ヴェネツィアとその潟(イタリア共和国)

2011年08月02日

今なお人々が日常的な暮らしを営む町のなかで、ヴェネツィアほど特異な場所はない。100を超える小島から成り立つ都市内部には大小の運河が張り巡らされている。自動車の運行は禁止され、徒歩でなければ移動はもっぱら船による。黒塗りのゴンドラに乗るのは観光客で、実用目的には水上タクシーの役割を果たす小型モーターボートや、バポレットと呼ばれる乗り合い船舶が用いられる。郵便配達、救急救助などに用いられるのもモーターボートである。

ヴェネツィアの歴史は5世紀頃、異民族の侵入から逃れるために湿地帯に作られた集落に始まる。中世には、ビザンティン帝国やイスラム圏との貿易により力を蓄え、アドリア海の女王とうたわれるヨーロッパ随一の海洋国家に成長した。しかし、その後のルネサンス時代を境にして、交易の中心は大西洋へ移動し、また中央集権に成功したアルプス以北の諸国家の軍事的圧力などもあって、ヴェネツィアの政治的地位は徐々に低下していく。

その一方で、潟に浮かぶ小さな都市に蓄えられた文化の結晶は、久しくヨーロッパの知識人たちを魅了し続けた。ビザンティン美術の影響を色濃く受けたサン・マルコ大聖堂の金モザイクや、カルパッチョの描くイスラム的風俗描写のなかに、中世以来の各地との交易で育まれたヴェネツィア文化の多様性を見て取ることができる。また、ティツィアーノの絵画や、パッラーディオの建築によって、ヴェネツィアがヨーロッパ全土を席巻することになるのは、政治的には衰退期に差し掛かった16世紀のことである。独立国家としての終焉間近の18世紀にも、ヴェネツィア出身の画家ティエポロはヨーロッパ各地の王侯の宮廷をその軽やかな筆触で飾り続け、カナレットやグアルディの描くヴェネツィアの景観は多くの旅行者の求めるところとなった。

独立国家としてのヴェネツィアには1796年のナポレオンの侵攻により幕が引かれるが、その文化の営みはヴェネツィア・ビエンナーレなどを通じて現代にも受け継がれている。そして何よりも、途切れることなくヴェネツィアを訪れる旅人たちが、この街の持つ文化の魅力を証言している。

伊藤拓真(イタリア・ルネサンス美術)