チョヒヨン先生インタビュー

恵泉女学園大学へ、ようこそいらっしゃいました。

Q.先生の日本の印象について教えてください。滞在はいかがですか?

  恵泉に来る前は5ヶ月、台湾にいました。つまりわたしはまず韓国から、それから台湾から日本を眺めて、そして実際に東京にやってきたわけですが、 生活してみると離れてみていたのとは違う国だなと思っています。
  海外で見ていた時には、メディアの影響もありましたが、たとえば福島原発の問題はどうなっているのだろうという、懸念の気持ちが強かったのですが 、実際に来日してみると淡々と普通の生活が行われています。それは、外国人にとっては興味深いことです。なぜ日本がこれほど落ち着いて生活しているのだろうか、と。 私自身も、日本の原発災害の克服過程を滞在しながら見て、勉強させていただいています。

Q.先生の研究活動、市民活動に関してですが、韓国の民主化運動に携わってこられた具体的な内容を教えてください。

  「私は大学時代には学生運動家でした。反軍事独裁に反対して、民主主義を勝ち取る、そういう闘いの現場で育ちました。私はソウル大学に入学したのですが、1975年に入学した後に投獄経験が1年あります。 その結果として大学からは除籍されてしまいました。 その後、私は、大学教員になりましたが、韓国では大学教員が中心となった学術団体協議会という集まりがあり、私はその学術運動のグループに所属しています。
  80年代はその団体をメインの活動の場としていました。90年代になると、韓国では市民運動の時代となります。その中で、世界的に有名な「参与連帯」という韓国のNGO連合団体があり、私は、有名な人権弁護士であるパク・ウォンスンさんと一緒にその創立メンバーとなり、 事務局長をしています。「参与連帯」は、主に韓国の政治改革や、財閥、企業改革をやってきました。」

Q.韓国では、市民が社会変化をリードしていると言われますが、具体的にはどういうことですか?

  「韓国の戦後史を見ますと、1987年が転換期になります。その6月に民主抗争がありまして、軍事政権に対して戦った民衆が、国民の直接投票で大統領を選ぶ制度を勝ち取り、 それ以降、民主主義の時代になったとよく言われます。民主主義のプロセスの中で、政府改革、財閥改革、そして市民社会が関与した民主改革を女性運動、環境運動、マイノリティの運動が生まれます。韓国の市民運動の特徴は、そのさまざまな運動が連帯して、大きなうねりをつくっていくことです。 それが経済改革、そして社会の透明化を目指す浄化運動などを担っていきます。
  そのような財閥、経済改革と共に、2000年代の韓国では、市民運動が直接、議員の選挙改革に関与していきます。2000年には、いわゆる「落選運動」を実施して、腐敗して無能力な政治家たちのブラックリストを作りました。全国で1000の市民団体が、86名の腐敗者のリストを作り、実際の選挙で70%の人々を落選させ、大きな成果を挙げました。 結果、韓国で政治家は、政治資金問題、国会議員の活動の問題にも誠実にならざるを得なかったのです。
  韓国の市民運動での最近の話題を紹介しますと、日本も同じ傾向がありますが、新自由主義経済の影響で、社会の両極化が進んでいることです。経済的不平等をただし、庶民の生活を守る運動があり、そこには、労働団体、市民団体が一緒に参加しています。日本もそうだと思いますが、労働団体は、正規職の人が中心になっています。
  そこで、この運動は、非正規職の人のための組織を作りあげています。韓国ではいかに社会福祉を行き渡らせてゆくか、福祉国家モデルの実現のために多くの労働団体、市民団体に関わっていこうとしています。

Q.聖公会大学についてですが、社会の民主化を進められる人を育てるために、どのような試みをしていますか?

  「聖公会大学は、小さな大学ですが、目指していく社会の理想、教育理念は、恵泉と非常に似ている印象を持っています。台湾にいたときは、世新大学にいました。そこも恵泉や聖公会大学と、規模や大学の理念が似ています。教授や職員が理念を共有していること、新しい、平等な世界を作っていくことにお互いの教育理念があることを確認しています。 東アジアで共通の理念をもっている同士なのですから、国を超えて共同コンソーシアムを作ってもよいのではないかと思っています。
  現在、韓国の一般大学は、日本もそうだと思いますが、保守的になる傾向があります。文科省が大学改革を打ち出し、新自由主義化の傾向の中で、市場化を進め、企業が大学に入り、競争のため、社会ですぐ使える力を身につけさせようとしています。 こうした保守化してゆく大学傾向が問題視されている中で、聖公会大学のように市民社会とのつながりを持つ大学の重要性が注目されています。 たとえば、韓国で自殺したノムヒョン元大統領を大きく支持する人たちが、彼を追悼するコンサートを開く企画がありましたが、保守的な大学が断る中で、唯一、聖公会大学だけが受け入れました。聖公会大学は社会の変化を望む市民の声を反映していく大学です。
  聖公会大学もキリスト教の学校です。学生は、キリスト教が必修です。恵泉では、園芸と平和研究も必修と聞いていますが、私たちの大学でも人権・平和という科目が必修です。チャペルの時間のあり方も似ています。   私たちは、仏教の僧侶を呼んで、別の宗教の観点から対話する時間を持ったり、市民活動家を呼んで、そこで市民活動経験を聴いたりもします。
  聖公会大学の一番目玉になる特徴は、大学院にNGO大学院があることです。大学が市民団体と連携して、NGO・NPOの事務局の人が修士課程で学び、再教育を受けて、さらにNGO・NPO活動を強化する仕組みです。 1999年に創設されましたが、創設者は私です。また、市民大学、福祉大学院ということですが、一般の福祉大学院とは違い、市民社会の福祉条件をいかに改善していくかという観点から活動しています。たとえば、日本にも広がっていますが、生協と大学院が一緒に契約を結んで、経営の問題を大学院が科目として実施するということをひとつのコースとしてもっています。
  また、学生の受け入れも、一般の学生だけでなく、80年5月18日の光州事件の遺族の子どもたちを特別選考で受け入れたり、軍事政権との闘い争の中で政治犯として監獄に入れられた、いわゆる「良心囚」の家族・子どもを特別選考することもしています。そして、高校も、一般高校とは違い、特別高校としてオルタナティヴ教育を目指す地域の高校生を特別に受け入れる選考もしています。」

