原発警戒区域を視察してきました

2011年11月22日  報告者:国際社会学科 教授 大橋 正明

私は大学院でNGOや南アジアのことを教えていますが、同時に日本に4~5百団体ある国際協力NGOの最大のネットワーク組織JANIC (国際協力NGOネットワーク)の理事長を務めています。
このJANICは、3・11の大震災以来、被災地で救援や復興活動を行うNGOやNPOを支援しています。最近では放射能汚染と除染活動、長期間に渡る避難生活、風評被害や差別、子どもや妊婦の保護など様々な課題に直面している福島県で活動する団体への支援活動を強化しています。

この活動の一環として、先日福島第一原発周辺を視察する機会がありました。20キロ圏内は放射線の値が大変高いために、一般人の立ち入りは禁止されていますし、入る場合も写真1の私のように防護服とマスクで全身を完全に覆う必要があります。

警戒区域の建物の多くは無傷で洗濯物が干されている家もあるので、一見のどかな田舎町の光景ですが、原発関係者と警察関係者がたまに車で通る以外、誰もいない異様な状態です。
ショッキングだったのは、警戒区域内で飼育されていた家畜やペットたちの姿でした。区域内にあったダチョウ園では、二十羽ほどが飼育されていたようですが、大半が餓死して白骨を晒していました。
また元は家畜だった牛が、区域内を徘徊していました。最近の報道によると、区域内の牛の数は原発事故前で3500頭、今は2000頭ほどとのこと。見かけた牛の群れの中には、事後後に生まれた子牛が数頭含まれていました。人間が住めなくなったところで野良化して、野草を食みながら子牛を生んだ牛の強い生命力。

このように警戒区域は、シュールな光景の連続。人間の愚かしさを、改めて確認させられました。

写真1:福島第一原発を背に

写真2:写真1を写した足元に咲いていた花。放射線量計は毎時21マイクロシーベルト(年間184ミリシーベルト)と高い値を示した。

写真3:入院患者が取り残されて慌てて避難した双葉病院の前には、ベットや車いすがそのまま残されていた。

写真4:路上を闊歩する野良化した牛たち