万里の長城(中華人民共和国)

2011年05月12日

万里の長城は、主に北方よりの外敵の攻撃を防ぐために築かれた、あまりに長い城壁で、総延長はなんと約6000km以上にも及ぶ。 近年の発表では8800kmともいう。現時点における人類が作った最大の建造物であり、一時は月から肉眼で見える唯一の人工建造物という噂もあった。

その起源は古く、春秋(しゅんじゅう)時代(紀元前8~5世紀)にさかのぼる。といっても当時の長城は、各地の有力者が個々に作ったものであり、そこまで長大なものではなかった。 その後、紀元前221年に中国を統一した秦(しん)の始皇帝(しこうてい)は、北方の遊牧民族・匈奴(きょうど)の攻撃を防ぐべく、それまでに存在した各地の長城を連結・延長する。 長大なる「万里の長城」の基礎は、こうしてできあがった。といっても、始皇帝の頃に築かれた長城はその後放棄され、ほとんど現存しない。新しい長城がさらに南よりに作られ、ほぼ現在の位置となったのは、6世紀ころのことである。 その後も、歴代の中国の王朝は、万里の長城の補修を繰り返した。現在わたしたちが目にすることができる長城は、主に明(みん)王朝(1368~1644)のときに作られたもので、いまの形がほぼ完成したのは、16世紀も終わりになってからであった。

その雄大な外見とは裏腹に、万里の長城は防備の面ではさほど役に立たなかったと言われている。 それでも、万里の長城の最東端の関所である山海関(さんかいかん)は、難攻不落ぶりで知られていたが、満洲族の清(しん)は1644年、この山海関を突破、中国内地に入り、北京を首都とし、1912までの長きにわたって、中国を統治することとなる。こうして、北方からの侵入者を防ぐという性格を薄めた万里の長城は、長年放置され、荒廃が進んでいたが、近年では世界中から観光客が訪れる名所となり、1987年に世界遺産に登録され、現在に至っている。

田中靖彦(中国史学史・中国地域文化論)

万里の長城