2004年10月
「 本 と 私 」
藤野早苗 英米文化学科 アメリカ文学
私の専攻はアメリカ文学であるから当然アメリカ文学関係の本を読むことが一番多いが、夫の勤務の関係で英語圏以外の文化圏での生活も長いので、それらの文化圏での文学をも楽しんできた。まさに私の人生は本に支えられてきたように思う。
最初の異文化体験は南米の国アルゼンチンであった。スペイン語圏であることは知っていたが、英語はある程度通じるだろうと簡単に考えていた。しかしいざ到 着してみると、英語がまったく通じない。私は言葉の通じない恐ろしさをはじめて体験して、世の中が真っ暗になった。テレビを見てもさっぱりわからないし、 本屋へ行っても読める本がない。あわてた私は早速家庭教師を頼み、スペイン語の猛勉強を始めた。そして一年も過ぎた頃、どうやら読み書きができるように なった。そこで家庭教師が文学部の学生だったこともあり、彼女に誘われて大学のアルゼンチン文学の授業を聴講させてもらうことになった。授業で取り上げて いたのは今でも忘れないが、サルミエントという作家の『文明と未開』という小説であった。苦労しながらも格調高い講義にひかれて読み進んでいくうちに、ア ルゼンチンという国の根源が少しずつ見えてくるような気がしたものである。1冊の本により、急にその国が身近になった。私は毎日が楽しくなり、大学の図書 館で歴史や文学の本を読みふけった。そのうちに思いもかけない幸せな体験もした。それはアルゼンチンを代表する作家であり、世界的に著名なボルヘスと面談 する機会を得られたことである。ボルヘスは当時ブエノスアイレス大学の図書館長の職にあった。私がヘンリー・ジェイムズの研究を志す者であることを知った 文学の教授が、ヘンリー・ジェイムズの影響を受けているというボルヘスに紹介してくれたのである。盲目の老作家は、相手の両手を握って存在を確かめながら 話をする。私は両手を握られてコチコチになりながらも、ジェイムズのいくつかの作品について彼の考えを聞くことができ、興奮した。知のレベルに雲泥の差は あっても、書物は共通の話題を提供してくれるものなのだ。
私はその後ブラジルに住んだ年月もあり、ポルトガル語に挑戦して、ブラジルの文学も勉強した。同じ南米の国でありながら、人々の生活形態はアルゼンチンと は何と異なることか・・・。 そればかりでなく、考え方や心情も同じではないことがわかった。しかもブラジル人としてひと括りに出来る特性と、人種や階層 によってまったく異なる部分がある。表面的には底なしの明るさをもつ国のようにみえながら、内情はきわめて複雑らしいことも、小説から読み取れた。
異文化体験はそこに住むだけでもある程度の収穫はある。しかしその国の人々の考え方や心情を理解するのには文学を読むことが手っ取り早く、有効であると思 う。なぜなら文学にはそれが書かれた背景―時代や社会―が映し出されているからである。また逆に、異なった文化圏の文学を読んでいくうちに、文化が異なっ ても変わらぬ人間性を見出すことも確かである。言語は使わないと、どんどん忘れてしまう。だが、読んだ本の内容はいつまでも心の中に残っていることが救い である。
皆さんは「おばあちゃん、大好き」とおばあちゃんに投げかけたことがありますか?私の祖母は高校時代に亡くなりました。祖母に触れることはもうできませ ん。そう思うだけで切ない気持ちになります。私自身、祖母のことは好きでしたが、なぜかやさしくすることができず、よくけんかをしました。「大好きや で」って一度でも言っていたら違う関係性が生まれていたかもしれません。
この本は、95年に小学館文学賞を受賞した児童文学書です。「西の魔女」とは、中学生の少女・まいのおばあちゃんのこと。おばあちゃんはイギリス人。まい が「おばあちゃん、大好き」と言うと、「I know」と答えるおばあちゃん。現代で生きにくさを感じ、挫折を味わう孫。圧倒的な愛情で孫を包み込むおばあちゃん。いじめられ、生き方を見失った孫 が、昔ながらの知恵と規則的な生活を送る事で「当たり前の」生きる力を取り戻します。おばあちゃんは、草木と共に生きるという「当たり前の」生活方法や考 え方を「魔女の修行」として孫に伝えます。強制ではなく、孫自らが考えられるように。
この中で、まいが何年もの間ずっと考え続け、恐れ続けてきたこと、人が死んだらどうなるんだろうという問いに、おばあちゃんは「人には魂っていうものがあ ると思っています」と言い、死後も魂は身体を離れ、旅を続けるのだ、と語る場面があります。この世に生を受けるとは、身体をもつことによって物事を体験 し、その体験を通じて魂を成長させる機会が与えられること、そして死は全ての終りでは決してないんだというおばあちゃんの思いを聞くのです。
その後、まいは自宅に帰る直前におばあちゃんとけんかをしてしまいます。それから2年後に迎えたおばあちゃんの死。いつも取り返せなくなってから大切なこ とに気づくもの。おばあちゃんの家に着き、汚れたガラスに指でなぞられたおばあちゃんの"あの言葉"。私の心がぎゅっとつかまれました。一瞬にして、それ こそ魔法のように溶けて目から涙が溢れて、心が日光浴したみたいにポカポカ...。悲しい涙ではなく、やさしい涙でした。
「I know」って答えてくれるだろうあの人に素直に「大好き」って言ってみようかなぁ、とそんな思いがわきあがりました。これからは後悔することのないように・・・。
*「西の魔女が死んだ」は図書館にあります。
私を泣かせるほど感動させた1冊はニコラス・スパークの『奇跡を信じて』です。私はこの本を高校の文化祭の劇でやることになり手にしたのですが、周りで手にした友達全員もこの本当に起きた奇跡のお話に涙しました。
主人公ランドンはさえない高校生活を送るごく普通の男子生徒でした。ところがひょんなことからクリスマス会の劇の主役に抜擢されてしまいます。相手役を務 めるジャミーは熱心なクリスチャンで、学校では変わり者でした。そんなジャミーと劇を作り上げていく中、ランドンは彼女の行動や考えに振り回されてしまい ます。二人はぶつかり合いながらもお互いを認め、少しずつ心惹かれあっていきます。そしてランドンはジャミーに告白をします。しかし、ジャミーはランドン の告白を泣きながら断ってしまいます。「友達ならいいと」ランドンを突き放そうとする訳とは...。
クライマックスに向けてランドンのジャミーに対する思いに、胸が締め付けられるほど苦しく感じます。17歳にして訪れた人生の転機に、私だったら好きな人 に何をしてあげられるだろう...と考えました。そして短い生涯を終えるジャミーの最期の喜びを考えると本当に涙が止まらなかったです。永遠なんてないと考え ていた人、考えが変わってしまうかもしれません。是非、この本当に起きた感動的なお話にあなたも涙してください。読み終わったあと、純粋な気持ちになれる こと間違いナシです!!
◆ 雑誌・新聞
スポーツで汗を流し、読書で涙を流す健康的な(?)秋到来です。(A)