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第７号
２０１０年７月
ISSN1882-5044
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ノハナショウブは日本、朝鮮半島、中国東北部、シベリア東部まで広く分布する多年草で、
特に日本では北海道から鹿児島まで各地に自生が見られる。葉は平たく剣状で、中肋が
隆起する。花茎は直立し、高さが60 ～ 120cm。頂部に直径約10cm の花つける。花
は3 個の外花被片が下垂し、アヤメ科の特徴的な花形となる。花の色は自生の地域によ
って紅紫色から青紫色まで変化が見られる。また、希に桃色や白色のものも現われる。
　このように日本各地に自生するノハナショウブであるが、それと確認できる名前は万葉集
や平安時代の和歌集には見られない。万葉集に菖蒲（あやめ）あるいは菖蒲草（あや
めぐさ）の名で歌われる植物が登場するが、これはノハナショウブではなくサトイモ科のショ
ウブ（菖蒲）である。葉の香りが邪気を払うと信じられたショウブは中国から伝わった端午
の節句（5 月5 日）と関わって奈良時代には重用されていた。ノハナショウブが最初に記
録されるのは14 世紀に編纂された「拾玉集」で、花菖蒲（はなあやめ）の名前が出てくる。
見るべき花をつけないショウブに対して、草姿が似ていて美しい花をつけるところからその
名が付けられた。旧暦の5 月5日は太陽暦の6 月にあたり、その時期に花を咲かせるノハ
ナショウブは江戸時代になるとショウブと同様に端午の節句を飾る植物として用いられるよう
になった。なお、万葉集や古今集で歌わる「ハナカツミ（花勝見）」をノハナショウブと考え
る説もある。
　さて、ノハナショウブを親として変化に富んだ色や花形をもつハナショウブが園芸植物とし
て作り出されたのは江戸時代の後期である。松平左金吾定朝（1772-1856）は、まだ改
良の進んでいないノハナショウブに近い個体群に花の色や形に変化があることに着目し、
交配を繰り返して3 個の大形の花被片（三英咲き）から6 個（六英咲き）、さらに八重な
ど多くの花形を作り出した。また、花色も絞り、覆輪などが加わって多彩になり、大きさも直
径が30cm までにもなった。それらはその後、江戸系に発展していく。また、肥後藩では
藩主が左金吾から株を譲り受けて花と草姿の整った独自の系統を作り出し、肥後系と呼
ばれている。同じ頃、伊勢松坂の吉井定五郎（1776-1859）はノハナショウブを交配親に
加えて、3 個の外花被が大きく垂れ下がる伊勢系とよばれる系統を作り出した。ノハナショ
ウブの面影を現在に伝える長井古種は1962 年に山形県長井市で発見された。海外でも
米国を中心に交配が進められ、これまでの日本にはなかった色、形、大きさのものが生ま
れている。ノハナショウブ一種から始まったハナショウブは、今では国際的な園芸植物にな
ってきている。 （西村悟郎）
表紙によせて
ノハナショウブ Iris ensata var. spontanea
(Makino) Nakai
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恵泉女学園大学園芸文化研究所報告　園芸文化
第7 号
目　次
園芸療法－植物との穏やかな関係が与えるもの－………… 東方　和子 …… 1
ガーデニングと明治期の家庭園芸…………………………… 水島かな江 …… 12
バラの原種の分類と分布……………………………………… 野村　和子 …… 24
ロスチャイルドの自然流ネリネづくり……………………… 岩本　陽児 …… 32
恵泉野菜の文化史（7）：カボチャ…………………………… 藤田　　智 …… 42
恵泉果物の文化史（7）：ナシ………………………………… 小林　幹夫 …… 50
恵泉樹の文化史（6）：ウツギ………………………………… 宮内　泰之 …… 56
園芸文化研究所助成研究報告＜プロジェクト研究の部＞
多摩地域におけるめかいづくりの継承･活用に係わる基礎研究
　　　 …………… 谷本　寿夫、篠田真理子、澤登　早苗、定松　文
　　　 漆畑　智靖、宮内　泰之、荒又　美陽、白石　昌吾、浅井　民雄 …… 62
多摩市における園芸ボランティア育成を成功に導くための基礎研究（3）
－多摩市、町田市における園芸ボランティア活動の実態調査と大学が
　向かうべき方向とは－ ………………… 山　浩美・澤登　早苗 …… 104
恵泉の園芸教育の歴史をたどる(2) －恵泉女子農芸専門学校および
　短期大学園芸生活学科における花壇の植物材料について
　　　　 ………………… 西村　悟郎、新妻　昭夫、深谷佐紀子
　　　　　　　土屋　昌子、松井　信行、原嶋　夕佳、山　浩美 …… 118
園芸文化研究所助成研究報告＜一般研究の部＞
植物と人々：南アジアの園芸に関わる諸カースト巡り④　
－インドの花カースト‐マハーラーシュトラ州とビハル州のマーリー
　・カーストとその人々? ……………………………… 大橋　正明 …… 148
ディケンズの小説から探る英国19 世紀の下層階級の園芸（予報）
　　　 ………………… 榎本　眞理子・高濱　俊幸・新妻　昭夫 …… 170
ジェーン・W・ラウドンの生涯 ………………………… 新妻　昭夫 …… 196
2009 年度事業報告 ………………………………………………………………… 218
研究助成プロジェクト2009 年度募集要項 ………………………………… 226
一般研究助成2009 年度募集要項 ……………………………………… 228
2009 年度公開講座報告 ………………………………………………………… 230
2010 年度春期公開講座紹介 ……………………………………………………… 231
園芸文化研究所報告「園芸文化」投稿規定 …………………………………… 232
編集後記 …………………………………………………………………………… 233
表紙によせて：ノハナショウブ……………………………… 西村　悟郎 …… 表-2
　　　　　　　　　　　　　 ボタニカルアート：　角田　葉子 … 表1･4
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BULLETIN OF KEISEN INSTITUTE OF HORTICULTURE
VOLUME 7
CONTENTS
TOBO Kazuko：Horticultural Therapy － Its Salubrious Effects on Health of Its Participants －
MIZUSHIMA Kanae：Is “Katei-Engei” in Meiji Era Different from “Gardening” ?
NOMURA Kazuko： The Taxonomy and Distribution of the Ancestor Rosa
IWAMOTO Yohji：Rothschild's Natural Method for the Breeding of the Exbury/Vico Nerines
FUJITA Satoshi： Keisen Cultural History of Vegetables 7：Pumpkins
KOBAYASHI Mikio： Keisen Cultural History of Fruit Trees 7： Pear
MIYAUCHI Yasuyuki：Kiesen Cutural History of Trees and Shrubs 6: Deutzia crenata
Reports of Research done with Subsidy from KIH (Project Research)
TANIMOTO Hisao, SHINODA Mariko, SAWANOBORI Sanae, SADAMATSU Aya,
URUSHIBATA Tomoyasu, MIYAUCHI Yasuyuki, ARAMATA Miyou, SHIRAISHI
Shougo &amp; ASAI Tamio：A Study on Preservation of Traditional Mekai Production
Techniques in the Tama Area
YAMA Hiromi &amp; SAWANOBORI Sanae ： Primary Research for Successful Local Garden
Volunteers in Tama City (3)
NISHIMURA Goro, NIIZUMA Akio, FUKAYA Sakiko, TSUCHIYA Masako, MATSUI
Nobuyuki, HARASHIMA Yuka &amp; YAMA Hiromi：Historical Study on the
Education of Horticulture in Keisen Jogakuen 2) ? Study on the Plant Materials of
Flower Gardens in Horticulture Department of Keisen Junior College ?
Reports of Research done with Subsidy from KIH（ General Research）
OHASHI Masaaki : Plants and People : Horticulture Related Castes in South Asia No.4 ?
Flower Caste "Mali" in Maharashtra state and Bihar state
ENOMOTO Mariko, TAKAHAMA Toshiyuki &amp; NIIZUMA Akio: 19th Century
Horticulture among the Lower-Middle and Working Classes in Britain, in Charles
Dickens: A Preliminary Report.
NIIZUMA Akio : “Mrs. Loudon and Gardening for Housewives in Early Modern England”
Annual Report in 2009
Call for Papers of Project Research in 2009
Call for Papers of General Research in 2009
Annual Report of Open Lecture in 2009
Schedule of Open Lecture in 2010 Spring.
Paper Published Rules to This Bulletin.
Editor’s Notes.
Horticultural Explanation of Iris. ensata var. spontanea. on the Front Cover. By NISHINUMA Goro.
Illustration by KAKUTA Youko.
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- 1 -
園芸療法
―植物との穏やかな関係が与えるもの?
東方　和子（本学非常勤講師）
Horticultural Therapy
-Its salubrious effects on health of Its participants-
TOBO Kazuko
Abstrast
Horticultural therapy is a treatment that uses plants and plant products to improve
the social, physical, psychological health of its participants. In this paper the
history of the therapy, the steps how horticulture has evolved into an accepted
approach to treatment and the potential of the therapy are discussed.
１．はじめに
　太古からヒトと植物はお互いの生命を支えあってきた―ヒトはO2を吸い、
CO2を排出し、植物はCO2を吸い、O2を排出することで、この関係は穏やかに、
確実に続けられてきた。この穏やかで、確実に繰り返される関係を軸にし
て、心身の機能に障害を持つヒトの回復または機能低下防止に役立てようと
いうのが園芸療法である。園芸療法＝植物を用いる療法は心に障害を持つ
人のケアから始まった。歴史を遡ると古代エジプト時代に王宮で精神に問
題のある患者に医師が王宮の庭を散策することを処方した、との記録が残っ
ている1）。本稿では1）園芸、牧畜、耕作を含む農作業が植物を用いる療法と
して精神科ケアの中で実践されてきた道筋をたどり、2）園芸活動主体の療法
プログラムの実践と園芸療法対象者の多様化の足跡を追い、3）この療法の効
果について実践例を交えて考察してみたいとおもう。
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- 2 -
２．精神科ケアの中でーヨーロッパから日本へ
　園芸を含む農作業が精神科ケアに積極的に用いられるようになったきっ
かけは、18世紀に起こった精神病院における改革であった2）。17世紀後半か
ら18世紀にかけて人権意識が高まっていった。これは啓蒙思想、フランス
革命、アメリカ独立戦争などの影響と考えられる。この人権意識の高まりは
それまで閉鎖病棟の中で、鉄鎖での拘束が日常であった精神病院での患者ケ
アに変化をもたらした。患者の非拘束運動の始まりである。患者を閉鎖病
棟から解放病棟に移し、鉄鎖の拘束から解放したのである。その先鞭をつけ
たのがフランスのフィリップ・ピネル（Philippe Pinel 1745-1826）である。彼は
1792（研究者により1793ともいわれる）年ビセートル病院（the Bicetre）で、新
しい患者の処遇を開始し、患者の症状緩和という成果を得た。この新しい患
者の処遇は、只患者に自由を与えたという事だけではない。患者たちが自由
を与えられただけだとしたら、毎日を無為に過ごすだけであり、症状の緩和
は顕著に示されなかったであろう。しかしピネルは、解放された患者たちに
彼らの症状に合わせて治療の一つとして、作業を割り当てた。彼は作業の重
要性について1801年の論文の中で指摘している。　
　「厳格に行われる作業は、道義と規律を保つ一番良い方法である。この事実は
特に精神病院において、真実であり、それらの施設の有用性を持続させようとす
るならば、今述べた運営が必要だと私は固く信じて疑わない。私は、病人がたと
え著しい興奮状態にある場合でも、活動的な作業が必要であることを何度も論
じてきた。我が国の施設で、多くの病人が無目的に興奮状態に陥っているのは
遺憾なことである。さらに悪いのは、病人が無為や混迷の状態に陥っているこ
とである。この様な興奮状態、錯乱状態、狂乱的な空想の奔放状態を継続させて
いる原因は怠惰である。これに反して、持続的な作業は、病的思考の連鎖を断ち
切り、もっと楽しいものにむけさせ、また、運動練習によって、病人の集団に秩序
を保たせることができ、同時に内的秩序を保つためのこまごまとした無意味な
規則を、不必要にする。」　
「精神病に関する医学・哲学的論稿第5部精神病院において確立すべき秩序と管
理」3）
　大陸で起こった変革はドーバー海峡を渡りイギリスでも始まっていた4）。
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- 3 -
1792年クウェーカー教徒の紅茶商人、ウィリアム・テユーク（William Tuke
1732-1822）の発議により始まった。彼は当時の精神病院での患者に対す
る拘束的処遇に心を痛めていた。彼は精神を患うクウェーカー教徒達の
ためのヨーク・リトリート（The Retreat at York）をフレンド協会（The Friend
Society）の後援により設立した。この施設は当時精神を患う患者のための施
設の名称asylumを用いずretreat=避難所（キリスト教の教会では修養会の意味
に用いられることもある）を用い、まさしく患者また患者家族の避難する場
所を提供することを目的としていた。30名の患者は施設内での自由行動を許
され、原則として非拘束の生活を与えられていた。York郊外に広い土地を得、
そのうち数エーカーを患者家族が農耕牧畜をして生活ができるよう計画さ
れた。 当初は患者家族のための農耕、牧畜作業であったようであるが、患者
本人たちも参加しだした様である。その結果は良好なものであり、作業が有
効な治療法の一つになっていったと思われる。ウィリアムの孫のサムエル
（Samuel Tuke 1784-1857）は1816年ヨーク・リトリートでのこれらの作業を含
む解放治療の実践を人道療法または道徳療法（Moral Treatment）と名付け報
告書を出版した。以後多くの人にこの療法は認知される事となった。精神
病院での解放治療の実践はイギリスをはじめ、ヨーロッパ各地の病院で進め
られていった。
写真１　創立当時のヨーク・リトリート写真2 現在のヨーク・リトリート
　世紀の変わる頃には作業を含む開放治療の実践は全ヨーロッパの病院で
定着していた。そのヨーロッパでの様子を目の当たりに母国にその療法を
持ち帰った日本人留学生がいた5）。それが呉秀三（ 1865-1932）である。彼
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- 4 -
は国費留学生として1898年から1901年の間クレペリン（Kraepelin　1856-
1926）のもとで近代精神医学を学び、作業療法（各種の作業を積極的に治療の
手段として用いる療法）を含む解放治療の様子を見聞した。帰国後東京府巣
鴨病院の院長となり、作業療法を導入し、治療を開始した。彼はその理論を、
彼が執筆の責任を負った「日本内科全書」（ 1916）巻2第3冊「精神療法」の中
で移動療法（患者の関心を自分以外の事柄に移動させて症状を緩和させる治
療法）として紹介している。当時精神科患者は警察の監督下におかれ、座敷
牢（私宅監置＝江戸時代ごろから始まったとされる）または病院の閉鎖病棟
で拘束されていた。1917年、巣鴨病院は荏原郡松沢村（現在東京都世田谷区
上北沢）に移転した。この移転は患者数の増加及び病院近辺の都市化に伴い
計画されたのである。この移転計画の草案作成中、呉は新病院の収容患者数
を1,000人とし、作業療法の可能な土地を含む10万坪の土地を求めるよう上
申している。限られた予算の中で東京府は収容人員約700人、７万坪（農作
地面積　5,004坪　園芸地面積　1,000坪　牧畜地面積　300坪を含む）の土
地を松沢村に購入し,　移転が決定した。松沢に移転後、呉は、自身の構想す
る解放治療を実践した。自由行動を許された患者たちには屋外（耕作、園芸、
牧畜など）また屋内（裁縫、製本、遊戯、読書、など）で各種の作業を患者の状態
に合わせて処方するよう病院のスタッフを指導、監督した。その屋外での作
業の責任を負っていたのが加藤譜佐次郎（1888-1968）である。
　加藤は患者とともに、むしろ先に立って作業を行った。1924年、彼は松沢病
院での作業療法の実践を学位論文「精神病者に対する作業治療ならびに解
放治療の精神病院におけるこれが実施の意義および方法」として東京大学に
提出した。1925年、呉秀三は定年によりその職を離れ、加藤譜佐次郎もまた師
と共に病院を辞職した。二人のいない病院での作業療法の実践は段々衰退
していった。1927年、北海道から新卒の精神科医が赴任した。それが赴任後、
松沢を去るまでの15年間作業療法を復活させ、実践した菅修（ 1901‐1978）
であった。彼は作業療法に理解のある病院長の後援も得て、施設の整備、職
員の増員、教育に力を注いだ。1936年からは新設された作業部の作業医長と
なり、「東京府立松沢病院における作業療法実施の歴史ならびにその現状」
（ 1936年）「精神病者に対する作業療法の理論と実際」（ 1936）などの報告を発
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- 5 -
表している。しかしその菅も神奈川県立芹香院に去り、以後松沢病院での作
業療法の実践は衰退していった。
３．園芸主体の療法の確立、対象者の多様化と日本への導入
　アメリカ合衆国においては6 ）1798年ベンジャミン・ラッシュ（Benjamin
Rush　1745-1813）が彼のイギリス留学（ 1760‐69年）の間に学び、自国で実
践した戸外作業を伴う解放治療の効果について報告した。その後各地で
実践が続けられたが、二つの大きな変化があった。1）園芸主体の療法の確
立　2）療法対象者の多様化である。第一の変化はフレンズ病院（Friends
Hospital）で起きた。フィラデルフィア（Philadelphia）にQuakersにより設立さ
れたFriends Hospita（l 1813年～現在）において農作業から独立した園芸作業
の実践が始められた。この病院は現在合衆国における園芸療法実践のリー
ダー的役割を担っている。ここでは設立当初から自給自足で病院を運営し
ていた。30エーカーの耕作地にトウモロコシ、ジャガイモ、小麦などを育て、
牧畜もおこなっていた。それらの作業を患者たちも参加していくうちに、
彼らの症状が緩和されていく事が分かった。病院の中にはいくつかの庭
もあり、園芸作業も農作業と並行して行われていた。徐々に農作業とは切
り離した園芸を主体とした作業も効果があることが分かってきた。1879年
には、病院内に治療を目的とする温室を建設する事となり園芸療法の実践
がつみ重ねられていった。現在では、園芸療法がこの病院における患者ケ
アの重要な部分を占めている。現在病院内には温室、花壇を含め100エー
写真３　現在のフレンズ病院写真４　フレンズ病院内温室での
園芸療法の実践
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- 6 -
カーの土地で園芸に関する作業が行われている。その中には1991年にでき
たアルツハイマー型認知症患者のための園芸プログラムを実践するBorgeest
Gardenが含まれる。
　1800年代半ばから合衆国で、園芸作業のみの実践報告が増えてくる。
1846年にはアイザック レイ（Isaac Ray 1807-1881）による園芸を主体とした
作業療法実践報告がAmerican Journal of Insanityに発表された。1896年には
児童福祉プログラムの一環としての園芸実践の報告書が出版され（Darkness
and Daylight or Lights and Shadows of New York ）、 知的障害児のためのプロ
グラム実践の報告（E．R．Johnston　in Journal of Psycho-Aesthenics 1899）が続
いて発表されている。1900年代に入ると、病院内のプログラムに園芸作業が
用いられていった。第一次世界大戦後、病院では傷痍帰還兵が病室にあふ
れ、多くの者が長期入院を強いられた。病院は、彼らのために社会復帰プロ
グラムとレクリエーションプログラムを用意する必要があった。そのプロ
グラムの一つに園芸作業が取り上げられた。第二次大戦後には単にレクリ
エーションのためではなく、治療の一環として用いられるようになっていっ
た。多くの帰還兵、退役軍人のための病院で園芸作業が療法の一つとして用
いられていった。
　1951年ミシガン州ポンテイアック（Pontiac）にある州立病院で高齢者向け
園芸療法の実践が、精神科ソーシャルワーカーであったアリス　バーリン
ゲーム（Alice Burlingame）により始められた。翌年彼女はミシガン州立大学
（Michigan State University）で、はじめての園芸療法に関するワークショップ
を医師ワトソン（Dr. Donald Watson）と共に開催した。1960年にバーリンゲー
ムとワトソンは最初の園芸療法プログラム実践のためのテキスト（Therapy
Through Horticulture）を出版した。リハビリテーション医療の分野では
1959年ニューヨーク大学のラスク・リハビリテーションセンター（the Rusk
Institute of Rehabilitation Medicine）に治療の一環として園芸作業を実践する
温室が建設された。この温室は病院内のGlass Gardenにあり、現在でもいろ
いろな園芸療法プログラムの実践が行われている。週5日１時間のプログラ
ムに小児科をはじめ様々な科からの患者が参加している。1998年米国園芸療
法協会（American Horticultural Therapy Association）から発行された資料によ
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- 7 -
ると園芸療法実践の対象者は、高齢者、心身障害者、発達障害者、視覚障害者、
薬物依存症の患者、家庭内の虐待に関わる被虐待者と虐待者、退役軍人、エイ
ズ患者、各種リハビリ患者などとなっている。各地での実践の成果が認めら
れ園芸療法士の資格制度が整い、各職場へと派遣されている。この多様な対
象者への園芸療法が日本に導入されたのは1980年代である。
写真５　ラスク・リハビリテーション
センター内の温室
写真６　小児科患者向けの
園芸療法プログラムの実践
　1982年「園芸を通しての治療とリハビリテーション」と題して京都大学農
学部蔬菜花卉園芸研究室から欧米，主にアメリカでの多様な対象者への園芸
活動の療法としての実践が報告された7）。1990年代にはアメリカで研修を受
けて帰国した療法実践者たちが、各地で活動をはじめる。1994年には京都で
国際園芸学会会議がひらかれた。分科会のテーマに園芸療法が選ばれ、各国
から園芸療法の実践者たちが来日し、発表をした。会議後各地で実践報告、
デモンストレーションなどが行われ、園芸療法の認知度がたかまった。以後
1）病院（精神病棟、老人病棟、青少年慢性疾患病棟、など）　2）入、通所施設（老
人ホーム、身体障害者施設、知的障害者施設、など）　3）教育施設（養護学校
など）　4）作業所　5）公共施設（公園、植物園）などで園芸療法の実践8）がす
すめられ、現在にいたる。
４．園芸作業の効用―穏やかな、確実な関係が与えるもの
　園芸作業の効用についてはいくつかの報告がある9）10）11）。ここでは3つの
効用について具体的な例をあげながら考察したい。3つの効用とは　1）自信
回復の機会を与える。2）身体機能を賦活する機会を与える。3）仲間づくりの
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- 8 -
機会を与える、である。
1）自信回復の機会を与える
　一つの例をあげて第一の効用について考えたい。　精神科医の野田正彰
は、70歳台のうつ病患者のケースを報告している12）。その患者は幼少時か
ら中年に至るまで父親から認められなかった為か、自分の能力への信頼がも
てずに自己否定の
感情が強かった。
野田は抗うつ薬を
処方し、患者がそ
れまで全く興味の
なかった園芸活動
（ベランダでの植
物の育成、管理）を
勧めた。患者は
野田の助言に従っ
た。彼は興味を
持って植物を育て
るようになっていき、徐々に自信を取り戻し、うつ的症状は緩和されていっ
た。この変化は何によってもたらされたのであろうか？それは自己効力感
（Self Efficacy）の向上によるものと思われる。自己効力感とはBanduraが彼の
学習理論の中で提示した概念13）である。ある行動を生み出すために必要な
行動をどれだけ上手く行う事ができるか、という本人の自信である。自己効
力感が高いと1）社会的状況（環境）の中での克服努力が大きい2）積極的に
多大な努力を払おうとする3）積極的に課題に取り組むなどの行動特徴があ
るといわれている。また自己効力感の向上のためには成功体験が重要だと
いわれている。小さな鉢植えの花の水やりをし、枯れた葉をとってやる、そ
の植物と穏やかに、しかし毎日確実に自分の意志で植物との関係を結んでい
く。葉は萎れることなく、時には美しい花を咲かせる。そのような関係が患
者本人にとって成功体験となり、自己効力感向上、本人の自信回復へとつな
がっていったと考えられる。これが植物との関係が与えてくれる効用であ
表１
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- 9 -
る。
2）身体機能を賦活する機会を与える
　室外で実践される園芸療法の実践は運動の機会を与える。土づくりから
収穫まで続く園芸作業は適度な運動負荷を対象者に与える。松尾（ 1998）は
心拍数を基準に園芸作業の運動強度を日常行動強度と比較した9）。
　園芸活動では、穏やかに対象者に運動負荷がかかることが分かる。また園
芸活動により賦活される身体活動の効果を遠藤（2007）は報告している10）。
表２
園芸活動のなかにある畑の土起こし、播種、除草、収穫などの作業は全身の身
体機能を賦活する良い運動となる。穏やかな運動負荷量は、特に虚弱になっ
た高齢者には適当なものであると指摘されている14）。また穏やかな負荷の
かかる運動を続けることは高齢者の心の健康にも良いとされている14）。
3）園芸作業は仲間づくりの機会を与える
　室外での園芸作業はグループで実施されることが多い。　「同じ釜の飯を
食う」の言葉のごとく室外での共同作業は穏やかな他者関係を生み出す機会
となる。今指摘した効果を生かし園芸に関するプログラムが1990年代に公
共事業として取り入れられた15）。例をあげると、宮城県では1987年から五
カ年の事業として、園芸作業を通じての交流の場、健常者と高齢者と障害者
の交流の場として市民農園を位置づけた。「園芸遊遊ランド」と名付け「園芸
遊遊ランド整備事業」としてバリアフリー型の市民農園設置整備を行う市町
村に上限700万円の補助を行った。また大阪府では府内の遊休農地を地域
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- 10 -
住民と障害者、高齢者の交流の場として活用するために「セラピー農園」が計
画され、2000年から研究会がたちあげられ検討された。植物とヒトとの穏や
かではあるが、確かな関係はヒトとヒトの間にも穏やかで確かな関係を生み
出すのである。
写真７　於　日本園芸療法研修会による
地域高齢者のためのプログラム「水曜クラブ」
写真８　共同の園芸作業が
仲間づくりの機会を与える
４．おわりに
　本稿では、園芸療法が精神科ケアとして、治療場面に導入された作業を用
いる治療から独立し、実践を重ねてきた道筋をたどってきた。大昔から植物
と育んできた穏やかで、確かな関係を軸にこの療法は展開されていた。こ
の療法の穏やかで、しかし確実な効果はストレスの多い、テンポの早い現代
社会で必要な療法の一つと考えられ、またそれが求められているとおもわれ
る。2005年版作業療法白書がそのことを示している16）。白書によると園芸活
動を用いる割合が医療領域、福祉領域、介護領域、老年期作業領域などの各
領域で増加してきているのである。特に2000年度の報告ではまったく用い
られることのなかった医療領域で10.5％の割合を占めるようになった。こ
れから園芸療法のニーズは高まるのではないかとおもわれる。
参考文献
1） Simson S．： Horticulture as Therapy. p.4 The Food Products Press 1995
2） ヨーロッパ大陸での実践については主に以下の資料をまとめた
Shorter E（. 木村定訳）：精神医学の歴史―隔離の時代から薬物治療の時代まで.　
青土社　 1999
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- 11 -
野田正彰：植物のやさしい語りが生命を充実させる．RONZA．24 60-67 1997
3） 秋元波留夫：作業療法の源流. pp.23-24　金剛出版　1975
4） イギリスでの実践については主に秋元（ 1975, 1991）とThe Retreat at Yorkのホー
ムページをまとめた。
5） 松沢病院については以下の資料をまとめた
秋元波留夫　富岡詔子：新作業療法の源流． 三輪書店 1991
金子嗣郎：松沢病院外史．　日本評論社　1982
6） アメリカ合衆国についてはSimson（1995）と各施設のホームページの内容をまと
めた
7） 京都大学農学部蔬菜花卉園芸学研究室：園芸を通しての治療とリハビリテー
ション．新花卉　No.113:28-29,1982.
8） グリーン情報　編：日本における園芸療法の実際．　グリーン情報2004
9） 松尾英輔：園芸療法を探る　増補版．　グリーン情報　1998
10） 進士五十八　ほか監修：園芸福祉入門.　創森社　2007
11） 山根　寛、澤田みどり：ひとと植物・環境　青海社　2009
12） 野田正彰：産経新聞　1999.8.26 自信喪失を乗り越えた老人
13） 自己効力感については以下の資料からまとめた
Bandura A.（ 原野広太郎　福島脩美訳）：人間行動の形成と自己制御．金子書房
1976
祐宗省三ほか編：社会的学習理論の新展開．　金子書房　　1985
江本リナ：自己効力感の概念分析．日本看護科学会誌　20:39-45,2000
14） Shephard R（. 柴田博監訳）：シェパード老年学．p.150, p.225-239　
大修館書店 2005
15） 宮城県への電話インタビューと大阪府環境農林水産部農政室報告書「セラピー
農園普久推進に向けて～地域における青空デイ・ケア空間創造～」（ 2002）をま
とめた
16） 作業療法士協会：作業療法士白書　2005．2006
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- 12 -
ガーデニングと明治期の家庭園芸
水島　かな江
Is “Katei-Engei” in Meiji Era Different
from “Gardening” ?
MIZUSHIMA Kanae
Abstrast
In this paper, a comparison between concept of “Katei-Engei” in the Meiji-era and
that of Gardening in the 1990’s was conducted. References cited for this concept
are the contemporary terminology dictionary and some documents relevant to this
subject.
As a result, it became clear that "katei-Engei" include the concept of gardening in
the 1990’s.
　
１．はじめに
　ガーデニングという語が広辞苑に載ったのは、1998年に出版された第5版
が最初である。そこでは「園芸。造園。特に、自然の風景をそのまま生かし
たイギリス風の庭作りをいう。」と記されている。イギリス風と限定された
園芸と造園を含んだ概念だが、誰がどのような立場から行う庭作りかについ
ての説明はない。
　「ガーデニング」という語がこの時期の広辞苑に取り上げられた背景には、
その前年に、新語・流行語大賞10選に選ばれたことがある。そして、雑誌『私
の部屋ビズ』（婦人生活社）の編集長がその仕掛け人として受賞した。この雑
誌は1992年にリフレッシュし、「生活のディテールに目を向け、自然の循環を
基本のところで知ること」が、精神的生理的な救いになるような気がすると
して、「インテリアと庭を中心に」、住空間づくりの情報も加えた編集へと切
り替えた1。暮らす側、すなわち生活者を対象とした、生活を心地よくするた
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      <texts>
- 13 -
めに庭に関わることの提案である。
　園芸・ガーデニング関連の雑誌・書籍などの出版動向を調査した高橋ら
（2002）によれば、ガーデニング・ブームは1993年頃から始まっていて、ガー
デニングを扱う雑誌は94～97年に増加したという。そして、94年以降、ガー
デニングを扱う雑誌の中でも特に、「家庭園芸・家庭菜園」と｢香草・山菜ガイ
ド｣に分類された書籍数が急増していることを指摘し、「この項目がガーデニ
ング・ブームにもっとも関連が深いと考えられる」（高橋・下村　2002:398）と
述べている。
　このガーデニング・ブームに関連が深いとされる「家庭園芸・家庭菜園」と
｢香草・山菜ガイド｣だが、このうち、「家庭園芸」や「家庭菜園」については、明
治期の、家庭という語が広がり始めた時期2に、雑誌や書籍等のメディアによ
るブームが起こっている。「家庭園芸」については、1900年代に「家庭園芸書」3
の急増（水島　2008）があり、また「家庭菜園」についても1900年創刊の『婦女
新聞』の園芸に関する啓蒙活動の中で積極的に取り上げられている（仙波　
1995）。
　この流れを受けて、教育の場でも庭が学ぶ対象として取り上げられた。
1903年の文部省訓令第2号の「高等女学校教授要目」には、「住居」の内容と
して装飾や庭園が明記され、明治期の家事教科書には庭の図や園芸につい
ての記述がある（水島　2009）。また、一般家庭でも家庭園芸や家庭菜園等
が流行し、1906（明治39）年の読売新聞には、「近来家庭園芸の流行するに随
い・・・」4とか、「近時新聞も雑誌も園芸記事を多く載せるのでも知られるよ
うに少々世間が園芸趣味を解して来た。即ち一は道楽即ち贅沢園芸で、一は
引込思案の家庭園芸である・・・（中略）・・・近時の家庭園芸＝家庭という字
を冠せるのが流行遅れならば素人園芸でも通俗園芸でもよい＝は真に花を
愛し新鮮なる蔬菜を食膳へ上せようというのが多く・・・」5といった家庭園
芸や家庭菜園の広がりを示す記事が載せられている。
　このように、ガーデニングの中心を「家庭園芸」や「家庭菜園」におくとすれ
ば、日本における第一期のガーデニング・ブームは、1900年代に起きたといっ
てよいと思われる。そこで本論では、明治期の家庭園芸をガーデニングの視
点から見直すことにした。
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- 14 -
　方法としては、初めに、新語としてのガーデニングの概念や、ガーデニング
に関する文献を整理し、そこからガーデニングという語に含まれる視点や目
的等を検討する。続いて、それらをもとに、1900年代の「家庭園芸」をガーデ
ニングの視点から問い直してみたいと考える。
２．現代用語としてのガーデニング
　新語としてのガーデニングがどのような概念を含んで登場したのかを知
るために、新語、流行語を取り上げて出版される現代用語辞典『イミダス』（集
英社）6を用いて整理した。毎年出される雑誌のような辞典を資料とするこ
とは余り生産的な話ではなく、実際に整理しながら、その表現にかなり揺ら
ぎがみられることも明らかになった。しかし新語としての扱いを見るのに
ふさわしい資料が他にないこと、また年刊であるため、その後の変化も見ら
れることから、今回はこの資料を利用し、ガーデニングに関する記述を抜き
出した（表１）。
表１　『イミダス』にみるガーデニング
大項目中項目小項目ガーデニングの説明
1989 生活レジャー自然の中の生活「園芸、造園。花作りから野菜作りまでをいう。…」
1997 産業サービス
産業
個人・家庭向けサービス「イギリス式園芸・庭園のこと。･･･」
1998 産業サービス
産業
個人・家庭向けサービス「イギリス式園芸・庭園のこと。･･･」
社会生活住宅住宅の構造・設計「･･･もともと園芸・造園の意味。･･･」最近は緑や花を
飾る「デザイン作業のことをガーデニングと呼ぶこと
が多い。」
ホビー・
スポーツ
園芸園芸界の動向と制度「最近は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになり、」
「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわば学
術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者の間
では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが一般
的である。」
1999 社会生活住宅住宅の構造・設計「･･･もともと園芸・造園の意味。･･･」最近は緑や花を
飾る「デザイン作業のことをガーデニングと呼ぶこと
が多い。」
ホビー・
スポーツ
園芸園芸界の動向と制度「最近は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになり、」
「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわば学
術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者の間
では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが一般
的である。」
2000 ホビー・
スポーツ
園芸園芸界の動向と制度「最近は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになり、」
「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわば学
術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者の間
では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが一般
的である。」
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- 15 -
2001 ホビー・
スポーツ
ガーデニ
ング
園芸界の動向と制度「最近は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになり、」
「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわば学
術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者の間
では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが一般
的である。」
2002 ホビー・
スポーツ
ガーデニ
ング
ガーデニングの新傾向「最近は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになり、」
「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわば学
術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者の間
では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが一般
的である。」
2003 ホビー・
スポーツ
ガーデニ
ング
ガーデニングの新傾向「近年は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになってい
る。」「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわ
ば学術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者
の間では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが
一般的である。」
2004 暮らしガーデニ
ング
ガーデニングの新傾向「近年は園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになってい
る。」「欧米ではホーティカルチャーという言葉はいわ
ば学術用語、専門用語で、家庭園芸の世界や園芸業者
の間では、ガーデニング（園芸、庭づくり）を使うのが
一般的。」
2005 暮らしガーデニ
ング
ガーデニングの新傾向「園芸、庭づくりのこと。」「近年は園芸を「ガーデニン
グ」と呼ぶようになっている。」「欧米ではホーティカ
ルチャーという言葉はいわば学術用語、専門用語で、
家庭園芸の世界や園芸業者の間では、ガーデニング
（園芸、庭づくり）を使うのが一般的である。」
2006 暮らしガーデニ
ング
ガーデニングの新傾向「園芸、庭づくりのこと。」「近年は園芸を「ガーデニン
グ」と呼ぶようになっている。」「欧米ではホーティカ
ルチャーという言葉はいわば学術用語、専門用語で、
家庭園芸の世界や園芸業者の間では、ガーデニング
（園芸、庭づくり）を使うのが一般的である。」
　『イミダス』にガーデニングという語が登場したのは1989年、「レジャー」
領域の「自然の中の生活」という項目の中である。その説明には「園芸，造園。
花作りから野菜作りまでをいう。庭に対する日本人の美意識や考え方が変
わってきて、石や灯ろうを置き、松の木を植える代わりに、トマトやナスを植
えるキッチンガーデン（菜園，鮮菜畑）を作り、パセリやタイム、カモミールと
いったハーブ（香り草）園を演出するのが、新しい傾向。自然志向、手作り志
向とあいまって、今後地方都市を中心にコンテンポラリーなガーデニング産
業の波が起こるだろう」とあり、その後のガーデニング・ブーム7を予測した
説明になっている。しかし、この項目は翌年消え、次にガーデニングという
語が登場するのは1997年である。
　1997年には、その取り扱いが「レジャー」から「産業」に移り、「サービス産
業」の一つとして扱われた。そこではブームが起きた理由として、『私の部屋
ビズ』（婦人生活社）でイギリス庭園が紹介されたこと、銀座三越が1996年に
専門店を開いたこと、東急不動産が1995年のイギリス風住宅の売り出しと関
連してイギリス風庭園を多く取り上げたこと、そして花関連の雑誌やお店が
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- 16 -
増加したことなど、産業側からの仕掛けがいくつもあげられている。
　1998年には、さらに「住宅」、「園芸」領域での扱いが加わり、「住宅」領域で
は、その概念に家やマンションを花や緑で飾るデザイン作業を含んで、プラ
ンター、ハンギングバスケット、トレリス等とともに取り上げられた。また
「園芸」領域では、わが国では「園芸には「ホーティカルチャー（Horticulture 園
芸）」という英語を対応させてきたが、近年は園芸を「ガーデニング」と呼んで
いる。」と園芸と同義で扱われた。そして、欧米の例を用いて、園芸を学術用
語、専門用語であるホルティカルチャーと区別し、ガーデニングを一般用語
として位置づけた。つまり、一般的に用いる場合は、家庭で楽しみとして行っ
ても、仕事として造園業者が行っても、いずれもガーデニングであるとした
のである。また、園芸と同義のものとして扱いながらも、庭づくりという語
が加わったりして、その概念は整備されていない。
　2000年にはガーデニングの扱いが、趣味や娯楽に関する「ホビー・スポー
ツ」項目だけとなり、以後その扱いが継続する。そして、2001年には「園芸」項
目そのものが「ガーデニング」に置きかわる。しかし、「産業」項目では、アグ
リビジネスの一つとして、新たにガーデニングビジネスという用語が登場、
産業としてのガーデニングの扱いも継続する。
　高橋ら（2001:28）は、文献調査から、ガーデニングには「ヨーロッパ園芸の
要素である、装飾性やデザインに留意することが、これまでの園芸と区別さ
れる」との認識があることを見出しているが、実際1998、1999年版の「イミダ
ス」ではデザイン作業8として扱われている。　
　また2003年には、プランター、ハンギングバスケット、テラコッタなどの多
様な容器を含んだコンテナ栽培に、さらに草もの栽培、ミニ盆栽、コケ玉など
も含み、屋外の庭づくりだけでなく、屋内のインテリアグリーンにあたるも
のまで含むものとなっている。
　以上のことから、新語としてのガーデニングの意味の変化をまとめると、
初めは生活の中のレジャーの一つとして扱われたが、再び登場する1997年
以後は、ガーデニングビジネスとして、サービス産業、住宅産業と結びつき、
エクステリアデザイン等のデザイン作業の意味も含んできたことがわかる。
さらに、初めはイギリス風として導入されたが、以後はその限定も消え、また
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- 17 -
屋外だけでなくインテリアデザイン的なものまで含んで、その概念はより曖
昧に拡散してきていることがわかる9。
　このようにガーデニングという語がよりわかりにくくなっている理由は、
一方では「ホビー・スポーツ」といった趣味としての位置づけでガーデニング
を扱いながら、もう一方で、住まいを快適にすることが意識され、園芸業者
などの産業界からの園芸や庭づくりまでも含んできているためと思われる。
つまり、ガーデニングが、業者による園芸や庭づくりも含む、植物等を材料に
用いてデザインした結果を示すものなのか、あるいは生活の楽しみとして自
然や植物と関わる、その行為そのものを指すものなのかが明確でないためと
考えられる。
３．ガーデニングの概念
　白幡（ 2001:19-20）は、「ガーデニングと園芸は同じではない」として、「人
目につく表庭に、目立つ華麗な原色の草花を育てるのが西洋の「ガーデニン
グ」。であるという。つまり、「自然を材料にして自己を表現する」のがガー
デニングで、その主役は「人」である。もう一方、「園芸」は、「自然を一人一人
が心の内に受け止めるもの」で、主役は「自然」であるとする。そして、「園芸」
は、「栽培技術と芸術思想を融合させた園芸文化の代表の一つである」近世の
盆栽をその源泉とするもので、盆栽にみられる「極小化の自然観」が庭園に及
んで坪庭になり、それが都市民の住まいに入り込んで極小の庭園となったと
いう。この視点に従えば、主役を誰とみるかが、ガーデニングを規定するこ
とになる。
　高橋ら（高橋・下村　2001:28）も、ガーデニングと園芸についての整理か
ら、「「園芸」「庭仕事」は、植物の栽培を楽しむものであったのに対し、「ガーデ
ニング」は、植物を栽培するだけでなくデザインして、生活空間の向上に利用
していこうとするもの」と解釈されていること、さらに、「単なる趣味でなく、
生活の一部であることも特徴の一つとして捉えられていた」ことをあげてい
る。この整理に従えば、キーワードは「生活」で、ガーデニングにおける植物
は、「園芸」での主役から、生活空間の向上に役立つ道具へと変わる。そして
ガーデニングは、植物にデザインを加えた、生活空間をより快適にする作業
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- 18 -
といえる。
　さらに鶴島（ 2009:112）は、西洋では、「庭や庭の植物を管理する」ガーデニ
ング（Gardening）という言葉は、16世紀頃に現れ、20世紀後半に暮らしや生活
を楽しむ趣味園芸（Amateur’s　Gardening）的な意味合いが強くなって、一般
化したという。この「庭や庭の植物を管理する」意味から、「暮らしや生活を
楽しむ」意味への変化は、「見せる」ものとしての庭から「楽しむ」ものとして
の庭、すなわち主役としての庭から道具としての庭への変化が背景にあると
考えられる。
　新語としてのガーデニングや高橋らの説明には、作業をする主体に園芸業
者も含むのかといった疑問も残るが、これらをまとめると、園芸や庭づくり
の主役は誰か、あるいはデザインも取り入れて、暮らしや生活を楽しむ視点
があるのかどうか、といったことが、ガーデニングの概念を考える上で重要
となると思われる。そこで、この点に焦点を当てて、明治期の園芸を見直し
てみたい。
４．家庭領域の生成と園芸
　園芸や庭づくりの作業がいつ頃から、消費だけの場としての家庭や生活領
域に加わったかは定かではないが、1885（明治18）年創刊の「女学雑誌」10では、
321号（1892年）の「家政」項目に、「ホーム建設の心得」として「庭つくり」の記
事が登場する。この記事でとりあげられた庭は、家族の住む「ホーム」を作る
ためのもので、西洋風の庭も含み、正規則（茶座敷）風か不規則（田舎）風か、
その中間かといった庭の様式を問うものとなっている。従って、庭づくりを
誰が担うかの説明はないものの、自ら花や野菜を作ってその過程を楽しむと
いった庭ではなく、植木屋や庭師などによって造られる、様式の整った庭が
想定されていると考えられる。
　生活する側、すなわち家族で花壇や庭を造ったりすることが提案されてく
るのは、明治に入って、労働と生活の場の分離した生活形態を持つ新中間層11
が増加する過程でのことである。彼らの増加とともに、生活における公と私
の分離が進み、明治20年代に入ると、家庭が私的領域となって、「やには」12と
いう住居空間としての意味から家族の団欒という規範を伴うホームの訳語
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- 19 -
としての意味へと変化する。そして、明治20年代後半に登場してくるのが、
家庭叢書、日用百科全書といった家庭領域にふさわしいものがまとめられた
全集である。
　では、こういった家庭叢書に園芸は加わっているのだろうか。家庭に関す
る全集の初めと思われる1894（明治27）年から出版された「家庭叢書」（ 10巻
民友社）でみると、第一巻には、『家庭の和楽』（1894）、続いて小児の養育、家
庭教育等に関連したものが取り上げられているが、園芸や庭に関するものは
ない。続く1895（明治28）年から出版された「日用百科全書」（ 1895～　50巻
博文館）で、第8編に『住居と園芸』（大橋又太郎編　1896 ）が、第46編で『造家
と築庭』（竹貫直次編　1897）が取り上げられる。つまりここで園芸や庭が家
庭領域に加わったと考えられる13。しかし、例えば『住居と園芸』における園
芸の内容をみると、山水、築山などの造園技術や、接木、盆栽等の園芸技術の
説明になっていて、その作業の過程を楽しむというより、出来上がりが想定
された園芸や造庭書となっている。そして、カタカナで示される西洋の花な
ども取り入れられてはいるものの、花園を作るときの心得に、「四時十二ヶ月
の間花の絶えざる様に植集ること肝要なり」とか、「花園中に所々道を開きて
次第に花を眺むるようにすべし」（大橋　1896：181）などがあげられているよ
うに、そこでの主役は自然や植物で、園芸や庭づくりが家庭領域に加わった
ものの、その視点はまだ観る庭、見せる庭となっている。
　では、家族の暮らす「家庭」をそのタイトルに含んだ「家庭園芸」はどうであ
ろうか。次に家庭園芸について見てみたい。
５．家庭園芸とガーデニング
　「家庭園芸」という語を含んだ最初の書物が出版されたのは1903年、その
タイトルは、『家庭園芸談』（小谷　1903）である。以後、『家庭園芸　第１編
　花と苺』（三瀬　1904）、『家庭園芸術』（富益・田中　1905）、『家庭園芸　花
卉と盆栽』（作間　1905）、『家庭園芸博士（娯楽実益）』（精耕園主人　1906）と
次々と「家庭園芸」という語をそのタイトルに含んだ書物が出版され、1906年
にはその流行が読売新聞に取り上げられるほど（注5参照）、その広がりのス
ピードは速い。
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- 20 -
　これらの家庭園芸書をみると、例えば小谷（1903：1）は、冒頭の「団欒の娯
楽」の章の中で、道楽として生花、酒、碁等とともに園芸をあげ、「一家団欒の
下に楽しき家庭を作るには園芸をやるに如くは無いと思ふ」と述べている。
また三瀬（1904：1）も、「家庭園芸と申しますと、ご承知の如く、私共の前庭後
園における花卉、蔬菜、果樹の栽培並に造庭を含みます」とその定義をした
後、「すべての家が･･･其家族の手で耕し花を栽えたり或は苺を作ったりし
て、其の家庭の幸福を進めるようにしたい」と述べている。つまり、これらの
「家庭園芸」は、団欒の娯楽や家族の幸福のために家族の手でするものと考え
られている。しかし、その後の説明のほとんどは、栽培技術となっていて、デ
ザイン的な説明は含まれていない。
　家庭で行う園芸については、『家庭園芸術』（富益・田中　1904）でより明確
に語られる。富益・田中（1904:1, 16-18, 21, 26）は、その書籍の「序」で「園芸は
費用の嵩まぬ、興味深い、而して高尚な、雅致に富む業務で、移して家庭の事
業とし、家庭の遊戯とするに、至極恰好のものである。」とまずは園芸を家庭
の業務、事業、遊戯と位置づける。さらに「園芸と家庭」の章で「家庭の団欒、
家族の融和」が社会的に必要であるとし、そのための「娯楽」として「其には園
芸が最も適当してゐるであろう。」とする。そして、「其時、其家族の手にかけ
た花を見ながら、且又丹精をこらして育て上げた蔬菜を味わうならば、其楽
しみは又一しほ深いであろう」と、園芸を、家族で行い、家族で楽しむものと
するのである。作間（1905）も同様に、冒頭で「家庭の娯楽として、家庭の事
業として、我が園芸術は最も適良なせるものなりと信ず。」と述べ、泰西諸国
に比べ、日本の家庭に寂寥の感があるのは、家庭の団欒を取るべき事業と遊
戯が欠けているからと指摘する。
　またこれらの家庭園芸書には、女性と子どもと植物など、植物と人を共に
描いた挿絵が多く載せられている。このことは、それまでの、庭だけ、あるい
は植物だけを描いた園芸書には見られなかった特徴で、その意味では、家庭
園芸書は、人と植物の関わりを意識した新たな視点の園芸書ということが出
来る。
　以上のことから、1900年代に入って登場した家庭園芸書は、それまでの庭
や園芸書とは異なり、家族の団欒を目的として、家族が一緒に園芸作業をし
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- 21 -
て楽しむことを勧めるものであることがわかる。従って、そこで行われる園
芸の主役は植物ではなく家族である。
６．おわりに
　ガーデニングが辞書や現代用語辞典などに載るようになったのは1990年
代後半で、ガーデニングという語を新語としてみれば、ガーデニング・ブーム
は、1990年代までなかったことになる。しかし、ガーデニング・ブームの中
心となっている「家庭園芸」や「家庭菜園」は、すでに明治期に登場し、一般の
人々にも広がっている。そこで新語としてのガーデニングの意味や先行研
究からガーデニング概念に見られる視点や目的を検討し、それらを用いて明
治期の「家庭園芸」を検討した。
　1990年代のガーデニング・ブームは、住まいを快適にする提案で始まった。
この視点から見れば、家庭園芸書の内容の多くは、花卉、果樹、蔬菜に関する
園芸技術に留まっているため、それらにデザイン的な視点を加えて住まいの
装飾とするガーデニングとは異なる。
　しかし、家庭園芸書では、それまでの園芸書や造庭書の流れとは異なる、家
族と植物の描かれた挿絵が見られ、また、家族が作業し、家族で楽しむ庭が勧
められていた。従って、人を主役とし、人が生活を楽しむために行うことを
ガーデニングと見れば、個人ではないが、家族をその対象とし、家族で楽しむ
ことを勧める明治期の家庭園芸は、ガーデニングに流れる要素を持っている
と言える。そして、この視点を重視するなら、日本における第一期のガーデ
ニング・ブームは、1900年代に起きたといってよいと思われる。
[注]
1 『私の部屋ビズ』1992.6　婦人生活社
2 家庭という語が、一般に広がったのは、明治20年代から30年代にかけてと言わ
れている。（小山静子　1999『家庭の生成と女性の国民化』　勁草書房）
3 ここでは、「家庭園芸」という語をそのタイトルに含む書物を家庭園芸書と呼ぶ。
4 「有栖川宮家の万年青」1906.11.19 読売新聞
5 「昨今の園芸　近時園芸の趣味」1906.12.8 読売新聞
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- 22 -
6 現代用語辞典としては、1947年に創刊された『現代用語の基礎知識』（自由国民
社）がもっとも古く、1986年から『イミダス』（集英社）が、1989年から『知恵蔵』（朝
日新聞）が加わっている。そして、後の二つは共に2006年発行の2007年度版を
最後に廃刊になり、現在も継続しているのは、『現代用語の基礎知識』だけであ
る。そして、これを用いたガーデニングの検討は、すでに高橋ら（2001）が行って
いるが、ガーデニングを一番早く取り上げたのは『イミダス』である。そこで今
回はこれを資料として検討した。
7 1989年の『イミダス』に、ガーデニングの記述があることには、その翌年の「国際
花と緑の博覧会（通称　花博）」の開催が関連していると思われる。この博覧会
は2300万を越える、特別博覧会史上最高といわれる総入場者数を記録し、その
後のガーデニング･ブームにつながったと言われている。
8 『現代用語の基礎知識』（ 1999自由国民社）でも、「デザイン用語の解説」の中で99
年のキーワードとして、その最初にガーデニングをあげている。そこでは「･･･
一般にはエクステリアデザインという言い方はせず、ガーデニングという言葉
が使われている。」とエクステリアデザインと同義のものとして扱っている。
9 ここでは拡散ととらえたが、『現代用語の基礎知識』（ 1998）の、初めてのガーデ
ニングの説明（1403pp．）では、「植物を植えたり、ふやしたり、寄せうえしたりす
る事も、すべてガーデニングと呼んでいる」と園芸・造園にこだわらず植物と関
わるすべての作業を包括した概念として扱われている。
10 「女学雑誌」は、1885（明治18）年7月に創刊され、1904（明治37）年2月に廃刊さ
れたキリスト教に基づく女性啓蒙誌。新しい女性文化はすべてここから発して
いるといわれる本格的女性雑誌で、北村透谷・島崎藤村らも執筆し、後の「文学
界」の母体ともなっている。
11 新中間層とは、近代的な学校教育を経て獲得された，官公吏，教員，会社員，職業
軍人などの家業をもたない階層のことで、頭脳労働という労働形態、俸給（サラ
リー）という所得形態、資本家と賃労働者との中間に存在、生活水準の中位性を
その特徴とする。（寺出浩司．1994．『生活文化論への招待』弘文堂）
12 やには；「家庭」人の家居、人里。（大槻文彦『言海』1931　第628版　六合館＝
2004ちくま学術文庫　筑摩書房）
13 その後に出版される「家庭文庫」（1987～ 全12編 博文館）や「家庭の新風味」（1901
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- 23 -
－1902　全6巻　内外出版協会）にも、園芸関係をそのタイトルに含んだものは
ない。しかし、1907（明治40）年からの「家庭百科」には、第15編に『家屋と庭園』
（内山正如　1908　博文館）、第26編に『室内装飾法』（近藤正一　1910　博文館）
が含まれている。
参考文献
小谷保太郎．1903．『家庭園芸談』吉川弘文館
作間余三郎．1905．『家庭園芸　花卉と盆栽』大倉書店
白幡洋三郎．2001．ガーデニングと園芸．ランドスケープ研究65(1)　
精耕園主人．1906．『家庭園芸博士（娯楽実益）』広文堂書店
仙波千枝．1995．「家庭」の「趣味」としての園芸―『婦女新聞』の例をとりあげてー．日
本文化研究．筑波大学大学院博士課程日本文化研究学際カリキュラム紀要16
高橋ちぐさ　下村孝．2001．ガーデニングブームの実態と背景―雑誌、出版物を通し
て見たガーデニングブーム―．ランドスケープ研究65(1)
高橋ちぐさ　下村孝．2002．雑誌・書籍の出版動向及び記事内容から見たガーデニン
グ・ブームの実態．ランドスケープ研究65(5)
鶴島久男．花の文化　西洋編47　ガーデニングの歴史と発展（１）ガーデニングの始
まりと庶民への浸透．農耕と園芸64(12)．誠文堂神光社
富益良一・田中万逸．1905．『家庭園芸術』博文館
水島かな江．2008．近代における園芸領域への家族団らんの浸透― 女学雑誌と園芸
書の分析から ―．日本家政学会誌59（2）
水島かな江．2009．明治期の家政書からみた庭と家族に関する研究．生活学論叢15
号．日本生活学会
三瀬真若．1904．『家庭園芸　第１編　花と苺』札幌興農園
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- 24 -
バラの原種の分類と分布
野村　和子
The Taxonomy and Distribution of the Ancestor Rosa
NOMURA Kazuko
　バラの原種すなわち野生種は北半球にのみ分布しており、その数はおよそ
150種あるといわれている。
　それらの基本的な形態は花弁数5枚、奇数羽状複葉、落葉低木であるが、
150種ほどの原種のバラはさらに微妙な形態の差で細かく分類されている。
今回はその植物学的な分類について触れてみたい。
　花弁数5枚の野生バラに目をとめ、栽培し、利用し、さらには交配して改良
していった先人たちのバラへのあくなき欲求、知恵、夢があったればこそ、現
在の華やかな多くのバラたちを今我々がいとおしむことができるのである。
　たった5枚の花弁数のバラがどのようにして現在のバラに至ったかは第4
号で述べているので、そちらを参考にしていただけると幸いである。
　バラと呼ばれる植物はすべてバラ属＝Rosa　に分類されている。
　たとえば、 ノイバラ Rosa multiflora （日本原産）
ハマナシ（ハマナス） Rosa rugosa （日本原産）
ドッグローズ Rosa canina （ヨーロッパ原産）
ロサ・キネンシス Rosa chinensis （中国原産）　　　
ロサ・ヴァージニアナ Rosa virginiana （北アメリカ原産）
　　　　　　
という様にバラの学名はすべて属名のRosaで始まる。
　ランという植物にはファレノプシス属、デンドロビウム属、シンビジウム
属、カトレア属その他膨大な属があるが、それを考えるとバラはバラ属だけ
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- 25 -
なので頭の整理はしやすいと言える。　
　バラ属に含まれる種の数はおよそ150種で
自生の分布は北半球のみである。
　大雑把にいうと、日本に20種、ヨーロッパに
20種、北アメリカに20種、残りはほとんどアジ
ア、中近東に存在する。とくに中国には多い。
　基本的にバラという植物は形態上花弁数5
枚、萼片5枚、葉は奇数羽状複葉で托葉があり、
枝はややつる状に伸びて刺で他物にひっかか
りながら這い上る、ということである。
　生物の分類は属の次に種（種小名）を表記し
て、二名法といわれるいわゆる学名で呼ばれるが、バラではバラ属をさらに
細かく分類して4つの亜属と10の節に分け、その下に種小名をもってきてい
る。学名として表記するときは、亜属や節は書かずに属名と種小名とで表
す。
四つの亜属
（ 以下属名のRosaはR.と省略する）
　　　　　 フルテミア亜属　（Hulthemia）
バラ属（Rosa）
　　 ローザ亜属　　（Rosa）
プラティロードン亜属　（Platyrhodon）
　　　　　　　　　 ヘスペロードス亜属　（Hesperhodos）
・フルテミア亜属
　この亜属にはロサ・ペルシカ（R. persica）1種のみが入る。葉が複葉でなく
単葉で托葉がないところから、バラ属ではなくフルテミア属であるとする説
もある。が、バラは属間交雑が成立しにくく、すでにこのペルシカとロサ・ク
リノフィラの交雑種としてロサ・ハルディ（R. × hardy）があることなどからバ
ラ属として考えたい。
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- 26 -
　単葉で托葉がないこと以外にも、花の中心に赤褐色のブロッチがはいるこ
とも特徴である。近年この種の交配が進み、中国西部から南西アジア、西ア
ジアに自生する原産地にちなんで、バビロンローズの名で新品種が発表され
ている。いずれもブロッチがあるのを特徴としている。
・ローザ亜属　　この亜属は大家族で、さらに10の節にわけるため後述
・プラティロードン亜属
　萼筒は杯状ではっきりした刺が多く、痩果は萼筒内の基底につく。小葉数
は7～15枚と多い。日本のサンショウバラは富士・箱根地方の原産でバラ属
の中で唯一樹木状になり、葉がサンショウに似ていることから命名された。
　ロサ・ヒルトゥーラ（サンショウバラ）　R.hirtula　日本原産
　ロサ・ロックスブルギー　R.roxburghii　中国原産
など。
・ヘスペロードス亜属
　萼筒は杯状で刺が多い。痩果は萼筒内の基底につく。小葉数は3～7枚。
　ロサ・ステラータ　R. stellata　北アメリカ原産
　ロサ・ミヌティフォリア　R. minutifolia　北アメリカ原産
・ローザ亜属
　この亜属をさらに10の節に分け、上記以外のすべてのバラの種が入る。
1　ピンピネリフォリア節　Pimpinellifoliae
　托葉は葉柄に沿着する。花柱は萼筒の喉部に集まり、わずかに抽出して頭
状になる。花は単生することが多く、包葉がないことが多い。小葉は5～9枚、
またはそれ以上。4月末から開花する早咲き種が多い。ロサ・フォエティダは
現代バラに黄色を導入した種である。
　ロサ・スピノシッシマ　R.spinosissima　ヨーロッパ原産
　ロサ・フォエティダ　R.foetida　イラン、イラク、アフガニスタン原産
　ロサ・プリムラ　R.primula　 中国原産
　ロサ・ヒューゴニス　R.hugonis　中国原産
など
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- 27 -
2　ガリカ節 　Gallicanae
　托葉は葉柄に沿着する。花柱は萼筒の喉部に集まり、わずかに抽出して頭
状になる。花は単生することが多く、包葉がないことが多い。小葉は5枚。
長さ2～6cm。以下の3種が古代から栽培、利用されていたと考えられている。
　ロサ・ガリカ　R. gallica 　中近東－西アジア
　ロサ・ダマスケーナ　（R. gallica ×　R. phoenicia）
　ロサ・アルバ　（R.damascena 　× R. canina）
など。
3　カニーナ節　Caninae
　托葉は葉柄に沿着する。花柱は萼筒の喉部に集まり、わずかに抽出して頭
状になる。花は散房状でときに単生もある。包葉があり、小葉は5～11枚。
茎には強い曲がった刺がある。外側の萼片は羽状に裂ける。
　ロサ・カニーナ　R. canina　ヨーロッパ原産
　ロサ・エグランテリア　R. eglanteria　ヨーロッパ原産
　ロサ・グラウカ　R. glauca　ヨーロッパ原産
など。
4　カロリナ節 Carolinae
　托葉は葉柄に沿着する。花柱は萼筒の喉部に集まり、わずかに抽出して頭
状になる。花は散房状でときに単生もある。茎は針のような細い刺がある
ものが多い。萼片は花後開出して脱落する。痩果は萼筒内の基底にのみ着
生する。
　ロサ・カロリーナ　R. carolina　北アメリカ原産
　ロサ・フォリオローサ　R. foliolosa　北アメリカ原産
　ロサ・ニティダ　R. nitida　北アメリカ原産
　ロサ・ヴァージニアーナ　R. virginiana　北アメリカ原産
など。
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- 28 -
5　ローザ節（キンナモメア節）
　托葉は葉柄に沿着する。花柱は萼筒の喉部に集まり、わずかに抽出して頭
状になる。花は散房状でときには単生もある。茎は針のような細い刺があ
るものが多い。萼片は花後直立し、宿存する。痩果は萼筒内の基底から側壁
にかけてつく。
　ロサ・アキクラーリス（オオタカネバラ）　R. acicularis　日本中部、北部原
産、ヨーロッパおよび北アメリカの北部、シベリアに分布
　ロサ・ニッポネンシス（タカネバラ）　R. nipponensis　日本原産
　ロサ・ルゴーサ（ハマナシ）　R. rugosa　日本、東ア
ジア原産
　ロサ・ダヴリカ・アルペストリス（カラフトイバラ）
　　　　　 R. davurica alpestris　日本原産
　ロサ・キンナモメア　R. cinnamomea　ヨーロッパ
原産
　ロサ・ペンデュリーナ　R. pendulina　ヨーロッパ
原産
など。
6　シンスティラ節 Synstyllae
　托葉は葉柄に沿着する。花柱は萼筒の喉部から抽出して、柱状に癒着し、
雄しべとほぼ同じ高さになる。
　ロサ・ムルティフローラ（ノイバラ）　R. multiflora　日本
原産
　ロサ・ルキアエ（テリハノイバラ）　R. luciae　日本原産
　ロサ・オノエイ（ヤブイバラ）　R. onoei　日本原産
　ロサ・サンブキナ（ヤマイバラ）　R. sanbucina　日本原産
　ロサ・センペルウィレンス　R. sempervirens　ヨーロッパ
原産
　ロサ・フィリペス　R. filipes　中国原産
　など。
ノイバラの葉と托葉
ハマナシの葉と托葉
</texts>
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- 29 -
7　インディカ節 Indicae
　托葉は萼筒に沿着する。花柱は萼筒の喉部から抽出
し、互いに分離して、雄しべの約半分の長さになる。
　ロサ・キネンシス・スポンターネア　R. chinensis
spontanea　中国原産
　ロサ・ギガンテア　R. gigantean　中国原産
など。
8　バンクシア節 Banksianae
　托葉は狭披針形で、基部以外は葉柄と遊離し早落する。新しい小枝は無
毛、小葉3-5枚。花柄と萼筒は無毛。花は小さく散形につき、黄色または白色。
いわゆるモッコウバラとわれる種類がある。
　ロサ・バンクシアエ・ノルマリス　R. banksiae normalis　
中国原産
　ロサ・バンクシアエ・ルテスケンス　R. banksiae lutescens
　中国原産
　ロサ・キモーサ　R. cymosa　中国原産
など
9　ラエウィガータ節 Laevigatae
　托葉は基部以外は葉柄と遊離し早落する。新しい小枝は
無毛。小葉は3-5枚。花柄と萼筒に刺毛が密生する。花は大
きく単生し、白色。
　ロサ・ラエウィガータ（ナニワイバラ）　R. laevigata　中国
原産
など。
10　ブラクテアタ節 Bracteatae
　托葉は羽状に細裂し、基部以外は葉柄と遊離し早落する。新しい枝茎には
綿毛がある。小葉は7-9枚。花は1-3個。花の基部に包葉がある。
キネンシスの葉と托葉
バンクシアエの葉と托葉
ナニワイバラの葉と托葉
</texts>
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- 30 -
　ロサ・ブラクテアタ（カカヤンバラ）　R. bracteata　沖縄、中国原産
　ロサ・クリノフィラ　R. clinophylla　インド原産
　バラの原種の基本形は花弁数5枚であるが、これがなぜ花弁数の多いバラ
に発展したのかというと、それは雄しべの数が影響している。
　雄しべは花弁に変化しやすい性質がある。バラは雄しべの数が多いため、
長い利用と改良の過程の中で花弁数が多くなっていったものである。
　オールドローズの中には60～80枚とあまりに多い花弁数になったために、
雄しべも雌しべも退化して、どんなに良い形質をもっていても交配育種によ
る親株にはなり得ないものも数多くある。現代バラにおいては八重咲きの
花弁数は30～40枚くらいのものが多い。
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- 32 -
ロスチャイルドの自然流ネリネづくり
岩本　陽児（和光大学現代人間学部１）
Rothschild's Natural Method for the Breeding of the
Exbury/Vico Nerines
IWAMOTO Yohji
Abstrast
While I was given a one year sabbatical in 2009 Nickolas de Rothschild, the
president of the Nerine and Amaryllid Society, kindly invited me for a viewing of
his perhaps the world finest and largest nerine collection at his Exbury estate,
Hamps, UK. The breeding of nerines at Exbury had started in the inter-war
years by Lionel de Rothschild. Sir Peter Smithers who bought Exbury nerines in
the 1970s contributed greatly, too, in breeding new cultivars in the following
decades, then he 'returned' in 1996 his Veco nerines to Exbury. Nickolas de
Rothschild and his head gardener Theo Herselman were kind enough to provide
me with abundant hints and know hows in both cultivating and breeding
nerines.
