2006年4月
今回のテーマは「たべものストーリー」だとのことですが、考えてみると、私にとって、「たべもの」についての楽しい記憶は案外少ないようです。小学校の給 食(70年代の給食は本当にまずかった!)のにんじんをこっそり捨てた上、パンの残りを鶏小屋のトリにやったのがばれて先生に叱られたことなどばかりが思 い出されます。
でもそんな私の悲しい「たべものストーリー」の中でも、最も思い出深いのは、3年前の減量体験でしょう。
何を隠そう、私は3年前、アマチュアボクシングの選手でした。アマチュア正式選手の年齢制限をわずかに超えてしまっていた私は、それでも試合がしてみたく てならず、所属ジムの会長(=女性!)に掛け合って、プロ興業の合間のエキシビションマッチ出場をめざす特殊な立場として選手登録をしたのでした。最低週 3回のジムトレーニング(1回3時間ぐらい)に毎朝のランニング(3キロだけ)はハードでしたが、3ヶ月もたつうちには、パワーもスピードもスタミナも確 実についてきました。
ただ、それだけ動いてもどういうわけかウエイトだけは減りませんでした。脂肪よりも筋肉の比重が大きいとは言え、3ヶ月もたってみじんも減らないとは?! 2ヶ月後には後楽園での試合が決まったのに、それまでにどうやって5㎏落とそう――、思い詰めた私に、ジムの会長は涼しい顔で尋ねました。
「シノザキは、夕飯にご飯食べてんじゃないだろうね?」
〈ご飯〉とはお米のご飯のことでした。会長曰く、お菓子や揚げ物を控えるなどというのは当たり前すぎて「減量」のうちには入らない、本気で減らそうとい うのなら、夕方の練習の後はプロテインと野菜スープだけにするのが「常識」だ、と。そして最後に一言、優しく言い添えました。
「別にいいんだよ、もう一つでも二つでも上の階級に出ればいいんだから。」
会長のボディーブローに発憤した私は、その日から彼女のいわゆる「常識」を実践し始めました。塩分もむくみの敵だと選手仲間に聞き、調味料もレモンに変え たので、毎日の食事は、少量、かつ単調なものになりました。苦痛はお察しの通りです。本を読んでも集中できず、夜中に目覚めて冷蔵庫の前にしゃがんで理性 と闘った日もありました。小さい喧嘩の仲直りを期してケーキを買ってきた夫と、本気の喧嘩を展開したのもこの時期です。
しかし不思議なことに、この苦痛は一週間ぐらいで和らいできました。身体が慣れてきたということでしょう。「人間の本能は壊れている、それを補うのが文化 である」というのは心理学者岸田秀の説(この説によるとAVなども立派な「文化」)ですが、まさにそう、自分は本能によってではなく、「食」の表象と習慣 によって、食べさせられてきたにすぎないのだ、とその時の私は思いました。
私をそもそもボクシングに導いたのは、『あしたのジョー』(原作高森朝男・画ちばてつや 初出は『少年マガジン』1968年1月~1973年6月)という 古典的なコミックです。『ジョー』の減量というと、ライバル力石が、ジョーとの公式戦に出場するためにフェザー級(約57Kgまで)からバンタム級(約 53.5Kgまで)に減量する壮絶な場面が有名ですが、減量苦のエピソードは終盤でもう一度出てきます。大人になり体が大きくなったジョーが、バンタム級 に留まるために味わう減量苦です。このときのジョーは、かつての力石と同様、たべものはおろか水分を断ち(これは命に関わるので皆さんは絶対にやってはい けません!)、苦しみ抜いて計量をパスしますが、対戦相手の金竜飛(東洋チャンピオン)は、そのようなジョーの苦しみ方自体を、「満腹ボクサー」の証とし て冷笑します。金は、子供時代、朝鮮戦争下で、わずかな食べ物を奪おうとして実の父を殺した経験があり、以後は胃があまりたべものを受け付けなくなってい たのでした。
