多文化混交が魅了する街―セビーリャ―(セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館)

2013年01月07日

スペイン南部・アンダルシア州の州都、セビーリャ。この街ほど「エキゾチック」という言葉で形容されてきた街はないだろう。
夜、迷宮のように入り組んだ街路に、フラメンコ・ギターの音が響き渡る。タブラオ(フラメンコ酒場)の中では、カンタオール(男性歌手)が、悲哀漂う魂の込もった歌を歌っている。極彩色に着飾ったバイラオーラ(女性ダンサー)たちは、激しいステップを踏みながら、ほとばしるその熱情と生命力を全身全霊で表現する。フラメンコは、(かつてジプシーと呼ばれた)ロマ人の一集団(9世紀頃に北インドを出て、中東・北アフリカの広大なイスラム帝国の領土を旅して15世紀までにイベリア半島南部に定住した人々)が発展させた、非ヨーロッパ的雰囲気に満ちた音楽芸能である。

1987年に世界遺産に登録された「大聖堂」「アルカサル」「インディアス古文書館」の3つの建造物は、こうしたセビーリャという街が辿った多文化混交の歴史を体現している。
アルカサル(アラビア語で「宮殿」や「要塞」を意味するが、今ではスペイン語でも一般に「王宮」「宮城」を意味する言葉となっている)の創建は、アンダルス=後ウマイア朝時代(756~1031)に、その地に入植したムスリムが西ゴート時代(560~756)の教会の跡地に総督府を築いた時期に遡るといわれている。現在のアルカサルは、キリスト教徒のレコンキスタ(キリスト教国土回復運動)の進展によって1248年、セビーリャをカスティーリャ王国が征服するに至るもその後、14世紀、自らイスラムの服装をまとうほどにイスラム文化に心酔していたペドロ1世王が、イスラム時代のその宮殿の跡地にムデハル様式で再建させたものである。グラナダの「アルハンブラ宮殿」を模したとされるこの宮殿は、15世紀から16世紀にも増改築されたためゴシックやルネッサンス様式なども混在するものの、イスラム文化の華麗で繊細な精神を今に伝えている。
レコンキスタ後にキリスト教徒の勝利を誇示するがごとく、セビーリャの中心地にあったセビーリャ最大のモスクを大改修して作られたのが大聖堂である。1401年に着工し、約140年の歳月を経て完成したこの大聖堂は、サン・ピエトロ大聖堂(ローマバチカン帝国)、セント・ポール寺院(イギリス)に次いで、トレドの大聖堂(スペイン)と並んで世界第3位の規模を誇る大建造物である。また隣接する「ヒラルダの塔」は、かつてのモスクのミナレット(尖塔)を転用したものであり、今ではこの街のシンボルタワーとなっている。
大聖堂の内部には、カトリック世界最大といわれる高さ20mの黄金で塗装された祭壇衝立がある。この衝立の大きな特徴は、その中央にキリストではなく聖母マリアが鎮座している点である。スペインでは4世紀頃からすでにマリア信仰が発展したとされているが、この祭壇衝立はセビーリャがその中心地であったことを示している。この衝立の塗装に使用されたといわれるおよそ3トンもの黄金は、スペインが新大陸から運んだものであることは言うまでもない。この黄金の衝立は、まさに新大陸との交易で繁栄を極めたセビーリャを象徴するものと言えよう。
1492年......それはセビーリャの、そして西欧というキリスト教文化圏の、ひいてはその後の全世界の運命を劇的に変えた年であった。この年、グラナダの陥落とともにレコンキスタが完了するとともに、アンダルシアの港町を出航したコロンブスが、数ヶ月にわたる苦難の航海の末に、ついに新大陸を「発見」したのである。このときからセビーリャは新世界への窓口となり、16世紀には首都マドリッドを凌ぐスペイン最大の貿易都市として繁栄するに至った。そしてこの絶頂期に、舶来品の取引所として大聖堂の正面に造られ、後に新大陸に関する重要文書の保管所となったのが「インディアス古文書館」である。
セビーリャは、その長い歴史を通じて、アジア・アフリカ・アメリカの新・旧両大陸の人・モノ・情報が行き交うことで繁栄を極めた街であり、多文化混交がもたらしたその文化的独自性が、今なお、私たちを魅了し続ける街である。

笹尾典代(宗教学・ラテンアメリカ宗教文化論)

セビーリャ大聖堂

ヒラルダの塔

アルカサル中庭

インディアス古文書館

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