サンティアゴ巡礼道プログラムを振り返って

2020年03月30日

春の長期休暇を利用し本学の6名の学生が参加したサンティアゴ巡礼道プログラムが終了いたしました。引率責任者の桃井和馬教授と参加学生たちはいまこの旅を振り返り、何を感じ考えているのでしょうか?

終わりにかえて

桃井和馬(恵泉女学園大学特任教授)

本来2020年2月10日~3月25日までの予定だったスペイン巡礼道プログラムは、新型コロナウイルスの爆発的な感染の影響から、2週間短縮し、3月7日スペイン発、翌3月8日に帰国する運びになりました。(帰国後は3月22日まで14日間の自宅待機を実施。全員が無事に自宅待機を終えることが出来ました)

3月6日時点で365人だったスペインの感染者数は、自宅待機が終わる3月22日の時点で28,572人を記録。たった2週間で感染者数は70倍強と、スペイン国内だけでも爆発としか喩えようのない幾何級数的な患者数の増加を生み出したのです。

巡礼を続けていた私たちのチームは、3月1日、スペイン北部の都市レオンに到着しました。日本の方がまだ圧倒的に患者数が多かったのですが、現地で情報収集を続け、大学関係者と緊密に意見交換をする中で緊急帰国する運びになったのです。

刻一刻と変化する新型コロナウイルスの社会的、および感染状況。その中で、私たちが大切にしたかったのは、サンティアゴ巡礼道を歩く上で大切にした2つの基本です。

①自分の体調と命を守ることを最優先に考えること。

たとえ節約したとしても、毎日バランスの良い食事を取ることで体調を守ることができます。
登山用のヘッドライトやゴアテックスのアウターなど、装備は本物を使う。そのことで、危機的状況に遭遇しても、命を守る確率は格段に高まります。
また、道に迷った場合、どんなに疲れていても、最後に見た「巡礼道の黄色いサイン」を見つけることができる場所まで戻ること。それが結果的に自分の身を守ることにつながるからです。

②「変えられるもの」「変えられないもの」を識別する知恵を持つこと。

巡礼中、何度も学生たちと、これをテーマに話し続けました。

たとえば、原発は止められるか、止められないか?
東日本の大震災後の数年は、日本の原発すべてが止まっていました。しかし、電力はあった。つまり、原発は止められるのです。

たとえば、地震の発生は止められるのか、止められないのか?
 地震が地球の出来事である以上、地震事態は止められないもの。変えることのできないことです。しかし一方で地震に備えることはできる。

たとえば、天候が崩れて降る雨は止められる、止められない?
雨は自然状況なので、基本的に止めることは出来ません。つまり、変えられないものです。であるとするなら、雨が降ることに対し、文句を口に出さず、ひたすら奥歯を食いしばり、雨への不満を口に出さないことこそが、本当の意味で自然を受け入れる態度ではないでしょうか?
しかし東京において、突然雨が降ってくると、若者たち、いえ、多くの大人までもが一斉に雨に対して、悪態をつくのではないでしょうか。
巡礼を経験する前の学生たちは、変えられるものを変えず、変えられないものを変えようとしていたのです。歩く中でその事実に気づき始めたそれぞれのメンバーは、次第に雨に打たれても、足の裏一杯にマメを作りながらも、奥歯をグッと噛みしめ、冗談を言いながら、笑顔を浮かべながら、20~30キロの道のりを歩き続けられるようになりました。
参加学生たちは、「変えられるもの」と「変えられないもの」を識別できるようになったのです。

では、今回の新型コロナウイルスとは、どのような存在なのでしょうか?
私たちはどのように対処すれば良いのでしょうか?

まず、ほとんど、どのようなウイルスかが分からない状況で、私たちは自分たちの体調と命を守ることを最優先しました。
その帰結として、情報を集めるために、また交通の便を考慮し、あえてレオンという街で停滞し、歩かないことを選択しました。

次に、まったく新しいウイルス災禍が、その時点の私たちにとって「変えられるもの」なのか、「変えられないもの」なのかの判断を冷静に続けました。
これが自然の猛威であり、素人の私たちにはまったく「変えられないもの」状況でした。
できることがあるとすれば、手をこまめに洗い続けること。また大勢の人との接触を避けることくらいでしょう。気合いややる気だけでウイルス感染を防ぐことはできないわけです。