金の経験は私の想像を絶するもので、安易に云々することはできませんが、ただ、ここからも、食べるという行為を支配しているのは本能とは別のものである可 能性をみることができるような気がします。これまた彼とは次元の違う話ながら、減量に慣れた私のウエイトは、以後、面白いように減っていきました。大体1 週間に1Kgのペースで減り、試合の2週間前には規定を割り、直前には意図的に1Kg増やして本番に臨んだほどでした。
3年たった今も、あの減量前半期の苦しさと、後半期の快感は忘れられません。もしあの時、「試合」という節目を迎えず、ウエイトが減っていく面白さにいつまでも身を任せていたらどうなっただろうという想像をしてみることがあります。
食を支配するのが本能でないということは、食べ過ぎる危険とも、食べない危険とも、私たちがすぐ隣り合わせだということを意味するでしょう。「摂食障 害」などという大仰な名前をつけてもらわなくても、私たちはそんな危うさと同居しながら、日々、「たべものストーリー」を紡いでいるのだと思います。
それはともかく、今の私は不覚にも増量中です。減量につながるかどうかはわかりませんが、一緒に少しパンチでも打ってみようかという方、声をかけてくださいね!
「くまにさそわれて散歩にでる。川原に行くのである」の出だしで始まる川上弘美の『神様』を、先日読み返した。初めて目にしたときは、神様なんてたいそう な表題をつけるとは見上げたものじゃない。どれ、一つ品定めしてやろう、という軽い気持ちで手にとり読み始めた。本は古本屋で買った。汚れていても、表紙 がなかったとしても、読むことができる程度に綺麗な本であれば、構わないからである。
私は古本屋まわりをするのが好きで、下北沢に行ったときなんかは、用事ついでについついお店をのぞいてしまう。ただ、古本といっても定価の半額くらいで置 かれているのがたいていだから、最初に目がいくのは店外に用意されている100円本コーナーである(なにぶんお金がないの。学生だから)。
子どもとの向き合い方を深い洞察力をもって描く灰谷健次郎、現実世界のなかのファンタジー、大人のためのほのぼのとした世界を描く川上弘美や江國香織(彼 女のエッセイは面白い。繊細で強くてしなやか)、大企業の内部で繰り広げられるどろどろとした上下関係を緻密に描く清水一行、はたまた哲学を多少かじった 人なら知っているサルトルやプラトン、キルケゴールなどの掘り出し物が100円本コーナーにはけっこうあって、それを見つけたときには飛び上がるほど喜ん で買い漁る。自分のお気に入りの作家の、未読の作品を見つけたときはとても嬉しくて、古本屋で見つけたならばもう迷うことなく買い占める。部屋の本棚には 本が入りきらず溢れ出してしまっているが、そんな雑然とした本棚を眺めているとささやかな幸福にひたれる。
いったい、幸せというものはどこにでも転がっているものだと思う。もちろん、程度のちがいはあるけれども。自分の捉え方、感じ方次第で世界は良くも悪くも なるといったのはデカルトだったかしら。主観哲学というのだそうだが、自分の意識を変えれば、犬猿もただならずの仲も改善できるというデカルトの観念論に は低頭している。だが、私が思うに大切なのは自分だけが変わることではなく相手もともに変わっていく同時性であり、もし相手が悪いのに「これは悪くない」 と自分の思いこみでその問題を回避しようとしたのなら、相手の悪いところも、その問題も、直らないし解決しないからである。
『神様』は9つの物語からなる短編集で、その出だしにくるのが表題作「神様」である。
12ページの本当に短い作品なので、さらさらっと読めてしまう。そのくせ、印象的。