はじめに
　南アフリカ原産のヒガンバナ科ネリネ属の球根植物は、ダイヤモンドリ
リーの別名が示すように、秋の日差しをきらきらと反射する、独特の花弁の
光沢に特徴がある。原種が約20種あるといわれており、園芸化されてから
400年近い歴史を持っている。
　もっとも改良が進んでいる非耐寒性のサルニエンシス種には、朱色の基本
種とその色変わりから生まれた園芸種が約700-800品種あまり作出されてお
り、さまざまな色合いの単色およびストライプや、希少なピコディなどの複
色花がある。英国で戸外栽培可能なボーデニー種にも、基本種の濃桃色およ
び色変わりの白色のほか、品種名のつけられた改良種がある2。
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- 33 -
　私は2009年度に勤務先の和光大学から在外研究の機会を与えられ、ネリ
ネ園芸の現状について調査の機会を得た。本稿では、2009年10月下旬の、全
英ネリネ・アマリリス類協会3会長、ニコラス・ド・ロスチャイルド氏の作場見
学と聞き取りを中心に報告したい4。
前史
　ネリネは、はじめ1635年にパリにもたらされ、人気となった。実は寄港地
のケープ地方から出たものであったが、当時はこれを運んだ船の出航地で、
オランダ商館のあった長崎5から来た植物との誤解があったようである。
1655年には、英国海峡に浮かぶガーンジー島に入ったものが半野生化した
が、これはオランダ東インド会社の船員が、海難のあと、救命のお礼に地元の
治安判事ジョン・ド・ザウスマレスにプレゼントしたものが起源というロマ
ンチックな伝説がある。この伝説は長らく信じられていたが、ガーンジー島
は砂丘であり、オランダ東インド会社の記録を調査したところ、この地での
難破船の記録がないことが判明している6。　
　ユダヤ人銀行家の一族であ
るライオネル・ド・ロスチャイル
ド（当主ニコラス氏の祖父）が、
英国南海岸のほぼ中央部、ポー
ツマスやサウサンプトンといっ
た著名な港湾都市の西方にあ
たる、ニューフォレストの一角
にある海辺のエクスブリー村
に移住したのは第一次大戦前
後にさかのぼる。カントリー
ハウス周辺にはパークおよび
季節の花の咲き乱れる庭園が
整備され、今やエクスブリーと
いえば、小型蒸気機関車が苑内
写真１、エクスブリーガーデン主要部分
　中心部分が、樹木園となっている苑地。右上は一
般の来園者むけ駐車場。右下に見えるのがネリネな
どのガラス温室である。見づらいが、GoogleのGの
位置にカントリーハウスがある。左下の水面は、北
から南に流れるビーリュー川。河口に近く、干潟が
発達している。
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- 34 -
を走る家族連れの行楽地として有名である7。海から吹き寄せる湿った南風
のため冬も温暖で、苑内の植栽の小枝には、地衣類が見事に発達している。
シャクナゲ類の生育がよく、エクスブリーつつじ（アザレア）をご記憶の方も
多いだろう8。
　エクスブリーにおけるロスチャイルドのネリネ栽培は、ライオネルによっ
て1920～30年代に始められたものである。その後、1970年代に入り、コレク
ションはいったん売却された。9
　エクスブリーの、一般入口よりも道を
さらに左奥に行ったところにエステイ
ト・オフィスがあり、ニコラス・ド・ロス
チャイルト氏およびヘッドガーデナー、
セオ・ハーセルマン氏の机がある。その
先にネリネを中心とした球根10および
クリビアなどの宿根草温室（非公開）が
あって、高いところに「五本の矢」のロス
チャイルド家の紋章が取り付けられて
いる。5名のスタッフが作業中のこの温
室は、相当な広さである。面積をニコラス氏に尋ねたところ、「さあ、知らな
いなあ」という鷹揚な返事が返ってきた。ネリネの株数も、これまた多すぎ
て不詳である。（写真1参照）
　鉢物はすべて、腰くらいの高さの、畳
一枚よりふたまわりほど大きい棚の上
に並べられているが、この棚は可動式
である。つまり、通行の際に棚を押すと
鉄管がころの役割をして棚が動く。こ
のため、通路面積は意外に少なく、広い
温室がさらに有効利用されている。な
お、棚の上面には不織布を置いて、湿度
を保っている。理由は後記する。（写真
写真2、ニコラス・ド・ロスチャイルド氏。
赤いポピーの飾りは、大戦の戦死者追悼
の徽章。
写真3、早咲きのネリネはもう、種子を実
らせていた。
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- 35 -
2,3参照）
　
　ネリネは、この棚の上に色別に配列さ
れている。一見して、朱色系の分量が
多い。早生は弁の幅が広く、晩生ほど
狭弁になる。ここでは実生から開花ま
で5,6年かかるという。ネリネは流通量
が少なく、ここでも一品種あたり、10球
から15球ほどしかない。繁殖は自然分
球のみ。鱗片繁殖等を導入しないのは、愛好家人口が少ないからである。ラ
ベルには「5229」等、4桁の数字が記入してある。（写真4参照）
　ところで、ネリネ改良の歴史を語る上で欠かせない人物が、故ピーター・ス
ミザーズ卿（ 1913-2006）であろう11。かつて第二次大戦時には、後に作家に
転じるイアン・フレミングの部下のスパイ。「007シリーズ」の作中登場人物、
複数名のモデルとみなされている軍人、政治家、そしてアマチュア園芸家で
あったピーター卿は、1972年にここエクスブリーのネリネ・コレクションを
大量に引き取り、その後EU 事務総長としてストラスブルグに滞在していた
期間を除き、移住先のスイスで品種改良を楽しんだ。彼の改良種は、ルガル
ノ湖を見下ろす住まいのあったヴィコ・モルコートにちなみヴィコ系と呼ば
れている。
　1995年にニコラス氏と面会したピー
ター卿は、翌1996年に、自分が改良し
たヴィコ系ネリネをそっくりエクスブ
リーに「お返し」した。従い、いまエクス
ブリーで見ることのできるネリネは、ス
ミザーズのヴィコ系改良ネリネと、その
末裔である。
　ピーター卿はネリネのためにデー
タベースをつくり、ラベルも複雑で
写真4、ラベルには4桁の育種番号が振ら
れ、早くも命名済みの株もある
写真5、遅咲きのストライプ花。
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- 36 -
あった。私が見せてもらったピーター卿のラベルには「234264」とある裏に
「30146」の数字。これに対してニコラス氏は、ピーター卿の鑑識眼には一目
置くいっぽうで、この複雑きわまる番号システムには意味がないとして、上
記のような大幅な簡素化を図っている。また、ピーター卿はきびしく選別を
進めたが、ニコラス氏はどれも捨てない主義である12。品種改良のための人
工授粉すら行っておらず、父親不詳で結実した種子を採集してラベリング、
播種してはよい花を咲かせている。
エクスブリーにおけるネリネ栽培
　従来、砂質培養土がよいとされていたが、土質を選ばないことが近年分
かってきた。ここではジョン・イネスの三番培養土John Innes No.3をベース
にしている。これを5に、荒砂1と発酵ヤシがらチップ（bulb fibre）を1、混合
して使用している。植え替えは3～4年に一度がベストで、6・7月が植え替え
時。植え替えないものは上土を替えてやるとよい。鉢いっぱいになったも
のは随時、分球・植えなおしている。とはいえ、数名のガーデナーをもってし
てもこれだけの鉢には手が回りかねるようで、鉢からこぼれんばかりにみっ
しり分球して機嫌よく開花しているネリネも多々、見受けられた。
　興味深いことに、ニコラス氏によれば、ネリネ栽培で重要なのが鉢えらび
という。ネリネは素焼きや陶器の鉢を好まない。というのは、根が巻いてし
まうからで、プラスティック製がいちばん13。また、鉢底を乾燥させないよう、
濡らしたくずわた不織布を敷いてある
棚で、ネリネは生育が良好である。5,6年
かかる初花までの期間は、肥培管理に
より2年短縮することが可能。といっ
ても、窒素を含まない粉末肥料を、花後
から4月までの生育期間中に二、三回撒
いてやる程度である。
　原産地では7月末に大雨が降ること
から、休眠期の途中に一度、十分に潅水
写真6、最新の、紫系大輪花だ。品種名は
未定
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- 37 -
を行ったところ、よい結果が得られた。4
月から9月にかけては、50パーセントの
遮光をしている。08年は2週間遅かった
が、09年は2週間早めるなど、天候と相
談して加減している。
　生育期間である冬季の気温は4度～
14度を維持している。日差しと風通し
が重要なため、遮光はしない。霜に当た
ると球根が腐敗する。
花色について
　アガパンサス同様、黄色系は作出されていないが、その他はほぼ各色にわ
たる。最も新しい色は紫系。つぼみの
段階では、黒や濃紫のものまである。（写
真5～9）
　ここエクスブリーでは、命名の際に
は、ピンクは少女、赤が男性、暗赤色だ
と悪い男のイメージでネーミングして
いる。白は、白熊やスノークィーンな
ど。ニコラス氏の個人的な好みは、渋い
ダークカラーという。白弁で底が緑を
帯びる花（グリーン・スロート）はまだ作
出されていないが、糸覆輪で底白の「ピ
コディ・プリンセス」は高価に取引され
ている。
ネリネの香り
　一般に無香だが、展覧会のために開
花中の鉢を車で運んでいるとき等、時と
してチョコレートの香りに包まれるこ
写真7、甘やかな香りを放っていた
写真8、朱金色の輝きが印象的な良花。
写真9、金茶色にブルーのストライプの
配色は、ネリネならでは。
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- 38 -
とがあると聞かされた。私は半信半疑だったのだが、この日、白に淡いピン
クを掃いた花が、チョコレートコスモスに近い粉っぽい甘やかな香りを放っ
ていた。これには、本当に驚いた。（写真7）
おわりに
　私がネリネを初めて知ったのは、今から30年前のことであった。その後、
何度か球根を購入して育てているが、手のかからないよいものだと思ってい
る。今回、世界のネリネ園芸の総本山といえるニコラス・ド・ロスチャイルド
氏のお棚を拝見して、最先端の未登録品種群に接し、また、多湿気味の栽培管
理法を教わる等、得るところが多かった。この日、ロスチャイルド温室には、
ワイト島の有力ブリーダーである、ケン・ホールKen Hall氏の姿もあり、趣味
家の緊密な交流が窺われた。
　英国で開発された用土や栽培法が日本の風土で直ちに適用できるかどう
かは、今後検討しなくてはならないが、選択肢の一つとして参考にしていた
だければ幸いである。
　ところで、今回の見学に同行した植物学者ジェイムズ・リチャードソン氏
が翌日、不審がって、とても本人には聞けなかったのだけれどと、面白い質問
を私にぶつけてきた。
「ロスチャイルドは、ネリネ改良で儲かっているのでしょうか？」。
私の考えでは、否である。どうみても、好きな趣味の世界に巨額のポケット
マネーを投じているようにしか見えない。とほうもない趣味である。
　かつて『ガーデンライフ』誌に掲載された平尾秀一氏の魅力的な記事が、私
のネリネへの原体験となった。小稿が、日本のネリネ愛好家を増やしてくれ
たらうれしい。
　なおエクスブリーでは、休眠期に限り、ネリネ球根を販売していることが
ある。詳しくは下記URLをご覧いただくか、私、岩本宛にご連絡をいただき
たい。
http://www.nerines.com/index.html
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- 39 -
Acknowledgement,
The author should like to thank Nicholas de Rothschild of Exbury for kind
invitation to his world finest nerines greenhouse and Mr. Theo Herselman, the
head gardener, for practical information on cultivating nerines. Richardson family,
Dr Ian, Dr Francoise, James and Marino kindly assisted me throughout my stay in
their accommodation.
文献
Barrie Ward, Nerine- Information Sources, Reprint No. 3, from Amaryllids 03 Part
1, The Nerine and Amaryllid Society, nd.
Reprint/Occasional Paper No. 4, A list of Nerine Cultivars and Colours, complied
by an Old-fashioned Gardener, The Nerine and Amaryllid Society, nd.
Andrew Eames, Growing Nerine sarniensis A brief cultivation guide No. 2, Nerine
and Amaryllid Society, 2nd edition 2009.
　
[注]
1 Yohji IWAMOTO, Faculty of Human Sciences, Wako University, Tokyo.
iwamoto@wako.ac.jp
2 サルニエンシスとボーデニー、サルニエンシスとアンジュラータの種間雑種も
ある。
3 RHSの傘下団体として、1997年に結成された。会誌を年三回発行し、アマリリス
科植物園芸の振興を図っているほか、ネリネ園芸種に関しては登録事業を国際
的に行っている。「モルヴァーン秋のショー」に毎年出展しており、私が今回、ロ
スチャイルド温室を見学したきっかけも、モルヴァーンショーであった。なお、
URLは2010年4月15日に取得した（以下同じ）。
http://www.nerineandamaryllidsociety.co.uk/
4 日本でネリネが知られるようになったのは、故平尾秀一氏の功績が大きい。1980
年代に誠文堂新光社の雑誌『ガーデンライフ』誌が、カラー写真入りで紹介して
いたことを記憶する。
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- 40 -
5 これが平戸であったか、出島であったか。今後の研究が待たれる。
6 ネリネ改良その後の、委細については、下記URLをご覧いただきたい。
http://www.nerines.com/History_2.html
7 http://www.exbury.co.uk/website/estate.aspx
8 改良つつじとして一時代を画したエクスブリーアザレアは、その強健さゆえに
一度植えると買い直す人がなく、結局売れなくなってしまって、近年苗木生産を
中止している。
9 http://www.nerines.com/History.html 　
10 ラケナリアLachenaliaもまた、ニコラス氏ご自慢のコレクションなのだが、委細
は別の機会に譲りたい。90原種のほか、150品種がコレクションされている。
11 ピーター卿の経歴については、新聞各紙の追悼記事の中で、2006年6月15日付タ
イムズ紙が詳しい。
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article1083586.ece
　2006年6月25日付のニューヨーク・タイムズ紙も、ピーター卿のアマチュア園
芸家としての側面に言及している。
http://www.nytimes.com/2006/06/25/world/europe/25smithers.html?_r=1
12 ただ、ニコラス氏がいま扱っているのは、かつて厳密な選別を経た名品とその子
孫ばかりであるから、そのあたりは割り引いて考えてよさそうである。
13 シンビジューム属のいわゆる東洋ランも、従来と異なり、根を長く伸ばさないよ
うに育てるのがむしろ上作と聞くが、似通っていて興味深い。
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- 42 -
恵泉野菜の文化史（7）
「カボチャ－カロテン豊富な健康野菜－」
藤田　　智（人間社会学部人間環境学科）
Pumpkins -
Caroten-rich healthy vegetables -
FUJITA Satoshi
　空前の家庭菜園ブームが到来している。春（ 4～5月）、秋（8～9月）になれ
ば、ホームセンターの園芸コーナーや園芸店には、様々な種類の野菜苗が所
狭しと置かれる。特にこの2～3年、明らかにその種類・量ともに前年比1．5
倍近い伸びとなっている。その意味で、今やブームというより、むしろ定着
したと言った方が適切ではないだろうか。振り返れば、恵泉野菜の文化史も
本号で第7回、執筆当初の頃（2004年）に比較して、これほどまでに野菜に注
目が集まるようになったことは感慨深いものがある。また、本年の3～4月の
天候不順のため、各地の野菜も生育不良状態となり、その影響で野菜の価格
も上昇している。その社会的背景から、本格的に家庭菜園を始める人々がさ
らに増加するということは想像に難くない。
　そこで、今回は、「カボチャ－カロテン豊富な健康野菜－」と題し、緑黄色野
菜・健康の代名詞であり、また、家庭菜園でも大人気のカボチャについて論じ
てゆく。原産地・来歴・特徴から一連の栽培管理、地方品種と文化など、「カボ
チャの魅力」にたっぷりと触れていただき、読者の方々が実際に畑や庭で栽
培してみようと思われることがあれば、筆者の思いは十分達せられる。
1．三つのカボチャ
　カボチャは、ウリ科のカボチャ属（Cucurbita属）の果実の総称で、和名は、南
瓜、トウナス、ナンキン、ボウブラなどと呼ばれている。現在、日本で栽培さ
れているカボチャには、セイヨウカボチャ（C．maxima）、ニホンカボチャ（C．
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- 43 -
moschata）、ペポカボチャ（C．pepo）の3種類がある。セイヨウカボチャは、果
肉が粉質で、ほくほくとして甘味が強く、栗カボチャとも呼ばれている。栗
えびす、みやこ、白皮の雪化粧、赤皮の赤ずきんなどの品種があり、日本では
セイヨウカボチャが主流となっている。ニホンカボチャは、果肉が粘質で、
ねっとりした風味があり、黒皮、菊座、会津早生、鹿ヶ谷などの品種がある。
ペポカボチャは、果実の形や食味の風変わりなおもしろいものが多く、金糸
瓜（ソウメンカボチャ）、ズッキーニ、オモチャカボチャ、プッチーニなど栽培
して楽しい品種が多くある（写真1）。
　藤井（1972）は、これら3種の形態的特徴を以下のようにまとめている。
（1）葉は、ペポカボチャが、有刺で深い切れ込みがあるのに対し、ニホンカボ
チャは、ほとんど刺がなく、切れ込みはごく浅いかまたはなく、多くは葉脈の
交叉点に銀白色の斑紋がある。セイヨウカボチャは、葉片に切れ込みがな
く、白斑はない。
（2）果梗については、セイヨウカボチャの場合、円筒形で茎に接する部分が
膨らんでおり、完熟すると柔軟な海綿質になる。ペポカボチャは、木質で硬
く、断面は5稜形で、果実に接する部分は星状を呈する。ニホンカボチャは、
果実に接する部分が著しく拡大して5角形の座を形成する。
（3）種子の特徴であるが、ニホンカボチャの種皮の色は灰白色から黄褐色で、
周縁部が肥厚し、色も褐色であるのに対し、セイヨウカボチャの種皮の色は
乳白色で、周縁部の色、質は種皮と同様である。ペポカボチャの種皮は黄褐
色で、周縁部の色、質は種皮と同じ、珠柄痕は水平である。
　カボチャは、1年生草本植物で雌雄異花同株、受粉受精後、雌花の下に着生
している子房が肥大して収穫に至る。気候的には、ニホンカボチャがやや高
温多湿を好み、セイヨウカボチャとペポカボチャは冷涼で乾燥した気候を好
む。それゆえ、かつてはニホンカボチャが東北南部以南の地域で、東北、北海
道や各地の高冷地ではセイヨウカボチャが栽培されていた。現在では、ニホ
ンカボチャの生産が減少し、消費量の多いセイヨウカボチャが全国的に栽培
されるようになった（熊沢、1965）。ペポカボチャは近年多彩な品種が登場し、
栽培も徐々に増加している。
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- 44 -
2．カボチャの原産地と来歴
　カボチャの原産地は、多くの考古学的発掘調査の結果などから考察す
ると、セイヨウカボチャは、南アメリカ、ニホンカボチャは、中央アメリカ、
ペポカボチャは、北アメリカと考えられている（金浜、1999；藤枝、1982；早
瀬、1989；藤井、1972）。原産地から欧米への導入は、コロンブスのアメリカ
大陸発見（1492年）以降で、ペポカボチャは、17世紀に小アジアに移入後、南
欧や小アジアで野菜用として普及している。ペポカボチャは耐暑性が強く、
栽培しやすいのが特徴である。ニホンカボチャは、コーカサス地方から熱帯
アジアの多湿地帯まで広い地域に野菜用として発達し、特に温帯北部の日本
はその分布の中心地で、特異な品種を多数分化している。セイヨウカボチャ
は、北欧に広く分布し、食用、飼料用として高緯度地帯に栽培されている。
　日本へは、1542年に、ポルトガル船が豊後に漂着し、1549年に貿易の許可
を申請した大友宗麟にニホンカボチャを献じたのが始まりとされている。
1573年に、長崎に入り、広く農家で栽培が始まり、次第に日本全国へ広まって
いった（早瀬、1989）。セイヨウカボチャは、1863年に、アメリカから2～3種
類の品種が導入され、さらに明治初年に開拓使によって多くの品種が導入さ
れ、各地に土着化していった。ペポカボチャは、明治以降北海道に飼料用と
して導入された経緯があるが、キンシウリ（金糸瓜、糸南瓜）と同様経済栽培
の域に達していないのが現状である（金浜、1999）。
3．カボチャの栄養価と食味
　五訂増補食品成分表2008（香川、2007）によれば、カボチャはカロテンやビ
タミンB1，B2およびCなどを豊富に含む栄養価の高い緑黄色野菜で、カルシウ
ムや鉄分などのミネラルも豊富である。しかし、3種類のカボチャ間には栄
養成分の差があり、例えば、可食部100g当たりのβ－カロテン当量を比較す
ると、ニホンカボチャが730μgなのに対し、セイヨウカボチャは4000μgでお
よそ5．6倍、一方、ペポカボチャのキンシウリでは、49μgと緑黄色野菜の基準
さえ満たさない。また、ビタミンC含量は、ニホンカボチャでは、16μg、セイ
ヨウカボチャは43μgとおよそ3倍、ペポカボチャ（キンシウリ）は11μgであ
る。ちなみに、大玉トマトのビタミンC含量は、15μgであるから、カボチャ類
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- 45 -
の栄養価の高さは明らかである。また、カボチャの種も食用に利用されてお
り、炒った状態でタンパク質や脂質、ビタミンB1などが豊富に含まれている。
　カボチャやサツマイモでは、収穫直後より3～4週間置いた方が甘みが多
いといわれている。これは、貯蔵中の果実の主要成分の変化を見ると良く理
解できる。すなわち、貯蔵中に、炭水化物やデンプンが減少し、その代わりに
還元糖、ショ糖、果糖などの糖類が増加するため、結果として甘みが増すので
ある。
　「冬至カボチャ」といって、昼の時間が最も短く、寒冷な時期にカボチャを
食べる風習があるが、何故であろうか？カボチャの特徴から考えると、①こ
の時期までに長期保存できる野菜である。②栄養価、特にビタミン類の含有
量が高く、健康維持によい。③甘味が増し、おいしく食べられる、などの理由
が推察される。いずれも、カボチャの特徴が最大限に生かされている「先人
の知恵」の結晶ともいえよう。
　
4．カボチャ－キュウリの台木としての価値－
　ウリ科野菜の最も重要な病害の一つに、土壌伝染性の「つる割れ病」があ
る。土中の病原菌によって感染し、重大な被害を及ぼすウリ科野菜の代表的
な「連作障害」である。このつる割れ病を防ぐには、①ウリ科野菜の連作を避
け、他の科の野菜と輪作する、②接ぎ木苗を用いる、③土壌殺菌する、などの
方法がある。特に注目したいのは、②の接ぎ木苗である。同じウリ科のカボ
チャを台木として接ぎ木することにより、つる割れ病の感染が回避されるの
である。生産農家では、もはや当然の技術であるが、最近では、家庭菜園の愛
好家もこの接ぎ木苗を利用することはごく普通のこととなっている。カボ
チャに接いだキュウリの接ぎ木苗（写真2）は、1株200円～300円と自根苗（80
～100円）に比較すると高価であるが、このつる割れ病回避効果のほか、さら
に二つの効果が期待され、その価値は極めて高い。例えば、低温伸張性が増
大し、結果的に収量が増える、また、ブルームレス台木を用いると金ぴかのブ
ルームレスキュウリが収穫可能となることである。
　ブルームとは、キュウリ果実の表面に自然に出てくる白い粉状のもので、
それがカビや農薬のように見えることから、現在では、ブルームレス台木に
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- 46 -
キュウリ品種を接ぎ木することにより、ブルームのないキュウリの生産が主
流となっているのである。ブルームレス台木としては、スーパー雲竜、エイ
ブル、きらめき、つやかEXなどがある。
5．ミニカボチャの台頭
　最近、野菜のいろいろな種類でミニ品種が登場するようになった。例え
ば、ミニキャベツ、ミニカリフラワー、ミニニンジン、ミニチンゲンサイ、小玉
スイカ、ミニキュウリなど小ぶりで可愛い姿の野菜たちである。カボチャの
世界にもミニ化の波が押し寄せている。
　これも、核家族化で大きな重量のある野菜品種より、食べきりサイズの品
種の方が好まれつつある傾向であろうか。カボチャのミニ品種には、坊っ
ちゃん、プッチーニ、栗坊、コリンキー、ほっこり姫などがあり、現在では多彩
なラインナップとなっている。ミニカボチャは、文字通り手のひらに収まる
小さな品種で、果実の上部を切り、中の種子などを取り除いた後、電子レンジ
で加熱処理するだけで食べられるなど、栽培の簡便さのほか、調理上の利点
も兼ね備えている。また、逆にハロウィンなどに使われる超大型の品種も健
在であり、アトランチックジャイアントなど100kg程度に生長する品種など
を栽培し、その大きさや重量を競うジャンボカボチャコンテストも日本各地
で開催されるようになった。1個300～500gのミニ品種から1個100kg以上の
ジャンボ品種まで、カボチャの世界も奥が深い。
6．鹿ケ谷カボチャ
　髙嶋（ 2003）によれば、鹿ケ谷カボチャは、江戸時代の文化年間（ 1804～
1818年）に、津軽国（青森県）を旅した粟田村(現在の東山区粟田口)の玉屋藤
四郎が、カボチャのタネを持ち帰り、鹿ケ谷の農家に分けたことに始まる。
当初は一般的な菊座型のカボチャであったが、栽培し続けるうちにいつしか
ヒョウタン型のものが生まれたという（写真3）。そして、選抜を繰り返し、現
在のようなユニークな形になったといわれている。鹿ケ谷カボチャは、晩生
種で草勢は弱く、「収穫は1株で2～5個、1個約2～3kg」と記述されている例
が多いが、筆者が2002年～2004年にかけて栽培したところ、1株当たり平均
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- 47 -
で6～7個の果実を収穫できた。果実が未熟なうちは、濃緑色であるが、熟し
てくるにつれ、果皮に白い粉を吹き、濃緑色から渋い柿色に変わる。西洋カ
ボチャのようなほくほくした甘いカボチャとは異なり、肉筆は粘質で緻密、
味は淡白である。炊き合わせにしたり、アズキと一緒のいとこ煮などに利用
されている。
　最近では、鹿ケ谷カボチャの苗や種子が園芸店などで販売されているの
で、栽培に挑戦することをお勧めしたい。筆者の栽培方法（藤田、2008）は、以
下の通りである。
（1）土づくり
　元肥は、定植2週間前に苦土石灰を100～150g/㎡畑全面に散布し、良く
耕す。1週間前に堆肥2kg/㎡、化成肥料50～100g/㎡、ようリン50g/㎡を散布
し、土によく混ぜ込む。
（2）播種と定植
　直播き栽培と移植栽培があるが、カボチャの育苗は比較的簡単なので、
ポリポットなどで育苗する。4月中旬、12cmポットに2粒ずつタネをまき、
発芽したら生育の良いものを残し、1本に間引く。本葉4枚程度（育苗日数
30～35日）になったら定植する。定植は、5月上旬の晩霜の恐れがなくなっ
た頃に行う。畝幅90～100cm、通路を含め200～250cm位をとり、株間は60
～100cmとする。マルチをすると生育も良く、雑草も抑えられる。
（3）整枝
　つるが伸びてきたら整枝を行う。通常は、親づると子づるの生育の良い
ものをあわせて2～3本のばす方法が用いられる。
（4）人工授粉
　雌花の開花当日、午前9時頃までに雄花の花粉を雌花の柱頭につけ人工
授粉させると、確実に結実する。
（5）追肥
　第一果がこぶし大になったら化成肥料を30～40g/㎡畑全面に散布する。
しかし、つるの伸びが旺盛なときや葉色が濃い場合は控える。
（6）敷きわら
　つるが繁る前に敷きわらをし、雑草を防除すると同時に果実の汚れも防
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- 48 -
ぐ。
（7）収穫
　開花後40～50日程度で収穫できる。果梗がコルク化してきたら収穫適
期である。長期間保存するために、収穫したら、4～5日風乾したのち利用
するまで貯蔵する。
7．消えたカボチャの地方品種－居留木橋カボチャ－
　上述の通り、新大陸原産のニホンカボチャが、日本に渡来して以来、さまざ
まな品種が各地で誕生してきた。その中に、昭和初期頃までに、当時の東京
都荏原郡大崎町居留木橋を中心に関東地方で広く栽培されていた「居留木橋
カボチャ」という有名な品種があった。　　
　JA東京中央会（2002）によれば、この品種は、寛永15（1638）年、三代将軍・
徳川家光が品川に東海寺を建立したときに、その井戸端に生えていた1本の
カボチャを居留木橋村の名主・松原庄左衛門が持ち帰って植えたのが始まり
という。しかし、この品種群が、関東地方から近畿地方にかけて広く分布し
ていることから、当時の住職・沢庵禅師が諸国を回ったときに、種を持ち帰っ
たのが始まりであろうという説もある。
　果実は扁平な球形で、大きさは中～大果、表面がこぶ状のためにちりめん
南瓜（ちりめんカボチャ）ともいわれる。幼果は濃緑色、完熟すると赤褐色
になり、白い粉で覆われる。この特徴は、上述の鹿ケ谷南瓜とよく似ている。
当時としては食味良好、高品質なため、人気があったという。しかし、居留木
橋カボチャと同様、同じ東京で栽培されていた「菊座」との雑種「黒皮早生（早
熟栽培に向き、市場性が高い品種）」が誕生してから、その栽培は減少してい
き、現在ではほとんど姿が見られなくなってしまった。
　日本に渡来して以来、日本の食文化とともに歩んできた日本カボチャも、
最近では西洋カボチャにすっかり押され気味である。しかし、その歴史をた
どると、東京は「居留木橋」、「菊座」、「黒皮」などを代表に優れた品種を多数生
みだしており、日本カボチャの源泉といっても過言でない。このような優れ
た植物遺産を何とか保存・維持し、先達の文化から多くのものを学びたいも
のである。
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- 49 -
8．引用文献
藤枝國光（1982）　Ⅱ－1ウリ類　p84-92．　蔬菜園芸　文永堂
藤井健雄（1972）　第3章　カボチャ　p62-84．蔬菜園芸学各論　養賢堂。
藤田　智（2008）　鹿ケ谷カボチャ　p111-112．野菜づくり大図鑑　講談社
早瀬広司（1989）　Ⅰ　カボチャの起源と渡来　p3-9．野菜園芸大百科第6巻　
　　　　　　　　農山漁村文化協会
JA東京中央会（2002）　居留木橋カボチャ　p138-139．江戸・東京農業名所めぐり
　　　　　　　　　農山漁村文化協会
香川芳子（2007）　6．野菜類　p72-109．五訂増補食品成分表2008　
　　　　　　　　女子栄養大学出版部。
金浜耕基（1999）　Ⅱ．ウリ類の開花・結実と果実の発育・成熟　p47-77．
　　　　　　　　新版蔬菜園芸　文永堂
熊沢三郎（1965）　第2章瓜類第8節　南瓜　p43-57．蔬菜園芸各論　養賢堂。
髙嶋四郎（2003）　鹿ケ谷南瓜　p77-79．京の伝統野菜と旬野菜　トンボ出版
A：セイヨウカボチャ
（品種：栗えびす）
B：ミニカボチャ
（プッチーニ）
C：ペポカボチャ
（ズッキーニ）
写真1：カボチャのいろいろ
　　写真2：キュウリの接ぎ木苗　　　　　　　写真3：鹿ケ谷カボチャ
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- 50 -
恵泉果物の文化史（7）
ナシ
小林　幹夫（人間社会学部人間環境学科）
Pear
KOBAYASHI Mikio
　
　暑い日盛りのなかで、果実にかぶりつくと、シャキッとした歯ざわりとと
もに甘い果汁が口中にあふれる。ニホンナシは日本の夏に欠かせない果物
といってよい。
1．ナシの種類と品種
　ナシは、バラ科ナシ属の落葉樹である。ナシ属に含まれる基本種は20種
前後と推定されているが、それは大別して次の3区に分けられている。①
真正ナシ区：ホクシマメナシ、ヤマナシ、アオナシ、イワテヤマナシ、などがあ
り、栽培種はすべてこの区に属する。②マメナシ区：果実はダイズ大で、マメ
ナシ、チョウセンマメナシ、マンシュウマメナシなどがある。③雑種区：真正
ナシ区とマメナシ区の雑種で、小果で食用価値のあるものは少ない。真正ナ
シ区に属する栽培種は、ニホンナシ、セイヨウナシ、チュウゴクナシの3種に
大別される。
2．ニホンナシ
　英名は、Japanese pear,　Sand pear。ニホンナシの起源については不明な点
が多いが、現在までの有力説は、中国の長江沿岸一帯を中心として、広東省お
よび朝鮮半島の南端、日本中部以南（日本には原生分布しないという説もあ
る）に原生しているヤマナシを基本種として改良したというものである。中
国からの渡来説もあるが、いずれにしても改良して膨大な品種群を作り上げ
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- 51 -
たのは日本である。
　弥生時代の遺跡からはニホンナシの炭化種子が出土しており、栽培の歴史
は古い。『日本書紀』（720）には、持統天皇の代に「ナシなどの栽培を勧めた」と
ある。平安時代初期の宮中の行事や制度を記した『延喜式』（927）には、信濃
や甲斐の国からナシが朝廷に献上されたという記載もある。しかし、江戸時
代になるまでは品種の概念が薄く、庭先散在果樹の状態であった。
　江戸時代中期になると、ニホンナシは果樹園として栽培され始め、いまの
新潟県、群馬県、千葉県、神奈川県、京都府、石川県などに産地が形成された。
越後（新潟県の大部分）の阿部源太夫は『梨営造育秘鑑』（1782）に棚仕立ての
方法、接木、剪定、害虫、品種等について記載している。19世紀前半ごろには日
本全国で、150以上の品種が存在したとされている。
　江戸時代末期頃には産地も増加し、品種の変遷も盛んとなり、特に‘淡雪’
というのは人気品種で、かなり広範囲な地域に栽培された。
　明治維新前後には関東地方で‘独逸’‘真鍮’‘幸蔵’‘巾着’などの優良品種
が発見され、それらは全国に広まり、各地の在来品種を駆逐していった。
　明治時代中期以降、‘長十郎’‘二十世紀’が偶発実生として発見され，その
後長期間にわたり、わが国の2大品種としてナシ産業を支えた。
　大正4年に神奈川県農事試験場（現神奈川県農業総合研究所）　の菊池秋
雄が行った日本梨品種改良事業は画期的なもので、昭和2年に‘八雲’‘菊水’
‘新高’を育成・命名し、ナシ産業の礎を築いた。ついで昭和14年に園芸試験
場（現果樹研究所）で組織的に交雑育種が開始され、多くの優良品種が育成さ
れた。現在、‘幸水’‘豊水’‘二十世紀’‘新高’などが主力品種となっている。
主産地は、千葉県、鳥取県、茨城県、福島県、長野県、栃木県などである。
　‘長十郎’は、現神奈川県川崎市の当麻辰二郎（屋号が長十郎）のナシ園で明
治28年ごろ偶発実生として発見された。‘二十世紀’の来歴には不明な点が
多いが、現千葉県松戸市の松戸覚之助が明治21年にゴミ捨て場付近で実生
樹を発見したとされ、明治31年に『新太白』等の名で発売されている。‘二十
世紀’という名は、明治37年に種苗商の渡瀬重二郎と東京帝国大学の池田伴
親により命名された。鳥取県には明治37年に北脇永治により導入されてい
る。
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- 52 -
　なお、ナシの語源については、貝原益軒は『日本釈名』（1699）の中で、果肉
が白い意味の『中白』に由来すると述べ、また、芯に近い果肉が酸っぱい意味
の『中酸』、あるいは風があると果実がならないところから『風ナシ』にちなむ
など諸説ある。
3．チュウゴクナシ
　英名は、Chinese pear。中国でのナシの栽培は古く、漢の武帝（在位BC141～
BC87）の時代にすでに10品種あったと記されている。
　中国の栽培ナシは、2系統に分けられる。1つはチュウゴクコナシと呼ばれ
る系統で、中国の河北省、山西省、全満州、蒙古、朝鮮北部に原生分布するホク
シヤマナシの純系に属する品種群で、‘北京白梨’が代表品種である。本品種
群には、大果のものが少なく、開花期が特に早い。
　もう1つは、一般にチュウゴクナシと呼ばれるもので、代表品種に‘鴨梨’
‘慈梨’がある。この系統は、ホクシヤマナシとヤマナシとの交雑により改良
されたものである。なお、ナシ研究者の間では、チュウゴクコナシとチュウ
ゴクナシという言葉より、前者は秋子梨系、後者は白梨系という言葉が一般
的に使われるようになってきている。
　明治時代初期に内務省勧業寮が‘鴨梨’を、大正元年に農商務省農事試験
場園芸部（現果樹研究所カンキツ部興津）が‘慈梨’を導入している。両種と
も開花期が早く晩霜害を受けやすいとの理由から、わが国ではほとんど経済
栽培されていない。ただ、チュウゴクコナシはわが国でも古くから栽植され
ており、山口具大島郡橘町に‘慈梨’に類するとされているチュウゴクコナシ
の古木「安下庄のシナナシ」があり、国の天然記念物に指定されていたが焼失
した。
4．セイヨウナシ
　セイヨウナシは、ヨーロッパ中・南部からカフカス、小アジア、イラン北部に
かけて原生分布するPyrus communis L.を基本種にして、一部P. nivalis Jacq（. ア
ルプス、ヨーロッパ南部に分布）などとの交雑によりできた品種群である。
　セイヨウナシの栽培の歴史は4,000年以上である（ド・カンドル、1883）。す
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- 53 -
でにギリシャ時代に接木繁殖が行われ、ローマ時代には35品種あったとさ
れる。ローマ帝国の全盛期に、セイヨウナシの栽培はヨーロッパ西部、中部
以北に伝播し各国に広がった。フランス、ベルギー、イギリスなどで、栽培、
品種改良が盛んに行われ、特にベルギーは最も品種改良に貢献した国であ
る。フランスは夏乾気候でセイヨウナシの栽培に適するとともに、セイヨウ
ナシの風味はヨーロッパブドウとともに国民の嗜好に合い、栽培技術の改善
や品種改良が盛んであった。たとえば、17世紀のカタログには260品種、19
世紀には915品種についての記載が見られる。米国での栽培は、17世紀中ご
ろ以降であり、果樹園としての集団栽培は18世紀中ごろからとされている。
　日本には、明治時代初期に北海道開拓史によって米国、フランスから導入
され、明治10年ごろ各地域に苗木が配布された。しかし、当初は気象条件に
対する適応性の知識に乏しく多くは枯死した。また、収穫後の果実追熟の必
要性を知らなかったこともあり、普及するにいたらなかった。明治40年ごろ
から気象条件、品種の選択、剪定等の栽培管理に意を用いるようになり、少し
ずつ栽培は広まっていった。日本は、一般に夏期が高温・多湿であるため、枝
が徒長し花芽の着生が少なく生産が安定しない。そこで、夏期に雨の少ない
地域が適し、現在、栽培面積は山形県が圧倒的に多く、ついで青森県、長野県
等である。主要品種としては、フランス原産の‘ラ・フランス’が60％を超え、
次がイギリス原産の‘バートレット’、フランス原産の‘ル・レクチェ’、山形県
育成の‘シルバーベル’である。
5．ナシをなぜ棚で栽培するのか？
　ナシは、日本では平棚を使った『棚仕立て』で栽培されているが、ヨーロッ
パなどでは、『立ち木仕立て』栽培されるのが一般的である。ナシは、本来10
メートル近くに達する高木性の果樹であるが、日本では、収穫期が台風の襲
来時期と重なるため、枝を棚に固定し強風による落果を防ぐ必要があったの
である。
6．梨についての言い伝え
　ナシに関する言い伝えは多くある。日本では、ナシは『無し』に通じること
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- 54 -
から、縁起の悪い言葉としてナシの事を『有りの実』と呼ぶことがある。『有り
の実』という表現は、1812年に刊行された『円珠庵雑記』（契沖）にある。また、
ナシを食べると疳の虫がわくという話や、ナシを食べると腹が冷えるため妊
婦には禁じた地方もある。また、ナシの芯を食べると腫れ物ができるとか、
背が伸びないという俗信もある。一方、家屋の鬼門の方向にナシの樹を植え
『鬼門なし』と称したり、ナシを建材にして家を建てると『何もなし』で盗難に
あわないと縁起を担ぐ話もある。
　ヨーロッパでは、大晦日やクリスマスの日に少女が梨の樹をゆすると、犬
のほえる方向から将来の結婚相手がやって来るという話がある。ドイツで
は、女の子が誕生すると梨の樹を植える俗習があり、豊穣、安産への願いが込
められているものと思われる。また、歌舞伎役者の社会を梨園というが、こ
れは唐の玄宗皇帝が、ナシを植えた庭園で自ら音楽を教えたという故事によ
る。
7．ニホンナシの品種名
　ニホンナシは栽培暦が古いだけに、品種名に変わったものが多い。たと
えば、甘くて頬が落ちそうになり、思わず頬をたたいたところから名づけた
‘頬叩’（ほほたたき）、おいしくて巾着（財布のこと）の有り金を全部はたいて
買ったことに由来する‘巾着’（きんちゃく、別名：巾着叩）、「おいしいといわ
れる樹はどいつだ」といったことからついた‘独逸’（どいつ）という名があ
る。樹上から大きな果実が落ちると、下にいた動物が死んでしまうことから
付いた‘犬殺’‘ 猫殺’‘ 婆婆殺’、熊本県天然記念物に指定されている‘婆婆
ウッチャギナシ’（ウッチャギとは方言で『つぶす』の意）などという品種もあ
る。
　
引用文献
1．小林　章（1990）文化と果物：89-94．養賢堂
2．星川清親（1978）栽培植物の起源と伝播：216-217．二宮書店
3．岸本　修ら（1992）日本のくだものと風土：79-87．古今書院
4．今井敬潤（2006）くだもの・やさいの文化誌：94-101．文理閣
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- 55 -
5．梅谷献二・梶浦一郎（1994）果物はどうして創られたか：31-37．筑摩書房
6．塚谷裕一（1995）果物の文学誌：22-36．朝日新聞社
7．間苧谷　徹（2005）果樹園芸博物誌：55-63．養賢堂
8．間苧谷　徹ら（2000）果実の真実：88-199．化学工業日報社
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- 56 -
恵泉樹の文化史(6)
ウツギ
宮内　泰之（人間社会学部人間環境学科）
Deutzia crenata
MIYAUCHI Yasuyuki
１．はじめに
　ウツギ（Deutzia crenata）はユキノシタ科に分類される落葉低木である。た
だし、近年では分子系統学的研究によりユキノシタ科とは縁遠いことがわか
り、アジサイ科に分類されるため、本項でもこれにならうこととする。北海
道南部から九州までのほぼ日本全国に自生す
るほか、中国にも分布している。林縁や山野の
路傍、川沿いなど明るいところを好み、初夏に
は白色の花が野山のあちこちに見られる。名
前の由来は枝が中空であることからウツギ（空
木）である。また、旧暦四月の卯月に花が咲くこ
とから、ウノハナ（卯の花）という別名も広く親
しまれている。ただし、ウツギバナから転じてウノハナとなり、卯の花の咲
く時期だから卯月となった、という説もある。いずれにせよ、ウツギの花と
田植えの始まる時期が重なることから、日本では昔から農耕に密着した身近
な植物であった。
　ウツギの品種としては、八重の白花品であるシロバナヤエウツギ（f.