緊急帰国をした場合、およそ6万円の航空運賃が必要になるということも分かりました。これは学生たちにとって決して小さくない金額です。その時点で日本政府は、「感染症危険情報」にスペインをまったく含んでいませんでした。そのため、緊急帰国したとしても、旅行保険の適用範囲ではなく、航空券の費用もそれぞれが払う覚悟しなくてはならなかったのです。

停滞の不満と、翌日のこともまったく分からないという不安。追い打ちをかけるような余計な出費。
そんな状況にあっても、私たちは緊急に物事を決定する必要がありました。
その時にもう一度確認したことが、巡礼道における、2つの基本です。

新型コロナウイルスという、私たちには「変えられない出来事」を前に、私たちはまず「命を守る選択」をする必要がある。そのためには、学生には決して小さくない出費もやむなしという結論を導き出したのです。

今回の緊急帰国とは、まさに巡礼道を歩いたからこそ達した「合意」でした。
今回は、巡礼を中断しての緊急帰国になってしまいましたが、しかし、多くのことを参加したメンバーは学ぶことができたと確信しています。

その中でも一番重要なことは、私たち人間は、この地球上で生かされている事実。
その前提を前にすれば、私たち人間には、地球の声をしっかり聞くことが必要なのでしょう。
その揺らぎなき自然界の摂理を、私たちは今回のスペイン巡礼道プロジェクトから学んだのです。
これを持ちまして、恵泉女学園大学の「サンティアゴ巡礼道プログラム」の報告を終わりにします。

最後に、新型コロナウイルスのアウトブレイクのまっただ中に置かれたスペインにおいて、お世話になったすべての方々の健康が守られていることを心からお祈りいたします。

そして、およそ1ヶ月強、私たちの旅を応援してくださった皆様に心からのお礼を申しあげます。

巡礼を振り返って

英語コミュニケーション学科2年 後藤茉里

「これは競争じゃないよ」
「この道はマジック・ロードなんだからね」
一番最初に泊まった「フランス人の道」のスタート地点のアルベルゲ(巡礼宿)で、ホスピタレロ(巡礼宿のオーナー)からもらったメッセージ。
サンティアゴ巡礼道プログラム初参加の私は、ホスピタレロとやり取りする桃井さんとリーダー達の姿を後ろから見ているだけだった。
だが、このメッセージに巡礼道と巡礼者に対する確かな愛と想いを感じて胸が熱くなったことを覚えている。
巡礼道を歩き始めた、自分が脱水症状になったあの日、自分なりに気持ちを入れて歩けたのは巡礼を包んでいる愛に触れた瞬間があったからだと思う。

プログラムを振り返ろうとしても、振り返りきれないというのが正直な言葉だ。帰国後、家族や友人に巡礼はどうだったか聞かれたとき何をどう話したら良いのか分からず、また経験を伝えられない自分に困惑した。

「世界ではその場所その瞬間でしか感じられないことがある」

巡礼中、自分の振る舞いに悩んでいた私に、日本からこんな言葉をかけてもらった。
スペインで自然や他者、自分と向き合って過ごした毎日のなかで、大袈裟に聞こえるかもしれないが「この瞬間があるから生きていける」と思うことができるほどの心の拠り所になるような瞬間や、心が高まったり沈んだりする瞬間を毎日感じていた。
朝6時、暗闇を歩き始めた私たちを太陽の光が照らし始めるのを感じた瞬間、険しい山道を登りきり高揚感と達成感を得た瞬間、「風は地球の吐息なんだ」という桃井さんの言葉を聞いた瞬間、「自分のことを認めてあげて」とメンバーに言われた瞬間、毎晩心に残ったものをノートに書き出す瞬間、メンバーの印象が変わった瞬間、表情からメンバーの変化に気がついたり気がつかれたりした瞬間、毎晩ごはんを食べる瞬間、田舎の町で星空浴びた瞬間、メンバーと抱き合った瞬間。
瞬間が、私がサンティアゴ巡礼道プログラムで体験した全てだ。

コロナウィルスの影響で予定より2週間ほどはやく緊急帰国してからは、2週間の自宅隔離生活を送っている。
日本での日常は、何かに追われたり何かを追ったりしているような時間だ。
どこか自分の人生を見えないものと競争しながら生きている自分に気がついた。
それはどこか何かに不満で至らないと感じる自分だった。

サンティアゴ巡礼道を歩んだときのように、これから自分のペースで歩んでいくとき、一体どんな瞬間をどんな私で味わうのか楽しみだ。
あの瞬間、この瞬間を忘れないで、忘れてもまた思い出していきたい。

