天壇:北京の皇帝の廟壇(中華人民共和国)

2012年01月10日

現在の北京にある天壇は、明の永楽帝(えいらくてい。在位1402-24)が築いた大祀殿に始まるもので、清の乾隆帝(けんりゅうてい。在位1736-95)の治世に整備された。清末に焼失したが、現在のものは乾隆年間の様相を復元したものである。
中国では古来、天を祭祀する儀式が皇帝によって行われてきた。その位置は原則として南郊(なんこう。都の南側の郊外)で、北京の天壇も紫禁城(現在の故宮博物院)の南にある。北京の天壇は、明・清両王朝の歴代皇帝が祭天の儀を行った場所であった。永楽帝の頃には天と地を一緒に祭祀していたが、後に天壇は天のみを祭祀する場となり、地の祭祀は北郊の地壇で行うこととなった。現在の北京の安定門外にある地壇公園がそれである。

現在、天壇といえば、もっぱら建物のほうが有名であるが、これは祈年殿(きねんでん。写真参照)といい、新春に五穀豊穣を祈る場所。天を祭る場所は、圜丘(えんきゅう)である。皇帝は毎年冬至にこの天壇にやってきて、天を祭ることになっていた。天の祭祀こそは、皇帝のみに許された儀式だったのである。
1722年、病床にあった清の康熙帝(こうきてい。在位1661-1722)は、その年の祭天の儀式を、第四皇子の胤禛(いんしん)に代行させた。父帝にかわり天を祭るという大任を負った胤禛は、南郊、すなわち天壇に出ていたが、父の危篤の報告を受け、急いで父の枕元に駆けつけた。康熙帝は、息子たちの見守るなか息を引き取り、胤禛が後を継いで皇帝に即位した。世宗(せいそう)雍正帝(ようせいてい)である。雍正帝には、「康熙帝の遺言を改ざんして帝位を奪った」という噂があるが、前述のように、祭天の儀は皇帝のみが行うものであることから、その代行を任されたことは、彼が実質的に後継者指名を受けた証左であるという説もある。
隠れた歴史の舞台である北京の天壇は、現在、北京天壇公園として、人々の憩いの場となっている。

 田中靖彦(中国史学史・中国地域文化論)

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