candidissima）、八重で花弁の外側が紫紅色のサラサウツギ（f. plena）などがあ
る。同じウツギ属にはマルバウツギ（D. scabra）、ヒメウツギ（D. gracilis）など
がある。いずれの種類も枝が四方に暴れて伸びるので、近年では庭木として
ウツギ(Deutzia crenata)
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- 57 -
あまり好まれないようである。しかし、実生、挿し木いずれも簡単に増やす
ことができ、性質も強健なので栽培は容易である。強剪定にも耐えるので、
徒長枝は切り戻し、旧い枝は地際から取り去って枝の更新を図るとよい。花
芽の多くは前年に伸びた枝の側芽から伸びる新梢につくので、花を楽しむた
めには全面を刈込むのではなく枝抜き剪定を行う必要がある。
２．さまざまなウツギ
　和名の一部に‘ウツギ’を含む樹木は科をまたいでいくつかあり、これが混
乱のもととなっている場合がみうけられる。その代表はスイカズラ科のタ
ニウツギ属（Weigela）であろう。タニウツギ（谷空木、Weigela hortensis）の園
芸品種と思われるベニウツギなどが、園芸店でアジサイ科のウツギと一緒に
同じウツギの仲間として売られていることがある。アジサイ科のウツギ属
は花弁が一枚一枚ばらばらになっており（離弁花）、スイカズラ科のタニウツ
ギ属はラッパのように花弁が筒状にくっついている（合弁花）ことから、花を
見ればこれらを混同するおそれはない。また、丸いウツギ属の果実と、細長
いタニウツギ属の果実はいずれも果期が過ぎても枝にくっついて残ってい
るので、これも判断材料になる。問題は花も果実もついていない場合であ
る。いずれも対生葉序（二枚の葉が一ヶ所で対になってついていること）で
あるため一見似ているが、ウツギ属の葉は卵形で表面がざらつくこと、タニ
ウツギ属の葉は楕円形で柔らかい毛が生えているがあまりざらつかないこ
となどから区別することができる。また、漢字では谷空木と書くものの、タ
ニウツギ属は枝が中空ではない。
　この他にも、バラ科のコゴメウツギ（小米空木、Stephanandra incisa）、ドク
ウツギ科のドクウツギ（毒空木、Coriaria japonica）、ミツバウツギ科のミツバ
ウツギ（三葉空木、Staphylea bumalda）フジウツギ科のフジウツギ（藤空木、
Buddleja japonica）などがある。紛らわしい名前の付け方をしたと思われる
かもしれないが、これらの樹木はいずれもアジサイ科のウツギと同様に落葉
低木で、地際から叢生して株立ちとなり、コゴメウツギの葉序が互生（枝の左
右交互に一枚の葉がついていること）である以外はみな対生である。また、
いずれも明るい林縁や路傍などでよく見られることから生態的にもウツギ
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- 58 -
に似た樹木と捉えられ、小米のような小さな花をつける空木、毒のある空木、
葉が三枚に分かれる（三出複葉）空木、藤のような花を付ける空木という意味
の名前がそれぞれつけられたのであろう。幸いなことに、これらの樹木は葉
や枝に特徴があるので、ウツギと見間違える心配はない。
３．日本でのウツギの利用
　既に述べたように、日本では田植えの目安としてウツギの花が古くから注
目されており、野山に自生しているだけでなく、集落や耕作地の周りに植え
られていたことが推測される。近年では庭木として馴染みの薄くなってし
まったウツギであるが、古くをたどれば日本で生垣として最初に使われた樹
木といってもよいであろう。万葉集にはウツギが詠まれている歌は24種あ
る。その多くはホトトギスと共に野山に初夏が到来したことを示すもので
あるが、2種については生垣として植えられている情景が描写されている。
したがって、万葉人にとってウツギは生垣や庭木というよりも野山の植物と
いう扱いのようであるが、すくなくともこの頃既にウツギの生垣が成立して
いたことがわかる。飛田（2002）によると、ウツギ以外の樹種を用いた生垣に
ついては、他に史料を見つけ出すことができない、とあることから、ウツギが
日本の生垣の起源といってもいいのかもしれない。
　平安時代になると、生垣のウツギを詠んだ歌が多くなるそうである。物語
においても、例えば源氏物語では六条院の夏の庭には「卯の花咲くべき垣根」
があり、枕草子にはウツギの垣根の描写が度々登場する。貴族の邸宅内にも
ウツギが庭木として植えられていたのであろう。さらに、枕草子の222段で
は、「うつぎ垣根といふものの、いとあらあらしくおどろおどろしげに、さし
出でたる枝どもなどおほかるに」、とあるように、枝が暴れて伸びている状態
を好ましく思っていない様子までもうかがわれる。
　このように、奈良時代までは山の植物としての印象が強かったウツギであ
るが、平安時代には本格的に庭に取り込まれていくようになる。このような
時代によるウツギの扱いの変化は、サクラと通じるものがある。つまり、隋、
唐等の大陸文化の影響を色濃く受けていた奈良時代から国風文化が花開く
平安時代にかけて、少なくとも当時の日本の貴族の間では、大陸起源のウメ
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- 59 -
から日本自生のヤマザクラがより好まれるようになる。ヤマザクラと同じ
ように野山に咲くウツギの花も、このような世の中の流行の変化の中で再評
価されていったのではないだろうか。
　その後もウツギは稲作と共に人々に身近な植物であり続けたが、今日にお
いてウツギの生垣を目にすることは稀になってしまった。その要因の一つ
には、既に清少納言が枕草子の中で指摘したように乱れてしまう樹形にある
のであろう。樹形を整えるために刈込んでしまえば、花つきが悪くなってし
まい、ウツギの最大の魅力が失われてしまう。もう一つの要因としては、我々
の生活が農耕から離れてしまったことにあるのではないだろうか。明治に
なって暦が新暦に変更され、第二次大戦後は高度経済成長の影で国内の農
業が衰退していった。卯月と季節のつながりがわかりにくくなり、田植えを
知らせるというウツギの花の役目も、既に過去のものとなってしまったのか
もしれない。そういえば、‘卯の花の匂う垣根に～’で始まる「夏は来ぬ」の歌
も近頃ではあまり聞かれなくなってしまったようである。
４．ヨーロッパでのウツギの品種改良
　ウツギ属の植物は約50種あり、そのほとんどが東アジアに分布している。
属名のDeutzia（ドイツィア）は、スウェーデンの植物学者カール・ツンベリー
（Carl Thunberg）が『日本植物誌（1784）』で、オランダ人の友人ドイツ（Deutz）
の名にちなんでつけたものである。また、ドイツの医師および博物学者であ
るシーボルト（Siebold）は『日本植物誌（1835）』の中で、ウツギ、ヒメウツギ、
マルバウツギを記載している。スコットランド出身の植物学者ロバート・
フォーチュン（Roberu Fortune）は、1842年にイギリスから中国へ派遣された
際にイギリスへ多くの植物を送ったが、その中にマルバウツギが含まれてい
た。この頃までにイギリスではウツギ類が庭園に使われるようになってい
たようである。その後、1897年にフランス人宣教師のP. P. G. Fargesが中国
からフランスの種苗会社VilmorinへD. vilmorinaeを、20世紀初頭にアメリカ
の植物学者E. H. Wilsonがやはり中国からアメリカハーバード大学のArnold
ArboretumへD. longifolia、D. wilsonii等を送った。園芸品種の作出はこの頃
より盛んとなる。その第一人者はフランスの園芸家ヴィクトル・ルモアーヌ
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- 60 -
（Victor Lemoine、1823-1911）であろう。ルモアーヌは、フランスのNancyに小
さな園芸店と圃場を設け、そこで、ウツギだけでなく、ベゴニア、シモツケ、ア
ジサイ等の品種改良を行った。ウツギの品種改良については晩年に行った
ようである。代表的な品種としては、ヒメウツギとD. parvifloraとの交雑から
なるD. × lemoineiや、やはりヒメウツギとD. purpurascensとの交雑からなるD.
× rosea等がある。
　今日、日本でよく見られるウツギ類の園芸品種には、D.× elegantissima
‘Rosalind’がある。これは、1950年代にアイルランドのDonard NurseryでD.
purpurascensとD. sieboldianaをかけ合せて作られたものである。品種名の
Rosalindは作出者Leslie Slingerの娘の名前だそうである。
　
５．バイカウツギ
　ウツギと同じアジサイ科にバイカウツギ（梅花空木、Philadelphus satsumi）
という落葉低木がある。ウツギと同じく白花を初夏につけるが、ウツギが５
枚の花弁であるのに対しバイカウツギは４枚の花弁であることから、後者は
バイカウツギ属に分類される。ウツギの花弁が細長い楕円形でやや閉じ気
味であるのに対して、バイカウツギの花弁は幅広の卵形で開き気味に咲く様
子から、ウメの花になぞらえてバイカウツギと呼ばれるようになったのであ
ろう。別名はサツマウツギであるが、これまでに鹿児島では確認されていな
いのは皮肉な話である。
　先にも述べたように、近年ではウツギが庭木としてあまりはやらないの
に対して、バイカウツギは鉢植えや庭木、公園樹として人気がある。もっと
も、近年はやっているもののほとんどは日本に自生のものではなく、セイヨ
ウバイカウツギとして扱われているものが多い。セイヨウバイカウツギと
呼ばれているものは、南欧原産のP. coronariusや北米原産のP. inodorus、P.
microphyllus、そしてそれらの交雑種などから構成されている。いずれも日
本原産のものよりも花が大きく、香りもやや強いようである。北村（1979）に
よると、「ヨーロッパのP. cornariusは16世紀から南ヨーロッパに栽培されて
いたものであるが、原産地は不明である。Maximowiczは日本のバイカウツギ
が輸入されたものと考えたが、この説が正しいと思う」、とある。この説に従
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- 61 -
えば、セイヨウバイカウツギは逆輸入という形で日本に戻ってきたというこ
とになる。いずれにせよ、地植えにした場合にはウツギと同様に枝が四方に
伸びて樹形が乱れるため、注意が必要である。
　花が見栄えのするセイヨウバイカウツギもよいが、小振りの花を樹全体に
ちりばめたバイカウツギの清楚な姿は、上品さという点ではひけをとらない
であろう。セイヨウバイカウツギしか見たことのない方は、初夏の山中に野
生のバイカウツギの花を探しに行くことをおすすめしたい。ただし、花つき
のよい株を見かけることは稀である。山中で見つけることが難しい場合に
は、恵泉の教育農場にも植えてあるので、それをご覧いただきたい。８年ほ
ど前、丹沢で採取した種を実生から育てたものである。
参考文献
林弥栄．ウツギ、バイカウツギ、フルール、講談社園芸大百科事典３、60-61、講談社、
1980
飛田範夫．日本庭園の植栽史．京都大学学術出版会．2002．
池田亀鑑．枕草子．岩波書店．1962．
John Dunbar. New Deutzia Better Than the Old. The Gardening Magazine. 228pp. 1917.
木村陽二郞・大場秀章．シーボルト「フローラ・ヤポニカ」日本植物誌．八坂書房．2000．
北村四郎・村田源．原色日本植物図鑑．木本編Ⅱ．保育社．1979．
佐々木信綱．新訓万葉集（上巻．下巻）．岩波書店．1954．
佐竹義輔ほか．日本の野生植物．木本Ⅰ．平凡社．1989．
トニー・ロードほか、フローラ、産調出版、1024-1025、2005
山田宗睦．花の文化史．読売新聞社．1977．
山岸徳平．源氏物語（二）．岩波書店．1965．
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- 62 -
多摩地域におけるめかいづくりの
継承・活用に係わる基礎研究
谷本　寿男（人間社会学部国際社会学科）
篠田真理子（人間社会学部人間環境学科）
澤登　早苗（人間社会学部人間環境学科）
定松　文　（人間社会学部国際社会学科）
漆畑　智靖（人間社会学部国際社会学科）
宮内　泰之（人間社会学部人間環境学科）
荒又　美陽（人間社会学部国際社会学科）
白石　昌吾（多摩市民、多摩自由大学副理事長）
浅井　民雄（多摩市民、多摩市民環境会議副会長）
A Study on Preservation of Traditional Mekai Production
Techniques in the Tama Area
TANIMOTO Hisao,SHINODA Mariko,SAWANOBORI Sanae,
SADAMATSU Aya,URUSHIBATA Tomoyasu,
MIYAUCHI Yasuyuki,ARAMATA Miyou,SHIRAISHI Shougo
&amp; ASAI Tamio
Abstrast
　The production of Mekai baskets, typically made from tiny bamboo called
Shinodake（or Azumanezasa, Pleioblastus chino (Franch. et Savat.) Makino）,
had been a major income-generating activity among small-scale farmers in the
Tama Area since the late Edo Era. However, owing to both the replacement by
plastic baskets in general and in particular the development of the Tama Newtown
area from the 1970s, Mekai basket production has been almost abandoned, and
nowadays its production technique is scarcely passed down to younger generations.
　This study is to propose a way of preserving traditional Mekai production
techniques by enabling the skills to be passed along to the people of Tama,
including the sustainable management of Satoyama, the secondary forest on the
Tama hills where Shinodake grows.
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- 63 -
はじめに
　1960年代から始まったニュータウンの開発から40年が経過し、多摩地域
では、残存する里山の維持・保全、高齢化への対応や子育て支援、ゴミや廃棄
物への対策といった現代的な課題が山積している。しかし、このような問題
がクローズアップされる一方で、必ずしも多摩地域の資源を活かした伝統手
仕事などには注目が集まっていない。実際には、地域の中で詳しく見るなら、
ニュータウン開発以前からの住民のみならず、新しく住民になった人々の中
にも、地域の伝統を再考しようとする試みは少なくない。
　本研究は、多摩地域の伝統的な手仕事の一つであっためかいづくりに焦点
をあて、その歴史を調査するとともに、技術の継承可能性を探ることを目的
としている。初年度の研究では、先行研究の収集・分析を通して歴史・文化的
ならびに技術面のレビューをおこなうとともに、新たな試みとして、めかい
づくりの原料のシノダケの確保という視点から、この地域で残された里山の
維持・保全策についての基礎調査をおこない、また、本報告書は、その成果と
して、第一章で先行研究から近代資本主義における産業としてのめかいづく
りの位置づけと世帯の生き残り戦略として女性の役割を要約し、第二章で、
地域における聞取り調査を通じて、めかいづくりの担い手によるめかいづく
りの意義づけを抽出するとともに、調査者の視点から里山保全における意味
づけを考察し、第三章において、来年度以降に残る課題などをとりまとめた
ものである。
　この研究を進めていくにあたって、めかいづくりを産業とみなすか生業と
みなすかが問題となった。これは、経済・社会史的な観点からのマクロ的視
角と世帯内再生産の所得源という民俗史のミクロ的視角の差によるものと
いってよいであろう。先行研究においても産業、生業、余業という言葉が使
われており、一貫した使用はみうけられない。めかいづくりをどのように位
置づけるかは、研究としてのポジショナリティに深くかかわる問題であり、
今後の聞き取り調査の積み重ねとより詳しい史資料によって適応した概念
を採用したい。本論では、仮説を組み立てる前の先行研究の要約として、外
部市場とのつながりを持った多摩地域のめかいづくりという地域研究の立
場から産業という言葉を使うこととした。また、生産物・製品としての「め
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- 64 -
かい」と作業や仕事としての「めかいづくり」という言葉で使い分けた。次
は、原料と材料という言葉の使い方についても、本研究では、めかいづくりに
使用されるシノダケ（一部では、正式和名のアズマネザサ、Pleioblastus chino
(Franch. et Savat.) Makinoと標記）を「原料」と記し、シノダケから加工される
ヒネなどを「材料」と示すといった区分を行った。めかいづくりの行われて
きた行政区としての八王子・多摩・稲城・町田を多摩地域、また雑木林を里山
という言葉で表記することとした。
　なお、本研究は、2009年度恵泉女学園大学園芸文化研究所からの研究助成
によって行われたことを付記しておく。
第一章　めかいづくりに係わる先行研究の確認と若干の考察
　この章の目的は、多摩地域のめかいづくりに関する主要な先行研究の検討
を通して、その基本的な事実や仮説を確認することにある。本章は、社会科
学的な視点からの考察であり、特に、めかいづくりを市場向けの産業として
とらえ、主に、その経済・社会的な背景に着目して先行研究を整理した。
1．産業としてのめかいづくりの起源とその展開
　多摩のめかいは多摩丘陵に自生するシノダケを原料とした適地生産品で
あり、関東の山間部から東北地方に展開する「シノダケ製竹籠地帯」ともいう
べき生態学的広がりに属している1)。文献上の記録では、めかいづくりの起
源は江戸期の天保年間といわれており、発祥地は、絹織物業で繁栄する八王
子宿近くの由井村とされ、この経済の中心からめかいが東へと伝播していっ
た結果2)、多摩村が最大の生産地となり、由木村がこれに続く地位を占めるに
至ったとされる3)。
　以上の起源が現存する記述資料という限られた文脈において正しいとす
れば、めかいづくりは近世末期の八王子を中心とする市場経済の発展4)を背
景に農家の副業として市場向けの産業となり、明治維新後の近代産業革命の
進行に合わせて販路を拡大し、大正時代に全盛期を迎えた5)在来的な内需産
業だったといえる。
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- 65 -
2．めかいづくりの生産様式と女性の役割
(1) 農工未分離の資本節約型小農経営の家内制手仕事
　近代資本主義の経営主体の理念型が経営と家計の分離や資本の有機的構
成の高度化によって特徴づけられるとすれば6)、めかいづくりはその対極の
産業であった。それは養蚕・生糸や炭焼などを多角的に経営する多摩の農家
による冬の農閑期の副業であり7)、したがって農工未分化状態の家族という
経営主体による手仕事であった。また、老若男女、家族総出の分業によって
営まれる家内工業でもあり、それぞれの工程を家族の各成員が専門的に担う
ことで技術と生産性の向上が図られてきた8)。原料であるシノダケの調達か
ら製品完成までの全工程が市場を媒介しない家族内分業だけで実行可能と
いう特徴もあったが、ハザルという中間製品を仲買に売却するケース9)やシ
ノダケを販売する専門店10)が存在した点で市場を媒介とした分業が部分的
には進行していた。
　また原料のシノダケは多摩丘陵の里山で、対価を支払わずに「盗む」という
形態でも調達可能であり11)、めかい包丁の購入を除いてはほとんど資本もい
らず、必要であるのは、賃金を支払う必要がないとみなされていた家族とい
う労働力、そしてめかいづくりの技能のみという極端な資本節約型産業でも
あった。そのため、めかいづくりは、地主、自作農、小作農から構成される村
落的社会階層の下位を占める零細な農家によって主に担われ、彼らの貴重な
現金収入源となったとする仮説も提示されている12)。
(2) めかいづくりにおける女性の役割
　ところで、1960年代後半以降、典型的とみなされた核家族は、夫は仕事、妻
は家事・育児・介護という性別役割分業によって社会的に構成され、かつ経営
的機能を喪失した私的な消費領域によって特徴づけられるものであるが、こ
れとは対照的に、多摩地域の零細な農家は、経営と家計が未分化な状態にと
どまっていたため、直系の三世代の老若男女が役割に応じて多種多様な生産
的かつ再生産的な労働に従事するという拡大家族であった。そこでは、妻は
夫の母とともに家事労働のみならず、農業と副業の双方において実質的な役
割を果たしていた13)。めかいづくりにおける家族総出の分業生産はこの一
般的傾向の具体例に過ぎない。
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- 66 -
　ただし、めかいづくりにおいて女性の役割は特に大きかった。一家族内で
めかいづくりをする生産者の男女比率は女性のほうが高かったことが統計
的に確認されている14)。この事実は、めかいと同じ農閑期に行われた副業の
炭焼が主に男性の仕事とされたという男女間の分業の必要性15)、力仕事は男
で、手先が器用なのは女という特有のジェンダー認識16)、あるいはめかいづ
くりの副業的位置づけやめかいの実用的性格17)などに由来するのかもしれ
ない。
　技術的側面から見ると、めかいの形を作る中核的かつ最も高度な技術は、
社会化を通じてめかいづくりに熟練した女性のみに可能なものだった。ま
た、めかいづくりの技術の大半はいわば暗黙知的18)で、家庭内で幼少より時
間をかけて体験的に身に付けられる傾向にあり19)、標準化や機械化に馴染ま
ないものであった。それゆえ、めかいづくりの技術という文化資本を身に付
けた女性、すなわち無賃の可変資本を結婚によって獲得しようとする傾向が
生まれ、これによって広域的な技術伝承が行われたと言われる20)。
3．めかい生産者を取り巻く社会関係に関する若干の考察
(1) 零細な農家とヤヌスとしての資本主義
　めかいづくりは大正期に全盛を迎えたのであるが、その背景にあってめか
いづくりに市場を提供した近代資本主義は、その主な担い手とされる零細な
農家にとって慈雨であった。しかし同時に、資本主義は多摩地域の零細な農
家の生活を脅かす存在でもあった。資本主義の基盤をなす土地の私的所有
を法制化した地租改正は重い租税負担となり、地主制の確立をもたらした
が21)、産業革命を経た大正期には、借金苦や税金未納などの深刻な社会問題
が発生したとされる22)。ここに、資本主義はめかいの販路を生み出し、零細
な農家を救ったが、しかし、零細な農家を追い詰め、めかいに現金収入を求め
ざるをえなくしたという因果関係が見出されないであろうか。共同体は内
部で維持できなくなった時に外部を必要する。近代国家の租税制、貨幣経済
の浸透、教育資材購入などによる世帯における現金収入の必要性が市場向け
商品の生産への傾斜に拍車をかけた。そして昭和期に入ると、金融恐慌と世
界恐慌が勃発したために、農産物や特産品のめかいや繭の価格は暴落し、多
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- 67 -
摩地域の農村は壊滅的な打撃を受けた23)。その後、紆余曲折を経て、第二次
世界大戦の頃までにめかいづくりの全盛期は過ぎ去ってしまう24)。
　無論、戦前における農業と在来産業の成長という要素を看過するべきではな
いが25)、めかいづくりの担い手とされる多摩地域の零細な農家の生活は決し
て楽なものではなかったといわれる26)。めかい研究の第一人者と言える坪
郷英彦は、「『目籠』作りは貧しいと思われた過去の思い出とともに意識的に
忘れられようとしている」と指摘している27)。このことは、今後のめかいづく
りの継承を模索していく際に、是非とも心に留めるべき重い言葉であろう。
人は負の記憶と認識するものを積極的には伝承しようとはせず、記録にも残
さない。なぜ伝承されにくかったのかを考える際に、忘れてはならない点で
あり、文献資料の限界を示唆するものである。
(2) めかいづくりと村落共同体
　ところで、資本主義は村落共同体を解体する圧力を多摩地域の農村に対し
て不断に加え続けていたと考えられ、特に、農村人口の流出という影響は直
接的でかつ深刻であり、実際に、村から出て八王子の製糸工場の女工となっ
た若い女性も少なくなかった28)。前述したように、めかいづくりは家族総出
の分業による生産であり、特殊な技能を身に付けた無賃の女性が不在となれ
ば、成り立たないはずのものである。しかし、第二次大戦前には、めかいづく
りは産業として成立していた。このこと自体、現金収入の必要性ということ
から、多摩地域の村落共同体、特に、その核となる拡大家族の解体が最小限に
とどまっていたとも解釈できる。
　ややもすれば、産業革命で出現した近代産業の華々しさに目を奪われがち
であるが、第二次大戦前の日本は農業国であり、第二次・第三次産業就業人口
の約六割は近世以来の「在来産業」であった29)。産業革命を牽引した繊維産
業もその裾野に家内制の織物業や生糸、養蚕という形態で農村産業を抱え
ていた30)。一般に、こうした在来部門は無視できない大きさの農村における
産業を構成しつつ、そこにおいて所得と労働力の必要性を創出し、村からの
人口流出を抑えたのである31)。そして、多摩地域の農村でも事態は同じだっ
たと考えられる。めかい、生糸、炭焼さらには草鞋といった多摩地域の農村
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の在来産業の展開は、多摩丘陵の自然の恵みを活用した「相対的な自給自足
性」32)と相俟って、人口流出を抑制し、村落共同体と拡大家族の形態を維持す
る機能を果たす側面を持っていたと言えまいか。この共同体維持機能に関
する評価をめぐっては、マルクス主義経済学と近代経済学の間で深刻な解釈
の相違が存在する33)。こうした争点を含め、以上のような新しい視点から多
摩地域のめかいを再検討することも必要な作業だと言えよう。
第二章　めかいづくりの伝承と里山の維持・保全策
1．今年度の活動　
　研究の初年度にあたり、上半期には、最初の打合せ会における意見交換を
踏まえて、多摩地域のめかいづくりの関連する資料・情報の収集と分析を進
め、めかいづくりの担い手の方々への聞き取り調査をおこなった。下半期に
は、上半期の活動の成果にかかわる意見交換を経て、恵泉女学園大学が所有
する自然観察林におけるシノダケの生育調査・めかいの材料のヒネ作りから
実際に籠を編むという活動に展開した。限定的ながらも、下半期には佐渡島
とインドネシアにおける竹細工の現地調査も行い、それぞれ参考資料－1お
よび参考資料－2にその概要をとりまとめた。この初年度の成果は、2月の
第二回研究会において議論し、この報告書に集大成されている。なお、2009
年度の活動概要を参考資料－3として示しておく。
　
　
　
　
　　
写真-1　第一回研究会
(2009年11月7日撮影)
2．伝承に係わる聞き取り調査とその知見
　第一章で述べたように、多摩地域におけるめかいづくりの特徴や技術の詳
細については、多数の研究成果が出されており、伝承者や仲買・仲介者などへ
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- 69 -
の聞き取りも行われている。しかし、それらの先行研究の多くは、おおよそ
10年前までに刊行されており、その後にはめかいに関する記憶が薄れていっ
ていることも想定される。これを踏まえて、本研究の独自の視点を確立する
こととともに、現時点において多摩地域の人々がめかいづくりにどのように
係わり、捉えているのかを把握するために、既存の文献で取り上げられてい
ない関係者の方に聞き取りを行った。
(1) 伊野澄氏（多摩市東寺方）からの聞き取り調査の概要
　母親（明治38年=1905年生まれ）はめかいづくりの名人で、伊野氏自身は子
どものころシノダケ切りとヒネヘギ(皮むき)くらいしかしたことがなかった
という。昭和49年に都職員として多摩動物園に着任し、身辺が落ち着いて
きたことで、動物園の周辺にシノダケが多いことに気づいた。子どものころ
にめかいづくりの手伝いをやったことを思い出し、その時はまだ母親が健在
であったので、作り方を習って作りだした。もともと手を使って何かを作る
のが好きで、今でも注連縄作りや魚篭なども自作している。めかいづくりは
母親のやり方を真似て、自分で工夫している。まだ十分に満足できるものは
作れていない。現在は都立桜ヶ丘公園の雑木林ボランティアの人たちにめ
かいづくりを教えている。
　
　
　
　
　
　
　
写真-2　伊野氏によるヒネヘギ作業
（2009年7月5日撮影）
写真-3　伊野氏製作のめかい
（2009年7月5日撮影）
(2) 小谷田孝之氏（八王子市東中野）からの聞き取り調査の概要
　実父の小谷田英一氏は、自宅の庭にさまざまな種類のめかいやめかいに関
連する資料を展示するめかい資料館を建設した。この資料館は見学希望者
に開放されている。この資料館を作ったきっかけは、英一氏自らがめかいの
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- 70 -
仲買人をしていたことからである。この資料館には販路のリストも展示し
てあるが、これは孝之氏が父から聞いたものをまとめたものである。孝之氏
は、子どものころはシノダケ採りに行かされたが、自分ではめかいを作るこ
とはしないとのことである。両系の祖母のイソさん、ソノさんはめかいづく
りをおこなっていた。
　
　
　
　
　
　
写真-4　小谷田氏宅めかい資料館
（2009年7月25日撮影）
写真-5　小谷田氏宅聞き取り調査
（2009年7月25日撮影）
(3) K氏（八王子市堀之内）の聞き取り調査の概要
　現在K氏宅の庭にある二階建ての離れ(以前は納屋だった)の二階におい
て、「里山農業クラブ」のメンバーがめかい作りを行っている。「里山農業クラ
ブは、“農なくして里山なし”を基本方針として雑木林管理、谷戸田での稲作、
竹炭焼き等の様々な農業活動の実践により里山を保全再生している団体で、
この活動を通じてまち作りや田んぼの学校等の環境教育活動も行っている。
めかい作りもその一環で、雑木林の保全、資源の有効活用、伝統技能の伝承
普及等のために行っている」34)。K氏と、T氏という女性とでめかいづくりを教
えはじめたことにより、現在では10数名がめかいづくりを行えるようになっ
た。T氏は作業が早く、仕上がりも美しいので、めかいを販売すると一番よく
売れる。K氏は子どものころにみようみまねでめかいを作っていた。7年ぐら
い前から、この活動を行うようになって徐々に思い出してきた。手作業で物
を作るのが好きだがが、めかいばかり作っていると飽きてしまうので、魚篭
などの竹細工を手がけたいとのことである。
　
　
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- 71 -
　
　
　
　
写真-6　K氏宅における里山農業
クラブのめかいづくり活動
（2009年10月15日撮影）
写真‐7　里山農業クラブで製作された作品
注：春のフラワーフェスティバル由木で販売
される。（2009年10月15日撮影）
(4) 聞き取り調査からの知見
　このように、ごく少数ではあるが、現在もめかいづくりに関わっている方
たちに聞き取りを行い、大きく以下の3点が明らかになった。
　第一に、めかいづくりの記憶が家族の記憶として繋がっていることであ
る。母親が作っていたから、大人になって作り始めたというのが伊野氏であ
る。父親がめかいの仲買人であり、祖母が作っていたということから、めか
いの製品やその関連資料を収集し、資料館を運営しているのが小谷田氏であ
る。里山農業クラブのK氏もめかいづくりは子どものころの記憶とつながっ
ている。彼らにとっては、家族が作っていたこと、子どもの頃にシノダケ採
りを中心とした限定的な関与ではあったが、自分もそれに関わっていたとい
う記憶があることによって、現在もめかいづくりに関わることの契機と経験
の土台になっていると考えられる。
　第二に、趣味・楽しみの領域でのめかいづくりやめかいの収集に携わって
いることも特徴としてあげられる。多くの趣味の中で、単純作業の繰り返し
で飽きるという側面や、魚篭など他のものも作りたいという別の作業への意
欲も認められる。めかいづくりを行うこと、めかいを収集・研究することの
意義付けという選好のひとつとして、めかいづくりという手仕事にかかわり
だしたという特徴が浮かび上がってくる。
　第三に、めかいづくりと多摩地域の残された里山の管理との繋がりがあげ
られる。里山農業クラブのK氏の聞き取りにもあるように、里山づくりのグ
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- 72 -
ループが、資源としてのシノダケに着目し、めかいづくりを行っているとい
うことは、非常に注目すべき動きであるといえる。多摩ニュータウンの開発
とともに、シノダケが採れる里山がなくなっていったことは、めかいづくり
の成立基盤を崩壊させるひとつの大きな要因であった。しかし、多摩地域に
は公園緑地や開発の手が及んでいない里山なども残されており、そこでは逆
にシノダケの管理が大きな問題となっている。シノダケを有効活用するた
めにめかいづくりを行うということは、このような里山に新たな価値付けを
行うことに結びついていくであろう。一度は衰退しためかいづくりである
が、家族の記憶にまつわるものとして、趣味の領域として、さらには里山管理
とのつながりとして、めかいづくりは現時点でも関心を持たれている。
3．原料のシノダケ確保のための里山保全と材料のヒネ作り活動
　本研究は、単に先行研究の分析やめかいづくりに携わる人々への聞き取り
調査のみならず、多摩地域の資源をどのように活用できるかという研究と社
会活動の実質的連携を試みるという一種のアクション・リサーチも含んだ活
動をも目指している。めかいづくりに関して、大学の有する自然と人的な資
源をどのように活用できるかを体験実証的に考察してみたい。
　恵泉女学園大学は、めかいづくりが行われている多摩地域に位置してお
り、したがって大学の周辺においてもめかいづくりの原料としてのシノダケ
が採取されていたと推測される。大学の所有する自然観察林に実際に生育
しているシノダケがめかいづくりの原料として適しているか否か、また、め
かいづくりの原料の供給地としての里山の管理のあり方を模索することを
目的として、この自然観察林においてシノダケを採集し、それを用いてヒネ
ヘギ作業を行った。
(1) シノダケ採集活動
　これまで20年余にわたってめかいづくりを地域の人々に教えてきた菊地
富士江氏の指導を受け、多摩市で竹細工づくりの活動をおこなっているNPO
男性ボランティア会議の鈴木幸夫氏と長瀬敏雄氏にも協力をいただき、この
研究会のメンバーの教員および学生有志がシノダケの生育調査を行い、原料
に適するとされている今年生えたシノダケ（シンコ、ニイコ）を採取した。
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- 73 -
　実際に、シノダケの採取作業を行うにあたって、菊地氏から以下の説明が
あった。
a）めかいには、その年の春に生えた1年ものを使う。その見分け方として、先
端部だけ枝分かれしていて側枝が生えていないものがそれに該当する。
めかいづくりの材料となるヘネヘギ作業のために、特に注意すべきこと
は、虫が食っていないものを探すことである。虫が食っていると、ヘネヘ
ギ作業の途中でヘネが切れてしまうためである。
b）切りとったものの、材料として適さない細すぎる先端部や太すぎる根元部
分、切り出したものの虫食いなどが原因で適合しないものは、まとめて山
に戻すが、その際には、横倒しに放置せず、次に山に入った人が踏んで滑
らないように、地面に突き指して立てておくことがマナーである。
　これらのことは菊地氏が、小野路在住の故萩生田長吉氏から厳しく指導
されたことであるという。a）に関しては、今後、実際にめかいづくりに従事す
る方々から詳細に聞き取りを行う際の一つの手がかりとなる項目といえる。
めかいづくりが盛んであった時代には、「山から篠を伐ってくるときは生え
ているものを選ばず全部伐ってきた」35)という証言もあるが、シノダケを採
取する場所によってつくりやすさ、折れやすさの違いがあるという話も残っ
ている36)。こうした原料としてのシノダケの品質は、製品であるめかいの品
質とも関連していたと推測される。品質の高いめかいの作り手は里山の生
態系のよき保全者であり、仲買人もそれを把握していたという言葉に示され
ている37)。シノダケの伐採方法についての詳細は、里山の生態系への影響と
いう側面と、最終製品としてのめかいの品質という側面との両方から考察す
ることが出来るだろう。めかいに適したシノダケが大学の自然観察林に存
在するとしても、それが良い品質のものであるかどうかについて、またどの
ような局所的環境が良い品質のシノダケを産生するのかについて、今後も検
討が必要である38)。
　次に、b）に関しては、さまざまな慣習がそれぞれの地域に存在した可能性
があるが、現在までの先行研究ではあまり言及されていない点である。山に
入るときの作法は、コモンズとしての里山の管理運営にまつわる慣習として
重要であると考えられる。今後詳細な聞き取りを進めていく上で一つの着
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- 74 -
目点になると考えられる。
　めかいづくりに適したシノダケは、比較的日当たりのよい里山の林縁部に
見られるというが、しかし、今回、採取を行った大学の自然観察林では、めか
いづくりに適したシノダケ数は、さほど多くはなかった39)。昨冬、全面的に
刈り込みを行ったことが影響していることも考えられる。一度刈った場所
は、数年待たないと勢いのよいシノダケは生えてこない可能性があるが、別
の要因によるものかもしれない。恒常的にシノダケを採取するためには、一
定の場所のすべてを刈り取るのではなく、採取や刈り取りを休ませるサイク
ルを組んでいく必要があるかもしれない。これは数年をかけた観察が必要
であり、今後の検討課題である。
　
　
　
　
　
　
　
写真‐8　シノダケ採り
（2009年11月7日撮影）
写真‐9　採取されたシノダケ
（2009年11月7日撮影）
(2) ヒネヘギ作業
　ヒネはめかいづくりの基本になる部分で、シノダケの皮の部分を剥いて作
る。ヒネの作り方については、先行研究でも図入りで示されているため40)、
ここでは説明を省略する。
　今回の作業への参加者全員がこのヒネヘギ作業の難しさを感じとった。
ヒネヘギではある程度の熟練がどうしても必要である。このヒネヘギの難
しさが、シノダケを使っためかいづくりの伝承を困難にしている一因といっ
てもよいであろう。このようなヒネヘギの難しさを回避するために、シノダ
ケを原料としたヒネではなく、クラフトテープで編み方を教えている例もあ
る41)。
　　
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- 75 -
　
　
　
　
　
写真－10　ヒネヘギ作業
（2009年11月7日撮影）
写真－11　めかいづくり体験
（2009年11月7日撮影）
(3) シノダケ採取からヒネヘギ作りの活動から分かったこと
　作業に携わった学生から感想を聞いたところ、次のような点が挙げられ
た。
・ 一見固そうに見えるシノダケを切ってみたところ、瑞々しさ、匂い、しなや
かさがあることに強い印象を受けた。
・ 採取日は、シノダケが水揚げをしなくなった時期であるのにもかかわら
ず、瑞々しいと感じた。さらに夏季には水が染み出すほどであるとの説明
で驚いた。
・ 里山に踏み入って原料であるシノダケの植物としての性質を知り、素材
感、材質感に触れることで、体験者は感覚的にさまざまな刺激を受けた。
・ また、里山にはびこるシノダケが、めかいという有用物になることを実感
し、これは林産物の有効な活用法であることが理解できた。
　上記のように、原料としてシノダケという植物を用いること、それが身近
なところに生育していることが強い印象を与えることが明らかにされた。
このことは、めかいの伝承のあり方を考えていく上で重要な点になってくる
と考えられる。はじめてめかいづくりを経験する人に対して、まず原料につ
いて知ってもらい、めかいづくりの技術を学び、楽しんでももらうという段
階があり、さらには、それだけでなく原料のシノダケの特質と周辺の環境へ
も興味をもってもらうという展開である。そして、関わった個々人がそれぞ
れの興味に従って、めかいとの付き合い方、めかいを通した学び方を取捨選
択していくことが望まれる。すなわち、制作方法を伝え楽しませることを主
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- 76 -
とするのか、それとも原料としてのシノダケを通じて植物の特質や周辺の環
境への意識を醸成することを重視するのかという点である。
(4) アズマネザサ（シノダケ）の生育適地について
　産業としてのめかいづくりを考察するにあたって、原料の特殊性による地
域限界を考慮にいれることは必須である。そこで、めかいづくりに適してい
るとされるシノダケ（アズマネザサ）の生育地に関する調査を植物学からの
見地で入れることにした。
　多摩地域のめかい編みに使用するシノダケは俗称であり、植物分類学上の
正式和名はアズマネザサに相当する。本項では植物社会学的な見地を含め
て検討を行うため、シノダケをアズマネザサで統一表記する。
　2010年11月7日に引き続き、11日に再度、大学の所有する自然観察林の調
査を行った。その結果、参考資料－4の図に示すように、林内にある落葉広
葉樹林の下に、めかいづくりに適するアズマネザサが生育していることが分
かった。以下では、最初に恵泉の裏山の概要に触れ、その後、上述のアズマネ
ザサ生育地管理方針について検討する。
　この自然観察林は小野路より続く尾根の末端部に位置し、この尾根上に南
北に連なる2つの小ピークのうちの南側のピークを中心にとする部分であ
る。北部は浅い谷状斜面、南部は西方と南方へ伸びる尾根と南西部の斜面か
らなる。裏山の植生は概ねコナラ―クヌギ林であるが、林床植生は部分的に
若干異なる。北部はピークから谷状斜面を中心にウグイスカグラ、クロモジ、
コゴメウツギ等の二次林内によく見られる低木が繁茂している。一方、南部
は上記低木に加え、アズマネザサが高密度で繁茂している。また、林縁部に
はアズマネザサ、クズ等からなるマント群落が形成されている。
　めかいづくりに適するアズマネザサが生育している地点は、ピークから尾
根沿いに20mほど南方に進んだ南向きの尾根上に当たる。この一帯は林床
にアズマネザサがやや密度濃く繁茂している。また、尾根上に位置すること
から、特に落葉期は林内の日当たりが良く、土壌が比較的乾燥かつ酸性化し
ているものと推測される。アズマネザサは酸性土壌で旺盛に繁茂するとの
報告があり42)、一般的には日当たりの悪い谷部よりも、林縁や尾根筋のよう
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- 77 -
に日当たりがよく、乾燥した場所に多く見られる傾向がある。したがって、
上述の地点は、アズマネザサの生育適地として矛盾するものではない。
　養父43)によると、管理されないために荒廃した雑木林は、関東地方では林
床植生の形態により、つぎの2つのタイプに大別される。毎冬に下刈りと落
葉かきが継続され、アズマネザサが散在していたコナラ－クヌギ林では、管
理が停止された以降は、アズマネザサが旺盛な成長を開始し、稈高が2～3m
以上に達して密生状態に繁茂する。一方、下刈り、落葉かきなどの生産的植
生管理の強度が弱く、低木類の衰退が著しく進まなかった雑木林は、下刈り
停止以降には、アズマネザサが密生化せず、二次林に特有な低木が繁茂する。
そして、町田市等の大都市近郊に位置する地域には前者が相当する。
　以上のことから、めかいづくりの維持と展開のためには、めかいづくりに
適したアズマネザサが現在生育している南部の尾根一帯を、今後はめかいづ
くり用のアズマネザサ採取地として管理していくべきであろう。管理方針
としては、現状維持が望ましいと考えられる。ただし、めかいづくりに適し
たものは一年生のアズマネザサであるため、アズマネザサの刈り取りを行っ
て、一年生の稈を萌芽、更新させる必要がある。刈り取りの際には、間引き、
もしくは面的な刈り取りのいずれが適しているのか不明である。したがっ
て、双方を実験しながら適正な方法を模索していくべきである。また、アズ
マネザサの生育状況を継続的に観察しながら、アズマネザサやその他低木が
過度に繁茂することが予想される場合には、それらを適度に間引いていく必
要がある。持続可能な環境保全と産業展開を射程とした実証的研究では、こ
のような自然環境面からの提言も織り込み、伝承を試みることが必要と考え
る。
第三章　今後の課題
　以上に述べてきた今年度の研究の結果、多摩地域のめかいづくりについ
て、歴史・文化、あるいは技術的な側面に関しては既に多くのことがらが明ら
かにされており、めかいづくりの伝承者や担い手の方々の数も非常に限定的
になっていることから、聞き取りを主体とする現在の手法では、先行研究の
成果を越えるような知見の習得には限界があるとの認識にいたった。しか
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し、成果としては、多摩地域において残存する里山の維持管理の視点からは、
従来は無用というよりは邪魔者・厄介者とされていたシノダケを適正に管理
することによって、この地域の伝統手仕事であるめかいづくりの原料として
活用できるのではないかとの新たな発想が出てきた。
　めかいづくりは、一時期は多摩地域の零細な農家にとっての所得源として
産業となっていた。伝承者や担い手も制約のある現状からみれば、確かに、
多摩地域のめかいづくりは、今では産業の観点からは完全に崩壊したという
ことになるが、その一方で「多摩地域のめかいは非常に質が良いので、できれ
ば復活して欲しい。需要はまだまだ根強い」という声も確認されている44)。
しかし、これからは、多摩地域の新住民の趣味や楽しみとして、さらには学校
教育の一環として組み込まれるような組織作りをおこない、その伝統文化・
技術の継承を進めていくことが必要である。
　以上のような成果を踏まえ、2010年度以降は次のような課題に取り組んで
いくことを計画している。
1．多摩地域の歴史としてのめかいづくり産業と領域性
(1) 多摩地域の産業としてのめかいづくり
　多摩地域は、大都市に近接しているために、近代以降にはめまぐるしい時
代状況の変化に対応し続けることを余儀なくされてきた。めかいづくりが
この地域の産業として確立した理由も、東京という市場との近接性が背後に
あると考えられるが、絹の道に程近い立地において行われてきた養蚕との関
係も指摘されている45)。また、めかいの衰退の原因としては、いわゆる経済
発展にともなう竹や笹製品に代わるプラスティックや金属製品などの代替
品の普及があり、さらには、多摩地域の固有の原因としての多摩ニュータウ
ン開発による産業や社会の構造の変化もあげられる。坪郷が指摘する「細い
ヒゴが作れるか否かが専門的技術と副業的技術の違いであった」46)から、竹
や笹の手仕事が専門的な工芸品の域に達したか、あるいは副業的な産物の段
階に留まったかの技術的な分岐が暗示される。これを多摩地域のめかいづ
くりに当てはめてみると、残念ながら副業的な産物の段階に留まったという
ことになろう。この点からは、原料であるシノダケの材質によるものか、あ
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- 79 -
るいは編み方などの技術によるものか、さらには製品であるめかいの使用目
的によるものかといったことの検証が求められよう。現在でもシノダケを原
料とする手仕事が東北地方のいくつかの場所で産業として成立している47)。
さらには、まだ日常的に一般家庭においても使われているかという需要か
らの検証も行うべき課題といえよう。多摩地域のめかいづくりに関しては、
ニュータウン開発にともなう新住民の数が絶対的多数となり、伝統的な手仕
事であっためかい製品への需要がなくなってしまったということも衰退の
特殊な原因として想定される。このあたりも今後の聞き取り調査の課題と
認識している。
　近代以降、1960年代くらいまでの比較的短い期間に地域の産業の一角を
担っていた多摩地域のめかいづくりの実態については、来年度以降も歴史資
料の分析と関係者への聞き取りを通じて明らかにしていきたい。ただし、既
存資料を越える新しい歴史資料の入手はほとんど不可能と判断されること
から、産業人口統計や世帯構成変動などの統計資料の精査については、今ま
でに多くの調査を行っている多摩市教育委員会ならびにパルテノン多摩な
どとの協力関係を結ぶことなどで行っていく計画である。
(2) 都市開発と共同体領域の変容
　産業としてのめかいの実態については、第一章および第二章において示さ
れたように、歴史資料の解読と関係者への聞き取りとによって、多くのこと
が明らかにされている。しかし、現在の行政区画を越えてのめかいづくりが、
地域をどのように結び付け、また分断していたのかについては示されていな
い。めかいづくり自体は家内工業として行われていたが、原料であるシノダ
ケの仕入れ、出来上がっためかいの仲買人への引渡しなどが、どの程度の広
がりで実施されていたのか、流通としての市場の形態と広がりを調査して
おくことは重要であろう。既に見てきたように、めかいづくりの衰退に多摩
ニュータウン開発が関与していたのは事実であろう。この研究によって開
発が途絶えさせた共同体の姿を示し、現在の行政区画の形と比較しながら、
その領域設定の可能性と限界に考察を進めていくことも今後の課題の一つ
と考えている。
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2．多摩の社会構造とめかい
(1) 社会グループという観点からのめかいづくりの担い手とその変容
　家内工業として実施されてきためかいづくりは、その編む作業を担当した
女性の役割が大きかった。第一章でも示したごとく、その技術を持つことが
女性にとって地域の結婚の条件であり、「嫁」をもらう「家」としては世帯の生
き残り戦略として大きく作用した時代もあった。また、どちらかといえば零
細な農家の副業として実践されていたとされる。他方で、現在に続くめかい
づくりの技術の伝承には、地域の地主層の男性が大きな役割を果たしている
ようである。このような担い手のとらえ方が正しいのかどうか、もしそうで
あるなら、その関係性を示すことは地域の社会構造について考察する上で重
要になるだろう。また、多摩地域では、いくつかのめかいづくりの講習が行
われている。これらの講習を受講している市民には男性も女性もいるが、彼
らがどのような社会層、年齢層に属しているかを明らかにしていくことも、
めかいづくりの継承の可能性とその方向性を探るために重要といえる。
(2) 伝統の活性化とめかいづくり
　伝統や文化は、「遺産」や「保全」の対象となりがちであるが、過去と同一の
現在が存在しないのは自明のことである。しばしば伝統や文化は保存する
ことに精力が注がれるが、実のところ変化する柔軟性を持つことこそが伝統
や文化を維持、活性化させるのである。このような視点にたち、今一度めか
いづくりをとらえ直すならば、技術や伝承のあり方、産業や起業としての位
置づけにおいて変化や変容がめかいづくりの活性化につながるといえる。
　地域の伝統的な手仕事としての継承が模索されているめかいづくりであ
るが、歴史的に実践され、地域の主要産業であった時期は比較的短い。また、
歴史的なめかいづくりと現在のめかいづくりには相違点もある。それがど
のような連続性と非連続性の上に成り立っているかを明らかにし、その可能
性と限界について示しておくことが必要であろう。
3．多摩の文化としてのめかい
(1) 竹細工のなかでのめかいの特性、めかいに使えるシノダケの特性
　多摩地域のめかいづくりを伝承していくためには、全国に、さらには世界
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- 81 -
に存在している竹細工と比較した多摩のめかいづくりの特性をある程度明
らかにしておくことが有効である。シノダケという笹の一種を利用してい
ることは、原料そのもののやわらかさを補うために四つ目編ではなく六つ目
編にするという技術を生み出し、それが製品の繊細さにも寄与した。同じシ
ノダケを使うとしても、横浜市48)や東京都江戸川区に残るパイスケのように
頑丈なつくりになっている製品もあり、めかいつくりに使えるシノダケにも
特徴があると考えられうる。それが里山の管理手法に由来するのか、土壌に
由来するのかなど、竹文化圏における多摩地域の特徴を明らかにしていきた
い。
(2) 技術伝承、めかい包丁などの道具の継承、製品の利用方法の提案
　多摩のめかいづくりに関心を持つ市民は少なくなく、従来から様々な形で
講習会などが開かれている。しかし、短い講習会ではめかいを編むところ以
外の実践が難しく、熟練が必要な材料のヒネヘギまで継承している人はわず
かである。そこで、文化と技術の継承の核として教育機関の有用性はあるだ
ろう。恵泉女学園大学の公開講座、サークル活動を通じ、一貫した技術の伝
承システムを構築する可能性を探っていく。また、とりわけ材料のヘネへギ
作業に必要なめかい包丁などの特徴的な道具を提供できる鍛冶職人は、めか
いの技術の継承者よりさらに少なく、道具をいかに維持できるかも課題とし
て残っている。
　さらには、現代社会のニーズにあった形でめかい製品をつくり、販路を開
拓し、どのように見せ、どのような人に買ってもらうのか、現在の市場におけ
るニーズとの適応をさぐることも継承の一つの方策であり、その提案も課題
である。
　山口智子は、日本の伝統工芸や日本的な美を「掛けたくなる軸」という連
載49)で紹介している。山口は、残したいと思う工芸品や製品に出会い、その
作り手に熱心に手紙を書き、どのような環境や状況でその技術と製品が生ま
れ、受け継がれているのかを訪ね歩いている。また、青山の国連大学の前で
土日に行われる有機農産物のマーケットは回を重ねるごとに盛況になって
いるが、その一角に生活用品として世界各地の竹細工を販売している店があ
る。さらに、20代、30代をターゲットにしたインテリア・小物雑貨の店には、
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アジアのものも含めて竹製品がおいてあることが多く、竹製品そのものの需
要がなくなったわけではない。市場経済の中で商品を製作し、販売すること
は疎外感を生むこともあるが、今ある多摩地域の資源を単に伝統として位置
づけるだけでなく、現在の社会生活において日常の必需品として、そして何
らかの付加価値を付けることで、新たなめかいづくりの展開が望めるであろ
う。地域の研究・教育機関としては、こうした新たな価値付与と発想をうな
がす機能も期待されているのではないだろうか。
4．多摩の自然とめかい
(1) 産業・生業からマイナー・サブシステンスへ
　多摩地域における季節的な作業の循環のなかに、めかいづくりは位置づけ
られていた。春夏には農作業の傍ら養蚕を行い、冬期のめかいづくりという
営みは、生計を立てるための必要性と結びついていた。需要にこたえるため
に、時には明け方まで一家総出でめかいづくりを行ったという記録も多く、
作り手にとってつらい、負担の大きな仕事であったことが推測される。
　上述したように、産業としてのめかいづくりは複合的な要因によって衰退
したと考えられ、現在それを単純に復活させることは非常に困難であろう。
　しかし、新たな視点によってこれからのめかいづくりを捉えなおすことは
可能であると思われる。生業としてではなく、「遊び仕事」ともいわれるマイ
ナー・サブシステンス50)としてめかいを捉えなおすことによってである。手
仕事として熟練することによって、作ることそれ自体の楽しみ、腕が上がる
ことの喜び、人に教えることの誇り、製作物を人に贈ることによるつながり
の創出等が生まれると思われる。また、失われつつあるとはいえ、現在でも
シノダケを採取することができる里山は存在していることから、原料の採取
から製作までを一貫して地域内で行なうことが可能である。そこには次項
で述べるように資源としてのシノダケを通じて多摩の里山とかかわり、自然
環境に実感しつつ接するということも含まれる。
　多摩においてめかいづくりが継続していくには、多摩の人々によって、経
済的側面だけではなく遊びの側面を強く有するめかいづくりが行われてい
くことが鍵になるのではないかと思われる51)。さらに、「遊び」の重要な要素
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- 83 -
である自発性も重要な鍵になってくるだろう。
(2) 里山管理の手法の提案
　多摩地域の里山は、地域の経済・社会構造の変化によって、必ずしも十分
な維持管理が行われていない状態になっている。八王子市堀の内地区にお
ける雑木林ボランティアや里山農業クラブの活動など、保全に向けた努力は
徐々に始まってはいるが十分ではない。恵泉女学園大学に関して言えば、
近隣どころか所有している自然観察林の管理さえままならない状況にある。
まずは、足元の大学の自然観察林において、めかいづくりの実践者や里山の
維持管理に携わっている方々に直接の指導を仰ぎながら、めかいづくりが可
能な形にまでシノダケを育成させつつ他の植物と共生させる里山管理の手
法を構築し、地域に提案していくことも本研究の新たな方向と考えている。
5．多摩地域住民との連携
　産業としてのめかいづくりが衰退した今日において、めかいを作れる人は
減少しつつある。きつい厳しい仕事であったという記憶も残るめかいづく
りを、ただ伝統であるということだけで維持し続けるのは困難であろう。恵
泉女学園大学における地域貢献活動の一つとして、現在の、またはこれから