「これは競争じゃないよ」
この地上で輝ける私になるために、与えられている全てのものに愛と感謝を注ごう。

サンティアゴ巡礼道プログラムを振り返って

国際社会学科2年 山本遥

私はこのプログラムに参加するにあたって、自分の悪い部分を変えたいと思っていた。しかし実際この巡礼では出発前に考えていた以上の事を知り、考え、学びとることができたと思う。
巡礼の旅とその環境が、今まで自分ができないと思っていたのはただ己のどこかに甘えがあっただけだと思い知らせてくれた。
スペインから帰ってきた今、私は自分の弱さや甘さ、未熟さを自覚してそれらと向き合おうとすることができるようになってきたと感じている。まだまだ半人前で、「できるようになった」と胸を張っては言えるようなものではないけれど、サンティアゴ巡礼道プログラム参加以前の自分より確実に成長したのは確かだ。
これからの生活の中で、自分と向き合って成長し続けたい。

残念ながら旅の終着点、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでたどり着くことはできなかった。しかし、新型コロナウィルスの影響でプロジェクトを途中で中止しなくてはならない、そんな「どうしようもない」経験をできたことも大きな学びだった。それに、またスペインに行ってもう1度巡礼道を歩く理由もできたのだからこれはこれで良かったとも思っている。私達は「諦めた」のではなく、どうしようもない事を「受け入れた」のだ。その上でその瞬間の最善を尽くした。この経験が必ずこれから生きてくる、私はそう確信している。

サンティアゴ巡礼道プログラムはこれから恵泉女学園大学では授業になるらしい。その時は是非もう一度参加したいと思うし、より多くの学生に参加してもらいたい。

サンティアゴ巡礼道プログラムを振り返って

英語コミュニケーション学科1年 松本千佳

今年のサンティアゴ巡礼道プログラムのテーマは【Climate Crisis!】で、旅を通じて気候変動について考えることになっていた。台風19号で私の地元・埼玉県も被害を受けて異常気象を実感し、本気で気候変動について考えなくてはいけないと思っていたが、同時に自分が何かしらについて真剣に考えることができるのか疑問にも思っていた。
帰国してから巡礼を振り返って一番に気がついたのは、今まで自分が必要以上のものを使って生活をしていたことだ。
巡礼中は45ℓのザックに最低限の衣類・食料等を入れなければならず、出発前のパッキングでは持っていきたいけど入りきらず断念したものが相当あった。しかし実際に巡礼道を歩き始めてみると、持っていくのを断念した物が必要になったことはなかったし、最低限と思って持っていった衣類・食料さえも余分なところがあった。最初の頃は「歩くため」・「生きるため」と考えてかなりの量の食事をしていたが、次第に体が慣れると適切な量の食事で歩き続けられることが実感できた。自分が思う必要最低限は、現実の必要最低限ではなかったのだ。
巡礼中の生活は、普段の生活とは異なるものだった。
日本は豊かで食料も水も好きな時に好きなだけ、トイレやお風呂も自由に快適に使うことができる。当たり前と思っていたその暮らしがどれだけ恵まれていたのかがわかった。
人間は動植物など何かを犠牲にして食べ物を得て生かされていることを、鶏を絞めて食べたことを通して今までよりも強く実感した。
限りのある命、資源を私たちの欲するままに使ってはいけない。
誰かの、何かの犠牲があって私は生かされている、歩かせられていたことに気がついた。
歩きながら気候変動について、現代について考えるという桃井先生の言葉が理解できたような気がした。
自分の生活に選択肢がある、考える余裕がある私には伝えることができる。
私たちは何を地球に返すことができるのか。
気候変動についての自分の考えを小さなコミュニティから伝えていきたい。
巡礼を振り返って他に見つけたのは、インターネットに常に接続できる環境で、自分で考えることをやめてすぐに調べたり友人に頼ったりしていた自分。
携帯電話がなくても生きていけると思っていたが、バルセロナに向かっている行きの飛行機でWi-Fiが長時間繋がらない状態がすごく不安だった。誰からも連絡や情報が入ってこない、考えを遮るものがない自分と向き合える時間のはずなのにそれを苦痛と思ってしまっていたのはもったいなかったなと感じる。
巡礼中のように、調べたらすぐに解決するわけでも、情報や連絡が簡単に入ってくるわけでもない環境で、欲の少ない状態だったからこそ自分と向き合い、自然についてなど様々なことを考え続けられたのだと思う。
自分と向き合うために環境を変えて、旅をしながら考えることができる私はやはり恵まれていると日々実感する旅だった。日本を離れて、当たり前だと思っていた食料はもちろん、家族や友人たちに支えられていたことを痛感し、ありがたさが身にしみた。
空ってこんなに広いんだ。
風ってこんなに心地良いんだ。
巡礼道では、日本にいた時のあまり外に出るタイプではなかった自分が知らず、見ようともしていなかった自然に出会い、この景色、自然を壊してはいけないと実感した。
ブログには必ずメンバーと関わって起こった事を書いていた。メンバーとの会話の中で新しい自分を発見したり、自分の弱い部分を知ったりすることができた。悩んだ時や楽しい時、感情を共有した仲間が、巡礼中の私にとって最も大きな影響を与える存在であったと思う。

