短期FS参加学生報告

本学では木曜日を除く平日午前10時30分から10時55まで、チャペルにてチャペルアワーと題して礼拝を行っています。チャペルアワーでは、聖書の朗読、讃美歌斉唱、パイプオルガンの演奏のほかに、「感話」の時間を設けています。この感話とは、学生や教職員らが今思っていること、感じていることなどをメッセージとして参列者の前で語る時間です。

2008年10月6日(月)には2008年度春学期CSL参加学生(2名)、10月8日(水)には2008年度春学期短期フィールドスタディ参加学生(中国・アメリカ・カンボジアそれぞれ1名ずつ)が、チャペルアワーにおいてそれぞれの活動を終えての感話を行いました。

『多様性の国 アメリカ』

私は8月29日から9月10日まで、FS・NYに参加しました。私がニューヨークへ行ってみてみたかった理由の一つは、高校時代の留学経験にさかのぼります。私は高校2年の夏から3年の夏までの1年間、高校留学をしました。ステイしたのはオハイオ州の南にあるケンタッキー州で、現地の公立高校にホームステイをしながら通いました。

私のステイ先は、白人の低所得層に位置する人たちで、私を受け入れたのも「留学生を受け入れれば金になる」というのが理由でした。両親共に中卒で、父親は車修理、母親は主婦。住んでいるのは家ではなくてトレイラーハウス。私の留学生活の基本となる家は、このようなお金のない家でした。言うまでもありませんが、だからといって彼らが不幸な生活を送っていたわけではありません。人柄はよく、愛情もあって、笑いが絶えない家族でした。

学校は、生徒の9割以上が白人で、黒人は10人もいない程度でした。私のホストファミリーのように白人低所得層に位置する生徒が多く、高校卒業後はそのまま働くかarmyに入るか、という人が大学進学を選ぶ人より多かったです。

私は留学生活最後の最後まで、このホストファミリーや学校の人たちに馴染めませんでした。それは彼らが非常に保守的な考えを持っていたからです。主に人種差別をはじめとする、マイノリティに対する差別があり、彼らの「アメリカ人である」という誇りの高いアイデンティティが原因でした。学校では廊下を歩いているだけで「JAP」と、日本人に対する差別用語を言われたり、黒人や先住民族、アジア系をばかにする言葉を言っておもしろがったり、同性愛者を嫌悪したり。また、自分がアメリカ人であり白人であることを自慢に思っていて、そのために他人を見下したような態度をとる人もいました。1年間このような人たちと共に生活をしたからこそ得た物も多いし、楽しいこともたくさんありましたが、辛いこともたくさん経験し、私や周りの人が傷つき、悲しいとか怒りとかを超えた、何とも言えない気持ちになる場面が多くありました。だから私は保守的な考えにひどく反感を持ったし、そういった事柄に対して敏感になり緊張感や不信感を持ち続けました。

しかし、私が留学前そうだったように、多くの人は「アメリカ」と聞くと、自由で、非常に多くの、違ったバックグラウンドを持つ人々が集まっているというイメージがあるのではないでしょうか。私にとって、ニューヨークとはまさにこのイメージにぴったりでした。高校時代に住んでいたケンタッキーとはかけはなれているからこそ、ニューヨークという場所で「もうひとつのアメリカ」を発見したいと思い、FSに参加しました。
実際にNYへ行ってまず、あまりにもたくさんの人種や民族がいて、「住みやすそう」と思いました。流暢な英語だけではなく、なまっている英語がたくさん飛び交うニューヨークでは、ケンタッキー州にいたときよりも英語が伝わりやすいという感触を受けました。また、物珍しい目で見られないし、面と向かって悪口は言われない印象でした。

例えば移民が多く移住しているクイーンズを訪れると、そこで会う人々は黒人、ヒスパニック系、アジア系...というカテゴリーだけではなく、さらに細かく出身国に違いがあって、移民の多さとその多様性が分かりました。さっきまでメキシコやコロンビアなど、南アメリカ出身の人たちばかりいたのが、電車に乗って少し駅を移動しただけで、漢字だらけの中国系コミュニティに...といった感じです。
たとえば私たち日本人なら日本人のコミュニティがあり、日本食も手に入るし、英語で対応するには難しい医療や情報交換など、母国語である日本語を使ったコミュニケーションをすることができます。これは英語を第一言語としない人間にとって、とても助かることだと思います。
滞在中にわたしたちが食べた食事を見ても、いわゆるアメリカンフードばかりでなく、それよりもインド、ユダヤ、アラブ、メキシコ、韓国、日本、イタリア、フランスの料理など、本当にアメリカに行ってきたのかというくらい、国際色豊かな、盛りだくさんな内容です。こんな風にニューヨークには、様々な国の要素が集まっているのです。

ひとつ印象に残っているのが、滞在中にお世話になった、結婚してからニューヨークに長く住んでいる日本人の女性の一言です。

彼女は、「腹が立つことはたくさんあるけれど、それだけじゃなくて悪口を言える人がいるということは大きい」と言っていました。「この国出身の人はこういう文化を持っていてこういう考え方をするから、嫌だ」とか、「アメリカ人のこういうところが理解できない」など、自分が感じたことを共感できる人の存在が、彼女の生活において大きいということです。私はそこに、多文化共生の難しさを感じました。

また、人々が人種、民族、出身国など別に、コミュニティを作って生活していることが多いのを見ても、多文化共生はなかなか難しいのかもしれません。

それでも、それが私たちのアメリカに対してイメージする「多様性」は、ニューヨークのような場所を示していると思います。ケンタッキー州とは比べ物にならないくらい、白人でない人にとっても住みやすいだろうと思ったし、こんな場所があることが私にとって衝撃でした。ニューヨークは「アメリカ」ではないとしばしば言われるのも無理もないのかもしれません。今回ニューヨークを実際に訪れ、たくさんの人の話を聞くことで、両極端ともいえますが、ケンタッキー州とは違う、アメリカの一面を見ることができました。多様性の国アメリカなど、一回のFSで理解することは到底できません。今後はアメリカについてその社会構造をより深く学びたいと思っています。