恵泉ディクショナリー

イングリッシュ・ガーデン人間環境学科

[いんぐりゅしゅ・がーでん]  English Garden

イングリッシュ・ガーデンとは

「イングリッシュ・ガーデン」には、二通りの意味がある。ひとつは庭園史(garden history)で「風景式庭園(landscape garden)」と呼ばれる17~18世紀の庭園様式であり、もうひとつは今日の日本で使われる意味での「英国風庭園」で、この様式の庭は19世紀の終わりごろに成立したと考えられる。

「風景式庭園」は17世紀から18世紀の英国で発達した。フランスなどで発達した整形式庭園(formal garden)」が高い城壁で囲われ、花壇などを幾何学模様にデザインするのに対して、「風景式庭園」は壁などの囲いを取り払って周囲の景観とつながり、また幾何学的デザインの花壇などを排除して、自然な植栽のなかに曲線の遊歩道を配置する。いわば山野や農村地帯の景観をそのまま庭園としたと見なすことができる。英国で発達したこの「風景式庭園」がまもなくフランスやドイツでも流行し、「英国式庭園(イングリッシュ・ガーデン)」と呼ばれた」。

今日の日本などで「英国風の庭(イングリッシュ・ガーデン)と呼ばれる庭も、この「風景式庭園」の流れに位置づけられる。ただし、規模が格段に小さい。

英国では19世紀に入ると「風景式庭園」の流行が廃れていった。理由は植民地からの農産物の輸入増大にともなう農村経済の破綻であった。貴族の大土地所有者の経済的な余裕はなくなり、また農業から牧畜への転換にともなって農地が牧草地として囲い込まれ、追い出された農民たちは都市に流れ込んでいき、農村が荒廃していった。

同時期に、都市の工場などで働く中産階級の人々が余暇を郊外で過ごすことが多くなり、農村地域の田園的な景観への評価が高まっていった。また荒れ果てた古民家を保存しようという運動が19世紀の後半にはじまり、昔ながらの古民家の伝統的な庭(「コテージ・ガーデン(cottage garden)」が再評価されるようになった。

このような時代の変化のなか、ジーキルという女性園芸家などが、周囲の自然環境と調和した田園風景のような庭造りをはじめた。林や垣根などに沿って、その緑色を背景にして手前に背丈の低い草花、奥のほうに背の高い草花を配置する「ボーダー花壇(境栽花壇:border)」は、この時期に今日の様式として確立した。背景とともに鑑賞するという点で、規模は桁違いにことなるが、「風景式庭園」に通じるところがある。

ジーキルはもともと画家をこころざし、美術学校で学んだ。目が弱ったため園芸に転じたが、美術学校で学んだ「色彩論」を応用し、やや淡い系統の色の調和を主調とし、ときに強い色の対比をアクセントとして添えるといった、独特の「色彩設計」を主張した。これはその当時に公園や貴族の邸宅の庭に作られていた、派手な原色のコントラストのみの花壇に対する批判でもあった。

今日の日本などでは、ジーキルの「イングリッシュ・ガーデン」の特徴のうち、パステル調の淡い色遣いのみが注目され、彼女の庭造りの発想が田園地帯の自然と調和した伝統的な景観にあることが忘れられているように思われる。彼女が田園の景観だけでなく、農村の伝統的な生活文化も大切にし、古民具の収集や古老からの聞き取り調査にも熱心だったことは忘れられてはならないだろう。

「イングリッシュ・ガーデン」は、自然環境との調和を希求した伝統的な知恵として再評価されるべきだろう。

参考文献:ジーキル(恵泉女学園大学園芸文化研究所監修)『ジーキルの美しい庭』(平凡社)。

2010年04月02日 筆者: 新妻 昭夫  筆者プロフィール(教員紹介)

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