著者インタビュー『パリ神話と都市景観 マレ保全地区における浄化と排除の論理』荒又美陽・国際社会学科准教授

ご本にまとめられた研究をなされた問題意識について教えていただけますか。

  私が研究をしたいと考えるようになったのは、大学を卒業したあとのことです。仕事でまちづくりに関わる経験をしたのですが、さまざまな立場の人々がいて、議論はなかなかまとまらない一方、対象となった地区が抱える問題については、ほとんど固定化されたイメージがつきまとっているように感じました。そのようなイメージは、地区の将来像を限定してしまうものです。私の研究テーマは、都市の現状に関する想像力の限界はどこにあるのかということです。
  本についていえば、具体的には、パリのマレ地区という歴史保存地区を扱っています。パリのような歴史の長い都市において、ある地区のみが歴史的だとして保存されたことは、それだけで非常に興味深いものに感じました。ですので、この地区が歴史性を見出され、保存するという決定がなされる過程と、その結果引き起こされた地区の変化を示すことを試みました。

町並み保存というと、無条件で文化遺産を守る「良いこと」のように感じてしまいがちですが、先生は、なぜマレ地区が「パリの歴史を示す地区」として特別視され、保存されるようになったのか、そのプロセスを調べ、そこにどのような考え方が反映して行ったのかを議論されています。いつ頃からそうしたテーマで研究を始められたのでしょう。

  マレ地区についての研究は、博士課程に入った2002年の夏からはじめました。その後、フランス社会科学高等研究院でのDEAという学位論文を経て、2009年に博士論文としてまとめたのがこの本のベースです。マレ地区が保存されることになったのは1964年のことですから、研究を始めたときにはそれから既に40年たっていました。そういうことをあまり考慮せずに研究を始めたのですが、最初は何を見ても当時の人々の実感がつかめなくて、ずいぶん悩みました。
  1960年代には、マレ地区を守るという方向性は既に決まっていて、反対意見が見えてきませんでした。批判が出てくるのは、地区が保護されて、変化が進んでからなんです。先ほども言いましたように、私から見れば、マレ地区の外も十分に歴史的ですから、もっと多様な意見があってもいいと思ったんですが、これがあまり出てこない。そこに違和感を覚えました。

  もしかしたら、私自身がマレ地区をすごく気に入れば、もっと素直に受け止めたかもしれません。単純に、あまり好きになれなかったこともあったと思います。何でみんなここを守ろうとしたんだろうということが感覚的に理解できなかったんです。面白いところもありますよ、でも、しっくりこないというか。多少思い込みであっても、ある種の共感ができないと書けないものだと今回強く感じました。
  今は、逆にその違和感があったから、つまりは時代も社会も少しはなれたところから見たから、こういう風に書けたかなと思っています。こういう風にというのは、地区の歴史性というのは、その意識が作られる過程があって、また普及して政策化される過程があるということです。
  本のかたちになるまでには、博士論文のあと、さらに編集者の方と話して、出版という目的のために(相当に手厳しい!)意見をもらい、1年以上かけて書き直して、ようやく刊行という流れがありました。その間にも街は変化していきますし、ほかの研究も始めたいし、焦りばかりが先行した時期もありましたが、勉強になりました。
  博士論文にはなかったもので、本をみてくださった方にいいねといわれるのは、冒頭の口絵のページです。20世紀初頭のポストカードとほぼ同じアングルで現在の街の写真を撮り、比較してコメントをつけました。これは楽しい作業でした。出版するというのは、論文を書くこととは違う発見のある仕事でした。

確かに口絵はすごく印象的でした。歴史を記録した絵はがきと先生が撮影された今の光景の写真、ふたつを並べて、キャプションのコメントを読むと、歴史が保存されているというわけではなく、そこに選択があったことが見て取れます。本論へのすごくいいイントロになっている口絵だと思いました。あと興味を引かれたのは書名にもなっている「パリ神話」という言葉です。

  「パリ神話」という言葉は、私が作ったものではなく、20世紀初頭からたくさんの論者によって検討されてきたものです。パリについて書かれたさまざまな作品が、パリのイメージを作り上げ、さらには固定化し、ある世界観を形成しているということです。私は、そのイメージが人々の行動を規定する力に着目しています。パリは、世界で最も観光客が多い都市ですが、人々がそのくらい同じようなイメージを抱き、同じように行動しているということですから、その強制力たるや絶大です。都市景観を整備することも、その影響を逃れるものではないというのがタイトルの趣旨です。

