笑顔の種を蒔こう‐‐。東日本大震災支援活動

  被災の報を受けて、大学院平和学研究科修士課程二年生の早坂今日子さんは、自身が宮城県出身者だったこともあり、心を強く痛め、何か支援活動が出来ないかと考えました。
  そして、まず自分のものや大学の友人から提供を受けた衣類を被災地に送ろうとします。さいわい送料のカンパを受けることもでき、地元の知人を頼ることで、なんとか東北に送れましたが、早坂さん自身も、地元の知人も慣れていないので、なかなか納得の行く支援ができませんでした。
  その時、活路を開いてくれたのは、早坂さんが東京に来る前に髪を切って貰っていた美容院で働く佐竹丈生さんでした。「クルマにとんでもなく大量の物資を積んで毎日被災地に運んでいるひとが近所にいるのだけど」。そう伝えてくれた佐竹さんに「ぜひその人を紹介して欲しい」と早坂さんは頼みます。そして教えて貰えた連絡先に電話をかけました。「物資を被災地に送りたいのですが...」。電話口に出たのが黄本富士子さんでした。

  黄本さんは青葉区在住ですが、出身は石巻市。津波で壊滅的被害を受けた石巻に、震災直後から入ってボランティアとして様々な支援活動に当たっていました。
  そんな黄本さんですから現地で今、何が足りないか、的確に指示を出してもくれます。話を聞くと、不要となった衣類を送ることは善意の産物であるとはいえ、現地の人を本当に助けるわけではないことが分かってきます。
  早坂さんは大学の友人と相談、やがて教職員にもその話は伝わって、何人もからカンパの提供を受けることができました。そのカンパを元手に購入し、黄本さんを通じて現地に送った下着や缶詰類は段ボール箱15個にも及んだそうです。恵泉の教職員の中に「東北支援@恵泉」というチームが作られ、心を込めて織られた300の手製の折り紙や園芸関係書籍の提供も受けました。

本当に必要なものを本当に必要な人のところへ

  大学を訪ねてくれた機会に、黄本さんと早坂さんに話を聞いてみました。
  「今、被災地ではこれが足りないというと、分かりました、集めてみますと言って、すぐに対応してくれる。こんなにボランティア活動ばかりやっていたら、大学の中で浮いてしまっているのではないかと心配していたんですよ」。
  黄本さんにしてみれば早坂さんが「大丈夫ですよ、先生にも協力して貰っていますから」と説明してくれたので、ほっとひと安心したそうです。そして「打てば響くように、本当によく活動してくれましたね」と、早坂さんを改めて労いの言葉をかけていました。
  早坂さん自身も4月には被災地にボランティアとして入り、黄本さんと電話線やメールを通じてではない初対面が実現しました。「あのとき、タイヤがパンクして大変だったよね」。今やすっかり意気投合し、世代を超えた親友同士のように打ち解けて話せるようになった二人の間では思い出話に花が咲いていました。

自分の信じる道をゆきなさい

  黄本さんは長いボランティア活動歴の持ち主です。しかし、その活動を通じて悩みを感じることも多かったと言います。
  たとえばインドで学校を作り、恵まれない子どもたちに教育の機会を与えるボランティア活動に携わっていたころのこと。学校の落成式に招かれ,インドまで赴いたことがありました。
  しかし、現地に行ってみると政治要人との会見がセットされており、宿舎から会見場などへの移動の合間には高価な宝石店を回るのだそうです。「私はこんな扱いを受けることを期待して、インドで学校を作ったり、勉強道具を送るボランティアをしてきたわけではないのに」。
  自分が何のためにボランティアをしてきたのか、分からなくなって、黄本さんは思わず考え込んでしまったそうです。無償の奉仕と言いつつ、実は自分は名声を求めていたのか。自分は偽善者なのか。いや、そんなはずはない。懸命に否定しようとするのですが、すっきりしません。頭の中をぐるぐると?のマークが巡り回って、浮かない表情を浮かべていました。
  そんな黄本さんを気遣ってか、現地で一緒に行動していた通訳の男性が小声で問いかけたのだそうです。「フジコ、君は、自分が運が良い方だと思う? 悪い方だと思う?」。
  何のことだろうと首をかしげつつ、黄本さんは「今まで無事に生きて来れたので、幸運に恵まれた方だと思うけど」と応えました。すると通訳の男性は言いました。「明朝、早く起きれるかな。もしかしたら、ぼくはフジコに人生で最高の幸運をひとつプレゼントできるかもしれない」。
  翌朝、約束通りに早起きした黄本さんを、通訳男性は宿舎の外に連れ出しました。向かった先はマザー・テレサの修道院でした。もちろんそこを訪ねた全ての人がマザーに会えるわけではありません。しかしその時、マザーはボランティア活動を通じて遠路はるばるコルカタを訪ねた黄元さんを抱きしめてくれました。黄本さんはまさに幸運に恵まれたのです。そしてマザーはこう述べたそうです。「自分の信じる道をゆきなさい」。その言葉にボランティアを続けてゆくうえでの不安や悩みが一気に溶解したそうです。まるで全身から涙が出るような思いがした、黄本さんは、この人生最高のプレゼントのことを振り返ります。

「愛の反対はにくしみではなく、無関心」

  黄本さんは20日に恵泉多摩キャンパスを訪ねて、木村利人学長と会食し、21日にはゲスト講師として、自ら撮影した写真を使って、地震直後の宮城県の様子と現状について、たくさんの恵泉生の前で話をしました。
  その中でこんなエピソードを披露しました。
  避難所の駐車場にいた男の子に「おなかすいている?」と聞くと「すいていない」と答えた。ふーん、そうきたかと思った黄本さんは、話題を変えて「おにぎり食べる?」と聞いたら、「食べるー!」と大きな声でお返事したとか。本当はひどく空腹だったのに、懸命に我慢していたのです。
  しかしその子は黄本さんが差し出したおにぎりを、すぐに食べようとはしませんでした。お腹がすいてすいて辛かったでしょうに「ボク、おねえちゃんもいるの」と言ったそうです。黄本さんが「大丈夫、おねえちゃんの分もあげるから心配しないで」というとやっと子供らしい笑顔に戻ったとか。大変な状況の中で、それでも他人への思いやりを忘れずに、けなげに懸命に生きている被災地の子どもたちの姿が目に浮かびます。
  授業の教室で質問を募ると「私は就職活動で精一杯で、被災地のことに関心を持つ余裕がない。申し訳ない」という発言が学生からありました。黄本さんが「無関心じゃないですよ。今勇気を持って発言をしてくれたじゃないですか」と応えます。「人間、誰でも自分のことで精一杯な時期がある。そういう時は、自分と一生懸命向き合ってください」と黄本さんは聴講していた学生全員に言いました。しかし、自分のことで精一杯の時にも、自分と同じように精一杯になっている人たちが世の中にいることを忘れない。質問した学生もけして被災地のことを忘れたわけではなかった。だからこそ被災者を助けられない自分のことが無念で仕方がなく、教室での発言に繋がったのでしょう。忘れずに関心さえ持ち続けていれば、それができるようになった時に、きっと助けが必要な人に手を差し伸べられるはずです。

  黄本さんが今、力を入れている活動がSmile Seed Letterです。双葉を芽生えさせた種が、笑顔を作っているかわいいイラスト入りのはがきを一枚百円で購入してもらい、その利益を被災地に届けます。恵泉でも大日向先生、澤登先生が発起人となってその活動を支援しており、本物の種をSmile Seed Letterに添える活動をしています。被災地の人々が笑顔を取り戻し、希望が芽生えて、大きく育つようにとの思いをこめて。