍した。彼らの用いる引き延ばされた人体などの造形用語は、同時代のイタリア・マニエリスムに由来するものであるが、その一方で、「フランソワ1世のギャラリー」や「エタンプ夫人の間」などに見られるような、フレスコ壁画と木工細工や漆喰彫刻が複合的に組み合わされた、まったく新しいタイプの室内装飾が実現されることになる。また彼らイタリア人画家の語法は地元のフランス人芸術家たちにも受け入れられるようになり、フォンテーヌブロー派と呼ばれる美術潮流を生んだ。

伊藤拓真(イタリア・ルネサンス美術)

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