のめかいづくりにどのように関わっていくのかは考慮を要する点である。
　多摩地域において、新たな楽しみとしてめかいづくりを行っている、ある
いは行おうとしている人々がいらっしゃることを、本研究の過程で知ること
ができた。それは、伝統としてのめかいづくりをふまえた、新たな創作とし
てのシノダケ細工へと発展していく可能性がある。めかいの原料であるシ
ノダケの側面から、江戸時代からニュータウン開発以前の里山の姿や、現在
行われている里山管理のあり方とは異なる、現代に適応した里山の管理のあ
り方が生まれる可能性もある。こうした地域住民主導による新しい動きに
も注目しつつ、創造的に協力していく姿勢が必要なのではないだろうか。
おわりに
　この研究は、恵泉女学園大学の教職員と学生達で形成している地域貢献グ
ループのたまたま多摩の会の数名のメンバーによる話し合いからスタート
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- 84 -
した。しかしながら、このメンバーは、めかいそのものやめかいづくりには
素人であった。地域活動を通じて知りあった何人もの方々にアドバイスを
いただき、また研究メンバーに加わっていただき、まずは資料集めとその分
析を進め、機縁方式による聞き取り調査を進めてきた。
　初年度の成果は、上記にまとめてきたごとく、先行研究を通じためかいづ
くりの復習と聞き取り調査の整理に終始したといってもよい。しかし、多摩
地域に残された里山の維持管理、そこに生えるシノダケ、それを原料とする
めかいづくりに結びつけたことは、従来の研究にはない新たな視点と自負し
ている。
　まったくのゼロからの出発ではあったが、共同研究者の大役を引き受けて
いただいた多摩市在住の白石省吾氏と浅井民雄氏には貴重な資料の提供、大
所高所からのアドバイスをいただいた。菊地富士江氏には、めかいづくりの
実践者として多くの知見と資料の提供をいただいた。また、伊野澄氏、小谷
田孝之氏、里山農業クラブのK氏、S氏からは聞き取り調査に際して多大な情
報をいただいた。さらに、竹に係わる多くの活動をおこなっている男性ボラ
ンティア会議の鈴木幸夫氏、長瀬敏雄氏にも多大な協力をいただいた。研究
の後半から活動に参加いただいた大泉麻耶氏には、里山の維持などの新たな
見方を紹介していただき、新たな方向を見出す上で大きな成果となった。あ
らためてここで感謝をしたい。
注
1) 中村俊亀智著「関東地方タケカゴ細工の展開－日本列島におけるカゴ細工の諸
系列（2）－」『国立民族学博物館研究報告』2巻1号 1977年 172-195頁。
2) 坪郷英彦著「在来技術の成立要因の分析 : 多摩丘陵における編組技術と自然・社
会環境の関係性」『デザイン学研究』45巻5号 1999年 51頁。多摩市史編集委員
会編『多摩市史 民俗編』多摩市 1997年 163-164頁。なお、坪郷は、八王子の絹織
物の発展を背景に由井村で盛んになった養蚕用にめかいが使われ始めたとする
仮説を提示している（坪郷 前掲論文 54頁）。しかし、めかいづくりと養蚕との関
係性について、2009年11月の本研究の第一回研究会において、里山農業クラブ
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- 85 -
のS氏は「めかいづくりと養蚕とは関係がないのではないか」という発言をされ
ていた。
3) 多摩市史編集委員会編『多摩市史 通史編二 近現代』多摩市 1999年37頁。
4) 樋口久著『市民のための八王子の歴史』有峰書店新社 1998年 167-76頁。
5) 坪郷は大正時代、昭和時代初期をめかいづくりの盛期と捉えている（坪郷 前掲
論文 51頁　59頁）。
6) 「経営と家計の分離」と「資本の有機的構成の高度化」はそれぞれ、近代資本主義
に対するマックス・ウェーバーとカール・マルクスによる洞察であることは言う
までもない。
7) 多摩市史編集委員会編 1999年 367-375頁。多摩市史編集委員会編1997年 163頁。
8) 松田操・近藤茂著「メケエつくり」『雑木林と人々のくらし』多摩市文化振興財団
1990年 114-115頁。多摩市史編集委員会編　前掲書1997年 175-176頁。
9) 松田・近藤 前掲論文 95-96頁。
10) 多摩市史編集委員会編 前掲書 1997年 263-264頁。それは篠屋と呼ばれた。
11) 同上 166-167頁。
12) 坪郷 前掲論文 53頁 58頁。なお、この仮説の提案者である坪郷自らの言葉では、
めかいづくりの主な担い手は「小作農クラス」に対応する「下クラス」の農家で
あったと表現されている。本稿では、この重要な仮説はさらなる実証研究を必
要とする課題であると考え、あえて「小作農」という限定的な表現を用いず、より
広い階層を指し示しうる「零細な農家」という表現を使用した。
13) 多摩市史編集委員会編 前掲書 1997年 125-360頁。なお、以下で挙げた論考には、
戦前の農村における在来産業の女性労働の実態をジェンダーの視点から再検
討する研究が含まれており、めかいの生産者について考察する際に参考になる。
谷本雅之著「近代日本の女性労働と『小経営』」、長野ひろ子・氏家幹人・桜井由幾・
谷本雅之編『日本近代国家の成立とジェンダー』柏書房 2003年 144-87頁。姫岡
とし子著『ジェンダー化する社会－労働とアイデンティティの日独比較史』岩波
書店 2004年 ジャネット・ハンター著（安部武司・谷本雅之監訳）『日本の工業化と
女性労働－戦前期の繊維産業－』有斐閣 2008年。
14) 多摩市史編集委員会編 前掲書 1997年 161-162頁。
15) 同上 186頁、坪郷 前掲論文 58頁。
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- 86 -
16) 同上 56頁。戦前の日本の織物業に存在した男女間の分業に関する相似した認
識をジェンダーの社会的構成として捉えつつ、これを批判的に検討した姫岡の
考察（姫岡 前掲書 65-96頁）も参照されたい。めかい研究においても検討するべ
き問いであろう。
17) 機織は農家の嫁の「副業」であり、また嫁入りや良い嫁の条件であるという風潮
の中で、西陣織は例外的に、男性の職場と見做されたが、西陣の男たちは「普及
品」ではなく「高級品」を作る「職人」として高い社会的評価の対象となった（姫岡
同上）。この非対称性の指摘は、多摩のめかいづくりの研究にも示唆を与えるか
どうか、検討に値するであろう。
18) マイケル・ポランニー著（佐藤敬三訳）『暗黙知の次元－言語から非言語へ－』紀
伊国屋書店 1980年。
19) 坪郷 前掲論文 56頁 58-59頁。
20) 同上 59頁。
21) 石井寛治著『日本経済史【第2版】』東京大学出版会 1991年114-123頁。中村隆英
著『日本経済－その成長と軌跡【第3版】』東京大学出版会 2008年 62-65頁。一方、
多摩では、地租は、概ね、従来よりも大幅な増額となったが（多摩市史編集委員
会、前掲書、1999年、93-95頁）、その後、松方デフレの影響などと相俟って、農村の
窮乏化が進み、武相困民党事件と呼ばれる急進的な農民反乱が発生した（樋口
前掲書 214-21 8頁、多摩市史編集委員会編 1999年 145-150頁）。これが、めかい
づくりの全盛期を迎えようとする時期の多摩農村の姿であったといえよう。
22) 同上 275-277頁。
23) 同上 79-89頁。金融恐慌によってめかいは半値になったという。めかいづくり
を行っていた農家の窮状を推し量りうる事実である。
24) 松田・近藤 前掲論文 73頁。
25) 橋本寿朗・大杉由香著『近代日本経済史』岩波書店 2000年 46-49頁、87-91頁。中
村 前掲書 85頁。
26) 松田と近藤は、めかいが「手間のかかる割には収入にならなかったこと」がその
衰退の一因だとしている（松田・近藤 前掲論文 73頁）。
27) 坪郷 前掲論文 59頁。
28) 多摩市史編集委員会編 前掲書 1997年 301頁。
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- 87 -
29) 中村 前掲書 80-86頁。以下の文献は在来産業研究に関する有益なレビューであ
る。谷本雅之著「在来産業の変容と展開」 石井寛治・原朗・武田晴人編『日本経済
史Ⅰ 幕末維新期』東京大学出版会 2000年 153-206頁。
30) 養蚕・製糸・織物業に関する影響力のある経済史的研究をものした石井の見解
（石井 前掲書 208-219頁）を参照されたい。
31) 谷本 前掲論文 2000年 166頁。織物業の事例において出稼ぎという選択肢が存
在するにもかかわらず、農家の女性が家内工業を副業とするのは、「農家世帯自
身の再生産『戦略』の一環」であると説明した谷本雅之の先駆的研究（谷本雅之
著『日本における在来的経済発展と織物業』名古屋大学出版会 1998年 466-467
頁）は、農家の行為主体性への着目を通じて多摩のめかい研究に重要な示唆を与
えるであろう。
32) 『多摩市史 民俗編』は多摩の農民の生活を「自給自足の暮らし」と特徴づけてい
る（多摩市史編集委員会 前掲書 1997年 271-287頁）。
33) 講座派の系譜を引く石井の見解と自らを近代化論者と規定する中村の見解を比
較されたい（石井 前掲書、中村 前掲書）。
34) 里山農業クラブを訪問して聞き取りを行った際に聴取した内容。
35) 「事例(1) 田中登氏」 多摩市史編集委員会『多摩市叢書（ 11） 多摩市の民俗（メカ
イ＜目籠＞関係資料』多摩市 1996年 15頁。
36) 例えば、「王禅寺の篠は土質の関係か、細工物に合う固さの篠であったという」な
ど。「事例（4）峰岸シゲ子氏、野島祐一氏」 多摩市史編集委員会 前掲書 1996年 23
頁。伊野氏への聞き取り調査からも同様の情報が得られた。
37) 「（メケエつくりに適しているのは）枝の出ていないまっすぐにすうっと延びて
いて、節のマとマ（間隔）の長い一年目のを選んで用いる。節のマとマの長いも
のを用いるのは、節のマとマが近いと出来上がったメケエの見た目が汚らしい
からである」。「メケエつくり」『雑木林と人々のくらし』多摩市文化振興財団 1990
年98頁。小谷田氏への聞き取り調査からも同様の情報が得られた。
38) 東季実子・小林達明は、アズマネザサの生育の促進・抑制に関わる要因としては
土壌pHがもっとも大きな影響を与えるとする。「アズマネザサ(Pleioblastus chino
Makino）の生育に及ぼす植生・土壌・地形の影響」『日緑工誌』29巻1号 2003年
131-134頁。
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- 88 -
39) ただし、このときに採取した場所は継続的に採取できないことが後ほど判明し
た。そのため、別の日に改めて裏山の中を見て回り、適する場所があることが分
かった。それについては第二章4．（4）で言及した。
40) 多摩市「多摩市史叢書（ 11）多摩市の民俗（ メカイ＜目籠＞関係資料）」1997年あ
るいは松田操・近藤茂著「メケエつくり」『 雑木林と人々のくらし』多摩市文化振
興財団 1990年など。
41) 例えば、財団法人多摩市文化振興財団主催の「くらし体験クラブ　荷造りバンド
でメカイを作ろう！」(2009年2月11日開催)や学校向け出前プログラムの一環と
しての「クラフトテープでめかいをつくろう！」などがある。
(http://www.parthenon.or.jp/rekishi/pdf/leaflet.pdf 2010.03.24)
42) 東・小林 前掲。
43) 養父志乃夫 亀山章編「雑木林の植生管理」ソフトサイエンス社1996年 162頁。
44) 2010年2月に、千葉県成田市で竹製品を取り扱っている藤倉商店を訪問し、同店
代表の藤倉良夫氏からシノダケ製品に関する聞き取りを行った。
45) 多摩市史編集委員会 前掲書、坪郷 前掲論文など。
46) 坪郷英彦「埼玉県秩父地方における技術文化の変容」『デザイン学研究』48巻1
号 2001年 7頁。
47) 例えば、宮城県岩出山地区（現在の大崎市）や岩手県一戸町鳥越地区などがあ
る。鳥越地区の竹細工は、NHK「こんなステキなにっぽんで 観音さまと竹細工」
（2010年3月3日（再）放送）で取り上げられた。
48) 「広報よこはま栄区版」平成20年5月号によれば、シノダケを割って編んだ円形
の大きな笊で、横浜港の中で石炭の運搬など、また道路工事の際土砂の運搬の道
具として使われ、横浜の上郷地域の特産にもなっていた。
49) 山口智子のシリーズ「掛けたくなる軸」は朝日新聞の『AERA』2009年5月4日号
-7月6日号に連載された。
50) 松井健「マイナー・サブシステンスの世界」篠原徹編『民俗の技術 　現代民俗学
の視点Ⅰ』朝倉書店 1998年 247-254頁では、マイナー・サブシステンスは次のよ
うに定義されている。
(1) 最重要とされている生業活動の陰にありながら、それでもなお脈々と受け
継がれてきている生業
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- 89 -
(2) 消滅したところで、たいした経済的影響をおよぼさないにもかかわらず、
当事者たちの意外なほどの情熱によって継承されてきたもの。しかし、経
済的意味は少しでもあることが重要
(3) きわめて身体的な、自然のなかに身体をおき身体を媒介として対象物との
出会いを求める行為
　 経済的な側面が皆無ではないが遊びの要素が強く、熟練するためにはかなりの
努力を要するが当事者には楽しみとして捉えられており、自然環境を熟知する
ことによって持続的に続けられるような種類の生業を指す。例として水田での
漁撈、ニホンミツバチの養蜂などが挙げられる。
51) 田中優子編『手仕事の現在－多摩の織物をめぐって』法政大学出版局 2007年129
頁には、多摩地域で二代にわたって草木染めに従事する方の例が参考になるだ
ろう。
　　「父は姿勢を正しくすることを伝えてくれました。『いいものを染める』『「いいも
のを作る」という気持ち、そして『遊び心』です。何時間かけるか、ということで
はなく、遊び心があって、いいものを作れば生活に潤いが出る、と思えれば手間
を惜しみません。その手間はさまざまなかけ方があります。染材をとっておい
て、三〇回染め重ねていい色になる場合もあります。とっておくとだめになっ
てしまうこともあります。生活の中から、それは発見してゆくのです。また環
境破壊につながるような植物の採り方もできません。身近なものを使って染め
ればいいのです」
引用および参考文献
石井寛治『日本経済史【第2版】』東京大学出版会 1991年
石田涇源・加藤明「竹細工に生きる」解放出版 1990年
伊藤邦男「南佐渡小木の花・名木・美林」佐渡国小木民俗博物館1990
上田弘一郎「竹づくし文化考」東京新聞社 1986年
内村悦三「竹の魅力と活用」創森社 2004年
沖浦和光「竹の民俗誌」岩波書店 1991年
小木町史編さん委員会「佐渡 小木町史 上巻」新潟県佐渡郡小木町1979
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- 90 -
小木町史編さん委員会「佐渡 小木町史 下巻」新潟県佐渡郡小木町1981
小出九六生「竹の手仕事人がつづる 竹は無限 無限の竹」オフィスエム 2001年
ジャネット・ハンター著（安部武司・谷本雅之監訳）「日本の工業化と女性労働－戦前
期の繊維産業－」有斐閣 2008年
田中優子「手仕事の現在 多摩の織物をめぐって」法政大学出版会 2007年
谷本雅之「在来産業の変容と展開」、石井寛治・原朗・武田晴人編『日本経済史Ⅰ 幕末維
新期』東京大学出版会 2000年
谷本雅之「近代日本の女性労働と『小経営』」、長野ひろ子・氏家幹人・桜井由幾・谷本雅
之編『日本近代国家の成立とジェンダー』柏書房 2003年
多摩市史編集委員会編「多摩市史叢書（ 11）多摩市の民俗（ メカイ＜目籠＞関係資料」
多摩市 1996年
多摩市史編集委員会編「多摩市史 通史編二 近現代」多摩市 1999年
多摩市文化振興財団 1990年「パルテノン多摩ムージアムライブラリー 雑木林と人々
の暮らし」1990年
坪郷英彦「在来技術の成立要因の分析」『デザイン学研究』45巻5号 1998年
坪郷英彦「埼玉県秩父地方における技術文化の変容」『デザイン学研究』48巻1号 2001
年
中村隆英『日本経済－その成長と軌跡【第3版】』東京大学出版会 2008年
中村俊亀智「関東地方タケカゴ細工の展開－日本列島におけるカゴ細工の諸系列(2)-
1」『国立民族学博物館研究報告』2巻1号 1977年
萩生田長吉「多摩のめかい」私家版（ 不明）
橋本寿朗・大杉由香著『近代日本経済史』岩波書店 2000年
東季実子・小林達明「アズマネザサ(Pleioblastus chino Makino）の生育に及ぼす植生・土
壌・地形の影響」『日緑工誌』29巻1号 2003年
樋口久『市民のための八王子の歴史』有峰書店新社 1998年
姫岡とし子『ジェンダー化する社会－労働とアイデンティティの日独比較史』岩波書
店2004年
マイケル・ポランニー（佐藤敬三訳）『暗黙知の次元－言語から非言語へ－』紀伊国屋
書店 1980年
松井健「マイナー・サブシステンスの世界」篠原徹編『民俗の技術 現代民俗学の視点
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- 91 -
Ⅰ』朝倉書店 1998年
室井綽「竹」法政大学出版会 1973年
山口智子「掛けたくなる軸」『AERA』朝日新聞 2009年5月4日号-7月6日号
養父志乃夫 亀山章編「雑木林の植生管理」ソフトサイエンス社1996
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- 92 -
参考資料－1
佐渡の竹製品の調査
1．両津郷土博物館での聞き取り調査（2009年12月18日）
　両津郷土博物館の学芸員の宇治美徳氏から聞き取り調査を行った。
　「この博物館では、郷土の竹製品を昭和40年頃から収集しているが、この
時期は日用品が竹製からプラスチック等の石油を原材料とする製品に転換
していく時代であった。展示は昭和57年から行っている。現在では、竹工
職人は激減し、高齢化も進んでいる。竹工の盛んであった小木町でも竹工協
同組合が解散するなど、竹工は衰退する一方である。現在では毎月の定期市
で竹製品を扱う店が一店出るかどうかという程度である。
　佐渡の竹工の起源は定かではないが、元禄時代には行われていたのではな
いか。竹製品は、主に日用品や漁業の道具として作られてきた。北前舟で北
海道へ松前かせぎに出かけるなど、北海道とは海運でつながっていた。タケ
が分布していない北海道へ竹製品を運んで、売っていたようである。北前舟
の寄港地でもある前浜海岸には当時から竹林が分布していた。
　江戸時代に大地震があり、地震で海岸線が隆起した結果、狭く複雑な入江
ができた。そのため、船底が平らなタライ舟が作られるようになり、竹でタ
ガをつくることにより竹工技術が発達した。タライ舟は、現在では国の文
化財に指定されている。しかし、その技術を伝承する職人が現在では1人と
なってしまっているため、技術の伝承のための講習会を開いている」
2．過去に竹細工に携わっていた方からの聞き取り調査（12月19日）
　宿泊した民宿又七荘の近所に、かつてシノダケのザル等を作っていた方が
いらっしゃるとのことから、その女性にお話をうかがった。
　「かつては元小木の部落で10人くらいの職人がいたが、近年は若い人で竹
細工を行うものはいなくなった。竹細工は一人前になるまで、三つ組、四つ
組の揚げざるを作れるようになるまで3年くらい掛かる。竹山を1つ持って
いるとそれだけで暮らすことができた。
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- 93 -
　9月頃から男性が竹を切って竹材とする。竹細工職人は、竹材を割る人、編
む人、縁をまく人と別にいた。しかし、10年前までは1人で全ての工程を行っ
た。そのほうが儲けもよかった。竹材としてのシノダケは3年生くらいもの
が適度な硬さでよい。佐渡では割り竹を薄く剥ぐことを‘ひく’という。シ
ノダケを‘ひく’時に使う包丁（切り出し小刀）の刃には、幅が均一な材が取れ
るよう、（3mm程度の）溝が作られている。また、溝は半円形となっており、ひ
いた後の竹材の断面は、肉側がやや盛り上がったかまぼこ型となる。この包
丁は鍛冶屋さんで作ってもらっていたが、現在このような包丁を作ってくれ
る鍛冶屋さんはない」
　
　
　
　
　
　
　
写真①　シノダケ（ヤダケ）加工用の
包丁（小木町）
（2009年12月18日撮影）
写真②　シノダケ（ヤダケ）加工後の
断面（小木町）
（2009年12月18日撮影）
3．奥州屋商店での聞き取り調査（12月19日）
　現在でも竹細工を販売している奥州屋商店には竹細工の作業場がある。
ご主人は既に引退され、竹細工を行っているご主人の息子さんともう一人の
方から話をうかがった。
　「小木では、もともとシノダケでざるを作っていた。佐渡でシノダケといっ
て使っているものはヤダケである。小木の景勝地である矢島では、良質のヤ
ダケを産した。
　シノダケを原料とする竹細工は簡単だが、能率が上がらない。マダケ、ハ
チクは材を薄くひくための機械が導入されている。ひいた後の竹材の断面
がかまぼこ型であるのは、水切れをよくするためである。シノダケは材が弱
いが、マダケ、ハチクは材を薄くすれば、強くてよいものがつくれる。竹をひ
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- 94 -
く機械には、材が軟らかいシノダケを入れることはできない」
　「かつては竹細工を扱う店が小木町だ
けで170軒あった。江戸時代には北前舟
で北海道へ竹細工が送られていた。シノ
ダケでは米揚げざるを作り、千葉の銚子
へソバ揚げざるを卸した。米揚げザルは
小木が始まりだがソバ揚げザルは東京か
ら作り方が伝わった。文庫はシノダケで
は作れない。現在は合羽橋、日本橋の木
屋へ卸している。米揚げざるは、縁がシ
ンコ（その年に出たシノダケ）で、ザル部分は3年生以上のシノダケを3枚に
ひく」
　
　
　
　
　
　
写真④　シノダケ（ヤダケ）製の
そば揚げ笊
（小木町、奥州屋商店）
（2009年12月19日撮影）
写真⑤　シノダケ（ヤダケ）製の
米揚げ笊
（小木町、奥州屋商店）
（200910年12月19日撮影）
4．小木民俗博物館の見学（2月19日）
　種々の郷土資料が展示されており、竹ザル等の竹細工も種類、数ともに多
くのものが保管されていた。その多くは竹製であったが、米揚げざる、ソバ
ザル等のシノダケ製のものもいくつかみられた。
　販売コーナーでは、シノダケ製の米揚げざるが販売されていた。「販売用の
シノダケ製のものは米揚げざるのみで、地元で生産されている」との説明で
写真③　竹ひき用の機械と作業風景
（小木町、奥州屋商店）
（2009年12月19日撮影）
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- 95 -
あった。
5．小木のタケ、ササ類について（2月19日）
　聞き取り調査の後、小木町の道路沿いに見られるタケ、ササ類の観察を
行った。タケ類はマダケが多く、一部にモウソウチクが見られた。ササ類は
ヤダケが多く、その他メダケがみられた。
通常、ヤダケは節から1本ずつ枝を出すが、
小木町のものは枝を2～3本出しているも
のが多くみられた。種内の変異にとどまる
ものと思われるが、関東のものとはやや趣
が異なるように感じられた。
　ヤダケの標本を1点民宿に持ち帰り、民
宿の方に確認したところ、「この地域では、
ヤダケをシノダケといっている」とのこと
であった。
　
補足　収集した文献にみられるシノダケに関する記述
a) 小木町史編さん委員会「佐渡　小木町史　上巻」1979
　「篠竹は佐渡の中でも、小木、羽茂方面のものが背が高く、とくに村山
や小泊のタケは質が良いといわれました。小泊方面の竹は戦前までは
新町の浜中や、四日町の職人が加工していました。小木にも職人がず
いぶんとたくさんいました。対象から昭和十年ころまでは二百人近く
も職人がいて、篠竹の利用も激しかったのです。職人たちは仲間をつ
くって、岬の村々や西三川方面へと泊まり込みで必要の分だけ刈りに
いきました。篠竹代はほとんど農家の主婦のヘソクリになりました」
　「笊つくりの全盛時には、村のカカや嫁が秋の取り入れの終わるのを
待ちかねて篠竹を刈って町へ売りに出たとも言います。その金をシン
ゲイ銭と呼んで、女たちのふところにふかくしまいこまれました。女た
ちは、二束を背負って町に下りたり、牛の背中に四束、六束ほど付けて
写真⑥　小木町のシノダケ（ヤダケ）
（2009年12月19日撮影）
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運んだり、また、岬の人は舟で運んできました。篠竹の不良品は越後行
きといって越後に売られていったのです」
b) 小木町史編さん委員会「佐渡　小木町史　下巻」1981
「 ソバ揚げ笊は、昭和三十五年ころからさかんになりました。そして、
生産者のほとんどがソバ揚笊製作に転業しました。種類も一般に製作
しているものは、直径尺六寸もので、注文によっては、尺七寸、尺八寸、
二尺ものもあります。材料は、中心になる輪の竹に孟宗竹を使い、あみ
竹は篠竹、縁巻は藤ヅルを使って仕上げます。揚笊一枚で七百三十円、
タメ笊は一枚六百五十円」
c) 伊藤邦男「南佐渡小木の花・名木・美林」1990　
　‘竹工の町’「明治の終わりころから昭和のはじめまでは、シノ竹（和
名　ヤダケ）で編む口付き米上げ笊づくりが盛んであり、主に北海道・
東北へ盛んに輸出し、小木岬の竹林農家の家計を救い小木町の没落を
防いだ。大正11年の小木町一覧表には、籠工（笊工）200戸360人とある」
　「昭和28年頃になるとビニール製品の出現により、それまで竹にた
よっていた部分を一挙に侵しはじめ、新たな試練を迎えた。昭和30年
代からは、山本太一・大場浩・数馬浅治ら各氏が新製品の試作に全力を
挙げ、真竹で盆笊（盛器）を、シノ竹でそば揚げ・タメ笊づくりを普及さ
せ、昭和50年代になるとお茶用花籠づくりもはじめるようになった」。
　‘花籠づくり’「小木町に花籠づくりを指導したのは本田卿雲（昭和2
年生まれ。新穂村在住）氏である。（中略）当時別府にいた本田氏に、大
分県産業工芸試験所より佐渡小木町の竹細工を指導してほしいという
依頼があり、本田氏と佐渡との交流が始まった。
　そのころ小木ではシノダケ（和名ヤダケ）で盆笊をつくっており、この
シノ竹で茶室用の花籠をつくってはどうかと竹工所に相談し、それで
は製品化しようということでスタートした」
　
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- 97 -
参考資料－2
インドネシアのバンブー細工の事例
　インドネシアのバリ島Pelaga村およびロンボク島Sumbarun村の籠作りの
概要を以下に報告する。なお、この状況はビデオにも収録している。
1．バリ島（バリ州）Pelaga村（2009年12月20日）
(1) 村の概要
　Pelaga村は、バリの中心デンパサールから北に約40km、車で1時間弱の標
高800m前後の丘陵地にあるバリ・ヒンドゥー教の村で、人口は、1000名ほど
（220所帯）。主要産品は、コーヒー（アラビカ：販売、ロブスタ：自家消費）、野
菜、果樹、米（自家消費にも不足）である。この村は、デンパサールにあるNGO
の支援を受けて、有機農法（野菜、果樹、コーヒーなど）を核とするエコツーリ
ズムに取り組んでおり、食材・料理は当然、家具・台所用品や農業用品も、村に
ある地元の資源・技術の活用を進めている。
(2) ヒンドゥー教にのっとったバンブー細工づくり
　バンブー細工は、先祖伝来の作業であり、バンブー（熱帯の地下茎の短い竹
の一種）の切り出しから材料作り、籠作りまで、すべての工程は、男の手仕事
であり、女性は、ヤシやバナナの葉の容器作りを担当している。
　籠作りで使う道具は、斧（切り出し）、のこぎりと包丁（大型のナイフ）であ
る。バンブー切り出しのときは、下草を刈るための鎌ももって行く。村には、
多くの種類のバンブーが自生している。屋根、柱、壁など建築材、椅子、机な
どの家具、米などの蒸し器、米や塩の保管用の台所用品、収穫した野菜、コー
ヒーの実あるいは牛の餌となる草の運搬のための用具、そして祭礼のお供え
物入れというように、色や太さ、強度などのよって、使用するバンブーを使い
分けている。
　籠作りでは、バンブー・プティとよばれる乾燥すれば幹が白くなる直径
10cm程度のバンブーで、まだ水分の多い2-3年生のものを使用する。作る籠
のサイズや種類に応じて、のこぎりでバンブーの長さをそろえるように筒状
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- 98 -
に切り、その後、包丁で筒を二割、四割、八割、十六割と割っていく。皮の部分
も肉の部分もほぼ同じ幅（2-3mm）で厚み1mm程度のヒゴに仕上げ、肉部分の
不要な繊維などは包丁で剥いでいく。よく作られるのは、ヒンドゥー教のお
祭に使われる直径15cm程度の籠で、これは、いわゆる六つ目編で作られる。
　原料のバンブーに切り出しは、ヒンドゥー暦に従って切り出しの良い日が
決まっており、さらにバンブーから水分が“出て行く“午後の時間帯に行う。
材料となるヒゴ作りと籠づくり作業は、雨期の農作業に出られないときに、
村の集会所に子どもから老人まで男性が集まっておこなわれ、こういう機会
を通じて子供たちへの伝承がおこなわれるという。
　竹籠作りの作業が半日間とすれば、材料のヒゴ作りには1日間かかり、材料
作りに時間がとられるという。ちなみに、直径15cm、高さ10cm程度の六つ目
編の籠であれば、一つが20分間程度で作られていた。
　これらの籠などは、台所用、農作業用、そして祭礼用に欠かせないものであ
り、村の中で使われ、製品として村外に販売されることはない。ただし、村で
収穫した野菜の運搬籠としては村の外に出されることもある。
　村の集会所での籠作りの実演をおこなってくれた数名の男性によれば、
「籠などは祭礼に不可欠であり、もし村の男性で籠作りが出来ないと、malu
（恥じ）と感じる。男は子どものころから必ずできるようになる」という説明
であった。
　Pelaga村では、ヒンドゥー教のしきたりが生活や生産活動の規範となって
おり、バンブー細工もヒンドゥー教の祭礼に不可欠な存在となっている。
写真⑦　籠作りの材料のバンブー
（2009年12月20日撮影）
写真⑧　籠の編み始め
（2009年12月20日撮影）
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- 99 -
　　　　　　　　　　　　　
　　　　
写真⑨　籠編み作業
（2009年12月20日撮影）
写真⑩　出来上がった籠
（2009年12月20日撮影）
2．ロンボク島（西ヌサテンガラ州）Sumbarun村（12月22日）
(1) 村の概要
　Sumbarun村は、空港のあるマタラムから北東に約120km、車で2時間半ほ
どの標高1000mの平地（元のカルデラ湖）にあるイスラム教徒の少数民族サ
サック族の村であり、人口2000人（300世帯程度）である。主要産品は、米（冷
涼なため、赤米のみ）と近代農法に基づく各種の販売用の野菜が栽培されて
いるが、果樹は少ない。リンジャニ火山（標高3730m）の登山基地にもなって
いる。
(2) 高齢男性の手仕事としてのバンブー細工づくり
　バンブーを原料とする細工は、先祖伝来の作業であり、バンブーの切り出
しから材料のヒゴ作り、籠づくりまでのすべての工程は、男性がおこなう。
周辺の山からバンブーの切り出しは若者・壮年男性が担当し、材料のヒゴ作
りから籠づくりまでは、重労働の出来なくなった高齢男性の手仕事となって
いる。女性は、米の脱穀や精米などを分担している。
　籠づくりに使用するのは、直径10cm程度のまだ水分の多い2-3年生のバン
ブーである。作る籠のサイズや種類によって、50cmから3mほどに長さの筒
状に切りそろえ、その筒を厚手の包丁（鉈）で二割、四割、八割、十六割、三十二
割と割っていく。皮の部分も肉の部分もヒゴとして使い、その幅は籠の種類
によって3mmから15mmで厚みは1-5mm程度である。
　籠として重要が多いのが、トマトなどの野菜の運搬用であり、これらは収
穫時期になると高齢者が集まって、かなりの数の籠（六つ目編）が作られる
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- 100 -
という。このほかには、台所用品としてのコーヒーや塩の保存のための籠や
笊、庭におく鶏籠などがある。男の子どもは、山で獲ってきた小鳥をいれる
籠を作ることから技術を学ぶという。しかし、この村の男性で細工を行える
のは、今では20-30人程度に限られており、最近の子供たちはこのような細工
にほとんど興味を示さないという。
　Sumbarun村は、伝統文化の継承を支援しているNGOスタッフによれば、野
菜作り（F1種＋化成肥料＋農薬のセット）の拡大によって急速に現金経済に
巻き込まれてきているという。これは確実に所得の向上をもたらしている
が、その一方で、プラスティック製品（その多くが中国製）などの外部からも
たらされる財への依存度が高まっており、先祖伝来のバンブー細工の技術な
ども、今後は徐々に廃れていくのではないかという話であった。
写真⑪　籠作り（塩入れ）
（2009年12月22日撮影）
写真⑫　籠作り（鶏籠）と材料
（2009年12月22日撮影）
　　　　
　　　　　　　　　　　
写真⑬　出来上がった鶏籠
（2009年12月22日撮影）
写真⑭　子どもが作った小鳥入れ
（2009年12月22日撮影）
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- 101 -
参考資料－3　2009年度活動記録
年月日場所活動内容参加者
2009年5月30日恵泉　J205教室打合せ会研究会の発足にあたり、研究の目的、活動内容や実施計画
などを打合せ
恵泉：谷本、篠田、荒又、定松、漆畑
学生：大石、斉藤、大谷、李
地域：浅井、鈴木、菊地
2009年7月4日多摩市東寺方　伊野氏宅現地調査
多摩のめかいづくりの歴史、めかいづくりの経緯、シノダ
ケの入手方法、めかいづくりの技術および伝承、実践など
をインタビュー
恵泉：谷本、荒又、漆畑
2009年7月25日八王子市松が谷　小谷田氏宅現地調査めかい資料館建設の経緯、多摩のめかいづくりの歴史、め
かいづくりの技術や伝承などをインタビュー
恵泉：谷本、篠田
学生：大石、斉藤、大谷、李
地域：浅井
2009年7月29日多摩市教育委員会　Y氏現地調査多摩市（教育委員会）が行っためかいづくりに関する調査
の概要、成果物の保管、伝承者の情報などをインタビュー恵泉：篠田
2009年10月15日八王子市堀之内　X氏宅現地調査
堀之内里山農業クラブの活動の一環でおこなっているめ
かい活動を見学し、里山保全とめかいづくりの係わりなど
をインタビュー
恵泉：篠田、荒又
地域：菊地、大泉
2009年11月4日恵泉　自然観察林、J213 現地調査・体験恵泉自然観察林周辺のシノダケの生育状況を探査し、シノ
ダケを採取してヒネ（ヘネ）作りを試行
恵泉：谷本、篠田、宮内
学生：篠田3年ゼミ生、谷本2年ゼミ生有志
地域：菊地、長瀬、鈴木
2009年11月7日恵泉　C302教室第一回研究会2009年度の行ってきた文献調査、現地調査などの内容の報
告と議論、今後の活動内容や方針の議論
恵泉：谷本、篠田、荒又、宮内、新妻、（木村学長）
学生：大石、斉藤、遠藤
地域：白石、浅井、菊地、大泉、金子、塩谷
2009年11月11日恵泉　自然観察林および周辺地域現地調査
11月7日の活動に引き続き、恵泉の自然観察林およびその
周辺地域で、シノダケの生育状況を観察し、シノダケ採取、
ヒネづくり、めかいづくりを体験
恵泉：篠田、宮内
学生：大石、斉藤、遠藤
地域：菊地
2009年12月19－21日新潟県小木町　小木博物館他現地調査
佐渡小木町の博物館他で竹細工の状況をヒヤリングする
とともに関係する資料を収集。シノダケを活用した製品
作り組合は解散し、個人による活動のみの存続を
恵泉：宮内
2009年12月20日、22日インドネシア　バリおよびロンボ
ク現地調査
別件の現地調査の一環で、バリ島のPelage村およびロンボ
ク島のSunbarun村でのバンブー細工の状況をヒヤリング
するとともに籠づくりの状況をビデオに収録
恵泉：谷本
2010年2月4日府中市　かじ福　A氏現地調査
めかい包丁を制作する府中市の鍛冶屋かじ福の工房を訪
問し、めかい包丁の歴史的背景などのインタビューを行
い、めかい包丁を購入
恵泉：谷本、篠田
2010年2月9日千葉県成田市　藤倉商店現地調査
シノダケなどの竹製品の生産地の情報を得るとともに、竹
製品の優位性（環境、エコの面）について話を聞き、宮城県
および岩手県産のシノダケ製品のいくつ
恵泉：谷本
学生：遠藤
2010年2月11日恵泉　J205教室第二回研究会2009年度の研究成果の報告に基づき、報告書の内容を議論
し、2010年度の研究の方向性を確認
恵泉：谷本、篠田、荒又、宮内、漆畑
学生：大石、遠藤
地域：白石、浅井、大泉、菊地
2010年3月25日八王子市堀之内　K氏宅現地調査
堀之内里山農業クラブの活動の一環でおこなっているめ
かい活動を見学するとともに、今後の研究への協力などを
打合せ
恵泉：篠田
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- 102 -
参照資料－4
恵泉女学園大学自然観察林の
シノダケ（アズマネザサ）採取の適地
　注：太線内が恵泉女学園大学の所有する自然観察林、点線斜線内がアズマネザサ採
取に適した場所
恵泉女学園
大学
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- 104 -
多摩市における園芸ボランティア育成を
成功に導くための基礎研究（3）
－多摩市、町田市における園芸ボランティア活動の実態調査
と大学が向かうべき方向性とは－
山　　浩美（本学非常勤講師）
澤登　早苗（人間社会学部人間環境学科）
Primary Research for Successful Local Garden Volunteers
in Tama City (3)
YAMA Hiromi &amp; SAWANOBORI Sanae
1　はじめに
　筆者らは大学のある地元多摩市において公園等の公的空間にある花壇な
どの維持管理を行う園芸ボランティアを育成するためには何が必要である
か、本学はどのように関わっていくべきかを明らかにするために、2007年度
から研究を行ってきた。＊1
　初年度は園芸ボランティアの育成において実績のある関西地方における
先進事例を調査し、1年間ボランティア講座を受講した修了生たちの活動状
況を考察した。その結果、関西地方では受講料を払って花壇づくりボラン
ティアについて学びたいと思っている人が多く存在していること、園芸ボラ
ンティアとして活動する際には、セミナーで「園芸の知識と技術」と「ボラン
ティア活動」の両方について事前に学ぶことが当たり前のこととして受け入
れられていることが明らかになった。また、ボランティアの実践現場では、
ボランティア＝無償の労働奉仕ではなく、「時間を提供することで、園芸活動
を通じて更なる知識や技術を得ることができる」体制が整えられており、こ
のことが自ら考え、活動できる実働可能な花壇ボランティアの育成に大きく
寄与しているものと推察された。
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- 105 -
　二年目、2008年度の調査では、関西地方において活動しているタイプが異
なる2つの園芸ボランティアグループに対して詳細な聞き取り調査を行うと
ともに、多摩市及び周辺地域における園芸ボランティアの活動状況の把握を
試みることで園芸ボランティア活動を充実させ、その自主性を高めていくた
めには、何が必要であるかを検討した。＊2
　その結果、関西地方の調査では、身近な公園にある花壇を美しく維持管理
したいという明確な活動目的に向かって最初から自発的に園芸の知識、技
術、情報の習得に努め、活動システムを整備し、向上させるために勉強して
いるグループと、当初は行政が主導して、町の美化という緑化活動をボラン
ティアでやってもらおうと養成した人達が、園芸の知識や技術を習得した
結果、行政主導の花壇づくりに飽き足らずに、自分たち自身でレベルの高い
花壇づくりをしたいという理由で自立したグループについて調査を行った。
両者のグループに共通していたのは、いずれも活動が活発で自主性に富んで
いること、行政との関わり方については覚書を交わすことで活動の内容を明
確にし、必要な支援を受けながら持っている知識や技術を存分に発揮し貢献
するという関係が成り立っていた。また、会員名簿作成や会則つくりなど花
壇の作業と直接関係のない事についても、責任をもってスムーズに活動する
ために必要なこととして取り組んでいた。これらは園芸の基本的な知識や
技術を共に学び、ボランティアの役割について理解するという共通の認識の
上に活動し、結束を確固たるものにしてきた結果と推察された。
　一方、多摩市については、アダプト制度において行政との合意書の取り交
わしはあるものの形式的なものとなっている場合が少なくないようであっ
た。その背景にはボランティアグループと行政においてボランティア活動
に対する認識必ずしも十分でないという状況があり、それはボランティア教
育が適切に行われることで解消される問題であろうと推察された。そのた
め、本学がこの問題を解決するために適切な教育プログラム提供することが
できる可能性があることが明らかになった。
　三年目となる今年度は、多摩市と町田市など地元における園芸ボランティ
アの活動に関する実態調査を中心に行い、本学が公開講座として開講してい
る「花壇ボランティア養成講座」修了生の学外での実践活動の展開の可能性
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- 106 -
について検討し、多摩市において園芸ボランティアを養成・強化し、その活動
を定着させていくために必要となる基礎的な知見を提示し、大学として向か
うべき方向性を提案したい。
2　多摩市の緑化事業の取り組みについて　
　多摩市は、面積21平方km、東京都の中央部にあり南は神奈川県川崎市、町
田市に、西は八王子市と日野市に接し、多摩丘陵の北端部を占めており自然
豊かな一面と、都心からの交通の便の良さもあり人気の高い住宅地となって
いる。多摩ニュータウン開発の影響で1970年代には急激に人口が増え、多
くの小・中学校が設置されたが、近年は少子化により統廃合が進んでいる。
現在の人口は、15万人。緑豊かな一面として多摩市内の公園・緑地は約200
か所と多数あり、東京都市域内での行政面積当たりの割合が1位、人口当た
りでは2位と言われている。下記に多摩市が展開している主な緑化事業に
ついて紹介する。
①花いっぱい推進事業
　「街かどに花を植えて市民の交流を深めること」を目的として、道路に面
する花壇やプランター4㎡以上を所有しており管理できる市民2人以上のグ
ループが参加できる活動。市から春、秋の年二回配布されるセル成型苗を利
用して花壇づくりをして管理する。
　対象は、学校・保育園などのPTA活動、あるいは団地の共有地での花壇など
で、約70団体に配布している。
②グリーンボランティア講座
　雑木林の育成管理、竹林整備、苗木やシイタケ菌の植え付け、腐葉土つくり
の実習のほか、公園などの観察、植生調査、施設見学など、毎月1回、年10回で
ボランティアを育成する講座である。
　市内のあちこちに広がる雑木林や公園を、市民のボランティアを育成する
ことで維持管理してもらおうという緑地面積が多くある多摩市ならではの
活動と言えるだろう。
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- 107 -
③グリーンライブセンター
　市の運営する緑化活動の拠点となる施設
　月曜日を除く毎日、9時半から17時までオープンしており、ピラミッドギャ
ラリーと呼ばれる花鉢や観葉植物を展示するガラス温室と園芸相談、図書設
備を備えたライブホールでは、緑化関係の講座を行っている。屋外には、800
㎡のロマンチックガーデンがあり草花やハーブなど年間2万株を植替えしな
がら管理し鑑賞できるように整えている。
④アダプト（里親）制度
　「新たな地域社会の支え合いの仕組みづくりのため」に、2003年度からはじ
まった、道路や公園にある一定の区域について緑化や清掃美化活動をしても
らう市民参加の制度である。市民のみならず市在勤の団体グループ、大学、
企業と対象は多岐におよび、市としてはこの活動を普及、啓発し一部（市役所
前のプランターは市の総務課担当）の花壇を除きほぼすべての市内の公園、
緑地等の花壇は、アダプト制度によって管理されている。
　前回の調査（園芸文化　第6号　2009年7月発行）で報告したように、これ
は市民グループが申請し、市と相談の上、場所を決め、合意書を取り交わし
たうえで活動が認められる。市からは、花壇の確保、ボランティア保険の加
入、アダプトサインの設置のほか、清掃用具の提供がある。春、秋の年2回（各
6,000株）購入した花苗を希望者に配布している。
　配布している花の種類（2009年度）
春（5月） マリーゴールド（混色）
ベゴニア（混色）
ニチニチソウ（混色）
ポーチュラカ（混色）
メランポジューム
サルビア（赤）
秋（11月） カレンジュラ
ハボタン（混色）
パンジー（混色）
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- 108 -
ビオラ（混色）
プリムラ　ジュリアン（混色）
　配布されるものは花苗のほか、希望すれば黒土や肥料など。
写真1　からきだの道（多摩市）
3．　町田市の緑化事業の取り組みについて
　町田市は、面積72平方km、市の中心部はJR、小田急線町田駅を中心に百貨
店など大型商業施設が集中し都心からも近く、市内および周辺に大学が多く
あることもあって街には若者が多く集まっており活気にあふれている。一
方、市の北部には多摩丘陵が広がり、七国山・薬師池公園や小山田緑地などの
自然公園もあることから親子連れにも人気がある。人口は42万人。豊かな
自然と神奈川県の中心である横浜や、東京都心へも電車で30分ほどで出ら
れるという利便性の良さも加わって、古くからの住民に加えて近年、急速に
人口が増えている。町田市は、市内に350以上の花壇づくりのボランティア
団体があり、春・秋の年2回の花壇コンクールは35年の歴史があるという緑
化活動の盛んな市である。下記に町田市で展開されている主な緑化事業に
ついて紹介する。
①花のまちづくりコンクール
　2009年度で10回目を迎えた、年1回おこなっているコンクールである。市
内が花でいっぱいになることを目的に、個人や地域のまとまったグループ、
事業所などが道行く人が楽しめるように外へ向けて玄関まわりや道沿いな
どを季節の花や緑で飾ることを対象としている。
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- 109 -
②花壇コンクール
　1973年に始まった春、秋の年2回実施されているもので「花の香り漂う美
しいまちづくり」に寄与することを目的としている。参加条件は、公共的空
間に10㎡以上の花壇用地があり、10人以上の仲間で管理すること。
　花壇に植える花苗は、市営小山田苗圃で育てた苗を年2回配布しており、
公園、道路、学校、幼稚園など公共的な場所に市民参加で花を植えて育て、花
壇コンクールで美しさを競う。これは花と緑いっぱいのまちの実現に向け
て共に考え、共に育て上げていく事業として位置づけられており、日常の管
理を通して地域のコミュニケーションを育むことや、市民と一緒に環境づく
りについて考え、参加することによって生き生きと生活できる健康づくりに
役立つことに繋がることも期待されている。
③花と緑の交換会
　植物を持ち寄り交換しあう「花と緑の交換会」は春と秋の年2回開催され
ており、家庭で殖やした植物を持ち寄り交換することにより、花とみどり
いっぱいのまちづくりに寄与すること、住民のコミュニケーションを花とみ
どりを通して図ることが目的となっている。
　また、「花と緑のリサイクル」も同時開催される。育てることが出来なく
なった植物や、沢山増えすぎたものを人に譲りたい場合は、交換会の開催に
合わせて開催期間を5日間と余裕を持たせて設定することで、それぞれの都
合に合わせて植物を持参できるように配慮されている。
④花とみどりの教室
　年4回、季節にあわせて花と緑の知識を学ぶために開かれている。植物の
育て方、飾り方、楽しみ方をテーマとして専門家の講師を招いて花とみどり
のまちづくりに関する必要な知識や実践力を養うために行われている。こ
れらは、花とみどりの活動に対して興味を持ってもらうことが最大の目的で
あり、その他の市民参加の緑化活動の入り口になれば、ということで市内の
忠生公園内の屋外でおこなうなど、誰もが気軽に参加してもらえるように配
慮されている。
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- 110 -
4．　両市の市民ボランティアによる花壇について
　多摩市は、学校・保育園などのPTA活動や一部の市役所前のコンテナなど
を除き、市内の公園等を含めてほとんどの花壇をアダプト制度で管理してい
る。市役所内の管轄は、道路に沿った部分については道路交通課、公園や緑
地内についてはみどりと環境課、と分かれているもののボランティアが関わ
る花壇は、大半がこのアダプト制度で管理されていることから多摩市につい
ては、このアダプト制度のものを基準に考えてみたい。
　一方、町田市については、ボランティア花壇の大半が、350の団体からなる
花壇コンクールに参加するチームによって維持管理されている。公的空間
に10㎡以上の花壇用地があり管理できる10人以上の仲間がいることを条
件としており、平均面積30㎡。市は、最大100㎡分までの苗を提供している。
町田市内に広がる、このコンクールに参加するボランティアによる花壇につ
いて考えてみたい。
（1）多摩市のアダプトによる花壇づくりの現状と課題点
　そもそもアダプトという制度には、里親制度という意味があることからも
推察されるように、管理するボランティア自身が経費および労働力を負担し
て維持管理することが前提となっている。そのためアダプト制度に申し込
む人が多くいるということは、植物を育てることが好きで、花づくり、花壇づ
くりの技術を自宅の庭やベランダだけで発揮することにとどまらず、地域と
いう公共の場で広く披露することで多くの人に喜んでもらいたいという人
たちが沢山いることを意味する。
　多摩市は春と秋に各6000ポットの花壇用花苗をそれぞれの面積に応じて
配分しているが、不足分は各自で苗を用意し、植え、管理することが前提と
なっている。
　今回視察したいくつかの花壇では、それらの多くで花壇面積に対して苗数
が少なく空き地が多いことが目についた。土の量が少なく貧弱な印象を与
えてしまう花壇や土質が悪く植物がうまく育っていない花壇など全体に花
壇づくりについての基本的な知識や植物栽培の技術などが不足しているよ
うに感じられた。
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- 111 -
　大きな負担となる苗の購入については、準備できる苗の数に合わせて花壇
面積を変更したり、常緑の植物を組み合わせることで少ない花苗をいかに用
いるかなど、問題点に対する対策を発想することができるようなボランティ
アが育っていくことは市にとっても、ボランティア自身にとっても大切なこ
とであるはずだ。アダプトという制度が結果的に都合の良いボランティア
任せの活動となってしまうことを避けるために、花壇や緑地の維持管理に必
要な知識と技術を学ぶ場を設けること、適切な教育システムの必要性を痛感
した。
　
　　
　　　
　　　
　　
　写真2　遊歩道の植栽帯に花壇をつくる　　写真3　この植栽地をどうするか（多摩市）
　　　　（多摩市）
（2）町田市の市民によるボランティア花壇の現状と課題
　ボランティアが維持管理する花壇については、2009年度の春の花壇コン
クールを例にして考えてみたい。
2009年度（第73回）春の花壇コンクール概要＊3
　○審査対象団体数：350団体
　　　　部門別参加団体数・割合
　　　　1　学校の部・・・・・・・・・・60団体（17％）
　　　　2　道路の部・・・・・・・・・・84団体（24％）
　　　　3　公園・団地など花壇の部・・205団体（59％）
　○花壇登録総面積：10．317㎡
　○苗の配布期間：2008年11月21日（金）～11月28日（金）
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- 112 -
　○苗の配布場所：町田市営下小山田苗圃
　○配布草花の種類・配布株数
配布草花の総本数：394．000株（1㎡あたり約38株）
ビオラ　5種 76．088 ベニジューム 25．758
アイスランドポピー 41．305 アリッサム 20．646
ノースポール 41．305 セントーレア（試） 12．330
デージー 25．758 キンギョソウ（試） 9．193
カレンジュラ 22．659 ハナビシソウ（試） 10．317
クレピス 7．131 アグロステンマ（希） 20．646
ムラサキハナナ 30．971 チューリップ 9．192
ワスレナグサ 15．425 リナリア 20．646
シロタエギク 5．099
　　　　合計17種類（うち4種類試験的、希望配布）
　○予備審査実施期間：2009年4月6日（月）～4月9日（木）
　　　・全参加団体の花壇350か所について現地調査を実施
　○一次審査会実施日：2009年4月10日（金）午後3時～午後5時
　　　・入賞対象団体（50団体）の選定
　　　・本審査会対象団体（20団体）の選定
　○本審査会実施日：2009年4月14日（火）午前8時30分～午後5時
　　　・本審査会対象団体数（20団体）
　　　　　　1　学校の部 ・・・・・・・・・・・・2団体
　　　　　　2　道路の部 ・・・・・・・・・・・・6団体
　　　　　　3　公園・団地など花壇の部 ・・・12団体
　○入賞団体：50団体
　　　　最優秀賞1、優秀賞3、優良賞13、努力賞33団体、選出発表
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- 113 -
写真4　　　　　　　　　　　　　　　　　　 写真5
病院内のグループホームの屋上花壇（町田市）　　デッキの足元には花の紹介が（町田市）
　町田市の花によるまちづくりを推める上で、欠かせない存在となっている
のが、市営の下小山田苗圃である。年間約80万株の苗をタネから育て、春と
秋の年2回、配布している。苗は各団体に対して、1㎡当たり38～40株。配布
苗が小さいことから、配布数は実際に必要な数よりも多く設定されている。
小さな苗を育てて花を咲かせることは、活動の初心者にとっては簡単なこと
ではないが、植えた草花に対して愛着が湧き、育てていくことに楽しみを感
じられるようになることからプラスに作用しているはずだ。さらに、慣れて
きて多くの苗が立派に育つようになると余剰苗が増え、それによってデザイ
ンの工夫ができ、ボランティア団体の栽培技術の向上を実感できることは励
みになるだろう。毎回、17～18種類の苗が配られるが、新しい種類を加えた
り、草丈が高い種類も入れて希望者に配布するなど細やかな配慮もある。
　町田市が長年にわたって、花壇を作ることによって得られる効果を理解
し、多くのボランティア団体を増やすために市営の苗圃を作り、運営してき
たことは現在のように市内350団体が参加する花壇コンクールとして発展し
たことの重要な一因となっている。花壇用苗をタネから育てることは市販
品では入手しにくい多種多様な苗が用意できるうえ、購入するよりも安価で
ある。もちろん育苗、栽培については手間がかかり栽培技術も育苗場所も必
要なので、いちがいに安くて良い、ということだけを前面に出して語ること
はできない。
　またホームページを積極的に活用して、配布する苗の種類や育て方、コン
クールに入賞した花壇についての情報（どの点が評価されたのか、など）を公
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- 114 -
開しており誰もが参考にすることができるようになっている。
　市の公園緑地課の方にお話をうかがってみると、350団体に同じように苗
を配布しても、栽培技術の差により生育にばらつきがあること、活動の当初
は意欲的であってもその活動が長く続かない団体があったり、配布する苗の
種類が毎回同じようになりがちであること、などいくつかの問題点があるこ
とも明らかになった。
5．それぞれの活動から見えてきたこと
　多摩市については、市内に広がる緑地の整備に市民の協力を得て活用した
いという姿が見てとれる。開発に伴い、緑豊かな街のイメージに沿うように
つくられたであろう緑地は、年月を経て大きく成長し、その整備にまで十分
に手がまわらないというのが実情だろう。里山管理を中心にした「グリーン
ボランティア講座」は、その一環といえる。
　花壇については、予算をかけずに維持管理するためにアダプト制度を取り
入れているが、活動する市民の力を十分に引き出すところまでは残念ながら
いっていないようだ。花壇づくりの基礎はもちろんのこと、ボランティアに
よる活動が、都合のよい便利な労働力と誤解されてしまうような活用のしか
たにならないように、ボランティア活動そのものについて市と市民の両方が
学ぶ必要がある。
　町田市については、すでに花壇コンクールや花のまちづくりコンクールに
おいて歴史があるが、長く続けているとコンクールの開催自体が目的となっ
てしまいがちなので注意が必要だろう。花やみどりのある市、という実績づ
くりについては、これまで順調に活動を広げてきた。今、次のステージへ向
かう時期がきていると言えるのではないだろうか。参加団体が増え、まちの
中に花壇が増えることで満足していては、圃場を作っただけの物理的な効果
に過ぎない。活動の結果、それらのイベントの開催によって街並みや公園の
花壇がどのように変化し、レベルアップしたのかを検証する必要もあるだろ
う。花壇コンクールの影響が明確に現れていないようであれば、それは審査
する側の問題であり、講習会がその役割を果たしていないと言わざるをえな
い。
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- 115 -
　「花や緑でまちを美しく」、「市民参加のまちづくり」、「ボランティア活動
を支援している市」ということに関しては、誰からも歓迎されることだろう。
しかし、その目的は何だろうか？花の咲く美しいまちとは？ボランティア活
動をしたその先にある暮らしって？ただ漠然とまちに花を増やしたり、緑化
を推進することで満足するのでなく、実際にどんな花壇を作りたいのか、そ
の花壇でどんなまちにしたいのか、そうした花や緑をどのように活用して自
分たちのまちをより住みやすいまちにしたいのか、その具体的なビジョンを
