アジアに息づく琉球・日本の中で閉塞する「沖縄」‐琉球王国のグスクおよび関連遺産群

2012年09月03日

日本の伝統的領土の中では、古代の曖昧なものを除いて、正式な「王国」は存在しない。そして、当時の「大和」の外に存在していた例外が琉球王国であり、1429年に尚巴志王の三つの勢力の統一によって成立し、1879年の日本政府による「琉球併合」により、尚泰王をもって450年の歴史に幕を下ろした。しかし、この世界遺産の構成資産の中核である「グシク」が栄えた「グシク時代」は、琉球王国の時代と同じではない。「古琉球」と呼ばれる時代に一致するが、それは12世紀に琉球諸島の住民が定住を始めた時代から、1609年に薩摩藩による琉球侵攻が行われた時代までを指すことが多い。9遺産の内、最も古い今帰仁グスクは13世紀の築城と言われ、1799年に完成された識名園を例外とすれば、1501年、1519年にそれぞれ建設された玉陵や園比屋武御嶽石門も、琉球王国で最も長く王位についた尚真王時代の遺跡である。

つまり、この世界遺産が示す時代とは、琉球が、日本と異なる個性を発展させ、中国・朝鮮ばかりでなく、現在のタイ、ベトナム、インドネシアなど東南アジア各地に中継貿易を活発に展開した時代に他ならない。その意味で、世界遺産の登録が決まった時、沖縄の文化関係者の喜びは、日本の中に世界遺産がひとつ増えたという意味ではなく、自らのアイデンティティの中核である琉球の文化遺産が世界に認められたというものであったことを記憶している。この時登録された55ヘクタール、保護のための緩衝地帯560ヘクタールは、沖縄戦のトラウマや米軍基地に悩ませ続けられる沖縄住民が、誇りと輝かしい歴史を取り戻すステップであったといえるかもしれない。
しかし、日本政府は、この世界遺産を日本の「多様な民俗」文化遺産のひとつとみなし、城塞の役目だけではなく、自然崇拝や祖先崇拝につながる多機能のグスクを「城跡」として、登録している。ヤマトの政府(日本政府)とウチナーンチュ(琉球人)の思いは、ここでもすれ違いを起こしている。

上村 英明(国際人権法、先住民族の権利)

首里城正殿

今帰仁グスク主郭石垣