カウンターだより

本に囲まれて過ごす図書館スタッフの、日々のつぶやきです。感想は直接カウンターまでどうぞ。

モノの記憶 家の記憶

2025年01月20日

 引越しを予定しているため、大掃除ではこれまで「見なかった」ことにしていた場所にも手を付けた。すると、思いもよらないものが続々と登場。ずっと放置していた後悔と共に過去を思い出す年の瀬だった。
 私の部屋は元々、祖父母が使っていた部屋だった。12~3歳頃にかけて祖父母が相次いで亡くなった後は姉と2人で使い、23歳の時に姉が家を出てひとり部屋となった。和室のためか、毎日使う洋服だんすには、座った時に丁度良い高さの引出しが2段付いている。低すぎて使わないまま存在を忘れていたのだが、開けてみると、祖母の着物や私の知らない家族写真、叔父たちが生まれた時の母子手帳、巻紙に毛筆で書かれたくずし字の手紙(読めない)、祖父が中国や満州へ出征した証拠となる品が出てきた。それらの思い出や体験談を聞くことはなかったが、モノが語る重みは十分に伝わった。
 押入れの奥からは、写真をスライド化して投影する時に使うスクリーン(子どもの頃に上映を楽しんだ)や姉のスキーブーツが現れた。天袋の奥からは、祖父が飼っていた文鳥用の木製の鳥かごが3つも出てきた。その他、結婚式の引き出物やお祝い返しと思われる陶器や寝具、タオルなどがたくさんあった。
 どうしてこんなことに...と頭を抱えつつ母と二人で処分した。保管場所を忘れ、捨てはしないのに失くしたと思い込んでいたモノたちは、私の部屋にちゃんと存在していたのだ(収納に困ったモノの行先になっている事は知っていた)。整理することで家の来歴を振り返るのは、懐かしさが半分で、時々胸の痛みを伴った。
 10年ほど前に灰を入れたままの火鉢が出てきた時以上の驚きはなかったが、半世紀を過ごした自分の家にまだ知らない事があるのは感慨深かった(片付けができていないだけ)。今の家が家族を見守り続けてくれたことに感謝しつつ、決断と始末の日々を過ごしている。(N)