考えることは大切なことだろう。せっかくの予算をより効果的に活かすた
めには、ボランティアに限らず一般の市民の人たちにもより明確なビジョン
をもってもらうために市がサポートしていく必要があるだろう。ビジョンに
ついて共に考え、それを実現させるためには、花や緑化のことのみならず、ま
ちづくり、都市論、ガーデニング論、デザイン論、ボランティア論などについ
て、しっかりと学ぶ機会を作っていく必要があろう。
写真6
多種多様な植物が植えられた鶴川駅前
みちのべ公園（町田市）
6．まとめ
　植物を育て、その場所にふさわしい、目的に添った花壇をつくることは楽
しく、さらに奥深い魅力がある。まちの中に、美しい花壇があることは、そこ
で暮らす人の心を和ませ、誰からも喜ばれることだが、維持管理に莫大な予
算が必要になると簡単に面積を増やすこともできない、というのが一般的な
考えだろう。
　園芸について長年にわたって学び、その知識と技術を貯えてきた恵泉女
学園には、小さな家庭の庭から暮らしの場である公共空間に至るまで様々な
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- 116 -
場所での植物の利用法や栽培ノウハウがある。個人のために楽しむ花壇づ
くりとは違って、公共の場で花壇をつくる際、考えておかなくてはならない
ことがいくつかあり、それを知り、学び、地域の仲間たちと共に協力しながら
作っていくためには、園芸の知識と技術を習得すると同時に、ボランティア
活動についても同じように学ぶことが必要である。
　多摩市と町田市の境界地域に位置する恵泉女学園大学は、地域における園
芸ボランティア活動を支援するために、園芸に関するボランティア教育のシ
ステムをつくり、周辺地域の方が学べる体制を今まで以上に整えていくこと
を今、求められている。花壇づくりには、限られた労力で最大の効果を生み
出すための知識と技術が不可欠である。そのための一つが、花苗をタネから
育てる技術の習得である。また、より効果を出すためには、デザインについ
ても学ぶ必要がある。暮らしの中にバランスよく植物を配置し、年月を経て
も美しく維持管理することを学ぶためには、ガーデニングについても基礎を
学ぶ必要がある。
　ボランティア活動は、行政と市民とがどのように関わるかで活動の成功を
左右するともいわれている。大学が今求められていることは、研究機関、教
育機関としてこれまで蓄積してきた技術と知識の集積を有効活用するため
に、それらを分析、整理し、一般の人達＝ボランティアの人達に、より分かり
やすく教えていくシステムを考え出していくことだろう。大学はその存在
を存分に活かして市や市民が目指している方向に向けて考える場をつくり、
よりよく暮らし、生きるためにも、地域の中で活動する園芸ボランティアの
育成、活動支援のために体系的に学ぶ場を今後も提供し続けていくことが大
切であり、それが地域の大学としての社会的責任であるといえよう。
参考文献：
　＊1　恵泉女学園大学園芸文化研究所報告2008年「園芸文化」第5号pp.158-166
　＊2　恵泉女学園大学園芸文化研究所報告2009年「園芸文化」第6号pp.142-153
　＊3　町田市配布の花壇コンクール資料より
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- 118 -
恵泉の園芸教育の歴史をたどる（2）
恵泉女子農芸専門学校および短期大学
園芸生活学科における花壇の植物材料について
西村悟郎・新妻昭夫・深谷佐紀子・土屋昌子
松井信行・原嶋夕佳・山　浩美
Historical Study on the Education of Horticulture in
Keisen Jogakuen 2) -Study on the Plant Materials of
Flower Gardens in Horticulture Department of Keisen
Junior College -
NISHIMURA Goro,NIIZUMA Akio,FUKAYA Sakiko,
TUCHIYA Masako,MATUI Nobuyuki,HARASHIMA Yuka,
&amp; YAMA Hiromi
1．緒言
　恵泉女子農芸専門学校(1945～49)、恵泉女学園専門学校農芸科（1948～51）
および恵泉女学園短期大学園芸科・園芸生活科・園芸生活学科（ 1950～2005）
が開校した世田谷キャンパス（1945～46）、小平キャンパス（1946～65）、伊勢
原キャンパス（ 1965～2005）には常に花壇が作られていた。恵泉では園芸の
基礎として植物名を学名で教えた。ボーダーは「花壇設計」を取り入れた授
業で紹介される植物の実物展示の場でもあった。ボーダーを恵泉女学園の
教育に導入したのは山口美智子である。山口は1940～42年にアメリカ合衆
国ペンシルバニア州フィラデルフィア郊外のアンブラーにあった園芸学校
《Pennsylvania School of Horticulture for Women》で、ボーダーの材料植物とそ
の設計を学んだ。1942年に帰国、1943年の高等部園芸科の発足とともに実際
に花壇を作り、管理することに取り組んだ。農芸専門学校では花卉を岡見義
男と山口が担当し、山口は授業に花壇設計を取り入れた。以降「花壇」の授業
は、担当者・授業の名称は変遷したが、2005年の短期大学終了まで続けられ、
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- 119 -
各種花壇およびボーダーがキャンパスに作られた。
　この報告は、恵泉女子農芸専門学校および短期大学園芸科・園芸生活科・園
芸生活学科があった3つのキャンパスで見られた植物およびボーダーで使わ
れた植物の種類について、資料を収集しこれに基づいてまとめたものである。
2．調査方法
　農芸専門学校および短期大学におけるボーダーの材料植物について資料
を収集・調査し、以下の5つの時期に区分した。
1） 農芸専門学校が創立当初、世田谷キャンパスにあった時期（ 1945～46
年）
2） 小平キャンパス移転直後（1946～48年）
3） 小平キャンパス後期（1955～65年）
4） 伊勢原移転直後（1966年）
5） 伊勢原キャンパス後期（1987～2003年）
　　　
　収集資料
1．戦争末期から戦争直後の世田谷校の花壇およびその周囲の植物調査
　深谷佐紀子・村上高・宇佐節子（2008）
2．農専・小平で栽培した花・花木　深谷佐紀子（2008）
3．春および夏～秋の一年草ボーダー設計図　野村順子（ 1955）・田沢照
子（1958）・佐藤礼子（1959）・松本誠子（1964）・瀬川順子（1965）
4．伊勢原キャンパスのボーダー植物材料と設計図　梅沢周子（1966）
5．恵泉女学園園芸短期大学の中庭ボーダーの植物材料　恵泉女学園園
芸短大紀要 32:27～42 山浩美・高野眞子・西村悟郎・村上睦朗（2003）
（ 注）
　　1．本調査のために、在学中の日記・記録をもとに作成された資料
　　2．小平時代の花壇設計の授業で学生が取り組んだ課題
3．調査結果
　上記の5つの時期のそれぞれについて詳述する。
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- 120 -
1）世田谷キャンパス時代（第1表）
　農芸専門学校は1945年4月に世田谷キャンパスで開校し、1946年9
月に小平町の新しいキャンパスに移った。敗戦とその後の混乱のなか
で1年半足らずの世田谷キャンパスであったが、そこで栽培されていた
植物の記録が残されている（深谷・村上・宇佐、2008）。世田谷キャンパ
スでは花壇の縁取りにリボングラスが使われていたが、当時まだ珍し
く目を引いた。当時の世田谷の花壇はベッドとして扱うのがよいと考
えられる。花壇は幅広く、手入れのための小路があった。背の高い植
物も植えられていたが、眺める方向は四方から見るもので、そぞろ歩き
しながら、花の咲く向きや植物の高低、色の取り合わせが調和するよう
に教えられた。花壇の他に花圃にも花、野菜などが植えられていた。
　花壇の植物は項目別に分けると、春咲き一年草32種、夏－秋咲き一年
草20種、二年草3種、宿根草36種、球根類16種、花木28種である。ここ
に記録されている一・二年草、宿根草、球根の種類は、後の小平、および
伊勢原キャンパスのボーダーで見られる基本的な種類が網羅されてい
る。
　春咲き一年草ではキンギョソウ、ヒエンソウ、ヤグルマギク、ハナダ
イコンソウ（当時の呼び名）、スィートピー、ナツシロギク、ヒナギク、ク
ロタネソウ、セイヨウオダマキ、キンセンカ、モモイロタンポポ、ゴデチ
ア、シナワスレナグサ、ハナビシソウ、カスミソウ、ヒメキンギョソウ、キ
キョウナデシコ、ヒナギク、セキチク、ロベリア、ニワナズナ、ビジョザク
ラ、クリンザクラなどである。夏～秋咲きはハゲイトウ、ムギワラギク、
カイザイク、ホウセンカ、センニチコウ、ペチュニア、マツバボタン。二
年草はタチアオイ、フウリンソウ、アメリカナデシコ（ヒゲナデシコ）。
宿根草ではバラザキシュウメイギク、ジギタリス、モミジアオイ、クサ
キョウチクトウ、オオキンケイギク、テッセン、カザグルマ、シオン、アカ
バナセイヨウノコギリソウ、モクシュンギク、アワモリショマ、シラン、
ケマンソウ、イカリソウ、ミヤコワスレ、ルリギク、ムラサキツユクサ、ク
リンソウ、スイセンノウ、タツタナデシコなどがあげられる。球根では
カンナ、ダリア、ラッパズイセン、チューリップ、グラジオラス、その他の
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- 121 -
ものである。花壇の周辺や教室の窓際にはバラ、ムベなど知っておく
べき花木の種類が集められている。
　作業室南面の花圃には、ヒナゲシ、ハカマオニゲシ、キバナノギョウ
ジャニンニク、フランスギク、シャクヤク、ボタン、ヒメカンゾウ、カイ
ウ。桜並木の下にアネモネ、校舎周りの半日陰にはシラン、ハクチョウ
ゲが植えられていた。
2）小平キャンパス移転直後（第2表）
　新キャンパスへの移転直後の約1年間に栽培された草花、あるいは移
転時にすでにあった植物についての記録が残されている（深谷、 2008）。
次のような文章が見られる。
1946年移転当時の小平の地に、すでにあったもの
陸軍経理学校東校舎のあった時から
　　フランスギク、カンゾウ
　　カマヤマショウブ（Iris kamayama）水源にした
　　小川の端に。石井勇義先生　同定。
1946年秋花壇にチューリップ、スイセン、ヒヤシンス植え込み、
霜除け下にスイトピー、ルーピン苗植付世田谷校から
（交通事情悪い中）、順次花壇の花株を分けていく
1947年
　4月40日
　5月28日
　6月30日
チューリップ、ガラス室で栽培、ウィリアムピット？
（都心で学生も販売）
（プレーデー）
プールに睡蓮の鉢を沈める。
　　　　　-------- 略 ----------
　　　晩秋から冬花の圃場にはフレーム（木枠を埋めガラス戸をかぶせ
たもの、厳寒期は筵で覆う）やトウモロコシの茎を束
ねて斜めに覆う霜よけが並んだ。強風と乾燥と寒さ
で土は飛ばされ植物はなくなった。花壇は球根を植
えたところと宿根草、それと一年草のための空地をリ
ボングラスが華やかに囲い込んだ。
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- 122 -
　記録されている草花の種類は春咲き一年草32種、夏～秋咲き一年草
32種、2年草2種、宿根草45種、球根11種、花木6種である。その内容を
見ると、春咲き一年草は世田谷キャンパス当時とほとんど同じである
が、夏～秋咲き一年草、宿根草には新しいものが入っている。新しく記
録されたものとしては、春咲き一年草ではブロワリ（マガリバナ）、リナ
ム、夏～秋咲きの一年草ではアークトーチス、ベゴニア、ニチニチソウ、
モミジアオイ、セイヨウアサガオ、リモニウム、シュッコンタバコ、オオ
ケタデ、ブルーサルビア、アフリカンマリーゴールド、フレンチマリー
ゴールド、宿根草ではキバナノノコギリソウ、セイヨウオダマキ、ハナ
アザミ、ルリタマアザミ、テンニンギク、ガーベラ、ダイコンソウ、キクイ
モ、キクイモモドキ、フヨウ、ドイツアヤメ、カマヤマショウブ、キリンギ
ク、タケニグサ、ススキ、タイマツバナ、オミナエシ、ベロニカ、サンジャ
クバーベナなどがあげられる。これらはいずれも花壇には欠かせない
種類である。　　　
　これらの中で注目されるのは、先ずシュッコンタバコがあげられる。
一般でのタバコの栽培は1984年まで禁止されていたが、恵泉の花壇で
は秘密の花を咲かせていたのである。
　次に、セイヨウアサガオは寮の入り口を飾っていたと記録されてい
る。また、タケニグサは強靭な雑草で学生歌にも歌われていた。これ
は日本では雑草だがイギリスでは大切なボーダーの材料植物である。
3）小平キャンパス後期（第3表） 　
　小平ではキャンパスの中心に宿根草と一年草のボーダーが作られて
いた。そのボーダーにどのような植物が用いられていたか記録が入手
できていないが、その一つの資料として学生の一年草ボーダー設計図
が入手できている。小平では授業で学生が作成した一年草ボーダー設
計図に基づいて翌年の一年草ボーダーの植物が配置された。ここでは
小平キャンパス時代に描かれた5点（野村1955、田沢1958、佐藤1959、松
本1964、瀬川1965）の設計図に用いられた植物を調査した。ボーダーの
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- 123 -
大きさは奥行き1.5mで、長さが10m、15m、15mと3つのボーダーが60cm
の間隔をおいて横に並べたものである。植物の配置は奥行き前・中・後
段の3区分で、横幅10mのボーダーが前段4～5、中段3～4、後段2～3植
物、15mのボーダーは前段5～6、中段4～5、後段3～4植物が配置され、全
体で34～41植物が用いられている。植物の種類は資料とした5つのボー
ダーで、春は41種、54品種が、夏－秋花壇には33種、50品種が用いられ
ている。
　作成されたボーダー設計図の重要な点としてあげられるのは、植物
の品種名まで記されていることである。品種名によって植物の草丈、
草姿、花色まで知ることができる。設計者も自分の意図を正確に伝え
ることが出来るのである。資料には1960年前後の当時の品種名が記さ
れているが、1990年代の伊勢原で用いられた品種名と比べると共通の
ものは見られない。それだけ品種は新しく代わっていくということで
ある。
　用いられている植物の種類は基本的には世田谷、小平初期のものと
同じである。主な種類をあげていくと、春のボーダーでは後段にヤグ
ルマギク、キンギョソウ、ルピナス、ヒナゲシ、ヒエンソウ、シリバム（ア
ザミ）などが、中段ではシナワスレナグサ、キンセンカ、ハナビシソウ、ア
イスランド・ポピー、キキョウナデシコ、ムレコチョウ、ニオイアラセイ
トウ、モモイロタンポポなどが、前段にはパンジー、ワスレナグサ、ヒナ
ギク、ニワナズナ、ロベリア（ルリチョウチョウ）、ブルーデージー、バー
ベナなどが用いられている。一方、夏～秋のボーダーでは後段にコス
モス、セイヨウフウチョウソウ（クレオメ）、ハゲイトウ、ヤリゲイトウ、
ヒャクニチソウ、メキシコヒマワリ、トロロアオイ、ルドベキアなどが、
中段にはヒゴロモソウ（サルビア）、キンランジソ（コリウス）、アフリカ
ンマリーゴールド、ナツユキソウ、アゲラタム、フサゲイトウ、センニチ
コウ、キバナセンニチコウ、ホウセンカなどが、前段にはフレンチマリー
ゴールド、オジギソウ、ブロワリア（マガリバナ）、マツバボタン、トレニ
ア、テンニンギク、キンレンカなどが用いられている。
　また、作成されたボーダーの中に見られる新しい種類としては、春で
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- 124 -
はディモルフォセカ、ブルーデージー、キャンディタフト、ネメシア、ア
イスランド・ポピー、ローダンセ、サルメンバナなどが、夏～秋ではハツ
ユキソウ、キバナセンニチコウ、ヒメヒマワリ、オジギソウ、キンランジ
ソ（コリウス）、メキシコヒマワリ、トレニア、ホソバヒャクニチソウなど
が見られる。
　4）伊勢原キャンパスの初期（第4表）
　短大園芸生活科は1965年11月に小平町から神奈川県中郡伊勢原町
（当時）に移転した。最初の宿根草と一年草のボーダー花壇が1966年に
伊勢原キャンパスに作られ、その詳細がレポートとして残されている
（梅沢、1966）。宿根草ボーダーの作られた場所は定位置になり、その後
もその場所に作られるようになった。場所の決定についてレポートに
は次の様に述べられている。
　「花壇を作る場所の位置的条件である背景や日当たりを考えて南向
きであり、後に花木類が背景となり人々からも良く見られる場所とし
て現在の場所が選ばれた。移転後で宿根草も大変傷み、美しい花もあ
まり期待できないので、それを補うために一年草との混色花壇として
計画した。花壇の大きさはあまり大きくなく、ちょうど土手のカーブに
沿って花木が背景となるよう自然の形にした。」
　宿根草ボーダーに花の美しい一年草を補う植栽はその後も踏襲され
ていく。この時作られたボーダー花壇は長さが18mあり、ボーダーとし
てはかなり大きなものであった。
　植物配置のプランと設計の意図について次の様に述べている。　　
　「全体の花壇として考える場合、花卉装飾の生け込みにおいていわれ
る5つのことを考える必要がある。
　repetition（繰り返し）、unity（統一）、rhythm（リズム）、emphasis （強調）、
balance（ 調和）
　美しいものは二・三箇所同じものを繰り返し使うとか、同時に開花す
るものの色の調和の美しさを考えるというようにプランを立てる上で
このことを考えるようにした。設計の意図としては、出来るだけ丈夫
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- 125 -
で花期が長く美しいものを用いるようにした。花壇の大きさが割合
あり、宿根草ボーダーといってもある程度の高さが必要なので一番に
Hibiscusを用いた。真中にはポイントの意味で、端はひきしめる意味
でもHibisucusは良い。Hibiscusとの調和を考え、大体同じ時期に咲くブ
ルー系も美しい取り合わせとして考えた。トリトマは宿根ボーダーに
は良いポイントになるので二箇所にする。ストケシア、シノノメギクな
どしっかりしたものは花壇の端に用いて花壇を乱れぬようにさせた。
移植後で弱っている宿根草が多いので、それを補うために用いる一年
草も、花期の長い地味な宿根草にマッチするような派手でない感じの
材料を用いるようにする。」
　宿根草ボーダーには宿根草36種、春咲き一年草32種、夏～秋咲き一
年草19種、二年草3種、球根類16種が記録されている。設計図を見ると、
後段にはタイマツバナ、リアトリス、ルリタマアザミ、ハクチョウソウ、
クサキョウチクトウ、ベロニカ、ジャグマユリ（トリトマ）、オニサルビア
などの丈の高いものが置かれ、中段ではキンギョソウ、シナワスレナグ
サ、ヒエンソウ、ストック、ウルシニアなどの花の美しい一年草が中心に
なり、前段はシュッコンバーベナ、ガザニア、ルリギクなどの宿根草とロ
ベリア、ネモフィラ、ワスレナグサなどの一年草が植えられている。
　次に、一年草ボーダーの作成意図については次のように述べている。
　「宿根草ボーダーのみでは淋しく、又栽培した草花も出来るだけ沢山
教材として利用し観察するためにも、一年草ボーダーを夏花壇から作
る。コノデカシワを背景に、その植え込みに沿って全体の大きさも約1
× 11mの小さな花壇を設計した。」
　一年草ボーダーには13種18品種が用いられた。設計図の配置を見
ると後段にアフリカンマリーゴールド、サルビア、ヒャクニチソウなど
丈の高いものが、中段にはルドベキア, ムギワラギク、キバナコスモス、
ナツユキソウなどが、前段にはペチュニア、サンビタリア、アゲラタム、
フレンチマリゴールドなど丈の低いものが置かれている。　　　
　ここで新たに記された種類としては宿根草ではチョウセンヨメナ、
オーブリエチア、ムラサキセンダイハギ、シロミミナグサ、イワナズナ、
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- 126 -
ニオイムラサキ、ペンステモン・コビエ、オオバナヒエンソウ、オニゲシ、
ユウギリソウ、一年草ではウルシニア、ネモフィラ、アフリカホウセンカ
などがある。なお、デルフィニウム‘パシフィックハイブリッズ（ジャイ
アンツ）’はボーダー図には載っていないが、圃場で試作が行われたこ
とが写真入りで記されている。
　5）伊勢原キャンパスの後期（第5図）
　伊勢原キャンパスの後期のボーダーの記録として、1987～2003年の
プレーデーの際に作成された植物の配置、材料植物のリストが残され
ている（山ほか、2004）。プレーデーは園芸生活学科の創立記念祭で5
月の最終土曜日に持たれた。ボーダーは宿根草ボーダーと一年草ボー
ダーに分けられ、宿根草ボーダーは長さ17m、奥行き5m、一年草ボー
ダーは長さ9m、奥行き5mである。宿根草ボーダーは前述の梅沢（1966）
の記録にあるように、宿根草の他に、一年草、二年草も含まれている。
宿根草ボーダーには17年間でのべ120種、158品種が用いられ、一年草
ボーダーには62種、108品種が用いられている。
　17年間でほぼ毎年用いられた宿根草はハアザミ、ウシノシタグサ、
マーガレット、キバナマーガレット、ぺラルゴニウム‘フラ’、ヒメビジョ
ザクラ、ガザニア、アマダマシ、ペンステモン・コビエ、ワタチョロギ、コ
レオプシス‘サンレー’、ブルーデージー、オオハンゴンソウなどがあ
り、二年草および伊勢原では二年草扱いされる宿根草ではアキレギア
‘マッカナスジャイアント’、フウリンソウ、ジギタリス、ゼニアオイ、ヒ
ゲナデシコ、デルフィニウム‘パシフィック・ハイブリッド’、ワシントン
ルピナスなどがあり、一年草ではキンギョソウ、キンセンカ、コムギセン
ノウ、ムギセンノウ、ヤグルマギク、ナツシロギクなどがある。
　宿根草ボーダーに新たに記された種類としてはハアザミ、アガス
ターシェ、アジュガ、アルケミラ、アリウム、キバナマーガレット、アル
メリア、ヤツシロソウ、モモノハギキョウ、宿根性ヤグルマソウ類、デル
フィニウム‘ベラドンナ・インプルーブド’、デルフィニウム‘ベラモー
サム・インプルーブド’、デルフィニウム‘パシフィック・ハイブリッド
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- 127 -
（ジャイアンツ）’、キバナジギタリス、オオバナジギタリス、ラバテラ、
リナリア、リシマキア、メコノプシス、ぺラルゴニウム、ルリマツリ、ポテ
ンティラ、サルビア・ミクロフィラ、サルビア・ウリギノーサ、バーバスカ
ム、ヒメビジョザクラ、一年草ではアフリカワスレナグサ、アメリカハナ
シノブ、ハナアオイ、ミムラス、コムギセンノウ、ルリトウワタなどがあ
る。
　宿根草ボーダーの特徴としては、特に二年草および二年草扱いの宿
根草が花壇の中心に配置された。二年草は5月に一斉に咲き揃うので
ボーダーを華やいだ雰囲気にする。特にデルフィニウム、ジギタリス、
フウリンソウ、ウシノシタグサ、ゼニアオイは重要である。植物の配置
においては植物の花序の形も考慮された。花序が独立して直立するハ
アザミ、デルフィニウム、ジギタリス、バーバスカムなどと、花序が枝分
かれして株がこんもりと茂るゼニアオイ、ラバテラ、ウシノシタグサ、ム
ラサキツリガネヤナギなどは交互になるように植えて、植物の配置に
変化を持たせる工夫がされている。
　配色の特徴としては青、ピンク、淡黄、白、薄紫色の花色が用いられ、
赤などの強い色は用いられなかった。それぞれの色が隣り合わないよ
うに、そしてボーダー全体に色の流れが出来るように配置された。基
本となる植物の配置はほぼ決まっており、それに毎年新しい種類を加
えて変化を持たせた。具体的には青のデルフィニウムが後段の中心に
置かれ、青のウシノシタグサが左右2箇所、白とクリーム色のジギタリ
スが2箇所、黄色のバーバスカムが2箇所、ピンクのゼニアオイが比較
的広い面積に1箇所、淡紫色のハアザミが左端の日陰に1箇所、淡青色
のテウリクムが中心付近に1箇所置かれた。中段には紫青、ピンク、白
のフウリンソウが1箇所ずつ離して置かれ、中心に明るいピンクのぺラ
ルゴニウム‘フラ’、その近くに薄紫のペンステモン・コビエが置かれ、白
と淡黄のマーガレットが左右に2箇所、白・淡黄混色のアキレギア‘マッ
カナスジャイアント’、黄のコレオプシス‘サンレー’、リシマキア、オオ
ヘビイチゴが場所を離して一箇所ずつ、ピンクのアメリカナデシコ、
白のアマダマシ、アークトーチスが1箇所置かれた。前段には青のア
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- 128 -
ジュガ、ブルーデージー、ニオイムラサキ、ピンクのタツタナデシコ、ワ
タチョロギ、黄色のハンネマニアが置かれ、一番前にはピンクのヒメビ
ジョザクラが長く配置された。
4．まとめ
　農専、短大を通してキャンパスには常に各種花壇およびボーダーが作られ
ていた。それは「花壇設計」を取り入れた授業で紹介される植物の実物展示
の場でもあった。授業では園芸の基礎として植物名を学名で教えた。農芸
専門学校開学後置かれた世田谷キャンパスでは当時としては規模の大きな
花壇が作られていた。そこで栽培された草花の種類は花壇材料として育て
やすく、開花期の長いものが選ばれており、その多くのものがその後小平、伊
勢原のキャンパスで作られる花壇でも引き継がれていく。特に注目される
のは、バラザキシュウメイギク、フウリンソウ、タチアオイ、フロックス（クサ
キョウチクトウ）、アスチルベ、へメロカリス、ジギタリス、セイヨウマツムシ
ソウ、アメリカナデシコなどのボーダーの材料として重要な二年草・宿根草
が既にすでに栽培されていたことである。当時、世田谷キャンパスでは一・
二年草54種、宿根草36種、球根類16種、花木28種が栽培されていたことが記
録されている。
　次に、小平キャンパスへの移転当初に栽培されていた植物の記録からは
世田谷キャンパスで栽培されていた種類の多くが見られることがわかった。
新しいものとしては一年草のアークトーチス、セイヨウアサガオ、シュッコ
ンタバコ、リモニウム、宿根草のキバナノノコギリソウ、ジャグマユリ、キリ
ンギク、タイマツバナなどが加わっている。また、小平後期の学生作成の一
年草ボーダーの設計図には品種名まで記されており、各植物の情報が正確に
分かる。設計図に品種名まで書くことは農専・短大の「花壇設計」の授業では
一貫して行われた。ここでは春のディモルフォセカ、ブルーデージー、キャ
ンディタフト、ネメシア、ローダンセ、サルメンバナなどが、夏～秋ではハツ
ユキソウ、キバナセンニチコウ、コリウス（ニシキジソ）、メキシコヒマワリ、ト
レニアなどが新たに見られる。
　伊勢原キャンパスに移転した翌年の1966年に最初に作られた、宿根草と
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- 129 -
一年草のボーダーの詳細な資料には、ボーダーを作るに当たっての作成意図
が詳しく述べられている。その年に作られた宿根草ボーダーの場所が定位
置となりその後もそこに作られるようになった。ボーダーには宿根草では
シロミミナグサ、イワナズナ、ニオイムラサキ、ムラサキツリガネヤナギ、オオ
バナヒエンソウ、一年草ではウルシニア、ネモフィラ、アフリカホウセンカな
どが加わっている。デルフィニウム‘パシフィックハイブリッズ（ジャイアン
ツ）’はボーダーの設計図には載っていないが、キャンパスでは試作が行われ
ている。また、伊勢原キャンパス後期の17年間に渡って、中庭中央の宿根草
と一年草ボーダーの配置と材料植物が記録されている。宿根草ボーダーに
は17年間でのべ120種、158品種、一年草ボーダーには62種、108品種が用い
られた。宿根草ボーダーには基本的な植物の配置があり、それに毎年新しい
種類を加えて構成に変化を与えた。特に、次のような二年草、あるいは二年
草扱いの種類が要所に配置された。デルフィニウム‘パシフィック・ハイブ
リッド’は栽培方法が確立されてボーダーの後段中央に置かれ、フウリンソ
ウ、ウシノシタグサ、ジギタリス、ゼニアオイ、ワシントンルピナス、セイヨウ
オダマキ、アメリカナデシコなどが要所におかれた。また、宿根草ではハア
ザミ、マーガレット、ぺラルゴニウム‘フラ’、ペンステモン・コビエ、前段には
アルケミラ、ワタチョロギ、クンショウギク、アジュガ、ヒメビジョザクラが置
かれた。春～初夏のボーダーの配色としては青、ピンク、淡黄、薄紫、白など
の花色が選ばれ、赤などの鮮やかな色は避けられた。それぞれの色は重なら
ないように、ボーダー全体に色が流れるように配置された。
　以上3つのキャンパスの各種花壇、ボーダーの共通する特徴としては、①
日本の春、夏の季節にそれぞれ合った育てやすく、花期の長い種類が選ばれ
た。②苗は種子から育てることが基本とされた。③草丈の低いものから高
いものまで植物で高低差を出し、花壇、ボーダーに立体感を待たせるように
配置した。④花色は、特に春～初夏は青、ピンク、淡黄、薄紫、白などが用いら
れ、各色がグラデーションをなして流れるように配置された。ただし、夏は
赤、黄などの強い色もある程度用いられた。
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- 130 -
女子農芸専門学校があった当時（1945～46）の世田谷キャンパス（宮内泰之トレース）
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- 131 -
最終版
資料 植物リスト
目次
第１表 1945～1946 年に世田谷キャンパスで栽培された植物 (深谷他, 2008)
１．春咲き一年草
２．夏～秋咲き一年草
３．二年草
４．宿根草
５．球根類
６．花木
第2 表 小平キャンパス初期の植物（1947 年春-1948 年6 月）；日誌より （深谷 2008)
１．春咲き一年草
２．夏～秋咲き一年草
３．二年草
４．宿根草
５．球根類
６．花木
第３表 1955～1965 年学生作成一年草ボーダー図に用いられた植物材料
《野村順子（1955）：田沢照子（1958)：佐藤礼子(1959）：松本誠子(1964)：瀬川順子(1965）》
１．春花壇
２．夏～秋花壇
第４表 伊勢原キャンパス植物材料 《梅沢周子 1966》
1．宿根草ボーダー
2．夏～秋 一年草ボーダー
3．一年草春花壇《1967》
第５表 1987～2003 年 春（4ー7 月）の花壇で用いられた植物
１．宿根草ボーダー
2．一年草ボーダー
第１表 1945～1946 年に世田谷キャンパスで栽培された植物 (深谷佐紀子、宇佐節子、村上高, 2008)
１．春咲き一年草
学名 (旧学名 ) 和名 科名
Antirrhinum majus キンギョソウ ゴマノハグサ科
Bellis perennis ヒナギク アブラナ科
Briza maxima コバンソウ イネ科
Calendula officinalis キンセンカ キク科
Callistephus chinensis エゾギク キク科
Centaurea cyanus ヤグルマギク キク科
Clarkia (Godetia) amoena イロマツヨイ、ゴデチア アカバナ科
Consolida ambigua (Delphinium ajacis) ヒエンソウ、チドリソウ キンポウゲ科
Coreopsis tinctoria ハルシャギク キク科
Crepis rubra モモイロタンポポ キク科
Cynoglossum amabille シナワスレナグサ ムラサキ科
Dianthus chinensis カラナデシコ、セキチク ナデシコ科
Erysimum (Cheiranthus) cheiri ニオイアラセイトウ（ウォールフラワー） アブラナ科
Eschscholtzia californica ハナビシソウ ケシ科
Gypsophila elegans カスミソウ ナデシコ科
Hesperis matronalis ハナダイコン アブラナ科
Justicia brandegeeana (Beloperone guttata) コエビソウ キツネノマゴ科
Lathyrus odoratus ジャコウレンリソウ、スイートピー マメ科
Linaria bipartita ヒメキンギョソウ ゴマノハグサ科
Lobelia erinus ルリチョウチョ キキョウ科
Lobularia （Alyssum） maritima ニワナズナ アブラナ科
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- 132 -
最終版
Lupinus lutens キバナノハウチワマメ、キバナルピナス マメ科
Matthiola incana アラセイトウ、ストック アブラナ科
Myosotis alpestris ワスルナグサ ムラサキ科
Nigella damascena クロタネソウ キンポウゲ科
Papaver rhoeas ヒナゲシ ケシ科
Phlox drummondii キキョウナデシコ ハナシノブ科
Schizanthus pinnatus ムレゴチョウ ナス科
Silene armeria ムシトリナデシコ ナデシコ科
Tanacetum (Chrysanthemum) parthenium ナツシロギク キク科
Verbena x hybrida ビジョザクラ クマツヅラ科
Viola x wittrockiana (tricolor var. hortensis) パンジー、サンシキスミレ スミレ科
２．夏～秋咲き一年草
Ageratum houstonianum アゲラタム キク科
Amaranthus tricolor ハゲイトウ ヒユ科
Ammobium alatum カイザイク キク科
Asclepias curassavica トウワタ ガガイモ科
Bracteantha bracteata (Helichrｙsum
bracteatum)
ムギワラギク キク科
Cardiospermum halicacabum フウセンカズラ ムクロジ科
Celosia argentea var. plumosa フサゲイトウ ヒユ科
Cleome spinosa セイヨウフウチョウソウ フウチョウソウ科
Cosmos bipinnatus コスモス キク科
Cosmos sulphreus キバナコスモス キク科
Gomphrena globosa センニチコウ ヒユ科
Impatiens balsamina ホウセンカ ホウセンカ科
Ipomoea quamoclit (Quamoclit pinnata) ルコウソウ ヒルガオ科
Mirabilis jalapa オシロイバナ オシロイバナ科
Nicotiana alata シュッコンタバコ ナス科
Petunia x hybrida ペチュニア ナス科
Porturaca grandiflora マツバボタン スベリヒユ科
Zinnia elegans ヒャクニチソウ キク科
３．二年草
Alcea （Althaea) rosea タチアオイ アオイ科
Campanula medium フウリンソウ キキョウ科
Dianthus barbatus アメリカナデシコ ナデシコ科
４．宿根草
Achillea millefolium var. rubrum アカバナセイヨウノコギリソウ キク科
Anemone hupehensis var. japonica シュウメイギク キンポウゲ科
Anemone ×ｈｙｂida バラザキシュウメイギク キンポウゲ科
Aquilegia vulgaris セイヨウオダマキ キンポウゲ科
Argyranthemum (Chrysanthemum)
frutescens
モクシュンギク、マーガレット キク科
Arrhenatherum elatius var. bulbosum リボングラス イネ科
Aster novibelgii ユウゼンギク、ユウゼンノギク キク科
Aster tataricus シオン キク科
Astilbe japonica アワモリショウマ ユキノシタ科
Bletilla striata シラン ラン科
Clematis florida テッセン キンポウゲ科
Clematis patens カザグルマ キンポウゲ科
Coreopsis lanceolata オオキンケイギク キク科
Dianthus plumarius トコナデシコ、タツタナデシコ ナデシコ科
Dicentra spectabilis ケマンソウ ケシ科
Digitalis purpurea キツネノテブクロ、ジギタリス ゴマノハグサ科
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- 133 -
最終版
Emilia coccinea (javanica) (Cacalia sagitata) カカリア、ベニニガナ キク科
Epimedium grandiflorum イカリソウ メギ科
Filipendula vulgaria ロクベンシモツケ、ヨウシュシモツケ バラ科
Hibiscus coccineus モミジアオイ アオイ科
Hosta longissima ミズギボウシ ユリ科
Hosta sieboldiana オオバギボウシ ユリ科
Leucanthemum vulgare (Chrysanthemum
leucanthemum)
フランスギク キク科
Lychnis coronaria スイセンノウ ナデシコ科
Miyamayomena savatieri ミヤコワスレ キク科
Nierembergia repens ギンパイソウ ナス科
Paeonia lactiflora シャクヤク ボタン科
Papaver bracteatum ハカマオニゲシ ケシ科
Phlox paniculata クサキョウチクトウ ハナシノブ科
Phlox subulata ハナツメクサ、シバザクラ ハナシノブ科
Physostegia virginiana ハナトラノオ シソ科
Primula veris キバナノクリンザクラ、セイヨウサクラソウ サクラソウ科
Scabiosa atropurpurea セイヨウマツムシソウ マツムシソウ科
Stokesia laevis ルリギク キク科
Tradescantia chinensis ムラサキツユクサ ツユクサ科
Zantedeschia aethiopica オランダカイウ サトイモ科
５．球根類
Allium victorialis subsp. platyphyllum キバナノギョウジャニンニク ユリ科
Amana edulis アマナ ユリ科
Anemone coronaria ハナイチゲ キンポウゲ科
Canna generalis カンナ カンナ科
Convallaria majalis スズラン ユリ科
Dahlia pinnata ダリア キク科
Endymion hispanicus ツリガネズイセン ヒガンバナ科
Gladiolus x hybridus ヒメトウショウブ、グラジオラス アヤメ科
Hiacinthus orientalis ニシキユリ、ヒアシンス ユリ科
Ipheion uniflorum (Brodiaea uniflora) ハナニラ ユリ科
Leucojum aestivum オオナツユキソウ ヒガンバナ科
Lycoris squamigera ナツズイセン ヒガンバナ科
Muscari armeniacum ムスカリ ユリ科
Narcissus x hybridus ラッパズイセン、クチベニズイセン ヒガンバナ科
Rananculus asiaticus ラナンキュラス キンポウゲ科
Tulipa gesneriana
チューリップ ‘カンザス’、‘ミシシッピー’、
ユリ科
‘ミスターズマーマン’、‘テレスビウム’
６．花木
Camelia japonica ツバキ ツバキ科
Cercis chinensis ハナズオウ マメ科
Chaenomeles speciosa ボケ バラ科
Corylopsis pauciflora ヒュウガミズキ マンサク科
Corylopsis spicata トサミズキ マンサク科
Cytisus scoparius エニシダ マメ科
Deutzia gracilis ヒメウツギ アジサイ科
Enkianthus perulatus ドウダンツツジ ツツジ科
Forsythia suspensa レンギョ モクセイ科
Gardenia augusta クチナシ アカネ科
Hydrangea macrophylla アジサイ ユキノシタ科
Keｒria japonica ヤマブキ バラ科
Kerria japonica 'Albescens' シロバナヤマブキ バラ科
Lagerstroemia indica サルスベリ ミソハギ科
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- 134 -
最終版
Magnolia kobus コブシ モクレン科
Magnolia liliflora モクレン モクレン科
Malus halliana ハナカイドウ バラ科
Osmanthus fragrans var. aurantiacus キンモクセイ モクセイ科
Paeonia suffruticosa ボタン ボタン科
Prunus avium オウトウ、セイヨウミザクラ バラ科
Prunus lannesiana var. lannesiana サトザクラ バラ科
Prunus mume ウメ バラ科
Rosa laevigata ナニワイバラ バラ科
Serissa foetida (japonica) ハクチョウゲ アカネ科
Spiraea cantoniensis コデマリ バラ科
Spiraea prunifolia シジミバナ バラ科
Spiraea thunbergii ユキヤナギ バラ科
Syringa hybrids ライラック モクセイ科
第2 表 小平キャンパス初期の植物（1947 年春-1948 年6 月）；日誌より （深谷 2008)
１．春咲き一年草
学名（旧学名） 和名 科名
Antirrhinum majus キンキョソウ ゴマノハグサ科
Bellis perennis ヒナギク キク科
Briza maxima コバンソウ イネ科
Brassica orelacia var. acephala ハボタン アブラナ科
Browallia elata ブロワリア ナス科
Calendula officinalis キンセンカ キク科
Centaurea cyanus ヤグルマギク キク科
Consolida ambigua (Delphinium ajacis) ヒエンソウ、チドリソウ キンポウゲ科
Cynoglossum amabile シナワスレナグサ ムラサキ科
Dianthus chinensis セキチク、カラナデシコ ナデシコ科
Dorotheanthus （Messembryanthemum）
bellidiformis
リビングストンデージー スベリヒユ科
Erysimum capitatum キバナアラセイトウ アブラナ科
Erysimum (Cheiranthus) cheiri ニオイアラセイトウ（ウォールフラワー） アブラナ科
Eschscholtzia californica ハナビシソウ ケシ科
Gypsophila elegans カスミソウ、ムレナデシコ ナデシコ科
Lathyrus odoratus スィートピー マメ科
Linum リナム、ライナム アマ科
Lobularia (Alyssum) maritima ニワナズナ アブラナ科
Lupinus luteus キバナルピナス、キバナハウチワマメ マメ科
Matiola incana 'Versinia' ストック’バージニア’、アラセイトウ アブラナ科
Myosotis scorpioides ワスレナグサ、ワスルナグサ ムラサキ科
Papaver rhoeas ヒナゲシ ケシ科
Phlox drummondii キキョウナデシコ ハナシノブ科
Primula Polyanthus Group プリムラ・ポリアンサ サクラソウ科
Primula malacoides ケショウザクラ、オトメザクラ サクラソウ科
Primula obconica トキワザクラ サクラソウ科
Schizanthus pinnatus シザンサス ナス科
Silene armeria ムシトリナデシコ ナデシコ科
Silene (Lychnis) coeli-rosa コムギセンノウ ナデシコ科
Tanacetum (Chrysanthemum) parthenium ナツシロギク キク科
Verbena hybrida ビジョザクラ クマツヅラ科
Viola odorata ニオイスミレ スミレ科
Viola x wittrockiana パンジー スミレ科
２．夏～秋咲き一年草
Ageratum houstonianum オオカッコウアザミ キク科
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- 135 -
最終版
Amaranthus caudatus ヒモゲイトウ ヒユ科
Amaranthus tricolor ハゲイトウ ヒユ科
Ammobium alatum カイザイク キク科
Arctotis grandis アークトーチス キク科
Asclepias curassavica トウワタ ガガイモ科
Begonia Semperflorens-cultorum Group シキザキベゴニア シュウカイドウ科
Bracteantha bracteata (Helicｈrysum
bracteatum)
ムギワラギク キク科
Callistephus chinensis エゾギク キク科
Cardiospermum halicacabum フウセンカズラ ムクロジ科
Catharanthus roseus (Vinca rosea) ニチニチソウ キョウチクトウ科
Celosia argentea セロシア スパイカ ヒユ科
Cleome spinosa セイヨウフウチョウソウ フウチョウソウ科
Coreopsis tinctoria ハルシャギク キク科
Cosmos bipinnatus コスモス キク科
Cosmos sulphureus キバナコスモス キク科
Gomphrena globosa センニチコウ ヒユ科
Hibiscus coccineus モミジアオイ アオイ科
Impatiens balsamina ホウセンカ ホウセンカ科
Ipomoea quamoclit (Quamoclit pinnata) ルコウソウ、マルバルコウ、ホソバルコウ ヒルガオ科
Ipomoea tricolor セイヨウアサガオ、ソライロアサガオ ヒルガオ科
Limonium リモニウム イソマツ科
Mirabilis jalapa オシロイバナ オシロイバナ科
Nicotiana alata シュッコンタバコ タバコ科
Petunia hybrida ペチュニア ナス科
Persicaria (Polygonum) orientale オオケタデ タデ科
Porturaca grandiflora マツバボタン スベリヒユ科
Salvia farinacea ブルーサルビア シソ科
Tagetes erecta クジャクソウ、アフリカンマリーゴールド キク科
Tagetes patula コウオウソウ、フレンチマリーゴールド キク科
Tropaeolum majus キンレンカ、ナスターチューム
ノウゼンハレン
科
Zinnia elegans ヒャクニチソウ キク科
３．二年草
Alcea (Althaea) rosea タチアオイ アオイ科
Campanula medium フウリンソウ キキョウ科
Dianthus barbatus アメリカナデシコ、ヒゲナデシコ ナデシコ科
４．宿根草
Achillea filipendulina キバナノノコギリソウ キク科
Achillea milｌeforium セイヨウノコギリソウ キク科
Anchusa azurea ウシノシタグサ、セイタカルリソウ ムラサキ科
Anemone x hybrida バラザキシュウメイギク キンポウゲ科
Aquilegia vulgaris セイヨウオダマキ キンポウゲ科
Argyranthemum (Chrysanthemum)
frutescens
モクシュンギク、マーガレット キク科
Arrhenatherum elatius var. bulbosum リボングラス イネ科
Aster novibelgii ユウゼンギク、ユウゼンノギク キク科
Bletilla striata シラン ラン科
Campanula lactiflora カンパニュラ キキョウ科
Campanula カブラギキョウモドキ キキョウ科
Chrysanthemum x morifolium キク キク科
Cirsium japonicum ハナアザミ キク科
Coreopsis lanceolata オオキンケイギク キク科
Nierembergia repens ギンパイソウ ナス科
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- 136 -
最終版
Dianthus plumarius タツタナデシコ、トコナデシコ ナデシコ科
Digitalis purpurea ジギタリス ゴマノハグサ科
Echinops ritro ルリタマアザミ キク科
Gaillardia pulchella テンニンギク キク科
Gerbera jamesonii ガーベラ キク科
Geum chiｌoense チリーダイコンソウ バラ科
Herianthus tuberosus キクイモ キク科
Heliopsis helianthoides キクイモモドキ キク科
Hemerocallis dumortieri ヒメカンゾウ ユリ科
Hibiscus coccineus モミジアオイ アオイ科
Hibiscuc mutabilis フヨウ アオイ科
Hosta montana オオバギボウシ ユリ科
Hosta longissima ミズギボウシ ユリ科
Iris germanica ドイツアヤメ アヤメ科
Iris germanica 'Florentina' ニオイアヤメ ‘フローレンティア’ アヤメ科
Iris thunbergii ( kamayama) カマヤマショウブ アヤメ科
Kniphofia ジャグマユリ ユリ科
Leucanthemum vulgare (Chrysanthemum
leucanthemum)
フランスギク キク科
Liatris spicata キリンギク キク科
Macleya cordata タケニグサ ケシ科
Miscanthus sinensis ススキ イネ科
Miyamayomena savatieri ミヤコワスレ キク科
Monarda didima タイマツバナ シソ科
Patrinia scabiosifolia オミナエシ オミナエシ科
Persicaria (Polygonum) filiforme ミズヒキ タデ科
Phlox paniculata クサキョウチクトウ ハナシノブ科
Phlox subulata ハナツメクサ ハナシノブ科
Physostegia virginiana ハナトラノオ シソ科
Rudbeckia laciniata オオハンゴンソウ キク科
Scabiosa atropurpurea セイヨウマツムシソウ マツムシソウ科
Stokesia laevis ストケシア、ルリギク キク科
Tradescantia reflexa ムラサキツユクサ ツユクサ科
Veronica longifolia ベロニカ ゴマノハグサ科
Verbena bonariensis サンジャクバーベナ、コダチビジョザクラ クマツヅラ科
５．球根類
Canna indicum カンナ カンナ科
Dahlia pinnata ダリア キク科
Hyacinthoides non-scripta ヒメツリガネズイセン ユリ科
Ipheion (Broadia) uniflora ハナニラ ユリ科
Leucojum aestivum スノーフレーク ヒガンバナ科
Lycoris squamigera ナツズイセン ヒガンバナ科
Muscari armeniacum ムスカリ ユリ科
Narcissus poeticus クチベニズイセン ヒガンバナ科
Narcissus pseudonarcissus ラッパズイセン ‘キングアルフレッド’ ヒガンバナ科
Ranunculus asiaticus ラナンキュラス キンポウゲ科
Scilla シラー ユリ科
Scilla scilloides ツルボ ユリ科
Tulipa gesneriana
チューリップ ‘ウィリアムピット’、‘カンザ
ス’、 ‘ミシシッピー’、‘ミスターズマーマ
ン’、‘ファンタジー’、‘イエローダーウィン’
ユリ科
６．花木
Hibiscus syriacus ムクゲ アオイ科
Lagerstroemia indica サルスベリ ミソハギ科
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- 137 -
最終版
Osmanthus fragrans var. aurantiacus キンモクセイ モクセイ科
Paeonia suffruticosa ボタン ボタン科
Rosa バラ バラ科
Spiraea cantoniensis コデマリ バラ科
第３表 1955～1965 年学生作成一年草ボーダー図に用いられた植物材料
《野村順子（1955）、田沢照子（1958)、佐藤礼子(1959）、松本誠子(1964)、瀬川順子(1965）》
１．春花壇
学名 （旧学名）’品種名’ 和名 ’品種名’ 科名
Amberboa (Centaurea) moschata ニオイヤグルマ、スイートサルタン キク科
Antirrhinum majus 'Prince of Orange' キンギョソウ ‘プリンス オブ オレンジ’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Goliath' キンギョソウ ‘ゴリアテ’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Bright Yellow' キンギョソウ ‘ブライト イエロー’ ゴマノハグサ科
Bellis perennis 'Mixed Colors' ヒナギク ‘ミックスカラー’ キク科
Brachyscome iberidifolia 'Mixture' ブラキカム ‘ミクスチャー’ キク科
Briza maxima コバンソウ イネ科
Browallia americana ブロワリア、ルリマガリバナ ナス科
Calendula officinalis 'Orange Flubby' キンセンカ ‘オレンジ フルビー’ キク科
Calendula officinalis 'Orange Quills' キンセンカ ‘オレンジ クルス’ キク科
Centaurea cyanus 'Pinkie' ヤグルマギク ‘ピンキー’ キク科
Consolida ambigua （Delphinium ajacis）
'Steeple Chase'
ヒエンソウ ‘スティープル チェイス’ キンポウゲ科
Crepis rubra 'Pure Pink' モモイロタンポポ ‘ピュアピンク’ キク科
Cynoglossum amabile 'Firmament' シナワスレナグサ ‘フィアマメント’ ムラサキ科
Cynoglossum amabile 'Blue Bird' シナワスレナグサ ‘ブルーバード’ ムラサキ科
Dimorphotheca sinuata (aurantiaca) ディモルフォセカ キンポウゲ科
Erysimum (Cheiranthus）cheiri 'Golden
Bedder'
ニオイアラセイトウ ‘ゴールデン ベダー’
（ウォールフラワー）
アブラナ科
Eschscholtzia californica 'Golden Orange' ハナビシソウ ‘ゴールデン オレンジ’ ケシ科
Eschscholtzia californica 'Single Flowering' ハナビシソウ ‘シングル フラワー’ ケシ科
Felicai bergeriana ブルーデージー キク科
Gypsophila elegans 'King of the Market' カスミソウ ‘キング オブ マーケット’ ナデシコ科
Ibellis umbellata 'Fresh Pink'
イベリス（キャンディタフト） ‘フレッシュ ピ
ンク’
アブラナ科
Ibellis umbellata 'Little Prince'
イベリス（キャンディタフト） ‘リトル プリン
セス’
アブラナ科
Lobelia erinus 'Blue Stone' ルリチョウチョ ‘ブルー ストーン’ キキョウ科
Lobelia erinus 'Crystal Palace' ルリチョウチョ ‘クリスタル パレス’ キキョウ科
Lobularia (Alyssum) maritima 'Carpet of
Snow'
ニワナズナ ‘カーペット スノー’ アブラナ科
Lobularia (Alyssum) maritima 'Violet Queen' ニワナズナ ‘バイオレット クイーン’ アブラナ科
Lobularia (Alyssum) maritima 'Sweet' ニワナズナ ‘スイート’ アブラナ科
Lupinus polyphyllus (subcarnosus) 'Russell' ワシントンルピナス ‘ラッセル’ マメ科
Lupinus polyphyllus (subcarnosus) 'Texas
Blue Bonnet'
ワシントンルピナス ‘テキサス ブルー
ボネット’
マメ科
Matthiola incana ニオイアラセイトウ、ストック アブラナ科
Myosotis alpestris (sylvatica) 'Blue Bird' ワスレナグサ ‘ブルーバード’ ムラサキ科
Myosotis scorpioides ワスレナグサ ムラサキ科
Nemesia strumosa ウンランモドキ ゴマノハグサ科
Nemophila menziesii (insignis) ルリカラクサ ハゼリソウ科
Papaver nudicaule アイスランド・ポピー ケシ科
Papaver orientale 'Princess Victoria Louise' オニゲシ ‘プリンセス ビクトリア ルイス’ ケシ科
Papaver rhoeas ヒナゲシ ケシ科
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- 138 -
最終版
Phlox drummondii キキョウナデシコ ハナシノブ科
Phlox drummondii var. stellaris ホシザキキキョウナデシコ ハナシノブ科
Primula malacoides ケショウザクラ、オトメザクラ サクラソウ科
Rhodanthe (Helipterum) chlorocephala var.
