『カンボジアの旅を終えて』(短期FS学生報告)
2008年11月01日
本学では木曜日を除く平日午前10時30分から10時55まで、チャペルにてチャペルアワーと題して礼拝を行っています。チャペルアワーでは、聖書の朗読、讃美歌斉唱、パイプオルガンの演奏のほかに、「感話」の時間を設けています。この感話とは、学生や教職員らが今思っていること、感じていることなどをメッセージとして参列者の前で語る時間です。
2008年10月6日(月)には2008年度春学期CSL参加学生(2名)、10月8日(水)には2008年度春学期短期フィールドスタディ参加学生(中国・アメリカ・カンボジアそれぞれ1名ずつ)が、チャペルアワーにおいてそれぞれの活動を終えての感話を行いました。
『カンボジアの旅を終えて』
私にとって東南アジアは今回タイ・インドネシアに続き3回目でありました。そのため空港に着いてバスに乗りホテルに着くまで、特別に感動することや衝撃を受けることは少なかったように思えました。
私が初めて衝撃を受けたのは出発する前のカンボジアの歴史を学んだときの事です。今までのアジア訪問が勉強の目的でなかったためか、カンボジアの歴史を知って相当なショックを受けました。カンボジアはベトナム戦争以来、ポルポト政権という大虐殺の歴史があり、そこでは当時の人口の3分の1である200万人もの人が殺されてしまいました。また地雷のような非人道兵器が作られ現在もなおその苦しみから逃れられずにいる人々が大勢います。そんな歴史を少しずつ知りながらも、その地に行けるのだと内心とてもドキドキしていました。なぜなら自分の足でキリングフィールドを歩き、地雷原に行くのだと思うとこれまでの勉強したことがリアルに感じられると思ったからです。
スタディツアーのツォールスレン収容所やキリングフィールドといった当時虐殺のあった場所で、私は初めて実際に人の骨を見ました。頭蓋骨には銃で打ち抜かれたあとやひびなど、当時の状況を連想させるようなものがありました。あの一人一人が生きていたということ、またどのようにして殺されたかなど考えただけでもとても辛くなります。
また収容所では当時使われたままにされている部屋を見ました。手錠、足かせ、血のあと、部屋の様子はとてもリアルでした。また部屋の仕切りはセメントで固めてあるものと、木を打ちつけただけととてもシンプルでしたが、当時の人々にとっては鉄の壁と同じように見えたのではないかと思いました。逃げずに全部見たけれど、あとに残る気持ちはやはり遠のいて見ている自分がいるということでした。私はそれがとても悔しかったです。これだけの現場を見て感じることができたのに、やはり当時の残酷さは全部伝わるわけはないと分かってしまいました。しかしそれも当然といえば当然だと思います。やはり本当の苦しみや辛さ、悲惨さは当事者の人しか分からないのです。だから私たちが実際にその収容所で生き残ったワンナーさんからお話を聞けたというのはとても貴重であり、なおかつ大変ありがたいことでした。ツォールスレン収容所では1万4千~6千人殺され、その中で生き残ったのはたったの5人でした。そこで絵描きとして当時のポルポトの絵を描いていたワンナーさんは、絵描きでなかったら殺されていたと話してくれました。彼のいとこも同じ収容所で捕まりましたが、そのいとこはこの収容所の中で亡くなったそうです。
このように独裁的な政権の下にたくさんの人々の命が消えてしまったことは変えられない事実ではあります。しかしワンナーさんがこのように日本人である私たちにもカンボジアの歴史を伝えてくれたことは、ヒロシマ・ナガサキを経験してきた私たちには何となくだけれどもその意味が分かるのではないでしょうか。
またカンボジアは本当に人々が温かかったです。それは農村に行くことやHCCといった国際子ども権利センターに行って実感することができました。私は言葉が通じなくても、話すのがお互い片言の英語だとしても、少しでも気持ちが通じて笑いあう瞬間とても嬉しくなります。難しい知識などいらず、ただ仲良くなりたいという気持ちさえもっていれば相手も自然と答えてくれるのだ、と3回だけのアジア経験ではあるけれど私は学びました。
今回の旅は今までのアジア経験とは中身が違ってとても充実していました。毎回の振り返りもその時は大変でしたが、今はあの必死さがとても大事だったのだと思えます。カンボジアはアンコールワットと地雷というイメージを持つ人々が未だ多いけれど、そういった人々に少しでもカンボジアの良さと未来への希望を伝えていけたら良いと思います。なぜならカンボジアの人々は先進国にとても感謝していたからです。「日本は空港や橋を作ってくださいました、ありがとうございます」と言ったツアーガイドをしてくださったモニさんの言葉に、私は自分が感謝されるようなことは何もないと心から感じてしまいました。だから少しでもカンボジアの良さをいろいろな人に伝えていき、さらにこの国が良い方向へ進んでいくことを願おうと心に思いました。先進国と途上国、お互いが感謝し合い敬うことで未来に少しでも希望はあるのではないかと思っています。