あこがれのローマ―17-18世紀ヨーロッパのモデル都市(ローマの歴史的中心部とその都市で治外法権を有する教皇庁の地所、そしてサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)

2012年10月29日

ローマのモニュメントといえば、コロッセオや凱旋門など、古代に作られた建造物を思い浮かべるかもしれない。しかし、それらは古代から現在までずっと大事にされてきたわけではない。西欧中世においては、古代ローマ時代の遺跡は異教の事物であり、保護に値するとは考えられていなかった。発想の転換がもたらされたのは、古典古代に学ぶようになるルネサンス以降のことである。

16世紀から17世紀にかけて、ローマでは大規模な都市改造が行われた。16世紀は、宗教改革が始まり、教皇庁への批判が高まった時代である。また、折からのイタリア戦争によって、1527年にはローマで大規模な破壊・掠奪(Sacco di Roma)が起きた。それらの状況の立て直しにあたって、教皇庁はローマの権威を回復するための都市計画を企図した。そこで利用されたのが古代ローマの遺跡である。パウルス3世(在位1534-1549)は、古代ローマの皇帝マルクス・アウレリウスの騎馬像を用いて、ミケランジェロにカンピドリオ広場を設計させた。
こうした計画を特に強硬に進めたのは、シクストゥス5世(在位1585-1590)であった。彼は古代の水道を修復させ、町中に噴水をもたらした。また、古代ローマ時代に古代エジプトから戦利品として持ち出したオベリスクを、巡礼者の道しるべとして主要な教会前広場に配置した。北からの巡礼者が必ず通るポポロ広場には、オベリスクを設置するとともに、放射線状に延びる3本の道路を配し、ローマの広がりを視覚的に示すようにもした。
このような都市計画の効果は大きかった。17世紀から18世紀にかけて、ローマはヨーロッパ都市のモデルとなり、多くの人々が古代の事物とルネサンスの芸術を学びにこの都市を訪れるようになった。1664年、フランスは王立アカデミーのコンクールの優勝者にローマ留学の機会を与えるローマ賞を創設した。ここで学んだ芸術家たちは、フランス本国で多くの絵画や彫刻、建築においてローマの模倣を行った。イギリスでは、貴族の子弟が勉強の仕上げをするために、フランスを通ってアルプスを越え、ローマに向かうグランド・ツアーを行うようになった。
これらの制度や慣行によってフランスやイギリスにもたらされた「ものの見方」の影響は大きく、ヴェルサイユ宮殿やイギリス式庭園など、それぞれの文化を代表するとみなされる場にもその形跡を見ることができる。しかし19世紀になると、そんなローマ熱も冷めてくる。代わってモデルを提供することになるのは、近代都市の要請に従って19世紀半ばに都市改造を行ったパリである。

荒又美陽(フランス語社会圏)

カンピドリオ広場

ポポロ広場から放射状に延びる街路

ローマのフランス・アカデミー

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