くまにさそわれた「わたし」は、川原までお弁当を持って散歩に出る。くまは、フランスパンのところどころに切れ目を入れてパテとラディッシュをはさんだも の、「わたし」は梅干し入りのおむすびを食べ、食後には各自オレンジを一個ずつゆっくりと食べる。くまは、やはりくまなので「わたし」が昼寝している間に 川で魚をとって、それを干し魚にして「わたし」にプレゼントしている。熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように。熊は「わたし」にそう言っ た。そして、「眠る前に少し日記を書いた。熊の神とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった。悪くない一日だった」という「わたし」の言 葉で、この物語は幕を閉じる。
散歩が主旋律になっているため、お弁当の内容が詳しく描写されている。陽がさんさんと照りつけるなかでの昼食は美味しそうだし、楽しそうである。フランス パンを食べたり、帰りにちゃっかり干し魚をプレゼントしたりするところから、この熊に洒落っ気があるのがうかがえる。「神様」は熊の神様であったらしいこ とがラストで明かされるわけだが、熊の神についての描写はいっさいなく、それが読者に想像するゆとりを与えてくれている。
小説は想像の世界だ。
細やかな描写も、大胆な着想も、作家の世界観をただ映画のように映し出すのではなく、そこに読者一人ひとりの違った色彩の世界が生まれるようなものでなけ れば、小説とは呼べないと私は思う。川上弘美は、随感のままに「小説」を創りだしている。そう。それはまるで、祈るように願うようにやさしく降りそそぐ雨 のように。
読み返す価値のある小説は、貴重である。気が晴れなくて鬱々としているとき、元気をわけてくれるような作品を創り出す作家は、私にとって友人そのものであ る。世界はこんなにも広くて豊かなんだということを感じさせてくれる小説を読まずして、これからの人生をどう生きようか。
なんでジブリアニメのごはんは、おいしそうなのかなぁ。しかもどうして、目玉焼きがよくでてくるんだろう。ラピュタでもハウルでも、目玉焼きが出てくるの は、なんでだろう。さらになおかつ、目玉焼きのシーンが出てくると、自分も食べたくなっちゃうのが、何ともいえず不思議だなぁ。まぁ、目玉焼きはおいしい から、仕方ない。でも一つ突っ込んでもいい?ラピュタで出てきたご飯は「目玉焼きパン」。これに関しては、私もよく食べるから別にいいです。あのマーガリ ンのしょっぱさを、卵の黄身が緩和する瞬間が、特に素晴らしいのも否定はしないし、したいとも思わない。問題はハウルん家の朝ごはん。メニューが「目玉焼 き」と「ベーコン」って、あの人たちは、油こってり朝ごはんで、気持ち悪くならないのかしら?栄養的にも問題あり。でも、あのシーンが出てくると、一時停 止して、目玉焼きを作りに行っちゃう・・・そして出来上がったら三十秒ほど巻き戻して、ハウル達と一緒に目玉焼きを食べちゃう・・・なんていう経験はあり ませんか? あ、無いですか。変なこと主張して申し訳ない。
私の夢は、いつの日か、ハクの作ってくれたおにぎりを食べること。あの丸さと、いびつ大きさが、何ともいえずたまらない。きっと塩加減は絶妙な薄さに違い ない。特に理由はないけれど、ハクは龍だから、「人間の食べ物は体に毒なんだ」とかいう理由で食べられない気がする。まぁよく考えてみてください。端正な 顔立ちの、家事とかやらなそうな男の子に、「さあお食べ。○○(自分の名前を入れてね)が元気を出すようにまじないをかけて作ったんだよ」なんて言われた ら、皆さんどうなっちゃいますか?女の子らしく、きゅーきゅー言っちゃいませんか?あ。ドン引きですか。おかしな世界に巻き込んでしまって、ごめんなさ い。