女性誌でもパリ特集をよく組みますが、基本パターンは皆ほとんど同じように感じます。それだけパリのイメージ=神話が強固に形成され、固定されている結果なのでしょう。だから観光の仕方も似てしまう。それも神話が人々の行動を規定するということなのでしょう。都市のイメージが明確ではなく、海外からの観光客をなかなか誘えない東京とは対照的ですが、そうした神話の生成過程こそ検証すべきだというのが先生のお立場で、歴史を保存するという建前と、浄化、衛生化という作業が重なっていることを示した手際が鮮やかだなと感じました。

  歴史を重んじることと、都市の衛生状態を改善することは、フランスの都市計画の二大方針だと考えています。それは現実には、建造物の保護と取り壊しという形で現れてきます。歴史的なものの保護は、比較的新しいように思われるかもしれませんが、二つの考え方はほぼ同時期に現れます。19世紀に、コレラの流行などによって、まずは衛生状態を確保しようという動きがあったことは事実ですが、歴史的な建造物の保護に関する考え方も並行して発展していきます。20世紀に入るといかに歴史性と折り合いをつけるかが重要になってきて、折り合いをつけたのがマレ地区の保存事業です。そこでは、衛生状態を回復しながら、歴史的街区として保護するにはどうすればよいかが検討されることになりました。
  とはいえ、本書でも示したとおり、歴史的街区が衛生化される過程では、そのイメージにふさわしくないとみなされた人たちが排除されることになります。それが、おっしゃるとおり、歴史という建前と、社会的な意味での地区の「浄化」ということになります。

そうしたプロセスの中で、移民の問題にも触れられていますね。

  私は、マレ地区の都市計画において決定的な役割を果たしたのはユダヤ移民だと考えています。19世紀末から、ユダヤ移民はロシアやポーランドからの圧制を逃れてマレ地区に入ってきます。マレ地区にはもともとユダヤ人が多く住んでいたために移民も入ってきたということなのですが、そこに集まったことによって、フランス社会から「ゲットー」と呼ばれ、問題視されるようになります。地区の衛生状態が悪いことも、居住者の貧困のためではなく、ユダヤ人の生活習慣のためだとされてしまいます。地区をすべて壊してしまうということも検討されていました。
  第二次大戦のときに、フランスはナチス・ドイツの占領を受け、1942年の夏にはユダヤ人の一斉検挙を行います。マレ地区に住んでいたユダヤ人も、収容所への強制移送の対象となったわけです。そのような状況のほぼ同時期に、取り壊されるはずだった地区は歴史的街区として保護されることになりました。地区の衛生状態の悪さの原因を引き受けていたユダヤ人がいなくなると、建造物の歴史性が重視されるようになったということです。地区の整備方針は、建造物のみで決まるものではないということがはっきりと表れた事例です。

ー街区自体を取り壊す計画が、住んでいたユダヤ人が排除されたので、むしろ町並みや建造物の保存に軌道修正されたわけですね。こうして特定の民の排除の上に成り立つ「花の都パリ」とは...。結局、すべての移民が排除されたわけではなく、今のマレ地区には多様な人達の暮らすエリアであるようですが、そこにも差別や排除の見えない力学が働いているようで華やかなパリという街の陰影を知りました。

  パリに華やかな面が多々あることは事実ですが、やはりそれだけではないです。他方で、パリは華やかそうに見えるけれど本当は悪いことばかりだというつもりもありません。それも、既に「パリ神話」のひとつの型なんです。他の都市と同様、よいことも悪いこともあるというのが実情で、その見方が偏らないようにすることは重要かと思います。

大学の授業ではこの本にまとめられた内容にも触れられているのですか?

  いずれの授業でも、本のどこかに関連したことを話しています。フランスFSでは、現在のパリの衛生主義的な都市計画の現場を見ていますし、人文地理学については、授業の準備をしながら博士論文のヒントを得たこともありました。研究の中で植民地主義との関連も見えてきましたので、そのことを話している授業もあります。いずれの授業でも、学生が今までとは異なる都市の見方が得られるようにということは意識しています。私の関心に付き合わせているところもありますけれど(笑)。

ありがとうございました。