恵泉女学園大学

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2007年11月

ともに生きようーCallingとResponse

2007年度・多摩フェスティバルの第2日目を、聖日礼拝をもってはじめることができますことを、神様に心から感謝したいと思います。
さて、私たち、一人一人のこの世における使命は何でしょうか。
もちろん、それぞれ人によって使命は異なるといえましょう。しかし、神からのCalling すなわち呼びかけを受け、それにResponseする、つまり応答するということにおいて、私たちはそれぞれ同じ使命を持っているのだと思います。私たちの使命は、神の招きに応えて、責任を持って生きることにあります。Callingとは、職業をも意味する言葉であり、また応えるとは責任を意味します。
私は、1961年、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の岩村昇先生との出会いによってまさにCallingに生きることの意味を教えられました。実は、たまたま南インドでの世界学生キリスト者連盟(WSCF)の国際会議を終えてカルカッタで先生にお会いしてまもなく、ボランティアのアシスタントになるように依頼されたのでした。岩村昇先生御夫妻と看護師さんは、いつ許可がおりるか全く分からない医薬品や医療機材の通関をまたないで任地国のネパールへと飛び立ちました。そして、その通関手続きとネパールへの発送という重要な任務が私に与えられ、予想外に早く約三週間で無事通関を終え、ネパールに荷物を送ることが出来た時には本当に嬉しく肩の荷が軽くなった感じがしました。
漸くネパール入りしてカトマンズ郊外にあるネパール合同ミッションの「シャンタバワン病院」のゲストハウスに滞在させて頂くことになりました。ここで三つのことが今も鮮やかな印象に残っています。
第一に、このネパール合同ミッションという医療奉仕の国際的にともに生きるための共同体は、まさに祈りの共同体であったということです。世界諸国の長いキリスト教医療ミッションの歴史に、岩村昇先生への神のCallingを通し、日本が参加することになったことの大きな恵みをおぼえ、ともに聖書を読み祈りを捧げた日々が強烈な印象に残っています。
第二に、諸外国からの医療宣教師とネパールのキリスト者たちがともに生きるための「礼拝」がカトマンズでも行われており、ネパール人の非合法の教会での礼拝に参加できたことは大きな喜びでした。倉庫のような建物の二階で、全員が絨毯の上に座って行われた礼拝では盲目のネパール人信者がギターを弾き、神からのCallingを受けた一同が賛美の大きな歌声をあげたのです。
第三に、互いに愛し合う共同体であるこのネパール合同ミッションで、PAX-MAN(平和の人 - 良心的戦争拒否者)との出合いに感銘を受けました。このシャンタバワンバワン病院で、この「パックスマン」が建設や事務の雑用等様々な仕事をしていました。このパックスマンは、自国政府による徴兵を拒否して、開発途上国などの僻地で三年間、医療、福祉、保健等の労働奉仕をするためにCallingを受けたアメリカとカナダの青年達だったのです。
JOCS派遣医師として「ネパールの人たちとともに生きよう」との召命Callingを受け、決断された岩村昇先生が、巡回診療をしていた時のことでした。ネパールの荷物担ぎのシェルパの一人が長い道のりを荷物を担いで運んでくれたのに感謝して、お礼のお金を払おうとしたら、どうしても受けとらないで、「サンガイ・ジウネ」日本語でいえば、「皆でともに生きるため」すなわち、「お金なんていらない、お互い様だ」と語ったというのです。その後、この「サンガイ・ジウネ」「皆でともに生きるため」は岩村昇先生とネパール合同ミッションの働きを支える合い言葉となったのでした。
恵泉女学園大学の私たちもまた、創設者・河井道先生の建学の精神をふまえ、「聖書」に学び、「互いに愛し合い」「さあ、ともに生きよう」という神の招き、すなわちCallingに応えつつ、「サンガイ・ジウネ」を実践していこうではありませんか。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(新約聖書・ヨハネによる福音書13章34節)
(多摩フェスティバル・2007年11月11日・聖日礼拝奨励要旨)

ともに生きようーCallingとResponse