rosea (roseum)
ハナカンザシ キク科
Rhodanthe (Hellipterum) manglesii ヒロハノハナカンザシ キク科
Salpiglossis sinuata サルメンバナ ナス科
Schizanthus pinnatus ムレゴチョウ ナス科
Silene armeria ムシトリナデシコ ナデシコ科
Silybum marianum シリバム キク科
Verbena hybrida 'Compact Mixed' バーベナ ‘コンパクト ミクス’ クマツヅラ科
Verbena hybrida 'Floradale Beauty' バーベナ ‘フロラデール ミクス’ クマツヅラ科
Viola cornuta 'Yellow Perfection' ビオラ ‘イエロー パーフェクション’ スミレ科
Viola x wittrockiana (tricolor var. hortensis)
'Lord Beaconsfield'
パンジー 'ロード ビーコンス フィール
ド’
スミレ科
Viola x wittrockiana (tricolor var. hortensis)
'Helios'
パンジー ‘ヘリオス’ スミレ科
Viola x wittrockiana (tricolor var. hortensis)
'Swiss Orange'
パンジー ‘スイス オレンジ’ スミレ科
Viola x wittrockiana (tricolor var. hortensis)
'March Beauty'
パンジー ‘マーチ ビューティー’ スミレ科
２．夏～秋花壇
Ageratum houstonianum 'Blue Perfection'
オオカッコウアザミ ‘ブルー パーフェク
ション’
キク科
Ageratum houstonianum 'Blue Star' オオカッコウアザミ ‘ブルー スター’ キク科
Ageratum houstonianum 'Tall White' オオカッコウアザミ ‘トール ホワイト’ キク科
Ageratum houstonianum 'Tetra Blue' オオカッコウアザミ ‘テトラ ブルー’ キク科
Amaranthus tricolor (gangeticus)、(sulicifolius
var. salicifolius)
ハゲイトウ ヒユ科
Browallia americana 'White' ブロワリア ‘ホワイト’ ナス科
Catharanthus roseus (Vinca rosea) 'Twincles' ニチニチソウ ‘トゥインクル’ キョウチクトウ科
Celosia argentea var. cristata 'Toreado' ケイトウ ‘トレアド’ ヒユ科
Celosia argentea var. cristata Plumosa Group
'Golden Feather'
フサゲイトウ ‘ゴールデン フェザー’ ヒユ科
Celosia argentea var.cristata Plumosa Group ヤリゲイトウ ヒユ科
Cleome spinosa 'Pink Queen' セイヨウフウチョウソウ ‘ピンク クイーン‘ フウチョウソウ科
Cosmos bipinnatus 'Charming Rose', 'Pink
Shade'
コスモス ‘チャーミングローズ’、‘ピンク
シェード’
キク科
Emilia coccinea (Cacalia sagitata) ベニニガナ キク科
Euphorbia heterophylla ショウジョウソウ トウダイグサ科
Euphorbia marginata 'Green and White' ハツユキソウ ‘グリーン アンド ホワイト’ トウダイグサ科
Gaillardia pulchella テンニンギク キク科
Gomphlena globosa 'White' センニチコウ ‘ホワイト’ ヒユ科
Gomphlena globosa 'Red and Purple'
センニチコウ ‘レッド アンド パー
プル’
ヒユ科
Gomphlena haageana キバナセンニチコウ ヒユ科
Helianthus debilis ヒメヒマワリ キク科
Hibiscus manihot 'Bright Yellow' トロロアオイ ‘ブライト イエロー’ アオイ科
Impatiens balsamina ホウセンカ ホウセンカ科
Mimosa pudica オジギソウ マメ科
Nicotiana x sanderae ハナタバコ ナス科
Petunia hybrida 'Pink Sensation' ペチュニア ‘ピンクセンセーション’ ナス科
Portulaca grandiflora 'Double' マツバボタン ‘ダブル’ スベリヒユ科
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- 139 -
最終版
Portulaca grandiflora 'Scarlet Red'' マツバボタン ‘スカーレット レッド’ スベリヒユ科
Rudbeckia bicolor 'Gloriosa Daisy' ルドベキア ‘グロリオーサ デイジー’ キク科
Salvia farinacea ブルーサルビア シソ科
Salvia patens 'Indigo Blue' ソライロサルビア ‘インディゴブルー’ シソ科
Salvia splendens 'Blaze of Fire'
ヒゴロモソウ ‘ブレーズ オブ ファ
イヤー’
シソ科
Salvia splendens 'Zurich' ヒゴロモソウ ‘チューリッヒ’ シソ科
Salvia splendens 'Dwarf Scarlet'
ヒゴロモソウ ‘ドワーフ スカーレッ
ト’
シソ科
Salvia splendens 'St. John's Fire'
ヒゴロモソウ ‘セント ジョンズ フ
ァイヤー’
シソ科
Solenostemon sctellarioides (Coleus blumei)
'Green, Red, Yellow'
コリウス、ニシキジソ ‘グリーン、レッド、
イエロー’
シソ科
Solenostemon sctellarioides (Coleus blumei)
'Green, Red, Brown'
コリウス、ニシキジソ ‘グリーン、レッド、
ブラウン’
シソ科
Tagetes erecta 'Canary Yellow'
マンジュギク （アフリカンマリーゴール
ド） ‘カナリーイエロー’
キク科
Tagetes patula 'Petite Orange'
クジャクソウ （フレンチマリーゴード）
‘プチィット オレンジ’
キク科
Tagetes patula 'Double French'
クジャクソウ （フレンチマリーゴード）
‘ダブル フレンチ’
キク科
Tagetes patula 'Harmony'
クジャクソウ （フレンチマリーゴールド）
‘ハーモニー’
キク科
Tagetes patula 'Yellow Pygmy'
クジャクソウ （フレンチマリーゴール）
‘イエロー ピグミー’
キク科
Tithonia rotundifolia (speciosa) メキシコヒマワリ キク科
Torenia fournieri 'Deep Blue' トレニア ‘ディープ ブルー’ ゴマノハグサ科
Torenia fournieri 'Light Blue' トレニア ‘ライト ブルー’ ゴマノハグサ科
Torenia fournieri 'White Wings' トレニア ‘ホワイト ウイングス’ ゴマノハグサ科
Tropaeolum majus キンレンカ、ナスタチゥム
ノウゼンハレン
科
Zinnia angustifolia (linearis) ホソバヒャクニチソウ キク科
Zinnia elegans 'Exquisite' ヒャクニチソウ ‘エクイジット’ キク科
Zinnia elegans 'Giant of California Zinnia'
ヒャクニチソウ ‘ジャイアント カリ
フォルニア ジニア’
キク科
Zinnia elegans 'Canary Yellow' ヒャクニチソウ ‘カナリー イエロー’ キク科
第４表 伊勢原キャンパス植物材料 《梅沢周子 1966》
１．宿根草ボーダー
学名（旧学名） 和名 ’品種名’ 科名
Anemone x hybrida バラザキシュウメイギク キンポウゲ科
Antirrhinum majus
キンギョソウ ‘コロンダイクシュープリー
ム’、 ‘シスラースレッド’、‘ペギーシュー
マン’
ゴマノハグサ科
Aster koraiensis (chinensis) チョウセンヨメナ キク科
Aster novi-belgii シノノメギク、ユウゼンギク キク科
Aubrieta deltoides オーブリエチア アブラナ科
Baptisia australis ムラサキセンダイハギ マメ科
Campanula medium フウリンソウ キキョウ科
Centaurea cyanus ヤグルマギク ’ポルカドット’ キク科
Chrysanthemum morifolium キク キク科
Chrysanthemum nipponicum ハマギク キク科
Cerastium tomentosum シロミミナグサ、ナツユキソウ ナデシコ科
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- 140 -
最終版
Cirsium japonicum ノアザミ、ドイツアザミ キク科
Consolida ambigua (Delphinium ajacis) ヒエンソウ、チドリソウ キンポウゲ科
Crepis rubra モモイロタンポポ キク科
Cynoglossum amabile シナワスレナグサ ムラサキ科
Dahlia pinnata ダリア キク科
Delphinium grandiflorum オオヒエンソウ キンポウゲ科
Digitalis purpurea キツネノテブクロ ゴマノハグサ科
Echinops ritro ルリタマアザミ キク科
Gaura lindheimeri ハクチョウソウ アカバナ科
Gazania hybrida クンショウギク キク科
Gypsophila paniculata シュッコンカスミソウ ナデシコ科
Heliotropium arborescens (corymbosum)
ニオイムラサキ ‘ドワーフリーガルミック
ス’
ムラサキ科
Hibiscus mutabilis フヨウ アオイ科
Iberis sempervirens イワナズナ アブラナ科
Impatiens walleriana (sultani) アフリカホウセンカ ホウセンカ科
Kniphofia hybrida ジャグマユリ ユリ科
Leucanthemum x superbum
（Chrysanthemum maximum)
シャスタデージー ユリ科
Liatris sp. リアトリス、キリンギク キク科
Lobelia erinus
ルリチョウチョ ‘クリスタルパレスコンパク
タ’ ‘スノーボール’、‘ミセスクリブランド’
キキョウ科
Matthiola incana アラセイトウ、ストック ’青苑’ アブラナ科
Monarda didima タイマツバナ シソ科
Myosotis scorpioides ワスレナグサ ‘ロイヤルブルー’ ムラサキ科
Narcissus pseudonarcissus ラッパズイセン ‘マウントフッド’ ヒガンバナ科
Papaver orientale オニゲシ ケシ科
Penstemon barbatus ヤナギチョウジ ゴマノハグサ科
Penstemon cobaea (glaber) ムラサキツリガネヤナギ ゴマノハグサ科
Persicaria (Polygonum) ポリゴナム タデ科
Phlox paniculata クサキョウチクトウ ハナシノブ科
Rudbeckia bicolor ルドベキア ‘ゴールドフレーク’ キク科
Salvia ｓplendens ヒゴロモソウ ‘ピンク’、’ホワイト’ シソ科
Salvia viridis (horminum) サルビア ‘ピンクサンディー’ シソ科
Sanvitalia サンビタリア キク科
Solenostemon sctellarioides (Coleus blumei) ニシキジソ ‘ベルベットレインボウ’ シソ科
Stokesia laevis ルリギク キク科
Trachelium caeruleum ユウギリソウ キキョウ科
Tulip gesneriana
チューリップ ‘アペルドーン’、‘パープ
ル’、 ‘ウィリアムピット’、‘ゴールデンハ
ーベスト’
ユリ科
Ursinia anethoides ウルシニア キク科
Verbena hybrida ビジョザクラ クマツヅラ科
Verbena rigida (venosa) シュッコンバーベナ クマツヅラ科
Veronica sp. ベロニカ ゴマノハグサ科
２．夏～秋 一年草ボーダー
Ageratum housutonianum 'Blue Blazer'
オオカッコウアザミ ‘ブルー ブレーザ
ー’
キク科
Cosmos bippinatus 'Sensation' コスモス ‘センセーション’ キク科
Cosmos sulphureus 'Sunset' キバナコスモス ‘サンセット’ キク科
Euphorbia marginata ハツユキソウ トウダイグサ科
Bracteantha bracteata (Helichrysum
bracteatum)
ムギワラギク キク科
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- 141 -
最終版
Osimum basilicum 'Dark Opal' バジル 'ダークオパル’ シソ科
Petunia hybrida 'Moon Glow' ぺチュニア ‘ムーングロー’ ナス科
Petunia hybrida 'Comanche' ぺチュニア ‘コマンチェ’ ナス科
Petunia hubrida 'Ballerina' ぺチュニア ‘バレリーナ’ ナス科
Rudbeckia bicolor 'Gold Flam' テンニンギクモドキ ‘ゴールド フレイム‘ キク科
Salvia sprendens 'Pure White' ヒゴロモソウ ‘ピュア ホワイト’ シソ科
Salvia sprendens 'Red' ヒゴロモソウ ‘赤’ シソ科
Sanvitaria procumbens ジャノメギク キク科
Tagetes erecta マンジュギク キク科
Tagetes patula 'Brauni Scaut' クジャクソウ ‘ブラウニスカウト’ キク科
Tagetes patula 'Puti Yellow' クジャクソウ ‘プティイエロー’ キク科
Zinnia elegans 'Tiny Tim' ヒャクニチソウ ‘タイニーティム’ キク科
Zinnia elegans 'Pink' ヒャクニチソウ 巨大輪ピンク キク科
３．一年草春花壇 (1967)
Antirrhinum majus キンギョソウ ゴマノハグサ科
Campanula annual キキョウ科
Centaurea cyanus ヤグルマギク キク科
Chrysanthemum carinatum ハナワギク キク科
Chrysanthemum multicale ムルチコーレ キク科
Consolida ambigua (Delphinium ajacis) ヒエンソウ キンポウゲ科
Cynoglossum amabile シナワスレナグサ ムラサキ科
Dianthus sp. ナデシコ科
Dorotheanthus bellidiformis リビングストンデージー ザクロソウ科
Eschscholtchia californica ハナビシソウ ケシ科
Loburalia maritima (Alyssum maritimum) ニワナズナ ‘ローヤルカーペット’ アブラナ科
Myosotis scorpioides ワスレナグサ ムラサキ科
Papver rhoeas ヒナゲシ ケシ科
Ursinia anethoides ウルシニア キク科
Viola x wittrockiana (tricolor var. hortensis)
パンジー ‘アプリコットクイーン'、‘コロネ
ーションゴールド’、‘チューリッヒゼナ’
スミレ科
第５表 1987～2003 年 春（4ー7 月）の花壇で用いられた植物
１．宿根草ボーダー
学名 (旧学名）'品種名’ 和名 '品種名’ 科名
Acanthus mollis ハアザミ キク科
Achillea fillipendulina キバナノノコギリソウ キク科
Agastache 'Honeybee Blue' アガスターシェ ‘ハネビー ブルー’ シソ科
Ajuga reptans アジュガ シソ科
Alchemila mollis アルケミラ バラ科
Allium giganteum アリウム・ギガンチウム ユリ科
Alcea （Altheae) rosea タチアオイ、ホリホック アオイ科
Amberboa （Centaurea） moschata ニオイヤグルマ キク科
Anchusa azurea ウシノシタグサ ムラサキ科
Antirrhinum majus 'Blue Charm' キンギョソウ ‘ブルーチャーム’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Floral Carpet' キンギョソウ ‘フローラルカーペット’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Little Darling' キンギョソウ ‘リトルダーリン’ ゴマノハグサ科
Aquilegia 'Mckanas Giant' アクレギア ‘マッカナスジャイアント’ キンポウゲ科
Aquilegia アクレギア 桃色八重咲き キンポウゲ科
Aquilegia vulgaris 'Columbina Grannys
Bonnets'
セイヨウオダマキ ‘コロンビナ グラニス
ボネット’
キンポウゲ科
Arctotis hybrida アークトーチス キク科
Argyranthemum (Chrysanthemum）
frutescens
モクシュンギク、マーガレット キク科
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- 142 -
最終版
Argyrantrhemum (Chrysanthemum）
frutescens var. chrysaster
キバナマーガレット キク科
Armeria latifolia アルメリア イソマツ科
Aster tongolensis アスター・トンゴレンシス キク科
Astilbe x arendsii アスチルベ ユキノシタ科
Aurinia saxatilis （Alyssum saxatile) イワナズナ アブラナ科
Campanula glomerata var. superba ヤツシロソウ キキョウ科
Campanula 'Kent Belle' カンパニュラ ‘ケントベル’ キキョウ科
Campanula longestyla カンパニュラ・ロンゲステラ キキョウ科
Campanula medium 'Alba' フウリンソウ ‘アルバ’ キキョウ科
Campanula medium 'May White' フウリンソウ ‘メイホワイト’ キキョウ科
Campanula medium 'Coerulea' フウリンソウ ‘シールレア’ キキョウ科
Campanula medium 'May Lavender' フウリンソウ ‘メイラベンダー’ キキョウ科
Campanula medium 'May Purple' フウリンソウ ‘メイパープル’ キキョウ科
Campanula medium 'May Blue' フウリンソウ ‘メイブルー’ キキョウ科
Campanula medium 'Rosea' フウリンソウ ‘ロゼア’ キキョウ科
Campanula medium 'May Pink' フウリンソウ ‘メイピンク’ キキョウ科
Campanula persicifolia モモノハギキョウ キキョウ科
Centaurea cyanus 'Seiki' ヤグルマギク ‘青輝’ キク科
Centaurea dealbata セントーレア・デアルバータ キク科
Centaurea macrosephala オウゴンヤグルマソウ キク科
Centaurea montana ヤマヤグルマギク キク科
Centranthus ruber ベニカノコソウ キク科
Cirsium japonicum ハナアザミ、（ドイツアザミ） キク科
Clarkia (Godetia） amoena 'Gem Special Mix' イロマツヨイ ‘ジェムスペシャルミクス’ アカバナ科
Clarkia elegans クラーキア、サンジソウ アカバナ科
Convolvulus tricolor サンシキアサガオ ヒルガオ科
Coreopsis grandiflora コレオプシス・グランディフローラ キク科
Coreopsis lanceolata オオキンケイギク キク科
Coreopsis rosea 'Moon Beam' コレオプシス ‘ムーンビーム’ キク科
Coreopsis 'Sunray' コレオプシス ‘サンレー’ キク科
Craspedia globosa クラスペディア キク科
Cynoglossum amabile 'Indigo Blue' シナワスレナグサ ‘インディゴブルー’ ムラサキ科
Daucus carota ノラニンジン セリ科
Delphinium 'Belladonna Improved'
デルフィニウム ‘ベラドンナインプルーブ
ド’
キンポウゲ科
Delphinium 'Bellamosum Improved'
デルフィニウム ‘ベラモーサムインプルー
ブド’
キンポウゲ科
Delphinium 'Coneticut Yankees' デルフィニウム ‘コネチカット ヤンキー’ キンポウゲ科
Delphinium grandiflorum オオヒエンソウ キンポウゲ科
Delphinium hybrid 'Pacific Hybrids'
デルフィニウム ‘パシフィック ハイブリッ
ド’
キンポウゲ科
Dianthus barbatus 'Black Beauty' ヒゲナデシコ ‘ブラックビューティー’ ナデシコ科
Dianthus barbatus 'Black Bear' ヒゲナデシコ ‘ブラックビアー’ ナデシコ科
Dianthus barbatus 'Pink Beauty' ヒゲナデシコ ‘ピンクビューティー’ ナデシコ科
Dianthus barbatus 'Pationata' ヒゲナデシコ ‘パティオナータ’ ナデシコ科
Dianthus chinensis 'Satuki' セキチク ‘サツキ’ ナデシコ科
Dianthus 'Photon' ダイアンサス ‘フォトン’ ナデシコ科
Dianthus 'Oriental Carpet' ダイアンサス ‘オリエンタル カーペット’ ナデシコ科
Dianthus plumarius タツタナデシコ ナデシコ科
Diascia barberae ディアッシア ゴマノハグサ科
Didiscus caerulea ディディスカス ゴマノハグサ科
Digitalis 'Alba' ジギタリス ‘アルバ’ ゴマノハグサ科
Digitalis grandiflora オオバナジギタリス ゴマノハグサ科
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- 143 -
最終版
Digitalis lutea キバナジギタリス ゴマノハグサ科
Digitalis purpurea ジギタリス、キツネノテブクロ ゴマノハグサ科
Digitalis purpurea 'Excelsior' ジギタリス ‘エクセルシオール’ ゴマノハグサ科
Digitalis thapsi ジギタリス・タプシー ゴマノハグサ科
Echinops ritro ルリタマアザミ キク科
Echium vulgare 'Blue Bedder' シャゼンムラサキ ‘ブルーベッダー’ ムラサキ科
Eremurus エレムルス ユリ科
Erigeron speciosus ヒロハヒメジオン キク科
Eschscholtzia californica ハナビシソウ、カリフォルニアポピー ケシ科
Farfugium japonicum ツワブキ キク科
Felicia ameloides ブルーデージー、ルリヒナギク キク科
Filipendula シモツケソウ バラ科
Gailardia aristata オオテンニンギク キク科
Gaura lindheimery ハクチョウソウ アカバナ科
Gazania クンショウギク キク科
Gazania 'Chansonette' クンショウギク ‘シャンソネット’ キク科
Gilia tricolor アメリカハナシノブ ハナシノブ科
Heliotropium arborescens ニオイムラサキ ムラサキ科
Heliopsis scabra 'Summer Sun' ヘリオプシス ‘サマーサン’ キク科
Helleborus orientalis レンテンローズ キンポウゲ科
Hesperis matronalis ハナダイコン アブラナ科
Hibiscus moschetos アメリカフヨウ アオイ科
Hunnemannia fumarifolia フンネマニア ケシ科
Iberis umbellata 'Fairly Mix' イベリス ‘フェアリーミクス’ アブラナ科
Lavandula dentata ラベンデュラ・デンタータ シソ科
Lavatera olbia ラバテラ アオイ科
Lavatera 'Silver Cup' ハナアオイ ‘シルバーカップ’ アオイ科
Lavatera trimestris 'Tanagura' ハナアオイ ‘タナグラ’ アオイ科
Leucanthemum x superbum
（Chrysanthemum maximum）
シャスターデージー キク科
Lilium henryi キカノコユリ ユリ科
Lilium leichtlinii var. maximowiczii コオニユリ ユリ科
Lilium oriental hybrid 'Le Reve'
カノコユリ、オリエンタル・ハイブリッド ‘ル
レベ’
ユリ科
Linaria purpurea リナリア ゴマノハグサ科
Lupinus polyphyllus ワシントンルピナス、シュッコンルピアス マメ科
Lychnis coronaria スイセンノウ ナデシコ科
Lysimachia punctata リシマキア サクラソウ科
Malva sylvestris var. mauritiana ゼニアオイ アオイ科
Meconopsis cambrica var. aurantiaca メコノプシス ケシ科
Nemesia 'Lapin White' ネメシア ‘ラピンホワイト’ ゴマノハグサ科
Nicotiana 'Domino Mix' ハナタバコ ‘ドミノミクス’ ナス科
Nicotiana 'Domino Pink Eye' ハナタバコ ‘ドミノピンクアイ’ ナス科
Nicotiana 'Domino Red' ハナタバコ ‘ドミノレッド’ ナス科
Nicotiana 'Domino White' ハナタバコ ’ドミノホワイト’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Lime Green' ハナタバコ ‘ニッキーライムグリーン’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Mix' ハナタバコ ‘ニッキーミクス’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Rose' ハナタバコ ‘ニッキーローズ’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Yellow' ハナタバコ ‘ニッキーイエロー’ ナス科
Nicotiana 'Nicki White' ハナタバコ ‘ニッキーホワイト’ ナス科
Nierembergia coerulea ニーレンベルギア ナス科
Nierembergia frutescens アマダマシ、アマモドキ ナス科
Nigella damascena クロタネソウ キンポウゲ科
Pelargonium domesticum 'Hula' ぺラルゴニウム ‘フラ’ フウロソウ科
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- 144 -
最終版
Pelargonium domesticum 'Madam Royal' ぺラルゴニウム ‘マダムロイヤル’ フウロソウ科
Pelargonium domesticum 'Mint Tafty' ぺラルゴニウム ‘ミントタフティー’ フウロソウ科
Pelargonium domesticum 'Mint Pearl' ぺラルゴニウム ‘ミントパール’ フウロソウ科
Penstemon clutei ペンステモン ゴマノハグサ科
Penstemon cobaea ムラサキツリガネヤナギ ゴマノハグサ科
Penstemon hybridus 'Skyline Mixture'
ペンステモン ‘スカイラインミクスチ
ャー’
ゴマノハグサ科
Penstemon hybridus 'Nabigator Mix'
ペンステモン ‘ナビゲイター ミク
ス’
ゴマノハグサ科
Phlox drummondii var. stellaris ホシザキキキョウナデシコ ハナシノブ科
Phlox paniculata クサキョウチクトウ ハナシノブ科
Plumbago auriculata ルリマツリ イソマツ科
Potentilla atrosanguinea ベニバナキジムシロ、ポテンティラ バラ科
Potentilla 'Melton Dealbata' ポテンティラ ‘メルトン デアルバータ’ バラ科
Potentilla recta オオヘビイチゴ バラ科
Rudbeckia laciniata オオハンゴンソウ キク科
Ruta graveolens ヘンルウダ キク科
Salvia argentea ビロードサルビア シソ科
Salvia 'Blue Majesty' サルビア ‘ブルーマジェスティー’ シソ科
Salvia farinacea ブルーサルビア シソ科
Salvia fulgens メキシコサルビア シソ科
Salvia microphylla 'Cream' サルビア・ミクロフィラ ‘クリーム‘ シソ科
Salvia pratensis サルビア・プラテンシス シソ科
Salvia uliginosa サルビア・ウリギノーサ シソ科
Scabiosa caucasica コウカサスマツムシソウ マツムシソウ科
Senecio leucostachys セネシオ キク科
Silene armeria ムシトリナデシコ ナデシコ科
Stachys byzantina (lanata) ワタチョロギ シソ科
Teucrium fruticans ニガクサ シソ科
Tweedia (Oxypetalum) coeruleum ルリトウワタ ガガイモ科
Verbascum blattaria 'Pink Form'
バーバスカム・ブラッタリア ‘ピンクフォー
ム’
ゴマノハグサ科
Verbascum chaixii var.album バーバスカム・チャキシアイ ゴマノハグサ科
Verbascum phoeniceum バーバスカム・ホエニキウム ゴマノハグサ科
Verbascum thapsus ビロウドモウズイカ ゴマノハグサ科
Verbena bonariensis サンジャクバーベナ クマツヅラ科
Verbena hybrida 'Mammoth Mix' ビジョザクラ ‘マンモスミクス’ クマツヅラ科
Verbena rigida シュッコンバーベナ クマツヅラ科
Verbena tenera ヒメビジョザクラ クマツヅラ科
Veronica longifolia ベロニカ、（ルリトラノオ） ゴマノハグサ科
２．一年草ボーダー
Agastache 'Honeybee Blue' アガスターシェ ‘ハネビーブルー’ シソ科
Agrostemma githago ムギセンノウ ナデシコ科
Anchusa capensis 'Blue Charm' アフリカワスレナグサ ‘ブルーチャーム’ ムラサキ科
Antirrhinum majus 'Sonnet Mix' キンギョソウ ‘ソネットミクス’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Sonnet Yellow' キンギョソウ ‘ソネットイエロー’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Tall Butterfly Light Pink'
キンギョソウ ‘トールバタフライライトピン
ク’
ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Tall Butterfly Pink' キンギョソウ ‘トールバタフライピンク’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Tall Butterfly Mix' キンギョソウ ‘トールバタフライミクス’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Tall Butterfly Yellow' キンギョソウ ‘トールバタフライイエロー’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Tall Butterfly White' キンギョソウ ‘トールバタフライホワイト’ ゴマノハグサ科
Antirrhinum majus 'Winter Yellow' キンギョソウ ‘ウインターイエロー’ ゴマノハグサ科
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- 145 -
最終版
Arctotis hybrida アークトーチス キク科
Bellis perennis 'Deibii Red' ヒナギク ‘デイビーレッド’ キク科
Bellis perennis 'Super Pomponette Rose,
Red'
ヒナギク ‘スーパーポンポネットローズ
レッド’
キク科
Briza maxima コバンソウ イネ科
Calendula officinalis 'Chigasaki 202' キンセンカ ‘茅ヶ崎202’ キク科
Calendula officinalis 'Ougon Nakayasu' キンセンカ ‘黄金中安’ キク科
Centaurea americana セント－レア・アメリカナ キク科
Centaurea cyanus 'Seiki' ヤグルマギク ‘青輝’ キク科
Centaurea cyanus 'Toki' ヤグルマギク ‘桃輝’ キク科
Chrysanthemum carinatum 'Merry Mix' ハナワギク ‘メリーミクス’ キク科
Chrysanthemum segetum 'El Dorado'
クリサンセマム、アラゲシュンギク ‘エルド
ラド’
キク科
Clarkia (Godetia） amoena 'Gem Special Mix' イロマツヨイ ‘ゼムスペシャルミクス’ アカバナ科
Coleostephus myconis (Chrysanthemum
multicaule)
ムルチコーレ キク科
Coleostephus myconis (Chrysanthemum
multicaule) 'Moon Light'
ムルチコーレ ‘ムーンライト’ キク科
Consolida ambigua (Delphinium ajacis) ヒエンソウ、チドリソウ キンポウゲ科
Coreopsis lanceolata オオキンケイギク キク科
Craspedia クラスペディア キク科
Crepis rubra 'Pink' モモイロタンポポ ‘ピンク’ キク科
Crepis rubra 'White' モモイロタンポポ ‘白’ キク科
Cynoglossum amabile 'Indigo Blue' シナワスレナグサ ‘インディゴブルー’ ムラサキ科
Daucus carota ノラニンジン セリ科
Delphinium 'Belladonna Improved'
デルフィニウム ‘ベラドンナ インプ
ルーブド’
キンポウゲ科
Delphinium 'Conneticut Yankees' デルフィニウム ‘コネチカット ヤンキー’ キンポウゲ科
Delphinium grandiflorum オオヒエンソウ キンポウゲ科
Delphinium hybridum 'Pacific Hybrids'
デルフィニウム ‘パシフィックハイブ
リッド’
キンポウゲ科
Dianthus chinensis 'Kamo' セキチク ‘加茂’ ナデシコ科
Dianthus chinensis 'Satuki' セキチク ‘サツキ’ ナデシコ科
Dianthus F1 ダイアンサス ナデシコ科
Dianthus 'Fire Storm' ダイアンサス ‘ファイアーストーム’ ナデシコ科
Dianthus 'Telstar' ダイアンサス ‘テルスター’ ナデシコ科
Echium vulgare 'Blue Bedder' シャゼンムラサキ ‘ブルーベダー’ ムラサキ科
Ｅｒｙｓｉｍｕｍ x allionii ウォールフラワー アブラナ科
Eschscholtzia californica ハナビシソウ ケシ科
Gailardia aristata オオテンニンギク キク科
Gaura lindheimery ハクチョウソウ アカバナ科
Gilia tricolor アメリカハナシノブ ハナシノブ科
Hesperis matronalis ハナダイコン アブラナ科
Iberis umbellata 'Fairly Mix' イベリス ‘フェアリーミクス’ アブラナ科
Lagrus ovatus ラグラス、ウサギノオ イネ科
Lathyrus odoratus 'Super Mix' スイートピー ‘スーパーミクス’ マメ科
Lavatera 'Mont Blant' ハナアオイ ‘モンブラン’ アオイ科
Lavatera trimestris 'Tanagra' ハナアオイ ‘タナグラ’ アオイ科
Leucanthemum (Chrysanthemum) paludosum
'North Pole'
ノースポール キク科
Linaria bipartita ヒメキンギョソウ ゴマノハグサ科
Lobelia erinus ロべリア、ルリチョウチョ キキョウ科
Lobularia maritima ニワナズナ、アリッサム キキョウ科
Lupinus polyphyllus ワシントンルピナス、シュッコンルピナス マメ科
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- 146 -
最終版
Matricaria chamomilla カミツレ、ジャーマンカモミール キク科
Mimulus x hybridus ミムラス ゴマノハグサ科
Mimulus 'Cream Spot' ミムラス ‘クリームスポット’ ゴマノハグサ科
Mimulus 'Misty Ivory' ミムラス ‘ミスティーアイボリー’ ゴマノハグサ科
Mimulus 'Misty Yellow' ミムラス ‘ミスティーイエロー’ ゴマノハグサ科
Myosotis alpestris 'Dwarf Blue' ワスレナグサ ‘ドワーフブルー’ ムラサキ科
Nemophila insignis 'Insignis Blue' ルリカラクサ ‘インシグニス ブルー’ ハゼリソウ科
Nemophila insignis 'Maculata' ルリカラクサ ‘マキュラータ’ ハゼリソウ科
Nicotiana alata シュッコンハナタバコ ナス科
Nicotiana 'Domino White' ハナタバコ ‘ドミノホワイト’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Rose' ハナタバコ ‘ニッキーローズ’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Salmon' ハナタバコ ‘ニッキーサーモン’ ナス科
Nicotiana 'Nicki Yellow' ハナタバコ ‘ニッキーイエロー’ ナス科
Nigella damascena 'Persian Jewel' クロタネソウ ‘ペルジャンジュエル’ キンポウゲ科
Papaver nudicaule 'Sparkling' オリエンタルポピー ‘スパークリング’ ケシ科
Papaver rhoeas 'Shirley Double Mix' ヒナゲシ ‘シャーレーダブルミクス’ ケシ科
Penstemon hybridus ペンステモン ゴマノハグサ科
Phlox drummondii 'Drummondii Mix' キキョウナデシコ ‘ドラモンディーミクス’ ハナシノブ科
Phlox drummondii var. stellaris ホシザキキョウナデシコ ハナシノブ科
Ranunculus asiaticus ラナンキュラス キンポウゲ科
Salvia 'Blue Majesty' サルビア ‘ブルーマジェスティー’ シソ科
Salvia farinacea 'Victoria Blue' ブルーサルビア ‘サルビアブルー’ シソ科
Salvia farinacea 'Victoria White' ブルーサルビア ‘ビクトリアホワイト’ シソ科
Salvia microphylla サルビア・ミクロフィラ、チェリーセージ シソ科
Senecio cineraria シロタエギク キク科
Silene armeira ムシトリナデシコ ナデシコ科
Silene (Lychnis) coeli-rosa コムギセンノウ ナデシコ科
Tanacetum (Chrysanthemum） parthenium
'Golden Ball'
マトリカリア、ナツシロギク ‘ゴールデンボ
ール’
キク科
Tanacetum (Chrysanthemum） parthenium
'Ultra White'
マトリカリア、ナツシロギク ‘ウルトラホワ
イト’
キク科
Trachymene caerulea トラキメーネ セリ科
Tweedia (Oxypetalum) coeruleum ルリトウワタ ガガイモ科
Verbascum バーバスカム ゴマノハグサ科
Verbascum bombyciferum バーバスカム・ボンビシフェラム ゴマノハグサ科
Verbena x hybrida ビジョザクラ クマツヅラ科
Verbena x hybrida 'Mammmoth Mix' ビジョザクラ ‘マンモスミクス’ クマツヅラ科
Verbena x hybrida 'Romance Mix' ビジョザクラ ‘ロマンスミクス’ クマツヅラ科
Viola cornuta hybrida 'Violet Neeve' ビオラ ‘バイオレット ニーブ‘ スミレ科
Viola tricolor 'Baby Yellow' パンジー ’ベイビーイエロー’ スミレ科
Viola x wittrockiana パンジー スミレ科
Viola x wittrockiana 'Maxim Pink Magic' パンジー ‘マキシムピンクマジック’ スミレ科
Viola x wittrockiana 'New Crystal Yellow' パンジー ‘ニュークリスタルイエロー‘ スミレ科
Viola x wittrockiana 'Savick Blue and White'
パンジー ‘サビックブルー アンド
ホワイト’
スミレ科
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- 148 -
植物と人々；南アジアの園芸に関わる諸カースト巡り④
インドの花カースト
‐マハーラーシュトラ州とビハール州の
　　　　　マーリー・カーストとその人々‐
大橋　正明（人間社会学部国際社会学科）
Plants and People：
Horticulture Related Castes in South Asia No.4 ?