Q.少し大きな質問になりますが、現在の韓国に更に新しい変化が必要ですか? 必要だとするなら、どのようなものでしょうか。

  「韓国は、ダイナミック・コリアといわれ、時に激しい政治運動が起きます。変化を期待する民衆の要望に政府が応えられないので先鋭的な政治運動が沸き起こり、韓国にさまざまな変化をもたらしています。それは、同時に韓国が不安定に見られるということでもあります。
  いまも韓国の経済・社会では持続的な改革が求められています。たとえば韓国は非正規職雇用の人が800万人くらいいます。それらの人が3人家族を構成しているとしたら、2400万、4人家族なら3200万の人が、非正規の問題で苦しんでいる。 韓国の全人口が4700万であることを考慮するなら、これは国民の半分あるいは5分の3に当たる人々が不安定な生活を強いられていることになるわけです。
  民主化以降も、軍事独裁への反対、民主改革といった活動を私たちは韓国国内でおこなってきましたが、新自由主義の時代に、いかに国際的な連帯を実現してゆくのかということが大きな課題です。
  一方で市民社会自体の課題もあります。市民社会は、今まで軍事独裁に対しては勇気を持って戦ってきましたが、新規のグローバル化の問題にはうまく戦えていません。 それに対抗する選択肢、オルタナティヴを引き出せていないのです。韓国の多国籍企業も、東南アジアでは搾取する加害の役割を持っています。それをどういうかたちで人間的な企業に変えて行けるのかが問われています。 また、韓国は南北分断という民族問題を抱えており、ナショナリズムが強い国です。農村に来ている外国人の女性労働者たちが、自殺をする事件が頻繁に起きていますが、それは閉鎖的な民族主義の弊害ではないかと言われています。 こうした問題をもった韓国社会を、どのようにして多文化社会に変えていくのか、それが問われています。
  外国人労働者を受け入れながら、低賃金、不安定な労働環境で彼らを搾取してはならない。韓国社会が近代化を目指すこと自体はよいのですが、西洋や日本の帝国主義が辿ったのとは異なる、人間的な近代社会モデルをいかに作っていくか、これが私自身、一番悩んでいる課題で、韓国の市民社会が問われている問題です。」

Q.韓国、台湾、日本の学生をご覧になって、違いを感じますか? その違いの中で、恵泉女学園大学に期待することを教えてください。

  「私は基本的に英語で授業をしていますので、日本語で日本人学生と付き合っていません、ですので学生の能力や考え方を隅々まで理解できているとは言えません。 あくまでも印象レベルの、少し抽象的な表現になりますが、韓国の学生は激しいといいますか、チャレンジする指向が強いです。 台湾と日本では、私の印象では、学生がとても落ち着いてやさしく、洗練されています。それは、逆に言うと韓国の学生ほど挑戦的ではないということかもしれません。 逆に韓国の学生はチャレンジングではありますが、オリジナリティがあって創造性が豊かかと言えばまだまだだと感じることもあります。 私はいつも学生に「教授の授業をそのまま受身で受けないように」と言っています。そして何事にも挑戦し、何事に対しても批判的であるようにと強調しています。 こうした点においては日本や台湾も同じではないかと思います。論理的で、挑戦的になって、教授に批判的であってほしいと思いますが、東アジアの教室では、そういう姿はありません。 私が考えている大学の講義室は、授業を受身で聞くのではなく、お互いに論理的に批判しあって、チャレンジしていくということが必要だと思います。
  恵泉に対する望みですが、韓国の李花女子大学や聖心女子大学でも教えましたが、男性教授と女性の学生の間では、ヒエラルキーがあるように感じます。 特に、教室の中で、教える側と教わる側というのは、ジェンダー的な権威の問題が、韓国の大学では非常に大きいように思いました。恵泉ではそういう面はどうなっているのかが気になっており、韓国にはないオルタナティヴなかたちが作られていけばいいと思います。」

※チョヒヨン先生は、8月10日まで滞在予定です。

※先生についてもっと知るには・・・
  在日韓国民主人権協議会編『韓国NGOデータブック』(みずのわ出版2000)に先生の文章が載っています。