しなやかに凛として生きる

私は何者なのか?悩んだ学生時代
ハンセン病元患者との出会いが人生を変えた

字幕制作ディレクター/放送作家
金 正美さん

― Profile ―

人文学部 日本文化学科 1998年度卒
(現 日本語日本文化学科)

劇団四季編集部を経て、2000年からNHK放送字幕制作に携わる。
2002年NHK『にんげんドキュメント 津軽・故郷の光の中へ』を企画・コーディネート、著書『しがまっこ溶けた~詩人桜井哲夫との歳月』(NHK出版)を出版。
2005年社会貢献支援財団「21世紀若者賞」受賞。
現在、NHK番組を中心にフリーで字幕制作ディレクターとして働きながら全国各地で講演を行っている。

日本語字幕を通して、情報格差を是正
情報バリアフリーをめざしたい

字幕制作ディレクターとして日本語の放送に日本語の字幕をつける仕事をしています。耳の不自由な方や日本語を学ぶ方のために情報保障を行うもので、情報格差を是正し情報バリアフリーを促進するものです。学生時代、途上国の開発協力を学んだ私にとっては井戸を掘ることと同じく大切な社会インフラ整備の一環と考えており、在日外国人の増加や、今後ますます進む超高齢化社会に向けて、より正確な情報をお届けできるよう日々努めています。

新卒での就職活動には苦労しました。在日コリアン三世で特別永住権はありましたが国籍はない。「前例がない」ということで軒並み不採用。内定を頂いたものの、入社日を過ぎても自宅待機を強いられ、結局辞退することに。そしてエッセイの連載や出版社でのアルバイト経験があったことで劇団の編集部に就職。会報誌や作品プログラムの編集に携わりました。

2年勤めてキャリアアップを考えていたころ、NHKが字幕放送を開始するため編集経験者を募集していたので転職しました。毎週あらゆるテーマの番組と出会う中で、言葉の引き出しを増やしながら、日本語の奥深さに触れる毎日にやりがいを感じています。

ハンセン病療養所で一生を過ごす
その現実を多くの人に伝えたい

小中高の12年間、朝鮮学校で民族教育を受けてきましたので、日本に住んでいながら同世代の日本人と接する機会がありませんでした。
より広い世界を見て学びたいと大学へ進学。でも、いざ入学してみると自身のアイデンティティに悩み、自分は何者なのか、この先どう生きていけばいいのか...もがいて苦しい毎日でした。

そんなときたまたま学内で貼り紙を目にして参加したのが、恩師の故・森田進先生(本学名誉教授)によるハンセン病療養所「国立療養所栗生楽泉園」でのボランティア活動でした。
ハンセン病のことはよく知らなかったのですが、"何か"を探し求めていた当時の私のアンテナに引っかかったのです。

当時ハンセン病はすでに治療法が確立されており、療養所にいる方々もみなさんすでに治癒されています。しかし病気が治っても「らい予防法」によって隔離生活を余儀なくされ、後遺症による肢体不自由に加え、社会からの偏見差別により社会復帰が叶わず、療養所内で生活を続けている方がほとんどでした。私自身もいざお会いしてみると重い後遺症を前にショックを隠せませんでした。
病気がなくなっても隔離の歴史は風化させずに記憶にとどめたい。入所者の方々の人生を一人でも多くの人に伝えたいと、その後も一人でたびたび療養所に通っては皆さんの声を聞き、書き留めました。

詩人 故・桜井哲夫さんとの交流
「自分だけが紡げる言葉」が力に

その過程で埋もれた歴史を掘り起こし伝えていくことの重要性に気付き、知られざる出来事に光を当てるお手伝いをしたいと思いました。
中でも故・桜井哲夫さんとは祖父と孫娘のような親しい交流を持たせて頂きました。詩人である彼は社会的マイノリティとして置かれた心の痛みや叫び、また生きる喜びを詩作を通じて世界に訴えていました。
環境や立場は違えど、私も自分の問題意識を言葉に置き換える作業に取り組み「発信する人」になりたいと考えました。

卒業論文としてまとめ、卒業後もライフワークとして療養所に通い続け、桜井さんの60年ぶりの帰郷を追うドキュメンタリー番組を企画。放送後に書籍を出版させていただき、今も多くの学校で教材として用いて頂いています。
現在本業の傍ら、ハンセン病や在日外国人の人権啓発のための講演活動を全国各地で行なっています。

10代の多感な時期に様々な経験を与えてくれて、世界を見るための窓を開いてくれたのは恵泉でした。真の国際人になるには英語の習得だけでなく強い胃袋を持つこと。他者と語らい、食し、相手の人格も文化も丸ごと認めて受け容れる。そして自分への問いを続ける。

自分が考え、行動した中から紡がれた「自分だけの言葉」これこそが、この先の人生を生き抜く知恵になると確信しています。

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