Flower Caste "Mali" in Maharashtra state and Bihar state
Masaaki OHASHI
1．花カースト、マーリーについて
　インドに関わり始めてから36年間が過ぎても、インドは分からないことだ
らけである。その一つが、マーリーのことだった。31年前、首都ニューデリー
でヒンディー語を勉強していた時に訪ねた朝日新聞の駐在員の家で、庭仕事
をしている人をそう呼んでいたので、マーリーとは庭師と言う職業名だと思
い込んだ。
　しかしその後マーリーとはカーストの名前でもあり、庭仕事だけでなく、
花や野菜の生産、花卉装飾や販売などに関わっていることや、マーリー・カー
ストの代表的な人物といえばムンベイ（旧ボンベイ）近くのプネーという町
で19世紀に活躍した先駆的な社会改革運動家、ジョーティラーオ・G・フレー
（その偉大な功績からマハートマー・フレーとも呼ばれている）である、と
言ったことをインド人や先輩たちから教えて貰った。マーリーとは花や園
芸に纏わるカーストであり、偉大な社会改革運動家を生み出す実力を持った
人々なのだ。もっとも庭師をする他のカーストの人たちもマーリーと呼ば
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- 149 -
れる1ので、マーリーとは職業名だと言っても全くの間違いではないようだ。
　園芸短大と大学の統合の後、「恵泉の園芸とは何か」と言う議論が学園内で
続いている。この恵泉の園芸が花卉を大切にしてきたことは、この分野を専
門とする旧短大教員の数や、六本木のフラワーセンターの存在からも明らか
だ。それゆえ恵泉の園芸の関係者が高い関心を持つであろう、そして私も長
い間不思議に思っていた花カースト、マーリーを今回は取り上げる。
　前回も述べたようにインドのカーストは決して固定したものではなく、地
域や解釈によって、その名称や分類、ヒエラルキー上の位置などが大きく異
なる。前回は北インドのビハール州で、人口が多く政治的にも有力な野菜
カーストを扱ったが、マーリー・カーストの人口はビハール州ではごく少な
く、南のデカン高原に位置するマハーラーシュトラ州や西のグジュラート州
に多い2。それゆえ本論では、マハートマー・フレーの出身地でもあるマハー
ラーシュトラ州と、筆者が調査を重ねているビハール州のマーリー・カース
トの由来や現状を、人類学者の研究書や当事者へのインタビューなどを基に
記述する3。このことによって、同じ名前のカーストが地域によって、どの程
度共通しているのか、あるいは異なっているかも示すことが出来た。
1-1．マーリーについて
　ここでは、マーリー・カーストについてインドで著名な人類学者シン
[Singh]の記述を元に概観する。
　まずマーリーという呼び名だが、これはサンスクリット語で花輪を意味す
る「マーラー」に由来する[Singh:p.2151, Enthoven:p.422]。しかしバングラデ
シュを含めたベンガル地方などではマーラーカールと呼ばれ、それがその
人の苗字の場合もある。これは恐らく花輪のマーラーに、仕事を意味する
カールが接合したのであろう。マーリーの伝統的職業は、花卉の栽培とヒン
ドゥー寺院への花の供給である[Singh:p.2151]。
　ところでこの連載で毎回のように述べているように、日本の私達が学校で
習うインドのヒンドゥー教徒のカーストは、上位から僧侶のバラモン、戦士
のクシャトリア、商人のバイシャ、農民・職人などのシュードラ（以上は4ヴァ
ルナと呼ばれる。ちなみにヴァルナとは色の意味）、そしてこれら四つの枠
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- 150 -
の下（あるいは五番目）に位置する旧不可触民4である。しかし日常的に重
要なのはこのヴァルナではなく、前回の野菜カーストのコイリーやこのマー
リーのように、主にその伝統的職業によって分かれ、地域ごとに呼び名やヒ
エラルキー上の位置が異なるジャーティーと呼ばれる数千のカーストであ
る。全てのジャーティーは、先の4ヴァルナと旧不可触民のどれかに属し、か
つ地域ごとに序列付けされている。一つの村には異なったジャーティーの
人たちが住み、かつてはそれぞれの伝統的職業に従事し、それらの生産物や
サービスを村内で互いに交換して暮らしていた。
　ではこのマーリーは、このカースト（ヴァルナ）・ヒエラルキーでどの位置
にあるのか？神に捧げる花担当という重要な役割の割には、マーリーのカー
スト序列の位置付けは低く、4ヴァルナの一番下、旧不可触民のすぐ上の
シュードラに属するジャーティーの一つとされている。
　このシュードラ・ヴァルナに属する多くのジャーティーの中で、マーリー
は高い地位を占めている。例えば山崎が引用しているW.H.ワイザーの研
究によると、ウッタルプラデーシュ州のカリンプル村で記録された12種の
シュードラ内のジャーティーのうち、マーリーはそのトップである[山崎：
139]。実際ガヤー県の調査でインタビューしたマーリーたちも、同様なこと
を述べている。
　ところでヒンドゥー教では、4ヴァルナの上
から三番目の人までは、10歳位の男子が行う
ヴェーダと言う聖典の学習の入門式が二度目
の誕生を意味しているとして、再生族（ドヴィ
ジャ）と呼ばれる。この式は聖紐式とも呼ばれ、
これ以降は「聖なる紐」を常に肩から腰にかけ
ることになる。逆に言うと、4番目のシュード
ラや旧不可触民の人たちはヴェーダ学習を許
されない一生族（エーカジャ）なので、その印の
聖紐を身につけていない。
写真1：マハートマー・フレーの姿
　出典：http://en.wikipedia.org/wiki/Jyotirao_Phule
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- 151 -
　マーリーが何故シュードラなのかを、リズレイ（Herbert Risley）他がマー
リー自身の伝説を紹介している。それによると、ある時ヒンドゥー教のクリ
シュナ神がマーリーに花輪を急いで作ってくれるように頼んだ。そのマー
リーは他に適当な紐がなかったので自分の聖紐を外し、その紐でクリシュナ
神のために花輪を作った。これを見たクリシュナは、そんなに簡単に聖紐を
外すのかと怒り、お前達は今後シュードラに属することになると宣告した[リ
ズレイはSingh:p.2151より孫引き、Mahoto:p.663]。つまりマーリーたちは、本
来聖紐を身につけた高位カーストだったが、神への好意を誤解されたために
シュードラと言う不本意な身分になった、と言うのだ。
　こうしたヒンドゥー神や争いに関連した出自や序列に関する伝説は、多く
のカースト（ジャーティー）が持っており、過去にはもっと高い地位だったと
いうものも少なくない。ちなみにシンは、マーリーのこの伝説の内容とは異
なった出自に関する幾つかの学説にも言及している[Singh:p.2151]。
2．マハーラーシュトラ州のマーリー・カースト
2-1．マーリー・ジャーティーのヴァルナにおける位置
　現在のマハーラーシュトラ州にあたる地域のカーストを20世紀初頭に調
査したエンソーヴェンも、多くのマーリーがかつては戦士たるクシャトリ
ア・カースト（ヴァルナ）だったと信じている、と述べている[Enthoven:p.422]。
さらにエンソーヴェンは、マーリーより高位でかつては農民兼兵士だったク
ンビーというジャーティーから、花卉栽培を専門にするマーリーが分かれ
たと推定している[ibid.]。このクンビーは、クシャトリアであるマラーター・
ジャーティーに関係していると主張しているので、マーリーがクシャトリア
だったという主張にも繋がる。
　マハーラーシュトラ州プネー市でアグリビジネスを営むマーリーのボー
ラワケー（Uday Borawake）5も、自分たちは聖紐を付けていないが元々クシャ
トリアであると主張した。しかしこの州でOBC6であることを受け入れてい
るのは、そのほうが教育等の機会に恵まれるからという。
　ところがやはりマーリーで、プネー大学大学院マハートマー・フレー研究
コースの責任者であるナルケー（Hari Narke）7は、クンビー、そしてそこから
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- 152 -
分かれたマーリーは、前稿で取り上げたビハール州の農業・野菜カーストの
クルミーやコイリーと広義で同じカーストで、元々からシュードラに属する
ジャーティーだと指摘する。またマラーターの多くも、マーリーがクシャト
リアのマラーターの一部であるという主張を否定している。　
　さらにナルケーは、マハーラーシュトラ州でクンビーは人口の20％ほどを
占め、クンビーとマーリーが合体すると同州では圧倒的多数になり、政治的
影響力が一層増大する、そのため、両者が一体であることを受け入れる政治
的環境がある、と述べた。これは前稿で示した、ビハール州のコイリーとク
ルミーが一体というラブ・クーシュのキャンペーンと似た話だ。もっともコ
イリーとクリミーと異なり、この両者に通婚関係はなく、かつマーリーは女
性の再婚を許すが、クンビーは許さない、という大きな違いも存在している。
　
2-2．マーリーの近代史
　シンやエンソーヴェンによると、以前マーリー・ジャーティーの中には
フール（花）・マーリー、 ハルディー（ターメリック）・マーリー、ジーラー（クミ
ン）・マーリー、カーチャー（綿花）・マーリーなど、栽培品種などによって区別
された10以上のサブカーストがあった[Singh:p.2154, Enthoven:p.423]。これ
らのうちで、最初の花マーリーはこれらのサブカーストのなかで自分たちを
最上位と意識しており、またここにあげた四つが最も人口の多いサブカース
トであった[ibid.]。もっとも今日ではそうした区別の意識はほとんど無く、
多くが野菜も花卉も果樹も作っている、しかし穀物は自給程度が多い、と実
業家ボーラワケーは語っていた。
　そのボーラワケーによると、現在プネー市やその周辺に住む彼の一族は、
1900年頃ムンベイの北方にあるナーシック（Nashik）から移住し、当時この地
域にイギリスが建設したダムによる灌漑を積極的に活用して農業を行った
ので大きく発展した。一方他の主要な農業カーストであるマラーターやク
ンビーは、ダムの水は淀んでいるのでその水による灌漑が農作物に悪い影響
を与えると考え、天水に依存する農業を続けたために、発展が遅れた。
　今では想像もできない話だが、これが本当だとすると、マーリーの人々は
進取の精神に富んだ勤勉な人々であることが窺われる。また花卉や野菜の
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- 153 -
生産とそれらの大消費地である都市への供給と言う生業の都合上、マーリー
は都市内外に居住することが多かった[O’Hanlon:p.105]。それゆえ、様々な
社会経済上の機会に恵まれたことは容易に想像できる。こうした環境だか
らこそ、マハートマー・フレーを輩出したのであろう。
　ちなみに農地の所有については、対立する証言がなされている。プネー大
学大学院のナルケーによると、インド独立以前のマーリーの多くは小作や零
細農家だったが、インド独立後の農地改革のお陰で土地を入手したと言う。
逆に実業家のボーラワケーは、農地改革で土地を失ったと主張している。こ
れは恐らく地域やマーリー内のグループによって事情が異なるのであろう。
ここではこれ以上深入りはしない。
2-3．マーリー・カーストの代表的人物マハートマー・フレー
　プネー市やムンベイ（ボンベイ）市のあるマハーラーシュトラ州は、近代イ
ンドにおいて反バラモン運動やカースト問題に対する社会改革運動の著名
なリーダーを何人も輩出してきた。
　その中で日本でもよく知られているのは、アンベードカル8（1891~1956）で
あろう。旧不可触民の出身ながら、その高い能力が評価されてアメリカとイ
ギリスに留学。帰国後は、不可触民制撤廃運動に取り組んだ。差別を生む社
会の改革を優先させるべきとするアンベードカルは、イギリスからの政治的
独立達成を優先するマハートマー・ガンディーらと激しく対立し、妥協を強
いられたことで知られている。1956年、死の二ヶ月前に差別から決別するた
めに、数十万の旧不可触民と一緒に仏教徒に改宗した。これは新仏教徒運動
と呼ばれ、今日でもインドの仏教徒は増え続けている。またインド独立時の
法務大臣として憲法を起草し、そのなかに指定カースト（旧不可触民）や指定
民族に一定の割合の高等教育、公的雇用、議席等を割り当てる留保制度を盛
り込んだことも大きな功績だ。
　このアンベードカルに大きな影響を与えた一人が、マーリー・カーストの
マハートマー・フレー9（ 1827~90）である。この人の人生と活動を、マハート
マー・フレー資料刊行委員会[Mahatma Committee]やオーハンロン[O’Hanlon]
などを参考に、簡単にスケッチしておこう。
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- 154 -
　村で没落したプレーの祖父は、マラーター同盟という国の実権を握ってい
たペーシュワー（宰相）が拠点を置いていたプネーの街に移り住む。プネー
で祖父は花卉栽培とその販売で生活を購い、ぺーシュワーの館にも儀式や祭
壇のための花を納めていた。当時のペーシュワーは祖父の仕事を高く評価
し、祖父にプネー郊外に十分な広さの農地を与える。この祖父の息子、つま
りフレーの父は、プネーで八百屋を営んでいた。その次男が後に尊称マハー
トマーを贈られたジョーティラーオ・G・フレーである。つまりフレーは、経
済的にはそれなりに恵まれた条件で生まれ育った。
　フレーが生まれる10年ほど前にマラーター同盟はイギリスに敗れたため
に、当時のプネーは進駐してきたイギリス軍の西部インドにおける拠点と
なっていた。そのため、街のあちこちにイギリスの影響が及んでいた。
　少年フレーは、そうしたプネーにあったイギリスのキリスト教宣教団体が
運営する自由な雰囲気の学校に通い、キリスト教や諸宗教、そして近代的科
学について多くを学んだ。この学校でその教師や、アメリカ独立を促した思
想家トーマス・ペインの著作などから影響を強く受け、プレーはイギリス支
配に対する疑問やキリスト教に対する疑いを強く持つようになった。フレー
は21歳になった1848年に、この学校を卒業する。
　この48年は、青年フレーの思想や行動にとって大きな転機の年であっ
た。この年フレーは、バラモンの友人の結婚式の行列に参加していた時に、
シュードラのマーリーがバラモンの儀式に参加していると指弾された。こ
れ以降彼は、イギリスのインド支配の不当性よりも、ヒンドゥー教のバラモ
ンによる支配やカースト差別に対して、より積極的に立ち向かうようにな
る。
　この姿勢は、先に述べたアンベードカルに共通する点である。差別を受け
る当事者としては、抽象的・一般的な政治課題よりも、身近で具体的な支配や
搾取、差別などがより緊要なニーズになるのは当然だ。もっともこの結婚式
の一件は、フレー自身や伝記作家によって大げさに修飾された、とオーハン
ロンは指摘している[O’Hanlon:p.111]
　そしてこの48年の後半、フレーはアメリカの宣教団体が作った低カースト
の少女のための学校を真似て[O’Hanlon:p.112]、プネーで私立の女学校をイ
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- 155 -
図 1：インド州別地図
出典：http://fyamap.hp.infoseek.co.jp/is-indstates.htm
ンド人としては初めて設立する[Mahatma Committee:p.17]。この創設は、1867
年の日本の明治維新やマルクスによる資本論第1巻刊行の20年前、そして
1869年のマハートマー・ガンディー生誕の18年前であることを考えると、そ
の先駆性が理解できよう。
　しかしこの試みは、バラモンが支配的なヒンドゥー社会から大きな反発を
受け、様々な試練に直面する。例えばこの学校の教師になる人は少なく、フ
レーは13歳の時に結婚した妻に教育を施して教師とした。プネーの人々は、
このフレーの妻に石を投げて怪我をさせている。それだけでは済まず、この
人々はフレーの父親にも迫り、困った父親はフレーとその妻を実家から追放
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- 156 -
した。それでもフレーとその妻は、不退転で活動を続けた。また活動資金を
購うために、フレーは英語の講師をしたり、建設・土木会社を設立して経営す
る。実業家としてのフレーも、それなりの実績を残している。
　その後紆余曲折はあるものの、フレーはプネーで少女や低カーストの子供
のための学校や、労働者のための夜間学校をいくつも創設する。ヒンドゥー
社会からは非難されたこうした活動は、対照的に英領インド政府によって高
く評価され、1852年にボンベイの教育局から表彰を受けている。さらにフ
レーは、不合理なヒンドゥー社会からの女性の解放を目的に、寡婦再婚10を
奨励したり、床屋に寡婦を剃髪するのを拒否させたり、捨て子や婚外子とそ
の母親ための寮を設けたり、当時の不可触民に自宅の井戸を開放するなどし
た。農村を歩き回り、農業の技術的改善にも努力した。
　また1873年には、下層カーストの人々をバラモンによる抑圧や搾取から
守ろうとする彼の思想を広く伝えるために「真理探究者協会（Satya Shodhak
Samaj）を創設し、90年に亡くなるまでこの「真理探究」の活動を続けた。この
協会は少しずつ支部が増え、雑多なカーストの人々がこの会員となっていっ
た。換言すると日本では明治6年という早い時期に、低カースト出身の人が
今日でいうNGOを設立し、その後それを継続的に発展させたのである。さら
に1876年から82年にかけては、プネー市議会の議員を務めている。
　こうした彼の功績は次第に広く認められるようになり、1888年にはボンベ
イの集会で「マハートマー（偉大な魂）」の称号を贈られている。そして1890
年に亡くなる直前まで、著作活動を続けた。
　今日的にフレーを表現するなら、宗教的に正当化された社会矛盾に勇敢に
立ち向かい、またそれゆえに生じた多くの反動的な反応に正面から直面した
当事者であり、NGO活動家であり、人権活動家であり、さらに最も先駆的な
ジェンダー論者ということになろう。先にも述べたように、マーリー・カー
ストの人々は一般に労苦を厭わず懸命に働く人で、かつ先進的であったこと
が、フレーを生み出した大きな要因と言えよう。
3．ビハール州ガヤー県のマーリーとその暮らし
　冒頭に述べたように、インドで最貧のビハール州におけるマーリーの人々
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- 157 -
は州人口の1％にも満たない全くの少数派である。そのせいもあってか、マ
ハーラーシュトラ州のマーリーとは、主に以下の点が異なっている。
1）自分たちが本来はクシャトリアであると（少なくとも強くは）主張してい
ない。
2） マハーラーシュトラ州のマーリーにはサブカーストが10程あるが、ビハー
ル州には研究者によると三つ11、現地での当事者の話によると差違の少な
い二つしかない。
3）マハーラーシュトラ州のマーリーは花卉だけでなく野菜の生産や流通に
も関わっていたが、ビハール州では花卉の生産と販売に特化しているもの
が大半である。
4）フレーという苗字は使わない。マーラーカールが大半で、他にバガート、
ヴァルマー、スマン、マドゥカルなど。
　本章は、ビハール州ガヤー県の仏教聖地ブッダガヤーで花売りをしてい
る一家と、ガヤー市内で花屋を開業している一家のインタビューから、マー
リーの人々の生活を描くことを試みた。
3-1．ブッダガヤーの大菩提寺の門前の花売り一家
　今から約2600年前、苦行を止めた35歳のゴータマ・シッダールタが、ブッ
ダガヤーの菩提樹の下に静かに座って悟りを開き、ブッダ（サンスクリット
語で「真理に目覚めた者」）になった。現在その場所には、大菩提寺（Maha
Bodhi Temple）があり、チベットやタイ、スリランカなど世界各地からの巡礼
者たちが訪れる聖地になっている。
　その大菩提寺の門前の道端で、巡礼者たちにお供えの花を売っている少年
と知合い、その兄と父から以下のような話を聞いた12。
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- 158 -
写真1：ブッダガヤ－の大菩提寺前の花売り
1） 家族の構成員とその仕事と教育
　このバッチュ・マーラーカールを家長とする16人家族の一家は、下の表‐1
にあるように、息子6人中5人が花卉の栽培と販売に従事し、一家の生計を立
てている。正確には、長男は寺院からの注文を受けて花を供給し、二男は花
卉栽培と結婚式の花の飾りつけ、三、四、五男が大菩提寺の門前の路上で、警
官に気を使いながら花を売っている。
　一見すると伝統的職業に就くマーリー一家だが、15年前に村からブッダ
ガヤーに出てくるまで、父親のバッチュ・マーラーカールは列車に乗り込ん
でスナックの行商をして生計を立てていた。さらに数か月前まで、バッチュ
はブッダガヤーの路上で野菜を売っていた。その意味では、彼の子供の代に
なって伝統的職業に戻ったといえる。
　ちなみにバッチュは、数ヶ月前に野菜の路上販売を警察官に咎められた
ことをきっかけに仕事を止めてしまい、インタビューの時点では無職であっ
た。その欠損を補うために、また冬の間はチベット仏教徒をはじめとした外
国人巡礼者の数が大変に多いので、息子たちは花売りに力を入れていた。さ
らには自宅建設の銀行ローンの返済を迫られている、という事情もあるよう
だ。
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- 159 -
　この一家の教育水準は、この章の後半に示したガヤー市内の花屋のマー
リー一家と比べて明らかに劣っている。特に20歳以上の女性の教育に、遅
れが目立つ。その意味で、長女の今後の教育が注目される。
　ちなみに女性メンバーは、誰も生産や販売の仕事に関わらず、家事や育児
に専念している。教育程度が低いとはいえ彼女たちが仕事に関われば、もっ
と売り上げが上がるように思うのだが、文化的な障害があるのであろう。
　
表－1：バッチュ・マーラーカール一家のメンバー、仕事、教育
立場名前歳13 仕事教育
父バッチュ・マーラーカール50 無職（元野菜売
り）
読み書き少し出
来る
母デーマンティー・デービー45 主婦読み書き出来な
い
長男パーワン・マーラーカール27 外国寺院に花供
給四年生まで
次男パンナー・マーラーカール25 花卉栽培、花飾り三年生まで
三男バジランギー・マーラー
カール23 大菩提寺前花売
り10年生まで
四男ヴィクラム・マーラーカー
ル20 大菩提寺前花売
り
6年生在学中だ
が。10年生試験
受験中
五男ビーム・マーラーカール18 寮生活なので仕
事せず10年生在学中
長女プリヤンカ・クマーリー16 仕事せず10年生試験浪人
中
六男ラフール・マーラーカール14 大菩提寺前花売
り7年生在学中
長男
妻スシュマ・デービー25 主婦、四人の娘あ
り4年生まで
二男
妻カンチャン・デービー20
主婦、娘一人、息
子一人いたが死
亡
2～3年生まで
2）花卉栽培と販売用の花について：
　畑地は家の近くで、20カッター（約3千平米）を、5年間4万ルピー（約8万円）
</texts>
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- 160 -
の定額地代で借りている14。花卉栽培は、二男のパンナーが担当。冬に多い
橙色のマリーゴールド（Marry Gold、現地名：ゲーンダー）→1～2月収穫する
白いチェリーホワイト（Cherry white flower、現地名：チェーリー、春菊の一種
と推定される）と赤いジャーフリーレッド（Jaffary red color 、現地名：ジャーフ
リー、マリーゴールドの亜種と推定される）→赤色のバラ（現地名：グラーブ）
の順で、通年で栽培しており、他の作物は作らない。父親が栽培技術を持っ
てなかったので、この二男は西ベンガル州の花卉農場に働きに行って、見よ
う見まねで花卉栽培の様々な技術を覚えてきた。
　肥料は少ないほうが、しっかりしたものが出来る。しかし、農薬は必須。
灌漑用の揚水ポンプを持っているが、水源がないので他人から水を購入して
いる。ここで栽培した花の80％は自分たちで売り、残りの20％は、ガヤー市
から買いに来るマーリーの人に売っている。
写真2：マリーゴールド　　　写真3：チェリーホワイト　　写真4：ジャーフリーレッド
3）ブッダガヤーの大菩提寺門前の花売りの状況
　主に巡礼に来る外国人仏教徒に販売している。主な買い手は、7月から10
月はスリランカ人、9月から1月はタイ人、12月から2月はチベット人が多い。
親を亡くしたためにここに巡礼に来るヒンドゥー教徒のインド人は、ほとん
ど買わない。
　外国巡礼客がいなくなる3月から6月には花が売れず、生活困難な時期と
なる。その間の4～5月は地元のインド人の結婚式が多くあり、その花飾りの
仕事があるが、賃仕事なので収入はあまりよくない。
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- 161 -
　なおインタビュー時点で、同じ門前で花を売っているのは19家族であり、
内訳は、マーリーが6、旧不可触民のチャマールが7、同じく旧不可触民のドー
ムが2、マーリーと同じOBCのカハールが1、イスラーム教徒が2、バラモンが
1とのことであった。激しい競争が覗い知れる。
4）出身の村とブッダガヤーに来たことについて
　バッチュの元の村は、ガヤー県ワジールガンジ郡にあり、約7千世帯が暮ら
す大きな村。このうちマーリーは、30世帯ほどである。この村に25カッター
（約7500平米）の農地があり15、現在はバッチュの弟が小作して穀物を作って
いる。しかしこの村では儲けの機会が少ないし、教育の機会も少なかったの
で、今から15年前にブッダガヤーに移住し、花売りを始めた。
　ちなみにブッダガヤーには、同じマーリーの世帯が自分を含めて18世帯あ
る。このうち一軒は開業医でヴァルマーと名乗っている。他はみなマーラー
カールやバガートという苗字で、花卉栽培や販売で生計を立てている。
3-2．ガヤー市内の花屋のマーリーとその暮らし
　ガヤー県の県都ガヤー市は、首都デリーから東に1000キロ、マザーテレサ
で有名なコルカタから西に500キロのところに位置し、人口40万人ほど16、仏
教聖地のブッダガヤーや親供養のビシュヌ・パットというヒンドゥー教の寺
があるという以外に、あまり特徴のない中堅都市である。この街の一角に、
花や結婚式の際に使う様々な装飾品を扱う店が数軒、軒を連ねている。こ
れらの花屋では、数人の男たちがお供えに使う花輪や贈答用の花のセットを
作ったり並べたりしている。ここでも、女性の姿は見当たらない。
　このうちの一軒、モーハン花店に昨2009年のコイリー調査の時に立ち寄っ
て、店主モーハンに翌年来てインタビューするのでよろしくと言い置いてお
いた。ところがこの調査で来てみると、2か月前55歳のときに心臓マヒで急
死したとのことであった。そのため、同じ店（正確には）をやっている長男の
ラビ・マドゥカルやその弟たちなどから話を聞いた17。
　
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- 162 -
　
写真5：インタビューしたモーハン花店の店頭の様子
1）家族の構成員とその仕事と教育
　この一家は10人家族で、結婚式用の装飾品店と一軒離れた所の花屋を経
営している。ブッダガヤーとの商売上の違いは、仏教巡礼客に依存していな
いので、一年中安定した売り上げがあること、そして結婚式、ヒンドゥー教の
様々な祭式、選挙、有力者来訪等の機会にたくさん売れることだ。
　またこの表?2の家族リストで一目瞭然なのでは、モーハンを含めた家族
全員の学歴が、大変高いことだ。表?1のバッチュ・マーラーカール一家と比
べて学歴が格段に高いだけでなく、女性の教育程度も相当高いことが特徴
だ。バッチュ一家と同様に、女性たちは店の仕事には全く関わっていない。
　この一家は田畑を持たず、花卉や装飾品の商いで生計を立てている。2男は
結婚式などの祭式のために、花を装飾する技術を持っている。彼はその技術
を父親から学んだ。つまり伝統的な仕事をするマーリーと言えよう。
　なお父と子供たちの苗字が異なるのは、長男によるとマドゥカルと名乗っ
たほうがマーラーカールより偉い感じがするからとのことであった。名前
を時々変えたり、複数の名前を持つ人は、ガヤー県の低カーストでしばしば
みられる。差別から逃れたり、存在をアッピールしたり、逆に様々な政府が
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- 163 -
提供する特権を享受するための、家族あるいは個人レベルの対応策である。
表－2：故モーハン・ラール・マーラーカール一家のメンバー、仕事、教育
立場名前歳18 仕事学歴
父（故
人）
モ－ハン・ラール・
マーラーカール55 死去学士二度
母ニルマラー・デービー50 主婦7年生まで
長女インドラニー・マドゥカ
ル34 嫁ぎ先で主婦学士（理系）
二女マンジュー・マドゥカル32 嫁ぎ先で主婦修士（理系）
長男ラビ・マドゥカル30 式用装飾用品屋学士（文系）
二男ラケーシュ・マドゥカル28 花屋（花装飾も） 学士（文系）
三男ビジャーイ・マドゥカル25 デリーでエンジニ
ア学士（理科系）
四男ビカーシュ・マドゥカル23 花屋高卒（12年）
長男妻サビター・マドゥカル27 主婦、娘3人学士（文系）
2男妻ネーハー・マドゥカル25 主婦、息子1人学士（就学中）
2）この近隣及びガヤー県のマーリーについて
　このラヘーリヤー地区にはマーリーの15世帯が暮らし、13の花関係の店
がある。店を持たない世帯のうち、一世帯は勤め人、もう一つの世帯は後を
跡ぐ子供がいない。この15世帯のうち、本人たちの親戚は四世帯である。
こうした同業種の店が集まるのは営業上不利に見えるが、互いに助け合って
いるのであろう。
　ガヤー県内には、500～1000世帯のマーリーがいる。このうち80％は農村
に住み、花卉生産や流通の仕事に従事している。特にガヤー県の北、かつて
三蔵法師が訪ねた仏教の学問所があった名高いナーランダー県に多い。こ
れらの農家は、花卉中心で野菜や穀物の生産は自家消費程度が多い。残りの
20％は、マーリーの伝統的な仕事以外の仕事をしていると推定している。
3）マーリーというカーストの位置とその著名人
　この花屋の人たちは、自分たちを前回取り扱ったコイリー・カーストとは
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- 164 -
近親、と認識している。マハーラーシュトラなど他の州では、マーリーが野
菜生産をしているので野菜カーストと一体の場合が多いという事が、こうし
た認識の背景にある。またOBCのなかでは、高い立場であるとも認識してい
る。その根拠は、他のOBCカーストの人が入っていけない宗教上の神聖な場
所にも、出入りできるからだ。バラモンも、マーリーから水を受け取る。
　マハートマー・フレーについては、名前を知っている程度。もっとも父は
良く本で勉強していた。現在のマーリーの著名人は、ラジャスターン州の州
首相のアショーク・ゲーハロートだ。マハーラーシュトラ州の州副首相チャ
ガン・ブジヴァルもマーリーだが、マーリーだけでなく農業カーストのクン
ビーの集会にも顔を出している。
4） 仕入先と扱っている花
　ガヤー市内には花卉の卸売市場はなく、この一角がその役割も果たしてい
る。ここの花の多くは、500キロ東のコルカタ市から仕入れる。コルカタ市
の大きなハウラー橋を渡ったところに大きな花卉の卸売市場があり、そこで
ビハール、特にバラチャティ郡のヤーダブ・カーストの人たちが多数働いて
いる。しかしそこに花卉を納入するのは、マーリーではなく、オリッサ州の
人が多い。
　ちなみにコルカタのある西ベンガル州のマーリーの多くはビジネスマン
か勤め人が多く、花に関わる人は少数になっている。
　この店で扱う花は、多い順に以下の通り。
1）マリーゴールド：黄色とオレンジの二色。前者は長持ちせず値段が高い。
年中ある
2） チェリーホワイト（Cherry White flower）とジャーフリーレッド（Jaffary（red
colour、1・2月の二ヶ月間のみ）。店頭では、この二種を合わせた花輪が作
られていた
3）ラジャニーガンダー（Rajanii Gandaa）19:西ベンガル州で主に生産。ビハー
ルでも少し生産。年中ある。
4）クンド・カー・フール：ビハール州で主に生産。年中ある。
5）バラ：赤色が多い。年中。ベンガル産は匂い少なく、地元産のほうが匂い
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- 165 -
がよい。
4．まとめ
　多くの宗教やその儀式に、花は必須の存在だ。花は人間が作り出せない美
を凝縮させて表しているがゆえに、神への捧げものとなるのであろう。
　花の色や形、そして開花時期や量などは、人間がある程度コントロールで
きる。インドではこのコントロールのために専門の人たちが必要とされ、
それが次第にマーリーというカーストになった、と解釈できないだろうか。
もっとも花卉だけを専門に扱っているのは、現代ではビハール州のマーリー
だけで、大半のマーリーは恐らく伝統的に園芸を専門にし、その一部で花卉
を扱ってきた可能性が高い。
　本論の前半では、進取の精神に富み、勤勉なマーリー・カーストの人たちだ
からこそ、インド社会の変革に大きな役割を果したリーダーを輩出したこと
を示した。また後半では、前半と比較において、同じマーリー・カーストでも
州あるいは地域によって大きな違いがあることと、僅か二世帯ではあるが、
ビハール州のマーリーの暮らしと意識のありようを描いた。しかし時間の
制約から、農村部で花卉生産に専念するマーリー農家を訪ねることができな
かったことや、コイリーなどの近接カーストの人たちがマーリーをどう見て
いるかは、よく調査できなかったことは悔やまれる。
　この小論を通じて、不可思議、あるいは不合理に見えるインド社会の一片
が明らかになれば幸いだ。
　なお次回の「南アジアの園芸に関わる諸カースト巡り」だが、油絞りのテ―
リー、畜産のヤダーブ、筆者がこれまで40年近く関わってきた、ビハール州の
農村の周辺で農業や雑業で暮らす極貧のブイヤーンの人々などを扱ってい
きたいと考えている。
　
参考文献：
‐山崎元一、ある村のカーストとヴァルナ、辛島昇監修、「南アジアを知る事典」（初版）
所収、平凡社、1992
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- 166 -
‐Enthoven, R.E., The Tribes and Castes of Bombay (volume II in 3 volumes), Asian
Education Service, 1990, New Delhi &amp; Madras
‐Mahato, S.N. , The Mali, in“ People of India Bihar” (Sinhg, K.S. -General Editor),
Anthropological Survey of India/Seagull Books, 2008, Calcutta
-Mahatoma Committee (Mahatoma Phule Source Material Publication Committee),
Collected Works of Mahatma Phule Vol.3 Cultivator’s Whipcord, Government of
Maharashtra, 2002, Munbai
‐O’hanlon, Rosalind, Caste, Conflict and Ideology: Mahatma Jotirao Phule and Low
caste protest in nineteenth-century western India, Cambridge University Press, 1985,
Cambridge
‐Sinhg, K.S., India’s Communities (People of India National Series Volume V),
Anthropological Survey of India/OXFORD University Press, 1998, New Delhi
参考HP：
－Yoshua Project, http://www.joshuaproject.net/peopctry.php?rop3=114473&amp;rog3=IN,
2010年1月12日
［注］
1 エンソーヴェン（Enthoven,1920:p.422）によると、マハーラーシュトラ州辺りで
はヒンドゥー教のジャーティーであるパンチカラシー（Panchkalshi）, アグリー
（Agri）, ダンダーリー（Bhandari）, カーチー（Kachi）,そしてイスラーム教徒の
ジャーティーであるバーグバーン（Bagbans）もマーリーと呼ばれている。
2 カーストは近年の国勢調査（Census）では調査されないので、正確なカースト人
口数は不明。キリスト教布教を目的としたと思われるJoshua ProjectのHPにあ
る推計によると、その出典や調査年は不明だが、マーリーが多いのは中西部のマ
ハーラーシュトラ州で約270万人、続いて西部のラジャスターン州に約180万人、
中部マッディア・プラデーシュ州に約80万人。ビハール州には僅か40万人であ
る。http://www.joshuaproject.net/peopctry.php?rop3=114473&amp;rog3=IN
3 カースト分布は、独立後に形成され、再編が繰り返された州によって必ずしも異
なるものではないが、多くの人類学研究書が州別に記述しているので、本論でも
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- 167 -
州別に記述する。
4 かつては触るとけがれるという事で不可触民と呼ばれてきた。マハートマー・
ガンディーによってハリジャン（神の子）と名付けられ、インド憲法には指定
カースト（Scheduled Castes）と記され、多くの当事者がダリト（Dalit、被抑圧者）と
呼んでいる。指定カーストや指定民族（Scheduled Tribes）は、憲法にある留保制
度よって高等教育、公的雇用、議席などにおいて一定の枠が優先的に割り当てら
れている。
5 2009年11月8日夜、インド・マハーラーシュトラ州プネー市の氏の事務所にてイ
ンタビュー。
6 OBC（Other Backward Classes=その他の後進諸階級）は、指定カーストや指定民族
に準ずる扱いを受けるシュードラに属する諸カースト（ジャーティー）や、他宗
教の信者だが社会経済的に遅れた状態であるコミュニティのことを指す。
7 2009年11月8日朝、インド・マハーラーシュトラ州プネー市の筆者滞在のゲスト
ハウスにてインタビュー。
8 Bhimrao Ramji Ambedkar=ビームラオー・ラームジー・アンベードカル
9 Jyotirao Govind Phule=ジョーティラーオ・ゴーヴィンド・フレー
10 ヒンドゥー教の伝統では、女性は夫の死後も貞節であることが求められ、再婚は
原則として禁止されていた。寡婦となって以降は、装身具をすべて外し、白いサ
リーなど質素な服を身につけて日蔭者として惨めな生活を送ることが求めらて
いた。フレーもそうであるように当時は幼児婚が一般的だったので、幼児時代
に夫が亡くなった場合、女児が一生こうした生活を強いられることがあった。
11 マホトーやシンによると、ビハールのマーリーのサブカーストは三つ
[Mahoto:p.663][Singh:p.2125]。その一つのトゥルク・マーリーはササラーム県や
ジャールカンド州に多いが、マハーラーシュトラ州のバーグワーニー・マーリー
と同様にイスラム教徒なので、当事者たちは同じジャーティーとは意識してい
ない。つまり多数のカナウジヤー・マーリー（トゥルシー・マーリーとも呼ぶ）と
少数のカルフリヤー・マーリーの二つのみで、しかも両者は同じ仕事をし、かつ
現在では通婚関係にある。またこの二つの意識も、現在では薄れつつある。
12 ブッダガヤーの花卉栽培と寺院前の花売りのパンナー・マーラーカール（ 10年1
月6日）、その父のバッチュ・マーラーカール（10年1月28日）に、自宅で話を聞い
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- 168 -
た。
13 全ての年齢は、前後関係から推定したもの。
14 定額地代の借地契約はティーカー（Tiikaa＝印）と呼ばれている
15 父親のバッチュは、土地なしだったと主張した。ブッダガヤーでは外国人客の
前では貧しさをアッピールする傾向が強いので、父親はそれに倣った、あるいは
他人に対して用心深く振舞ったのかもしれない。
16 このガヤー市の人口推定は、1991年Censusの294,427人（http://qanda.encyclopedia.
com/question/population-gaya-126564.html）。それをもとに、最近のインドの都市
人口の成長率2.4％を乗じたものを10年分乗じたものである。
17 ガヤー市内の花屋ラビ・マドカル兄弟へのインタビューは、2010年1月27日にそ
の店頭で行った
18 全ての年齢は、本人たちが推定したもの。
19 バングラデシュでは夜になると強い香りを出す同名の花があるが、それはラー
トラーニー（夜の王女）という別種とのことであった。
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- 170 -
ディケンズの小説から探る英国19世紀の
下層階級と園芸（予報）1
　
新妻　昭夫（人間社会学部人間環境学科）
榎本　眞理子（人文学部英語コミュニケーション学科）
高濱　俊幸（人文学部文化学科）
19th Century Horticulture among the Lower-Middle and
Working Classes in Britain, in Charles Dickens:
A Preliminary Reports.
ENOMOTO Mariko,TAKAHAMA Toshiyuki &amp; NIIZUMA Akio
　従来の園芸文化史は庭園デザイン論を中心とした、いわば「造園土建史」と
いってよく、当然ながら貴族など大土地所有者の規模の大きな庭園に主眼が
おかれていた。そういった大庭園がどのようなものであったか、またどのよ
うな植物が植えられていたかは、各種の著作あるいは図面や絵画として記録
が残され、また庭園そのものが現存している場合もある。
　また19世紀半ば以降の時代の一般市民の園芸を論じる場合でも、収入と
余暇に余裕のできたプチブル階級が大地主の大庭園を、規模を縮小して模倣
したステータス・シンボル、すなわち上昇志向のあらわれとされるのが通例
であった。それらの庭とそこに植栽されていた植物については、同時代に雑
誌や本という印刷媒体が平行して急増したこともあり2、きわめて多数の文
献資料が残されている。
　その一方、産業革命以来、荒廃した農村から都市に流入しつづけた人々、す
なわち下層の労働者階級においても、花嫁の花束や窓辺の鉢植えなど広い意
味で「園芸」に含まれるべき文化が以前からあっただろうことは、誰しもが想
像しうることではあろう。しかし、彼ら下層階級の庶民のあいだで見られた
習慣などが、書籍や雑誌・新聞記事など文献資料として残されることはほと
んどなかった。
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- 171 -
　しかし、唯一の例外と予想されるのが大衆小説である。とりわけチャール
ズ・ディケンズ（Charles John Huffam Dickens: 1812-70）は当時の下層階級の風
俗を詳細に描いたことで知られている。
　このプロジェクト研究の目的は、ディケンズの多数の小説を調査・分析す
ることによって、当時の都市庶民階級が園芸をどのように楽しんでいたかを
明らかにすることにある。本研究の特徴として、次の二点をあげることがで
きる。ディケンズは研究者層が厚く、そのため全集などがよく揃っている。
その反面、当時の庶民の園芸文化に焦点を当てた先行研究は、英文学分野に
おいても、また園芸史分野においてもほとんどないと思われ、いずれの分野
においても新たな問題群の発見につながる可能性が低くない。
　ただし初年度は調査を予定通りには進めることができなかったので、本稿
では次の二点について報告して、本格的な調査のための予報としておきた
い。(1)これまでの園芸文化論関係の文献で断片的に扱われてきたディケン
ズについての記述の整理。(2)ディケンズの作品の試験的な調査。
(1)本研究の開始以前にわかっていたこと
　本プロジェクト・チームの三人それぞれのこれまでの研究から、ディケン
ズの作品に当時の庶民にとっての園芸がどのように描きこまれているかに
ついて、いくつかの断片的な情報がえられていた。まずはそれについて簡単
に整理しておくべきだろう。
　新妻はJ・S・ヒバード（園芸ジャーナリスト）についての研究3のなかで、ディ
ケンズの作品に描かれた下層庶民の園芸趣味の描写を2例引用し、ヒバード
とディケンズが同時代人であり、ともにロンドンの下層階級の出身であった
ことを指摘した。2例のいずれも先行研究からの孫引きであり、そのうちの1
例は英文学者で庭園論の第一人者、故・川崎寿彦氏4の研究である。
　川崎寿彦氏の著作のうち、次の2冊にディケンズからの引用がある。中公
新書の『楽園と庭』5と、没後に刊行された遺稿集『楽園のイングランド』6であ
る。まずは前者から見直しておこう。
　『楽園と庭』は、英国の中世から近世にかけての庭園史を分析した名著『庭
のイングランド』と共通の主題を、近代社会の成立過程における庭園＝楽園
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- 172 -
パラダイムの変遷、すなわち「楽園の一つの形態を放棄する過程」に焦点をあ
てて論じ、エピローグ「おわりに」でディケンズの作品から題材がいくつか選
び出されている。
　晩年の作品『我等が共通の友』（ 1864～65年）からは、「思いがけず大きな遺
産と屋敷を相続したボフィン夫妻」の「陰惨なロンドンの下町の一画に位置
する屋敷」と、「ジプシー会社」という「ロンドンの下町のけちな金融会社の
……屋上ミニ庭園」である。
　ボフィン夫妻の屋敷の「裏庭にはロンドン中のごみを集めて積み上げたボ
タ山がいくつかあるのだが、その一つ一つに“うねうねと曲がった散歩道”を
つけて、登りながら“一歩ごとに周辺の景色が変化するのを楽しむ”」という
「貴族の大庭園のマウント（築山）と同じ趣向」、そして「ボタ山のてっぺんに
は“格子飾りのあずまや”が置かれ、夏にはそこで詩集などを読む」という、い
わば成金趣味を指摘する。
　もう一方の、金融会社の「屋上ミニ庭園」は、「まっ黒にすすけた煙突……
にみじめなツタを巻きつかせ、いくつかの箱にあわれっぽい花とそこばくの
緑を配した、庭ともいえぬ庭」である。登場人物がもらすこの庭ついての感
想から、この「屋上庭園は、死の世界」であること、「楽園のビジョンは、最初か
ら、死者の国と重なっていた」ことが指摘される。
　これらの例から川崎氏は、「ディケンズはヴィクトリア朝期の中産階級の
胸に生き続ける、楽園への憧憬を、戯画化してくれたらしい」という。そして
今日の「われわれは、都会のビルの屋上に、郊外住宅地の庭先に、居間の一隅
のガラス鉢園芸に、そして一人一人の心のなかに、個別化された楽園を抱き
続けて」いて、「その小世界に保証されたそこばくの静謐と、都市の喧騒との
間とを往復する行為は、市民階級にとって、死と再生の間を往復する、ささや
かな儀式であるのだろう」と結ぶ。
　『楽園のイングランド』は遺稿集であり、ディケンズが取り上げられている
章「ロマン派以降の＜庭のイングランド＞（エスキス）」の初出は、没年と同じ
1989年である7。
　庭園の歴史をいくつかの角度から手短に論じ、庭園や温室の収縮の例とし
て窓際に並べられた観葉植物とともに、19世紀中葉に考案されたガラス製の
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- 173 -
テラリウム、すなわち「ウォード箱（Wardian case）」をとりあげ、次のように論
じる──「もし＜庭＞が人工によって自然を捕捉し、縮小して飼育する手段
であるとすれば、この種のガラス箱園芸は＜庭＞の一つの極限の姿を表して
いたかもしれない──ヴェルサイユ等の整形大庭園や、ブラウンの自然風大
庭園が、もう一方の極限を表していたように」。
　またディケンズの小説に描かれた「小市民たちの＜庭＞をめぐるさまざま
な哀歌」の例として、前述の『楽園と庭』でも取り上げられていた『我等が共通
の友』中の「ボフィンのあずまや」と「ジプシー会社屋上のミニ庭園」のほか、
次の例を取り上げている。初期の『オリヴァー・ツイスト』（ 1837年）の「ディ
ングリー・デル」、晩年の『大いなる遺産』（1860～61年）第25章の「ウェミック
の箱庭同然の庭」、そして初期の『ニコラス・ニクルビー』（ 1838～39年）第40
章の次の場面である。
　
窓際の花の箱には貧しいモクセイソウが植えられ、注ぎ口のとれた水差
しにニオイアラセイトウ、靴墨の空き瓶にヒヤシンスが育つ8。
　川崎氏はこの節を次のように結んでいる──「あまりに物悲しい風景であ
り、支配階級の大庭園からスタートして小市民のテラリウムまで下降してき
た＜庭＞の、まさに消尽点を暗示すると思われる」。
　この結論は、たしかに「ボフィンのあずまや」や「ウェミックの箱庭同然の
庭」には当てはまるが、上に引用した『ニコラス・ニクルビー』の場面はどうな
のだろう。下降・縮小過程の消尽点というよりは、むしろ最底辺の人間の暮
らしにも本来備わっていた花や緑への親近感ゆえの、身近に植物を置きたい
という欲求のあらわれではないかと考えてみたい。
　この最後の点については将来の課題とすることにして、ここでは、ディケ
ンズが取り上げられている他の庭園史・庭園論をもう数例だけ紹介しておく
ことにしよう。
　伝記作家ジェニー・ウグロウによる英国のガーデニング史9では、都会ない
し郊外での中産階級のアマチュア・ガーデニングの1例をディケンズ『大いな
る遺産』（ 1860-61年）の主人公ウェミック氏の自宅の庭10を例にあげて説明
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- 174 -
し、このような「10メートル×20メートルの庭」を持つ人のために書いたのが
ヒバード11だった、と指摘されている12。
　このほか『ピクウィック・クラブ』（1836～37年）の、タップマン氏が独身の
姪を庭のあずまやに誘う場面も引用されている。また興味深い事実として、
鬼才造園家ラウドンとその妻13の交友関係のなかに小説家ディケンズの名
がある14ことが指摘されている。
　また、刊行されたばかりの鉢植え植物の歴史についての本15にも1箇所、
ディケンズの作品からの引用があった。著者は今日の多くの人が描く19世
紀英国の貧困のイメージはディケンズの作品によること、またディケンズが
しばしば庭を幸福な家族中心の家庭のシンボルとして使い、植物は品のよさ
の表現であり、そのどちらも欠けていることはその登場人物の不幸で哀れな
状態をしめしているとし、そのことがもっともわかりやすい例として『ピク
ウィック・クラブ』から、債務者拘置所の部屋のなかにいた囚人の妻の描写を
引用している。
痩せぎすのやつれた女性が一人……乾きあがりしなびた惨めな株に、細
心の注意を払いながら水をあげていた。もう二度と緑の葉を伸ばさな
いだろうことは、誰が見ても明白だった──遺憾ながら、彼女がそのた
めに入ってきたおつとめの寓意画そのもの、たぶんそういってよいので
はと思われた16。
　ここでも川崎氏によるディケンズ引用についてと同じことをいうことが
できる。繰り返しになるが、ディケンズの作品に登場する庶民にとって、一
般的には、庭はうらやむべき上流階級の象徴であるとともに、上昇志向の小
市民的な価値を具現するものである。だが、最後の囚人の妻が世話する「惨
めな株」（おそらく窓辺の鉢植えだろう）は、まったく別物と考えるべきでは
ないのか。川崎氏のいうかつての大庭園の下降・縮小過程の消尽点というよ
りは、『ニコラス・ニクルビー』の「靴墨の空き瓶に育つヒヤシンス」と同じよ
うに、最底辺の人間の暮らしにも花や緑との触れ合いがあったことをうかが
わせる。
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- 175 -
(2)作品の予備的な調査分析
　多数の作品のなかから、①初期の『オリヴァー・トゥイスト』（原著初版：
1838年）、②後期のディケンズ『互いの友』（原著初版：1865年）、③クリスマス
本の『炉辺のこおろぎ──家庭のおとぎ話』（原著初版：1845年）の三冊を選ん
だ。作品の時期のほかに選択基準はとくになく、恵泉女学園大学図書館の蔵
書中のディケンズ作品の邦訳のなかから手ごろなものを選んだにすぎない。
　これらの三冊を通読しながら、庭や花、あるいは菜園などのほか、関係のあ
りそうな記述（および気になる記述）の個所に付箋を貼り、読了後にそれらの
個所を抜き書きして表にまとめた（末尾に付した表1～3）。
　表1～3を一瞥すればあきらかなように、前段で整理した先行研究の断片
的な言及での指摘を確認する結果となった。すなわち、当時の庶民にとって
庭園はうらやむべき上流階級の象徴であるとともに、上昇志向の小市民的な
価値を具現するものであった。
　『オリヴァー・トゥイスト』（表1参照）では、オリヴァーが泥棒家業の手伝い
で通り抜ける夜更けの町外れで見かけた金持ちの庭など（No. 01）のほかは、
オリヴァーがお供した母娘の郊外の別荘屋敷の花咲き乱れ小鳥が歌う、どち
らかというと少女趣味的な描写がほとんどである。
　『互いの友』（表2参照）は登場人物も多く物語も錯綜しているが、先に紹介
した川崎氏の指摘する「ボフィン氏のゴミ山のあずまや」と「ジプシー会社屋
上のミニ庭園」のほか、最終的に玉の輿にのったベラ嬢の豪華な新居も、上流
階級の象徴であるとともに小市民の上昇志向に合致した趣向といっていい
だろう。他の個所のほとんども、庶民たちの夢やあこがれの範疇にはいる。
　やや外れるのが、学校（16、47、53）の庭である。また、その近くにあった「市
場向け菜園」17（14、31）がとても気になる。ウィルファー宅の「小さな庭」が
どのようなものだったかも気になるが、詳細がわかるような描写はされてい
ない。
　『炉辺のコオロギ』（表3参照）には関係のありそうな記述はほとんどなく、
唯一個所だけ、「運送屋は……苔と紙で注意深くくるんだちいちゃな花の
鉢を取り出し」という気になる記述がある（No. 01）。原文18を見てみると
「carefully preserved in moss and paper, a tiny flower-pot」であり、その鉢植えの
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- 176 -
花を受け取ったのは「貧しい玩具づくりの老職人」である。男は「葉も傷んで
いないし、新芽がたくさん出ている」と喜ぶ。運送屋が「この季節だから、う
んと値が張るよ」というと、男は「どうでもいいことさ、いくらだろうが俺に
とっては安いもんだ」と受け流す。
　以上のような簡単な分析から、ディケンズの作品に描かれる庭および関連
する描写のほとんどは、時代の急激な変化のなかで庭の意味も変化しつつ
あったこと、すなわち上流階級の独占物としての庭から、幸せな暮らしを求
める庶民の上昇志向の象徴としての庭への移行を示していると考えていい
だろう。
　ただし「庶民」をどう定義するかは、きわめて重要ではあるが、簡単ではな
いだろう。「上昇志向」が顕著にみられた階級として、「上層中産階級（uppermiddle
class）」と「下層中産階級（lower-middle class）」そして「労働者階級
（working class）」をあげることができるだろう（「労働者階級」以下の人々も
ディケンズの小説には登場するが、彼らには上昇志向など無縁だったものと
考えられる）。この三つの階級を中心とした階級間での人の動きが激しい時
代だったことがディケンズの作品からうかがえる。
　本研究の目的と密接に関係しそうな記述は、やや外れる例として拾い出し
た「市場向け菜園（market garden）」と「鉢植え植物（flower-pot or potted flower）」
だろう。本稿の最後に、それらがどのようなものだったかを、類書が少ない
なかで見つけた資料を紹介しながら考えてみたい。
「マーケット・ガーデン」すなわち当時の近郊農業
　まずは「market garden or gardening」とはなにか？　試みに「Wikipedia（英語
版）」で調べてみると、いろいろな意味で使われているようだが、おもに最近
の、野菜や花など生鮮ものの直販を主とする小規模農園を指している。「地産
地消」など近年の流れのなかに位置づけていいのかもしれない。
　本論で扱っているのは19世紀半ばのロンドンとその近郊のことだが、この
時代のこの地域の近郊農業については、次の資料が参考になる──Malcolm
Thick, 1998. The Neat House Gardens: Early Market Gardening around London.