プログラムを通して私は、人に意見を伝えることや自分の考えに自信を持つことなど、今まで恐れて出来なかった自分を少し変えることが出来たのではないだろうか。
自分が関心を持っているジェンダー問題についても初めて人に伝えたり何度も議論したりして、最後には国際女性デーに向けて行動を起こすこともできた。
サンティアゴ巡礼道プログラムで得た気づきに自信を持って、自分らしく成長していきたい。

ご褒美

社会園芸学科3年 桝居奏

「この旅は自分へのご褒美なんだ。」
桃井さんはそんなことを言っていた。

欧州に蔓延しだしたコロナウイルスの影響で、元々45日間を予定していたプロジェクトは結局28日間で幕を閉じた。

それでも自分自身について、自分の周りについて、世界について、真剣に考えることのできた期間だった。
ただの旅行ではなかった。

歩き始めた初日から毎日が刺激的で、楽しくて、気持ちの良い道のりだった。
これは確かに自分へのご褒美だ。

桃井さんは今まで辛いことを乗り越えてきたこと、頑張ってきたことへのご褒美だと言っていたが、私にとってはそれだけではなかった。

自分自身の成長に繋がる経験こそご褒美だ。
一番大きいのは、知らなかったこと自分を認識できたこと。

自分は無意識に見栄を張っていたと知った。
気候危機はすぐそこにある問題なのだと知った。
生きる力の大切さを知った。
自分を知るほどなぜか余裕がなくなることも、自分が痛みに弱いことも、鳥肌が立つほど感動することがまだあることも、変えられないものを受け入れる器量が自分に足りていなかったことも、カミーノ(巡礼道)が教えてくれた。

それだけではない。
魅力とは何か考える機会もあった。
自分ひとりでではなく、メンバー同士で自身の魅力について考えることが多かった。
普段自分自身の魅力について考えを巡らすことはない。だからこそ、メンバーから真剣に面と向かってお互いの魅力について語り合えたのは有意義だった。

自分の深みが増したと感じる。
自然体でいることの心地よさも味わった。
見栄を張らない、気取らないで見る世界からはたくさんのことを学べた。

ショックだったこともある。

旅に罪の意識を持った。
旅は余裕のある者にしかできない高貴なものだ。
決して生活に余裕のない人にはできない。

都市部で物乞いやカタルーニャ独立を目指すたくさんの旗、お金によって態度を変える宿のオーナーを目の当たりにした時は、そうしたものが公然と存在することに驚きを隠せなかった。
スペインの"今"を垣間見た。

この経験を日本でどのように活かしていこうか。
すでに今までの自分とは違う。
私はカミーノ通じて得た新しい自分を誇らしく思う。
恵泉では来年度から授業として巡礼プログラムが始まるらしい。私は今回の経験を伝えるべく、お手伝いしていきたい。
そしてもっと多くのみんなに、カミーノから授かるご褒美を感じてほしいと強く思う。

サンティアゴ巡礼道プログラムについては学長の部屋でも紹介しております

東京新聞に今回のサンティアゴ巡礼道プログラムの記事が掲載されました。

プログラム引率責任者の桃井和馬教授の教員紹介はこちらです。

引率者の桃井和馬先生による過去の巡礼道体験記が昨年12月にNHKで放映されました。
こころの時代~宗教・人生~「戦場から祈りへ」

本学は海外プログラムが盛んで、「国際性」の分野で4年連続 首都圏女子大1位の評価をいただいております。

本学はキリスト教主義の大学として礼拝やチャペルコンサートなど多彩な活動を行っています。

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