「迷宮都市」へのフランス保護領統治の影響(モロッコ)

2012年07月02日

フェス(英語ではフェズ)は、広大な旧市街を持つ都市である。総面積280haの中に、現在約10万人が居住している。中心的な通りに沿って歩いていくと、スークと呼ばれる商店街が並んでいる。スークでは、金物細工、革製品、陶器など、通りごとに販売しているものが決まっており、それぞれの商品を作る職人の作業も見られることが多い。皮なめし・染色の作業場は、フェス旧市街地の観光名所のひとつとなっている。
そのように楽しみながら歩いていると、ふと完全な住宅地に紛れ込んでしまい、慌てることもある。地図を見ても目印らしい目印もなく、どこにいるか全くわからない。立ち往生した頃に、地元の子どもたちがガイド役を買って出てくる。彼らについて、小路をすり抜け、家々のひさしをくぐって、またいつの間にか観光地に戻っている。まさに迷宮都市であり、そのような経験に世界中の人々がひきつけられてきた。

フェスは、20世紀初頭までモロッコの首都であった。王宮、そして宗教的な中心であるカラウィーン・モスクは、モロッコの統一的権力のシンボルであった。それが1912年に、モロッコはフランスとスペインの保護国となり、それぞれの管轄領域に分割されることとなった。フェスでは大規模な反乱が起こり、60人以上のフランス人が殺害された。フランス保護領の最初の総督となったユベール・リヨテ将軍は、そのような歴史的な中心地であるフェスをフランス統治の拠点とすることを避け、大西洋岸の小都市ラバトに首都を遷すこととした。こうして、フェスは政治的な中心地としての地位を失ったのである。経済についても、ヨーロッパの投資は港町のカサブランカに集中した。フェスの富裕層も、カサブランカに自身の拠点を移してしまった。
さらに、リヨテはヨーロッパ人と非ヨーロッパ人の居住地を分断し、ヨーロッパ人が旧市街に入り込まないようにした。ヨーロッパ人は新しく建設された新市街に住み、富裕なモロッコ人もそこに移動するということが見られるようになった。結果として、フェスをはじめ、モロッコ都市の旧市街には投資がなされなくなり、貧困層が多く流入して、過密化が進んだ。
1981年の世界遺産登録は、フェス旧市街の再整備を進め、現在は観光客が迷わないように方向を示す表示の設置なども進んでいる。以前の富裕層の住宅を改装し、観光用のホテルに作り変えるなどの事業も多い。そのような宿に泊まり、この迷宮都市を散策すると、中世からずっと同じ営みが繰り広げられているかのように感じるかもしれない。しかしその現況が、フランス統治のためにゆがんだ歴史によるものであることには注意を払わなければならない。

荒又 美陽(人文地理学、フランス語社会圏)

皮なめしの作業場

フェスのスーク

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