それにしても千と千尋にでてくる肉は、おいしそう。味付けもなんとなくテリヤキっぽい。うー食べたい!!などど、アニメのごはんを心から欲してしまう自分 に出会うことがある。たとえばアルプスの少女ハイジがおじいさんと一緒に作ったチーズフォンデュとか、ドラゴンボールで悟空が旨そうに食べてる骨付きの怪 獣の肉とか。でもそんなものは手に入らない。千と千尋にしても、肉の素材も味付けも、無知な私には皆目見当もつきませぬ。なにか食べれるものはないかし ら。ナウシカが「とっても栄養があるのよ」と言って食べてるチコの実は、2006年3月現在、生息の確認自体とれていない。さもしいなぁ。おにぎりだっ て、ハクが作ってくれるのじゃなきゃ嫌だし、ハウルの家のベーコンは厚さと油が気持ち悪いし、ラピュタの目玉焼きパンはマーガリン塗ってないから、食べて もつまんないし、アシタカの食べてるお粥は、おっさんが勝手に作っちゃうし、バナナがおやつに入るのかもわからない。
こんな絶望にも、一縷の光は差し込むもので、ついに私は、ジブリアニメで食べれるものを見つけることができた。ひとつ忘れていたものがあったのだ。「トト ロ」だ。いや、トトロ自体を食うわけではない。お引越しした次の日の朝、さつきちゃんが、メイちゃんとパパのために作っていたお弁当。そのご飯の部分に、 なんかピンク色の粉(?)を振り掛けていたでしょう。あれはなんだろう、と思って聞いてみたら、「さくらきんぴら」というらしいことが分かった。昔はよく 食されていたようで「さすがトトロ!やるねぇ」と思いながら、私はスーパーに買いに行った。なんか見た目がおいしそうだし、華やかだし。初めての新世界に 足を踏み入れる期待にドキドキしながら、白いご飯に「例のもの」をかけてみた。・・・?さつきちゃんが振りかけてるほど鮮やかなピンクじゃない。雨にぬれ てくすんだ桜のピンクだ。なんだよそれ、と思いながら食べてみた。
「・・・・・・・・!!」
・・・ まずかった。
えぇー、なにそれぇ。ここまで人を騒がせておいて、そんなオチないよねぇ。
このまえも、ハイジの真似してチーズフォンデュ食べ過ぎたら、気持ち悪くなったし。
やっぱ、食の最高峰は、目玉焼きだね!!
「スーパーサイズ・ミー」という映画は、ファーストフードを1日3食1ヶ月食べ続けたら人間の体はどうなるかをユニークかつ危険な形で検証したドキュメン タリーです。肥満症に悩む若い女性2人が"肥満になったのはハンバーガーが原因"としてマクドナルド社に訴訟を起こしたニュースを見て、消費者とファース トフード側のどちらに問題があるのか検証するためでした。監督のモーガン・スパーロック自身が受験台となり、偏食生活が身体にどのような影響を及ぼすか身 を張って伝えると同時に、肥満をめぐる社会的背景を浮き彫りにしています。
大概の人は30日間マックのメニューばかり食べ続けていれば身体に悪影響なことは想像つくでしょう。しかし、本当にやった結果を目にする機会はほとんど ないと思います。どんなことにも真剣になってドキュメンタリーを撮ってしまうこの発想がとても面白いなぁと思いました。
また、栄養のバランスを考えた野菜中心の食事に変えると、生徒の問題行動が目に見えて改善されたという事例も収録されています。これは「キレる若者」の原因は食生活と無縁でなかったことも証明しています。
実験結果はというと、体重の増加はもちろん医者も想像つかなかった肝臓に脂肪がたまる脂肪肝状態になっていました。これは長年、飲酒を続けた重度のアルコール依存患者と変わらないようです。ぜひ、1度は見ていただきたいと思い、紹介しました。
◆ 雑誌・新聞
◆OPACが新しくなりました。
図書館の蔵書検索システム(OPAC)が春休み中にリニューアルされました。資料の検索画面が変わり、検索結果一覧がわかりやすくなりました。また新たに追加された「マイライブラリ機能」により、自分の利用状況のほかにもリクエストした本の状況、図書館からのお知らせがわかるようになりました。申し込みが必要ですので、詳しくはカウンターへお尋ねください。
飲食禁止の図書館空間では「たべものストーリー」は生まれないはずですがさてさて・・・?(A)