グローバルに生きる

英語力を生かして自らチャンスを掴み取り
米国の子会社を統括、事業拡大に邁進

大井 うららさん

セントラル硝子株式会社 Central Glass International, Inc. General Manager
大井 うららさん

― Profile ―

人文学部 英米文化学科1995年度卒
(現 英語コミュニケーション学科)

1996年、セントラル硝子株式会社に入社。2005年、社内の留学プログラムに合格、半年間、米国のワシントン州およびフロリダ州で研修。2006年夏、帰国。半導体材料関連の開発、営業部門に配属。2008年、係長職へ昇格。徐々に営業、海外出張など対外業務が増える。2015年、管理職へ昇格。同年、米国子会社へ出向。2017年、子会社のGMに就任。

女性活用の転換期に社内の留学制度を活用
33歳でキャリアをスタート

 ガラス製品や化学品を開発、製造、販売する会社に勤めています。英語が得意だったため入社してすぐ国際部に配属されましたが、メインの仕事は男性が担い、女性は男性の補佐的な役割、という時代でした。家庭環境からでしょうか、世の中に男女差はないと思って社会に出てしまったので、初めは驚きましたが、所属部署では英文記事の翻訳をする仕事などもさせてもらっていたので、その環境を無駄にせずスキルアップしようと、夜間に通訳学校へ通いました。

次第に会社は女性活用に方針を転換するように。そのチャンスを掴まえるべく社内の語学留学制度に応募。留学というよりは仕事に対する意識を問われる厳しい面接を経て、32 歳で半年間米国に派遣されることになり、これが私のキャリアチェンジとなりました。

 留学の前半は、MBAコースの聴講で勉強漬け、後半は米国内の化学系子会社での就業体験。帰国後は半導体材料の開発兼営業チームに配属となり、33 歳でようやくキャリアがスタートしました。ビジネスを何も知らない私は、必死で業界の慣習を観察し、化学について勉強する学びの日々でした。

タイ、フィリピン、カナダ
恵泉での研修が世界へ視野を広げた

大井 うららさん キャリアアップすることができたのは、英語力を含む恵泉での経験がベースにあります。英語は中学時代から得意でしたが、大学でネイティブの先生の授業を受け、初めて自分が話せないことを痛感。すぐに英会話スクールに入りました。大学2年生の夏には、「これをやりたい」と初めて強く感じ、1ヵ月間のカナダでの語学研修に参加しました。現地では語学学校の寮暮らし。現地のお店の人やバスの乗客に話しかけるなど「絶対、英語を話せるようになりたい」という思いで貪欲でした。その結果、この1ヵ月間の経験の後にリスニング力が急速に上がり、上達も加速しました。この研修に集中した結果があとにつながったと思います。

 また、大学1年生のときにはタイ国際ワークキャンプに参加。ホームステイ先はラオス国境沿いの村の19歳と16歳の夫婦と1 歳の子どもの家で、電気も水道もなく、もちろんお風呂もない。粗く編んだ高床式の床の下には家畜が見えました。村人の目はきれいで欲のないシンプルな生活がそこにありました。これが私にとっての最初の異文化と接する衝撃体験でした。

大井 うららさん 3年生のときも故・望月賢一郎先生によるフィリピンのツアーに参加。日本の近畿大学と現地の大学との共同企画で、私は地方の貧しい家出身の女子学生の家に滞在しました。彼らの目は「自分がこの国をよくするのだ」という使命で輝いており、ただなんとなく大学生をやっていた自分が恥ずかしくなったのを覚えています。

 ニュースで見た東南アジアはただ貧しいというイメージでしたが、それはメディアが切り取ったものにすぎません。本当の世界も人も、実際に自分の目で見ないとわからない。こうした恵泉での学びを通じて、その後海外との仕事をする上で重要になる、基本的な感覚を養ったように思います。

将来が見えず悩み苦しんでいた2 0 代
「見ている人は見ている」という励ましが力に

大井 うららさん

 2015年からは米国カリフォルニア州サンノゼの子会社に派遣され、私の他に部下2名という小さな駐在員事務所で統括および米国の取引先の営業担当業務を行っています。米国で仕事をする中で痛感しているのは、語学だけではなくコミュニケーション力が必要だということです。こちらではどこの会社の人間かよりも、「あなた」がどう考えるかが日本より重視されるように感じますが、こちらの考えをしっかり丁寧に説明することで信頼関係が構築できると学びました。

 20代のころは何ができるのかわからず、悩み続けていました。乗り越えられたのは助けてくれる人がいたから。社内外、上下関係問わず、いろいろな人と話をするのが好きでしたが、会話の中で、人生の大先輩が「見ている人は見ているから腐ってはいけないよ」と助言してくれることもあり励ましになりました。とにかく出会う人に恵まれていたと思います。

 いずれ日本に帰任したとき、日本とカリフォルニア双方で働いた経験、学んだ考え 方を生かし、若い人たちの力になれるような発信ができたらと思っています。

― Message to Students ―

大学時代は「自分が世の中に貢献できることはあるのだろうか?」と不安でした。だからこそ、いろいろな人と話をして、自分にないものを吸収したい、という思いが強くありましたし、33歳でキャリアスタートしたときもまっさらな気持ちで学んでいけました。今はまだ自分に自信がない人も、「だからこそ学ぶんだ」という思いに変えて、恵泉でのさまざまな機会をうまく活用し、いろいろな経験をしてみてください。