世界遺産ブログ

 

世界の様々な地域の歴史・文化を専門とする教員が、貴方を世界遺産の旅へご案内します。
なお、本学では、世界遺産検定3級以上で、大学の受験資格となります。
AO入試後期(他大学との併願可)
また、授業としても「世界遺産検定」を推奨資格としています。
大学推奨資格

恵泉ディクショナリー

「ドイツの心臓」の新たな鼓動‐ツォルフェルアイン

2012年11月14日

「ツォルフェルアイン」とは何か。日本語に訳せないことはないが、なまじ訳してしまうと却って混乱をまねくので、固有名詞と思っていただきたい。実態は炭坑である。1986年まで操業していた。それを産業遺産として博物館化し、往時の有り様を伝える施設としたのである。ただし実際の坑道に入ることはできない。この地域の炭層は深く、地下1000m以上に及ぶ。到底、一般の立ち入れるところではない。

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あこがれのローマ―17-18世紀ヨーロッパのモデル都市(ローマの歴史的中心部とその都市で治外法権を有する教皇庁の地所、そしてサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)

2012年10月29日

ローマのモニュメントといえば、コロッセオや凱旋門など、古代に作られた建造物を思い浮かべるかもしれない。しかし、それらは古代から現在までずっと大事にされてきたわけではない。西欧中世においては、古代ローマ時代の遺跡は異教の事物であり、保護に値するとは考えられていなかった。発想の転換がもたらされたのは、古典古代に学ぶようになるルネサンス以降のことである。

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カンピドリオ広場

日本の外貨獲得に貢献した富岡製糸場(認可申請中)

2012年10月22日

筆者は小学生のころ社会の授業で何度となく「北九州市の八幡製鉄所と冨岡の製糸場、この二つの工場が明治時代の日本を支えた殖産興業である」と先生から教えられました。子供なりの理解では、江戸時代を脱し近代明治政府の国策として、要するにヨーロッパ列強国と肩を並べるために、政府は国を挙げて近代産業に力を入れ製品を輸出して外貨獲得に必死になった、ということでしょう。力を入れていた輸出品は、日本茶と絹の生糸だったのです。やがて当時の今から考えれば劣悪な労働環境、いわゆる女工さんの出現と活躍、労働争議の勃発などの社会問題にも筆者は目が開かされてきました。富岡製糸場は厳密にはこの「世界遺産」のブログに載せるには、まだふさわしくありません、現在は世界文化遺産認可申請中だからでフライングと言えますが、認可の期待を込めてあえて載せたいと思います。

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野生動物の楽園への長い道のり‐イエローストーン

2012年10月15日

アメリカ北西部、ワイオミング州、モンタナ州、アイダホ州の3州にまたがるアメリカ最大規模の自然公園。間欠泉などの熱水現象、大草原の景観、野生動物の宝庫として、1872年世界初、アメリカ初の国立公園となった。(州立公園となっていたヨセミテはおくれて国立公園になっている。)岩肌が黄色いことから名の由来となったイエローストーン川が大渓谷を刻む。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの世界遺産―レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(イタリア)

2012年10月09日

西洋美術を代表する画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作は何だろう。おそらく、多くの人はパリのルーヴル美術館に所蔵されている《モナ・リザ》を思い浮かべるだろう。しかしながら世界遺産として登録されている彼の作品は、ミラノの《最後の晩餐》だけである。近年、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』などによって知名度は上がったとはいえ、さりとて《モナ・リザ》には未だ及ばない《最後の晩餐》が、世界遺産に登録されている理由はどのようなものだろうか。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」という登録名が示すように、ユネスコの世界遺産リストに登録されているのは《最後の晩餐》という美術作品だけでなく、作品が描かれた修道院および付属の教会を含むものである。同時に、世界最多の登録数を誇るイタリアの世界遺産のなかでも、唯一特定の画家の名を含むものであり、西洋文化におけるレオナルドの存在の大きさを感じさせる。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》