(Prospect Books)。ロンドン近郊の野菜などを栽培する農園の歴史を15世紀
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- 177 -
からたどり、ロンドンの人口の増加にともなう近郊農業の発展と、郊外から
さらに遠くへの移動と拡大とが追跡されている。今日から見て驚くことは、
メインタイトルになっている「ニート・ハウス農園」がテムズ川北岸のピミリ
コ（Pimilico）地区、すなわちウェストミンスター地区とチェルシー地区のあ
いだにあったことだろう。いまでは街中の高級住宅地である。
　ロンドンの市民が消費する食糧のうち、小麦やジャガイモなど保存と輸送
に耐えるものは遠隔地から運ぶにしても、野菜など生鮮品は都市近郊で栽培
されていた──東京では遠い過去のことだが、地方都市ではいまも盛んに行
われているところがある。また最近の「地産地消」という掛け声は、近郊農業
の復活と再興がうたわれているのだと理解することもできる。
　花卉類がロンドン近郊の「market garden」で栽培されていた形跡は、この資
料で見るかぎり、切り花にしても鉢植えにしても見当たらない。しかし、ロ
ンドンから遠くないどこかで栽培されていたはずであり、今後の重要な課題
として残されてしまった。
　しかし鉢植えの植物がロンドンで栽培されていたらしいことについて
は、それをしめす資料がある──Catherine Horwood, 2007. Potted Flower: The
Story of Plant in the House. (Frances Lincoln)である。この資料によれば、鉢植
え植物を室内（および中庭など）に置く習慣は、切り花を花瓶にいける習慣よ
りずっと古いようであり、また上流階級から下層の庶民にいたるまでかなり
広く浸透していたらしい19。
「鉢植え植物」、コヴェント・ガーデン市場、メイヒューの貧民調査報告
　この資料（Horwood, 2007） のなかで、本論との関係でとくに興味をひかれ
るのは、ロンドンの「コヴェント・ガーデン（Covent Garden Market）」の役割と、
1864年に実施された「貧民のためのウィンドウ・ボックス」品評会20である。
　コヴェント・ガーデンは17世紀初頭からロンドンの主要な市場であり、
1800年前後とされる絵には、その一画で鉢植え植物が売られているようす
が描かれている21。1831年には鉢植え用の温室（the Bedford Conservatories）が
コヴェント・ガーデン内に建てられた。そのほかの記述や図版から、コヴェ
ント・ガーデンでの鉢植え植物の売買は、とくに19世紀半ば過ぎから盛んに
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- 178 -
なったと思われる。また買い手が身なりのよい紳士や淑女であることも、図
版からわかる。売り手がどのような人々か、また栽培がどの地域でどのよう
な人々によってなされたかは、かならずしも判然としないが、小規模の種苗
業者が自分たちで持ち込んで販売していたのではないかと思われる。
　コヴェント・ガーデンと鉢植え植物の流通についての補足データとして、
19世紀半ばのロンドンの貧民の実態調査として有名なメイヒューの資料22
を整理してみたのが表4である。本稿での議論に直接に関連するのは、表4
中の02・03・04および08と10であろう。
　とくに03の記述から、「呼売商人たち」が鉢植え植物をコヴェント・ガーデ
ンで仕入れ、ロンドンで売り歩いていたことがわかる。「ムスクとモクセイソ
ウ……赤いゼラニウム」は室内用、「ギンバイカ、月桂樹にツゲ……ニオイヒ
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- 179 -
バ、ガマズミ……ヒース」の鉢植えは中庭や庭用だろう。興味深いことに、室
内用の鉢植え植物はどれもが芳香の強い種類である。
　「スミレの大きな花束」（02）は、切り花を束ねたものとしか考えられないだ
ろう。それを「抱えた花売り娘が、香りをふりまきながら走っていく」という
ので、ニオイスミレ（Viola odorata）とみなすことができる。花茎がそう長く
は伸びないので、花束といっても御婦人や紳士が襟元につける小さなコサー
ジュだったと考えられる。
　「しおれたスミレ」（04）が花束なのか鉢植えなのかは、この記述からだけで
は判断がむずかしいが、切り花の持ちの悪さを考慮するなら、鉢植えと見な
すのが自然だろう──鉢植えで栽培し、そのまま商品とすることもあっただ
ろうし、花が咲き切った花茎を切り取り、小さなコサージュにして花売り娘
が売り歩いたのだろう。「花売り娘」については、「ロンドンの花売り娘」（ 05）
と「二人の孤児の花売り娘」（ 06）のふたつの章で比較的詳細に報告されてい
る。
　鳥の巣売り屋の男が野山から集めてくる「サクラソウ、キンポウゲ、ヒナギ
ク、マツユキソウ」（08）が、切り花だったのか鉢植えだったのかは不明。「裏
草」と呼ばれていた「緑色のシダ」は、「小さな花束の後ろに入れるのに使われ
る」というので切り花（葉物）で売られていた可能性がある。
　以上のメイヒューの調査からわかることは、1850年前後23のコヴェント・
ガーデンでは切り花も売られていた（ただし花束として）が、おそらく鉢植え
植物のほうが量的にずっと多かったと考えられ、またそれを「呼び売り商人」
が仕入れてロンドンの街角で売り歩いていたことである。呼び売り商人た
ちの顧客がどのような階層の人々だったかは、メイヒューの調査報告からは
うかがい知ることができない。
　ちなみに、本誌の前々号で紹介したヒバード『趣味のよい家庭のための田
舎風装飾』（1856年）24の「テーブルと窓の花卉装飾」の章の前半三分の一は切
り花を使った装飾25だが、庭やガラス室で栽培したものと屋敷の周囲の野山
で摘み取ったものが使われ、どこかから購入するという記述はない。花瓶な
ど道具類については、購入方法として個別の業者のほか、コヴェント・ガーデ
ンの名前もあげられている。後半三分の二の窓辺の「ウインドウ・ガーデン」
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- 180 -
で使われるのは、もっぱら鉢植え植物である。その鉢植えも自宅の庭やガラ
ス室での栽培が基本であり、たとえばコヴェント・ガーデンや呼び売り商人
から購入するという示唆は見当たらない。
　しかし、当時のロンドンで鉢植え植物（potted flower）が商品として流通し
ていたことは、上記のメイヒューの調査報告からあきらかである。それで
はその鉢植え植物を買っていた顧客はどのような階層の人々だったのか？
　前掲のHorwood (2007) の第11章は、「民衆のためのウィンドウ・ガーデン
（Window gardens for the people）」である。その冒頭で、彼女は次のように述べ
ている。
あるひとつの植物が、19世紀の不幸な労働者階級に対するヴィクトリ
ア朝の感傷的な人々の態度を要約するとしたら、それは田舎家（cottage）
の窓敷居にひとりわびしく鎮座するあわれな赤い“ゼラニウム”だろう。
何百人もの芸術家たちが、恥ずかしくない暮らしをしなければという向
上心のシンボルとして利用してきた。だがそれは、なんといっても安価
であって路上マーケットで買うことができ、またどんなに不注意な家庭
であっても枯れさせることが困難な植物だったのだ。
　鉢植え植物は場所を選ばないし、乾燥に強いので水やりを忘れても簡単
には枯れたりせず、なにより値段が安く、路上マーケットで購入することが
できた。だから庶民にも手が届いたということなのだろう。この第11章の
主要な題材はSamuel Hadden Parkes師（ロンドンのブルームズベリー地区の、
セント・ジョージ教区副司祭）が主催した庶民のための花の品評会（flower
show）である。パークス師がウィンドウ・ガーデニングを奨励したのは、スラ
ム街の人々の生活環境の改善のため。これらの人々は「路上でクレソン、果
物、小さな玩具を売って生活費を稼いで」いたが、ウィンドウ・ガーデニング
にかける熱意は生半可ではなかった。
粗野な二輪車で野菜などを売り歩く野卑な行商人や路上生活者のアイ
ルランド人がたむろする低くなった中庭や路地でさえ、植木鉢が置か
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- 181 -
れていない窓や花であずまやになっていない窓はめったに目にしない。
「あずまや」と呼ばれるのは、これらの窓の多くがバージニアヅタ、クレ
ソン、the pretty yellow‘ canariensis’、さらにはベニバナインゲン（この最
後の植物はとくに馬丁や職工に好まれる）で鬱蒼となっているからだ。
……窓の敷居棚……を緑色の手すりで囲い……安いお気に入りの花の
鉢を並べている。しばしば大きな箱に肥沃な土を詰め、春にはふつうの
赤いチューリップ、夏にはモクセイソウ、そして秋にはマリゴールドや
キクを深く植える。26
　窓辺のあずまやの一部が、クレソンやベニバナインゲンという野菜である
ことは興味深い。見て楽しむだけでなく、おそらくそれ以上に、食用だった
と考えられる27。いわば窓辺のミニ家庭菜園であり、今日の集合住宅のベラ
ンダに置かれたコンテナ菜園を思わせる。
　パークス師が企画した品評会の賞金は10シリング。「ガーデナーズ・クロニ
クル」1864年7月23日号に載った品評会についての記事から、当時のロンド
ンのスラムでどのような植物が栽培され、その展示を人々がどのように工夫
したかがよくわかる。
展示されている植物の多くはぺラルゴニウムとフクシアだが、そのほか
に目についたものにリシマキア（Creeping Jenny）、黄色のキンチャクソウ
（Yellow Calceolaria）、白と深紅色のナデシコ、ペチュニア、アジサイ、ダリ
ア、ヴァーベナ、イラクサ・ゼラニウム（Nettle Geranium）と呼ばれる植物、
Klosanthes、オレンジの木、ホウセンカ、モクセイソウ、ジャコウミゾホオ
ズキ（Musk）、アスター、そしてフレンチ・マリゴールドとアフリカン・マ
リゴールドがあり……たくさんのジャガイモとラディッシュのあいだ
に一～二株のヴァージニア・ストックが植えられた小さなたらい、救貧
院（workhouse）の種苗係が出品した透明なガラス瓶のなかで三年ばかり
生きているイチイの小枝、箱一杯に繁茂したシダ、同じ人気の植物が植
えられた貝殻、三段のイチゴ用ザル（three-deep Strawberry punnets）で作
られたハンギング・バスケット……青花のロベリアを見事に咲かせたワ
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- 182 -
イヤ製のハンギング・バスケット。
　パークス師が観察した窓辺の植物や「ガーデナーズ・クロニクル」の記事で
報告されている植物は、どこから来たものなのか。植物の種類から考えて、
どこかから購入したというよりは、たがいに種子や苗を融通し合っていたと
想像してみたくなる。
　いずれにせよ、パークス師による「貧民のためのウィンドウ・ガーデニン
グ」運動は、その前後の1820年代から1860年代に最盛期を迎えた職人層のフ
ローリスト協会の活動とは性格をかなり異にしている28。フローリストたち
が伝統的に栽培と育種を競ってきた「フローリスト・フラワー」と呼ばれる植
物は、プリムラ・アウリキュラ、チューリップ、カーネーション、ポリアンサス、
ヒヤシンス、アネモネ、ラナンキュラ、ナデシコの8種であり29、パークス師が
奨励したウィンドウ・ガーデンで栽培されていた植物のなかには名前があ
がってきていない。
　フローリストの協会がロンドンの北部や東部の各地域ごとに活動してい
たことも、Horwood（ 2007）は同じ第11章で紹介している。マイル・エンド、
ベスナル・グリーン、ハックニー、ポプラー、オールド・フォード、あるいはタ
ワー・ハムレットといった地区であり、英国の卓越した種苗業者一族ロッデ
イゲス（Loddiges）が18世紀からハックニーに種苗場を置いていたように、こ
れらの地区は種苗業の盛んな地域だったようだ。しかし、19世紀の半ば過ぎ
には開発と建築がこれらの地域にまで押し寄せ、種苗業に必要な土地の確保
が困難になっていったという。それでもこれらの地区のフローリスト協会
は、19世紀末までは品評会を開いていた（ただし女性の参加を促すなど時代
の変化はあった）。
　このフローリスト協会活動が盛んだった地区の小規模種苗業者が、コヴェ
ント・ガーデンに鉢植え植物を供給していた可能性は高いだろう。
結びにかえて
　本題に戻れば、ディケンズの『炉辺のコオロギ』の貧乏な玩具職人が運送屋
から受け取った「ちいちゃな花の鉢」は、おそらく上記の「フローリスト・フラ
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- 183 -
ワー」のどれかだったと推測していいだろう。玩具職人が「いくらだろうが
俺にとっては安いもんだ」と受け流したのは、栽培や品種改良の腕に自信が
あったからだと考えることができる。
　整理すれば、庭など望むべくもない当時の貧しい庶民が楽しんでいた植物
は、鉢植えの植物が中心だったと考えられる。また鉢植え植物には、窓辺で
楽しむものと、育種や育て方を競うフローリスト・フラワーとがあった。
　2種類の鉢植え植物のうち、フローリスト・フラワーは日本の江戸時代の富
裕な町人階級で流行した変わり朝顔など「珍草奇木」趣味を思わせる30。一
方、スラム街の小路の窓辺の鉢植え植物は、いまも月島など下町に名残が見
られる江戸の庶民長屋の小路の光景を思わせる──「朝顔に／つるべとられ
て／もらい水」（加賀の千代女）。
表1：ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』（原著初版：1838年）31
No 頁：行抜き書き備考
01 159上：08 大きな庭園やら立派な人のお屋敷やら……
02 234上：13 ……お花に水をやるのでも、小鳥の世話をす
るのでも、お嬢様を幸福にする用事……
03 233下：07 ……少し遠くにある田舎の別荘へと出発し
た。
04 234下：02 別荘の壁にはばらやすいかずらが這い、木々
の幹には蔦がからみつき、庭に咲く花が心地
よい香をあたりに放っていた。
05 240下：08 ……毎朝六時に起きて、野花を摘んでは花
束を……美しく朝食のテーブルを飾ること
……お嬢さんの小鳥のために……上品に鳥
籠を飾る術……庭の草花の手入れ……教会
書記は本職が庭師……
06 250上：10 病室を飾ろうと思って特に念入りに摘んだ
花を抱えて……
07 256上：18 小鳥の籠は……歌声を四方に放ち……美し
い野の花がふたたび摘み集められ……美し
さと香りでローズを喜ばせ……
08 257上：01 格子窓のすぐ内側……花束が水に活けられ
……毎朝毎朝花瓶には新しい花が活けられ
……
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- 184 -
09 257上：21 格子窓のついたいかにも田舎屋風な部屋で、
窓のまわりにはジャスミンやすいかずらが
からみつき……その香りでいっぱい……そ
こからは庭が見え、その向こうには庭木戸
……小牧場……牧草地と森……広々とした
景色が見渡された。
10 413下：09 ……村のすぐはずれに、独身者向きの小さな
家を手にいれ……庭造り、植木、魚釣り、大工
仕事……
表2：ディケンズ『互いの友』（原著初版：1865年）32
No 頁：行抜き書き備考
01 上014上：13 （ヴェニヤリング邸）温室のドアの脇の客間
……
02 上018下：12 スイカズラの類が美しく絡まる、ポーチ付の
つつましき住処……
03 上027上：17 ヒヤシンスの球根型の粗末なランプ……
04 上060下：02（ボフィンの庵）床には花盛りのカーペットが
……目にも綾な植生……その花園地帯では
……
05 上061下：05 ゴミ山には、それぞれうねうね小道がついて
……ふるい場やら近所が変わって見えるよう
に……てっぺんまで登りゃ、近所の屋敷がま
たとない眺め……
06 上103下：16 クリフォーズ・インのカビっぽい小さな植え
込み、
07 上115上:05 （ウィルファー宅）小さな庭をツッと横切り
……
08 上119上：22 （ウィルファー宅）庭の門の所に……
09 上123上：06 （ヴェニヤリング邸）大型馬車が翌朝の宴に華
を添えるべく、玄関先で温室植物の積み荷を
……
10 上126上：12 大型馬車はバラ色の……階段に花を敷きつめ
……
モーツアルト『魔笛』
11 上127下：19 （ティビンズ令夫人）の造花は萎びることを知
らず
12 上128下：01 （花嫁）ヴェニヤリング持ちの花……召使いは
リボンに花飾り……各バファーはボタンホー
ルに花を一輪挿し……
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- 185 -
13 上211上：07 （ベティー・ヒグドン宅）窓の外には上から下
まで紐が数本釘づけされ……運命の女神が
好意的であれば……ムラサキソラマメが伝う
ことになっていた。
14 上233上：04 その下で死に果てる運命の、市場向け菜園の
……
15 上233上：15 （学校周辺）まっ黒などぶ川、キラキラのきゅ
うり温室、草ぼうぼうの空き地、たっぷり肥や
した家庭菜園、レンガの陸橋……
16 上233 下：02
～234上
小さな宿舎のほこりっぽい小さな庭で、花に
水をやっていた女校長ピーチャー先生の……
小さなじょうろに水を足すため……フタエの
鼓動の高鳴りが、フタエ・アラセイトウとフタ
エ・ニオイアラセイトウの間で聞かれた……
この花を明朝までにジャックの豆の木さなが
らに……
17 上256：上07
～下09
（レン嬢）「……働いていると、ふと花の香りが
……この辺りは、花がたくさん咲くようなと
ころじゃないもの……それなのに……どこま
でも続く、お花畑の香りがして来るの。あん
まりバラの香りがするものだから……垣根の
白やピンクのサンザシや、まるで知らない花
ばかり、色んな香りがして来るわ……だって
わたし、これまで花なんて、ほとんど見たこと
がないんですもの……多分、私の鳥は他の鳥
より上手に歌って、わたしの花は他の花より
いい香りがしてよ。だって小さな子供だった
頃……」。
18 上268挿絵ヴェニヤリング邸のテーブル中央の飾りは、
背の高い器の「果物盛り」。パイナップル、ブ
ドウ……
19 上272：下12 仮に……氏の父祖伝来の森を抜け、スニッグ
ズワージー・パークの緑なすブナを見上げつ
つ、かの高貴なる館に近づき、中庭を通り、玄
関を入り、階段を上り、部屋から部屋を抜け
……
20 上281：下14 フレッジビーは桃のような頬を、というか、桃
とそれが沿う赤き……カベとの折衷のような
頬…………
21 上284：上21 バラ色というのは、バラの色……バラは『花の
女王』と呼ばれるそうで……
22 上291挿絵（ジプシー会社の）屋上の庭
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- 186 -
23 上297：下09（会計事務所）棚には……模造ビーズ……安
時計の見本に、安花瓶の見本。外国物のおも
ちゃ……
24 上300：上17
～301上
（ジプシー会社）「上は鉛ぶきの屋根になって
……そこに小さな庭を作っておるのです……
親指の爪ほどの庭がございましたら……その
タイル張りの庭とやら……」。およそロマン
スとは縁遠い、某かの粗末なツル植物の這わ
せてある煙突を背にして、二人はひたすら一
冊の本に読み耽って……ありふれた果物の
入ったありふれたバスケットと、数珠つなぎ
のビーズとスパンコールのぎっしり詰まった
バスケット……後は二、三箱の粗末な花と常
盤木とでこの庭は出来ており、荒涼と立ち並
ぶ辺り一帯の寡婦然たる古煙突は……
25 上302：下08
～303
（屋上の庭）「……とってもくつろげるんでし
てよ……どんなに休まるか……この静けさ、
この空気……雲がせまい通りの上を、ずんず
ん流れていく……下のことなんて、ちっとも
気にしないでね……お空の山には金の矢が
さしているが見えるわ。そしてそこから、風
が下りてくるのよ。すると、ね、死んでるみ
たいな気がして来るの……おお、それは静か
だわ！……それは安らかで、それはありがた
くってよ！　そして下のせまくて暗い通りか
ら、みんなが生きて、わめいて、働いて、お互い
大声で呼び合っているのが聞こえて来るの。
そして、とってもかわいそうになるんだわ！
で、あんなに重かったクサリがすっかり外れ
て、それはそれは不思議な、素敵な、かなしい
幸せがやって来るの！」
26 上308：下06（テンプルのユージーンの部屋）窓敷居の上の
古い植木鉢……
27 上341：上22 （ベラと父が静かな場所を探して）「タワー・ヒ
ルのトリニティ・ハウスのそばの庭はどうだ
ろうね」
28 上344：上02（ベラの想像）二人はぶどう園の様子を見に行
こうと、小粋なバーク（帆船）で出掛けるとこ
ろ……
29 上359：上07（ミルヴィー牧師）自分の働いているぶどう園
の多くの悲しむべき歪みや胴枯れ……
30 上365の訳
注（二）
「ぶどう園」はしばしば「精神的、霊的努力の場
所」（マタイ20:1、21：28、40）
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- 187 -
31 上368：下03（学校）その角を曲がった市場向け菜園……
32 上369：上16 「ヘッドストーン先生がお庭を！」
33 上382：下11 （プレザント嬢の）眼前には南の海かどこかの
……遠い遠い島々の蜃気楼が浮かび……パン
の木の木立ち……嬢の『エデンの園』の絶対必
要条件……
34 上424：上17（ボフィン氏）「ええか、もしわしが『花市』や
ら、『音楽会』やら……何かの催しもんの券を
買うて、大枚はたいて……
35 下014：上14 （ユダヤ人）「わたくしの屋根の上の貧しい庭
で御覧になった時に……」
36 下022挿絵「人形の洋服仕立て屋のための試着」、手に花
束。
37 下023：上05（レン嬢）「いいこと、『公式ご招待』とか、『パー
クの園遊会』とか、『野外劇』とか、『お祭り』
……
37 下082：下21 『ゴミ山』の「うねうね小道」（上61ページ）を
登って行った。
38 下125：上14 村にはキリスト教の学校があり、その校庭に
木を植える以上に悪質なユダヤ教的介入はな
いとの……
38 下159：下22 ……教育田園用出立ちの学究狩猟家の姿
……
たとえ
40 下224：下06（ベラの父親）花がないもので悪しからず、と
通りに笑みを振り撒きながら。
意味不明
41 下279：下13 心ここにあらずの盲導犬の、御主人に対す如
く。
盲導犬？
42 下287：上18 （自宅）ベラは……庭を歩き……
43 下289：下17 （新婚ベラの新居）小さな田舎家（コテイジ）。
44 下290：上09（ベラ夫妻と父）草花の咲き乱れるヒースの丘
への素敵な散策へと……
45 下293：下02（祝婚ディナーの席で）オレンジの花を一片見
つけ……フィンガー・ボールに浮べて……
46 下307：上07（新婚ベラ）その日一日の家事に……計って、
混ぜて、切って、下ろして。叩いて、洗って、
磨いて。切って、むしって、植え替えて、庭仕
事あれこれ。縫って、繕って、畳んで、風当て
して、ほんとに色々、何やかや。そして何より
も、勉強、勉強……『完璧な英国家庭の主婦』33
なる聡明な一巻本……
47 下335：上21 （学校）……庭で散歩をしていた。
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- 188 -
48 下354：下04（ユダヤ人）あの晩、屋上の庭で独り座って考
えたのさ……
49 下355：上09（同前）わたしはあの晩、屋上の庭に座って考
えていたのさ。
50 下388：上20
～
見たこともないような育児室があったら……
階段には……素敵な花を飾る……赤ちゃん
には花がわかるんですもの……最高に愛らし
い小鳥たちを集めた飼鳥園（エイヴィアリイ）
……
51 下399：下08
～
（豪華な新居）ベラが階段の下で足を止め……
限りなく美しい花々で飾られ……素敵な飼鳥
園……先の花々より色とりどりの熱帯の小鳥
……金魚や銀魚、苔やスイレンや噴水や、不思
議づくめであった。
52 下424：下05（ウェッグの悪態）ウルワシの庭園が豚野郎ど
もに根こそぎほじくり返された日にゃあ……
53 下432：下21 （学校）彼が庭の門に掛け金を下ろし、背を向
けたのは、寒く、厳しい、東風の朝のことだっ
た。
54 下445：上10
～
（ベラの妹と母親）「外来植物よ、ジョージ……
飼鳥園よ……オルマル（代用金箔）時計よ……
表3：ディケンズ『炉辺のこおろぎ──家庭のおとぎ話』（原著初版：1845年）34
No 頁：行抜き書き備考
01 040：07 運送屋は……苔と紙で注意深くくるんだちい
ちゃな花の鉢を取り出した。
02 065：05 中流階級のための郊外住宅、下層階級の……
台所と部屋がひとつのアパート、上流階級の
……首都の邸宅……
人形の家
03 085：09 あたしたち、結婚して以来……二週間に一度
……ささやかなピクニックをしてきたわね。
半ば、冗談なのか
も？
04 092：05 父のボクサーも母のボクサーも…… 犬の名前？
05 133：13 ……婚礼のために……馬の頭を花やリボン
で飾って
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- 189 -
表4：メイヒュー『ロンドン路地裏の生活誌』（原典：1851年）35。野菜・果物は
省略。
No 頁：行抜き書き備考
01 上053：16 （「呼売商人の服装」）女性の場合は……黒い
ヴェルベットもしくはワラの婦人帽子に多
少のリボンか花をつけてかぶるのが一般的
なスタイルで……
02 上078：17 （「果物・野菜……コヴェント・ガーデン・マー
ケット」）スミレの大きな花束を抱えた花売
り娘が、香りをふりまきながら走っていく。
03 上081：12 （同前）アーケードの下では呼売商人が花（鉢
植え）を買う。街頭でその花と古着を交換
するのである。ここには鉢植えの花が小さ
な庭のように並べられており、ムスクとモク
セイソウが甘い匂いをふりまき、赤いゼラニ
ウムが、えもいえぬ芳香を漂わせ、背後の常
緑植物の濃い緑色とみごとな対照をなして
いる。「ギンバイカ、月桂樹にツゲもあるよ」
と売り子の一人が言う。「ニオイヒバ、ガマズ
ミ、それからピンクの斑点がついたあの低木
はヒースだよ。」
04 上082：14 （同前）今や市場のポンプのまわりにはペ
チャクチャおしゃべりな娘たちが集まって、
しおれたスミレに水をやる順番をめぐって
言い争っている。コヴェント・ガーデン劇場
の踏み段には、靴さえない少女たちが座っ
て、半ペニーと一ペニーの二種類の花束を
作っている。
05 上083～85 章「ロンドンの花売り娘」
06 上086～92 章「二人の孤児の花売り娘」
07 上192：13 （「ロンドンの安物屋」）羽根の部分に造花を
あしらった羽根ペン……
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- 190 -
08 下029：03 （「鳥の巣を売る街頭商人」）冬になるといろ
んな花や草木を集めてくるのさ。サクラソ
ウ、キンポウゲ、ヒナギク、マツユキソウ、そ
れに『裏草』もある。『裏草』なんて呼ばれてい
るのは、小さな花束の後ろに入れるのに使わ
れるからだ。イチイの木が生えているとこ
ろから取って来るんだけど、緑色のシダなん
だよ。／夏には、いま言ったやつのほかにガ
マも取ってくるよ。詰め物にするのにガマ
を買うお客もいるんでね。小さいやつは『妖
精イグサ』といって、大きいやつがガマなの
さ。小さいのを『詰め物』に使うんだ。つま
り、鳥に詰め物を入れて剥製にして、ケース
の中でまるで生きているみたいに見えるよ
うに引き立たせるんだよ。鳥のまわりにも
イグサを入れてさ。鳥の剥製師に十二本一
ペニーでおれは売っている。大きいやつは
腕白小僧たちが遊んだり叩き合ったりする
のに買うんだ。
09 下031：13 （同前）ウィタム……コヴェント・ガーデンで
薬草屋をやっているバトラーさんに売るコ
ケを探して、あのあたりに行きつけているか
らね。
10 下032：02 （同前）鳥の巣捜を始めるのは五月で、終わ
るのは八月ごろだね。それが終わると今度
はクリスマスごろまでガマやイグサ取りだ。
それも終わると草木や野生の花を採る仕事
が始まって、五月ごろまでかかる。
11 下079：06 ……ユダヤ人だけが卸売している外国製品
としては、時計、宝石、海綿、果実、特にオレン
ジ、レモン、ブドウ、クルミ、ココナツなど、乾
燥した果実としてはナツメヤシ、さらに貝、
亀、オウム、外国産の小鳥、珍品、ダチョウの
羽根、嗅ぎ煙草、葉巻、パイプがある。
12 下143：16 （「ごみ収集人」）……ロンドンの市場向けに
農作物を作って大きな利益を上げているロ
ンドン近郊の土地などには……
［注］
1 本稿は園芸文化研究所の2009年度助成研究（プロジェクト研究）「英国19世紀の
庶民と園芸──ディケンズの小説を材料として」の初年度の報告書である。研
究チームの構成は以下のとおり：榎本眞理子（代表）、高濱俊幸、新妻昭夫。
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- 191 -
2 次の資料に、雑誌や単行本などの急増を具体的にしめすデータが示されている
──Cantor, G. et al. eds., 2004. Science in the Nineteenth-Century Periodical: Reading
the Magazine of Nature. Cambridge Univ. Press. P. 9 &amp; 10.
3 新妻昭夫「J・S・ヒバード（園芸ジャーナリスト）の生涯・Ⅰ──“都会のなかの田
園”」。『園芸文化』第5号：50～65ページ。
4 川崎寿彦（かわさき・としひこ：1829-89年）。英文学者で18世紀の英国の詩をお
もに研究した。京都大学文学部卒業（1953年）、ウィスコンシン大学大学院修了
（1958年）。Ph. D.、文学博士。名古屋大学文学部教授。スタンフォード大学、オ
バーリン大学、トロント大学客員教授。著書：『ニュークリティシズム概論』、『ダ
ンの世界』、『分析批評入門』、『現代批評の展望』、『マーヴェルの庭』（研究社）、『鏡
のマニエリスム』、『庭のイングランド』（ 1983年、名古屋大学出版会）、『楽園と庭
──イギリス市民社会の成立』（1984年、中公新書723）、『森のイングランド』（平
凡社）、『楽園のイングランド──パラダイスのパラダイム』（1992年、河出書房新
社）
5 上記の注3参照。
6 上記の注3参照。
7 『英語青年』1989年1月号（研究社）。
8 該当個所は、「ディケンズ・フェロウシップ日本支部」のHP上の電子テキストで
検索すると、以下のとおり：……and as to flowers, it's worth a run upstairs to smell
my mignonette, or to see the double wallflower in the back-attic window, at No. 6,
in the court.' ／ 'There is a double wallflower at No. 6, in the court, is there?' said
Nicholas.／ 'Yes, is there!' replied Tim, 'and planted in a cracked jug, without a spout.
There were hyacinths there, this last spring, blossoming, in ? But you'll laugh at that,
of course.' ／ 'At what?' ／ 'At their blossoming in old blacking-bottles,' said Tim. ／
'Not I, indeed,' returned Nicholas……
9 Uglow, J., 2004. A Little History of British Gardening. Chatto &amp; Windus, London
の205-06ページ。同ページには、ディケンズの『ピックウィック・ペーパーズ』
（1836-37年）の一節も引用されている。
10 ウェミックのゴシック建築モドキの自宅と庭は、Jane Brown, 1999. The Pursuit of
Paradise: A Social History of Gardens and Gardening.の「The Military Garden」の章
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- 192 -
にも引用されている（98-99ページ）。
11 ヒバードについては、前述の注3にあげた拙論を参照されたい。
12 前掲書、205-6ページ。
13 John Claudius Loudon (1783-1843) &amp; Jane (Webb) Loudon (1807-58).
14 前掲書、211ページ。また別稿「ジェーン・W・ラウドンの生涯」（本号、196ページ
～）を参照されたい。
15 Horwood, Catherine, 2007. Potted History: The Story of Plants in the Home. Frances
Lincoln Limited. P.138.
16 ディケンズ『ピクウィック・クラブ』（1836-37年）の第42章。
17 「市場向け菜園」の原語は、「ディケンズ・フェロウシップ日本支部」のHP上の電
子テキストで調べてみると、「market-garden」である。
18 同前。
19 Davies, J., 2000. Saying it with Flowers: The Story of the Flower Shop from Victorian
Times to the Present Day. Headline Book Publishing.; Blacker, Mary Rose, 2000.
Flora Domestica: A History of Flower Arranging 1500-1930. National Trust.これら
の資料によれば、切り花を花瓶にいけることは、たとえば17世紀のオランダの静
物画の主要な題材だったように、かなり古くからの習慣だった。しかし、貴族な
ど裕福な上流階級に限られ、一般市民にまで広がったのは19世紀も半ばを過ぎ
てからのことだった。
20 Parkes, Rev. S. H., 1864. Window Gardens For the People, and Clean and Tidy
Rooms, Being an Experiment to Improve the Homes of the London Poor.
21 Horwood (2007)に引用されている1809年のロンドン園芸協会紀要には、クロッ
カス促成栽培用の「ウェジウッド製のハリネズミ型の鉢」がコヴェント・ガーデ
ンで売られていたと報告されている。
22 今回は「野菜」関係と「食べもの・飲みもの」関係は省略した。しかし、たとえば「ク
レソン売り」の章などは、前々号掲載の拙論で扱ったJ・S・ヒバードがクレソンの
家庭での栽培を奨励していたことを考えあわせなくとも、非常に興味深い記録
となっている（『園芸文化』第5号：50～65）。
23 メイヒューの貧民調査の記事は最初、1849年に『モーニング・クロニクル』紙に掲
載されたので、調査が実施されたのも同年前後だったと考えられる。
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- 193 -
24 Hibberd, S., 1987. Rustic Adornments for Homes of Taste, and Recreations for Town
Folk in the Study and Imitation of Nature. (Introduction by D. J. Sales). Century in
Association with the National Trust。注2も参照されたい。
25 切り花をどう長持ちさせるかの工夫も発想も、今日とはまったく異なっていた
ようだ。今後の課題のひとつとしたい。
26 福音雑誌『The Day of Rest』1865年9月号にパークス師が寄せた記事。パークス
師の率直な驚きの言葉と比べると、二年前の『園芸文化』掲載の拙稿『ヒバード
の生涯Ⅰ』に引用したロンドンの庶民の園芸趣味の惨めな状態についての記述
（『園芸文化』第5号の54～55ページ）は、ほぼ同じものを見ているとは考え難い
ほどだ。貧しい階級出身のヒバードだが、彼の上昇志向がそれほどに強かった
ということなのだろう。
27 数年前に大阪の都市部の園芸について予備調査をしたとき、年季の入った集合
住宅の共用の庭の花壇に、インゲンや菜っ葉、キュウリなど野菜が植えられてい
て印象的だった（隅には仏花用と思われる小菊類が必ずあった）。住人達の野菜
作りにかける情熱は道路にまでおよび、街路樹の根元にもキュウリや菜っ葉が
植えられていた。庶民の生活の知恵と生活力の旺盛さは、時代も文化も超えて
普遍的なことの証といえよう。
28 フローリストの活動と彼らが栽培と育種を競ったフローリスト・フラワーに
ついては、次の文献がほぼ唯一の資料と思われる。Duthie, R., 1988. Florists’s
Flowers and Societies. Shire Publications Ltd (Princes Risborough).
29 19世紀の半ばになって、さらにパンジー、ダリア、キクが加わり、とくにダリアと
キクが流行ったという。
30 小笠原左衛門尉亮軒『江戸の花競べ──園芸文化の到来』（2008年、青幻舎）。
31 チャールズ・ディケンズ（小池滋訳）『オリヴァー・トゥイスト』（講談社版／世界
文学全集13）。一九七〇年、講談社。
32 チャールズ・ディケンズ（田辺洋子訳『互いの友（上・下）』。一九九六年、こびあん
書房（東京）。
33 Mrs Beeton's Book of Household Management was edited by Isabella Beeton and was
first published as a book in 1861.
34 チャールズ・ディケンズ（伊藤廣里訳）『炉辺のこおろぎ──家庭のおとぎ話』。
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- 194 -
二〇〇四年、近代文芸社。
35 ヘンリー・メイヒュー（ジョン・キャニング編）『ヴィクトリア朝ロンドン路地
裏の生活誌（上・下巻）』（植松靖夫訳、1992年、原書房）。原著はJohn Canning,
ed., 1986. The Illustrated Mayhew’s London: The Classic Account of London Street
Life and Characters in the Time of Charles dickens and Queen Victoria. Weidenfeld
&amp; Nicholson (London). これの原本になったのは、Henry Mayhew, 1861 (1851),
London Labour and the London Poor.この原本からの新たな抜粋・翻訳が、ヘン
リー・メイヒュー（松村昌家／新野緑編訳）『ヴィクトリア朝ロンドンの下層社
会』（2009年、ミネルヴァ書房）。
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- 196 -
ジェーン・W・ラウドンの生涯1
新妻　昭夫（人間社会学部人間環境学科）
Mrs. Loudon and Gardening for Housewives in Early
Modern England
NIIZUMA Akio
　ジェーン・W・ラウドン（Jane (Webb) Loudon: 1807-58）は最初期の女性園
芸著述家の一人であり、今日の女性のガーデニングの先駆けとされてい
る。彼女は19世紀前半の鬼才造園家ジョン・クラディウス・ラウドン（John
Claudius Loudon: 1783-1843）の妻であり、夫が急逝した後、彼の大著『造園百
科（Encyclopedia of Gardening）』（1822年）を幾度も改定したほか、彼女自身の
著作も多数残されている。
　彼女の著作活動の特徴を、いまの時点でわかる範囲で列挙すれば、(1)18世
紀以来の社会的に女性に許された数少ないキャリアのひとつである啓蒙書
ライターであった、(2)とくに評価の高い著作として女性や子ども向けの園芸
や植物学の入門書がある、(3)雇われ編集長を半年間だけつとめた女性向け
週刊誌は、ごく初期の「近代的な家庭婦人（主婦）」向けだったと考えられる。
　ジェーン・W・ラウドンの生涯についての記録はごく限られている。彼女に
ついての唯一の評伝2には、一人娘アグネス3の日記が利用されている。した
がって彼女の生涯の後半部については、かなり詳細な事柄がわかっている4。
また彼女の書き残した著書や雑誌論文・記事は数多く、またファクシミリ版な
どでリプリントされたものも多数ある。つまり、調査・分析すべきテキストは
数多くあり、比較的調査しやすいといえる。
　ジェーン・W・ラウドンの生涯は、大きく次の3時期に区分できるだろう。(1)
結婚するまで、(2)結婚してから夫の急死まで、(3)夫の負債を抱えながら筆一
本で娘を育て、短い生涯を終えるまで。図1はジェーン・W・ラウドンの曾孫
が所蔵する彩色細密画5であり、これが彼女の唯一の肖像画とされる。
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- 197 -
生い立ちと初期の著作
　ジェーン・W・ラウドンは1807年8月19日、ジェーン・ウェルズ・ウェッブ
（Jane Wells Webb）として、イングランド中部のバーミンガムで生まれた。父
親（Thomas Webb）について詳しい記録はないが、比較的成功したビジネスマ
ンで、暮らし向きはそれなりによかったらしい。
　ジェーンが生まれ育った時代の英国は、フランスとのナポレオン戦争
（1796～1815年）のさなか、ジョージⅢ世（在位1760～20年）の治世だが、1821
年にはⅢ世の言動が不確かとなり、息子のジョージⅣ世が政務を執行する
「摂政時代」となった。1815年にはワーテルローの戦でフランスに勝利し、ま
たバーミンガムの町は着実に工業化しつつあった。
　母親は1819年に他界した（母親の名前は記録に残っていないらしい）。失
意の底に落ちた父親は翌年、12歳のジェーンを連れて1年間、大陸の各地を
旅行した。帰国すると、経済的な不況の影響もあってか仕事をリタイアし、
バーミンガムから11キロほどの小村（Bartley Green）の村はずれにあった
Kitwellの屋敷6で暮らしはじめた。
　田舎での父と娘の二人暮らしゆ
えに、ジェーンは家事を采配すべき
主婦の役割を担うこととなり、その
経験は後の著作『The Lady’s Country
Companion: or How to Enjoy a Country
Life Rationally』（ 1845年）などに生か
された。ガーデニングにいそしむ時
間も土地も十分にあったはずだが、こ
ちらにはあまり興味がもてなかった
らしい。冬は読書にふけり、春からは
季節におうじて散策や乗馬など野外
での遊びをそれぞれに楽しんでいた。
　父親は妻の教育方針を受け継ぎ、家
庭教師（ガヴァネス）をつけてジェー
図1：ジェーン・W・ラウドンの肖像。ンを教育した。彼女がはじめて出し
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- 198 -
た自費出版の本『Prose and Verse』（ 1824年）に収められた次の詩7に、一人娘
ジェーンの父親への信頼と愛情を、また母親と父親の教育方針もうかがうこ
とができるだろう。
With tender pains from earliest youth
You trained my steps in virtuous route,
Taught me to know her worth and truth,
And tread the path you pointed out.
　1824年、父親が他界した。ジェーンはまだ17歳だった。詳しい事情はわ
からないが、彼女自身の言葉によれば、「彼〔父親〕の後始末を整理していく
なかで、生活費のためになにかしなければならないことが判明し、私は『The
Mummy』という風変わりで粗雑な小説を書いた」8。彼女は父親の死の前後
に、すでに一冊目の本を出していた。10代の前半から書きためていた詩や小
説を編んだ『Prose and Verse』（1824年）という小品であり、父親が他界する半
年ほど前から本にする準備をしていたという。
　彼女の2冊目の本『The Mummy!: A Tale of the Twenty-Second Century』が出
版されたのは1827年、彼女は20歳になっていた。ミイラになった男が300
年後の2126年に生き返り、自らの生前の反省から、混乱した政治と社会を改
善しようと努力する物語である。いま流通しているペーパーバックス版を
編集したAlan Rauchによれば、空想小説と冒険小説と怪奇小説の寄せ集め的
な作品であり、当時の女性ならではの道徳性の強調がこの作品の特徴だとい
う。
　時代はまだ19世紀の前半であり、それなりの家に生まれた若い女性が自
立する手段は限られていた。細密肖像画を注文に応じて描くか、婦人帽な
ど小物を作るか、あるいはガヴァネス（住み込み女家庭教師）になるかであ
る。ジェーンより9歳年下のシャーロット・ブロンテも、その二人の姉妹も、
小説家になる前にガヴァネスを経験している。最初から小説家を目指した
ジェーン・W・ラウドンは、当時の若い女性としては、あまり前例のない道を
選んだといっていいだろう。
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- 199 -
　当時、エジプトやミイラのことが広く世間の話題になっていたと考えられ
る。古代エジプトの神殿を模した「エジプシャン・ホール（Egyptian Hall）」が
ロンドンのピカデリーに開館したのは1812年、有名な「ロゼッタ・ストーン」
は1802年から大英博物館に展示され、古代ギリシャ語と2種類のエジプト語
（神聖文字と民衆文字）で刻まれた碑文がジャン＝フランソワ・シャンポリオ
ンによって解読されたのは、わずか数年前の1822年のことであった。
　また若い女性が空想科学小説を書くことも、ジェーン・W・ラウドンがはじ
めてではない。彼女より10歳年上のメアリー・シェリー9が『フランケンシュ
タイン（Frankenstein: or The Modern Prometheus）』（ 1818年）を出版したのは
19歳のときだったし、ちょうど『The Last Man』（1826年）が出たばかりであっ
た。じっさい、ジェーン・W・ラウドンの『The Mummy!』は、シェリーの作品の
焼き直しといわれることもある。
　当時の若い女性がSF作品を、しかも生活の糧として書くということじたい
が興味深い。上述のAlan Rauchは、ジェーン・W・ラウドンがロンドンのジョ
ン・マーチン宅にしばしば滞在していたことを重視している。ジョン・マー
チン（John Martin: 1789-1854）は英国ロマン派の画家である。Alan Rauchは
ジョン・マーチンの評伝10を調べ、彼が当時の文人たちと親しく交際していた
ことを指摘する。そのなかには詩人のトーマス・フッド（Thomas Hood: 1799-
1845）、ジャーナリストで小説家のウィリアム・ゴドウィン（William Godwin:
1756-1836）、歴史小説家のアインスワース（William Harrison Ainsworth: 1805-
1882）などがいた。ジェーンはマーチン宅でこれらの文人たちと出会って小
説家を志望するようになり、また『The Mummy!』の執筆と出版にあたっては
彼らと相談しただろうというわけだが、この点について確証があるとはいい
がたい。
　本論にとってもっとも重要なことは、ジョン・C・ラウドン（John Claudius
Loudon: 1783-1843）が彼女の作品に目をとめたことである。稀代の鬼才造園
家であり、1822年に出版された『造園百科（Encyclopedia of Gardening）』は半
世紀以上にわたって版を重ね、また1826年には雑誌『Gardener’s Magazine』を
創刊し、みずから編集と執筆に腕をふるって造園・園芸界をリードしていた。
ラウドンが関心を惹かれたのは、この作品に描かれた蒸気式の耕運機や芝刈
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- 200 -
り機や搾乳機、あるいは22世紀の世界における公園や公共墓地についてだっ
たのだろう。
結婚（1830年）、そして女性園芸ライターとしての再出発
　ジョン・C・ラウドンは自分の雑誌『Gardener’s Magazine』に、この若い作
家のSF作品を評価する書評を書き（タイトルは「改良のヒント（Hints for
Improvements）」、このSF作家に一度会ってみたいと知人を介して伝える手は
ずをとった。二人が出会ったのは1830年2月、彼の製図室だった。このとき
のことについてジェーンは次のように書き残している11。
『The Mummy』の著者が女性だと知って彼が驚いたと誰もが思うかもし
れませんが、あの夕べから彼は私への愛着をもったと私は信じています
し、じっさい、私たちはこの年の9月14日に結婚したのです。
　新婦ジェーンは23歳、新郎ジョンは47歳であった。新居はロンドンのケ
ンジントン・ガーデンズの北側、ベイズウォーター（Bayswater）地区にジョ
ン・C・ラウドンが1823年に建てた家12である。この家はラウドンが「別荘風
邸宅（villa residence）」と呼ぶ様式で、その設計趣旨などは彼の『The Suburban
Gardener and Villa Companion』（1838年）で説明されているという。
　しかし、この家はただの住宅ではない。夫が編集する『Gardener’s
Magazine』の編集事務所であり、関係者がひっきりなしに出入りしていた。
また造園設計事務所でもあり、製図版と参考書が所狭しと並んでいた。建物
の周囲の庭は新たな花壇設計の実験場であり、また各種の植物の栽培試験が
おこなわれる実験圃場でもあった。
　彼女は結婚の前後に二冊の本を出している。『Stories of a Bride』（ 1829年）
と『Conversations Upon Comparative Chronology』（1830年）である。前者は『The
Mummy』の評判がまずまずだったことに励まされて書いた二作目の小説。後
者は天地創造からキリスト生誕までの出来事が、「Mrs. Seymourと彼女の二
人の娘、IsabellaとLota」の会話形式で書かれている。会話形式と手紙形式は、
当時の女性や子ども向けの啓蒙書によく見られたスタイルである。
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- 201 -
　しかし、執筆活動は1830年の結婚を機に中断し、2年後の1832年10月28日
に一人娘（Agnes）13が誕生した。
図2：「No. 3 &amp; 5, Porchester Terrace」にあったラウドン設計の2世代用別荘風邸宅と庭の
平面図。
　新婚家庭のすぐ南にあるケンジントン・ガーデンは、幼いアグネスの手を
引いたジェーンのお気に入りの散歩コースであった。ケンジントン宮殿で
ヴィクトリア王女の18歳の誕生日が盛大に執り行われた1837年5月24日に
は、ラウドン夫妻の家の周囲は地方からやってきた市民を乗せた馬車でごっ
たがえし、ラウドン親子三人も宮殿前の見物人の群衆に混じっていたとい
う。そして1837年6月20日には、ウィリアムⅣ世の死去にともない18歳に
なったばかりのヴィクトリアが女王に即位することとなった（戴冠式は6月
28日）。
　執筆活動が再開されるのは結婚から9年目の1839年、『Agnes, or the
Little Girl who could Keep a Promise』が出版され、翌1840年には『The Young
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- 202 -
Naturalist’s Journey: or The Travels of Agnes Merton with Her Mama』が出た。
一人娘アグネスが6～7歳になって子育てが一段落したのだろう。娘ととも
に新たな分野を拓こうという意気込みが、タイトルから感じられる。
　そして1840年、彼女の執筆分野が大きく変化する。女性のためのガーデ
ニングの本である。この分野の一冊目が『Instruction in Gardening for Ladies』
（1840年）であり、彼女の著作のうちもっとも成功した一冊とされる（発売当
日に1350冊が売れ、その年のうちに3版を重ねた）。
　この本が売れたということは、この種の本すなわちガーデニングの指南書
をもとめている女性がそれだけ多かったということだろう。庭付きの住宅
で暮らすことができるほどには裕福だが、住み込みの庭師を雇うほどには裕
福でない家庭の女性である。いわゆる「アッパー・ミドル（upper-middle）」階
級と考えていいだろう。家事については使用人に指示するだけで自分が直
接に手を出すことはないが、庭仕事は別ということになる（今日の女性であ
れば、庭仕事は日雇いの庭師に任せて、家事とくに料理に力をいれるという
選択肢もあるだろう）。
　とはいえ成功のいちばんの理由は、女性が女性に向けて書いただけでな
く、素人が素人に向けて書いたことだろう。序文で彼女自身もはじめは無知
だったことを告白している。
　
　ラウドン氏と結婚したとき、植物やガーデニングに関するあらゆるこ
とについて、私以上に無知な人がいるとは、想像することさえほとんど
不可能でした……職業庭師用に書かれた本がアマチュアの必要に適し
ていることはめったにありません。そのことに生涯のあいだ慣れ親し
んできた人には、それについて何も知らない人の無知がどのようなもの
か想像することが困難なので、達人といわれる人たちは自分たちのもっ
ている知識を伝えることを、しばしば不可能だと知ることになります
……私自身が大人の生徒でしたので、同じような境遇の人たちが何を望
んでいるかを知っています。また私が書いていくことすべてについて、
それがなぜかの理由がわからなければ満足できたことは一度もないの
で、それらの理由を読者の人たちに分け与えることができるでしょう14。
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- 203 -
　巻頭に掲げられた献辞は、次のとおり──「以下のページの著者がこの主
題について有する知識のすべてを負うJ・C・ラウドン殿（リンネ協会、園芸協
会、動物学協会等々会員）に、本書は彼の愛する妻J.W.L.によって捧げられ
る」。ラウドン夫妻の自宅は、庭園の設計や本や雑誌の執筆・編集のための事
務所でもあり、ジェーンは妻としてだけでなく、秘書や助手として夫の仕事
を手伝いながら、結婚して10年のあいだに、まったくの素人からガーデニン
グの手引書を執筆するまでに成長していた。
　この本の特徴は、女性ならではの視点と実践的な視点にある。最初の章で
は土地の耕しかたが解説され、つづいて施肥と温床作り、種まき・球根の植え
方・移植・水やり、株分けと接ぎ木・挿し芽、剪定……と続いていくが、最初の章
だけを斜め読みするだけで、この本が女性たちに歓迎された理由がわかる15。
　ジェーンは、スコップ（spade）で土を掘るような仕事は重労働であり、自分
たちのか弱い手足には無理なことと思っていたと正直に告白する。しかし、
「この作業の力学の原理と動作の法則にすこし注意を向ければ、労働はずっ
と単純なものとなり、それほど大変
なことではなくなります」。
　
図3：ジェーン・W・ラウドン『Instruction in
Gardening for Ladies 』（1840年）の扉絵。
この本で推奨されている庭仕事用の服を着
たモデルは、ジェーン本人と娘のアグネス（7
歳）と思われる。足元や手に持った道具類に
も注目されたい。
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- 204 -
　そして、庭師が地面を掘り返す作業は次の三つの動作からなると指摘す
る。まず①「スコップの鉄の部分は、クサビのような働きをするので、足を
使って地面に垂直に突き刺します」。次に、②「長い柄をテコの要領で使い、
掘りとれた土を持ち上げてひっくり返します」。このようにして「掘り上げ
た土の量を一掘り分〔a spitful〕といいます」。そして③「庭師は一掘り分を掘
り上げると、土のかたまりをスコップの鋭利な角で叩いて崩し、その背の部
分で平らにします」。
　きわめて科学的な観察と分析にもとづく、きわめて合理的で実践的な指南
であり、150年以上も昔の本だとは思えないほどである。
　彼女の合理主義は徹底したもので、作業の要領を工夫する以前に、女性に
適した道具を手に入れることこそ労働を軽減する最良の方法だと指摘する。
同じスコップを例にあげれば、鉄の部分が滑らかで幅が半分ほどしかない婦
人用の使用を勧める（鉄の部分の幅が狭いので、足をかける踏み板のような
ものが装着されていたらしい）。柄の部分も「滑らかで、婦人の手で握れるよ
う細身の……ヤナギ」がよく、その理由は材質が「緻密で滑らかで柔軟性があ
り……庭師用のスコップの柄によく使われているトネリコよりずっと軽い
にもかかわらず、丈夫でかなり強い」からだという。
　以上、冒頭に近い2ページ分（pp. 9-10）から拾い出しただけだが、本書の人
気の秘密がなんとなくわかる気がするだろう。
女性のために女性が書いたガーデニング本
　ジェーンは同年に『The Ladies’ Flower-Garden』の第Ⅰ巻（観賞用1年生植
物）も出している。最初は月刊の分冊形式（一部2シリング6ペンス）で発行
されたらしい。一枚に近縁な数種類の花が描かれた手彩色石版画の美麗な
図版集であり、ちなみに古書のカタログを開いてみると目玉が飛び出るよう
な値段がつけられている16。1841年に第Ⅱ巻（観賞用球根植物）、1842年に第
Ⅲ巻（観賞用多年生植物）……と続くが、この企画はすでに数年前には立てら
れていたもので、『The Gardener’s Magazine』の1838年12月号に、編集人ジョ
ン・C・ラウドンによって「廉価で魅力的な本によって女性のための植物学と
装飾的ガーデニングを普及させる」企画が予告されていた。この1838年は、
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- 205 -
ラウドン夫妻にとって一大転機となった年であった──ジョン・C・ラウドン
が莫大な負債を抱えることになったのである。
　ジョン・C・ラウドンは史上稀に見るワーク・ホリックだったが、彼が手がけ
た百科辞典、著書、雑誌のいずれも彼一人の時間とエネルギーだけでできる
ものではなく、かなり膨大な資本投下が必要だったと考えられる。その意味
で彼は進取の気性に富んだ職人的な起業家だったといえるが、むしろ「山師」
的な性格だったと考えた方がいいのかもしれない。1822年刊行の『造園百科
（Encyclopedia of Gardening）』は半世紀以上ものあいだ版を重ね、1825年には
『農業百科（Encyclopedia of Agriculture）』、1829年には『植物百科（Encyclopedia
of Plants）』が刊行された。彼が編集人として1826年に創刊した園芸雑誌
『Gardener’s Magazine』は、好調な年には750ポンドもの収入をもたらしたが、
やがて競合誌『Horticultural Register』（ 1831年創刊）の出現によって売り上げ
は激減した。この競合誌の編集人は、同じように職人的起業家精神を備えた
パクストン（Sir Joseph Paxton: 1803-65）17だった。
　ジョン・C・ラウドンは起業家精神を発揮して次々に新しい本や雑誌を企画
し、また大きな庭園や公共墓地の設計を請け負った。しかし、1832年から刊
行を開始した『Arboretum et Fruticetum Britannicum』が、結果的に見れば、最大
の躓きの石となった。大判で細密な図版のため費用がかさんでいき、1838年
に完結したときには負債が1万ポン
ドに膨れ上がっていた。
　
図4：『The Ladies’ Flower-Garden 』の図
版の一例（CD-ROM版より）
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- 206 -
　ビジネスを好転させようと、ワーク・ホリックのジョン・C・ラウドンが次々
と新たな仕事に着手したことはいうまでもない。また妻のジェーンも子育
てが一段落した時期であり、夫を手助けするだけでなくみずからの著書を
次々に書いた。上述の『Instruction in Gardening for Ladies』（ 1840年）がその
手始めであり、同年に刊行が開始された『The Ladies’ Flower-Garden』シリー
ズもそうである。ジェーンは結婚前から著作を職業とする道を選ぼうとし
ていたのだから、ごく自然な流れではあっただろう。
　しかし、そこには夫の野心的な起業家としてのねらいも強く働いていたと
考えられる。莫大な負債があきらかになった1838年、ジョン・C・ラウドンは
新刊の『Suburban Gardener and Villa Companion』に次のように書いている。
花が好きではないご婦人など、まずめったにお目にかかれない。しか
し、庭の設計に有能なご婦人はほとんどいないと断言してもいい過ぎに
はならないだろう。庭の設計に必要な技能は、婦人服のあれこれの部
分を切り分け、縫い合わせることができる、すべての女性の能力の範囲
をはみ出すものではない……マンチュア〔女性用のゆったりした上着〕
の縫製や婦人小物作りをしている女性で、自分の仕事を理解している
人ならば、あるいはそうでなくても、職業ランドスケープ・ガーデナーと
同じほどの技能と審美眼で設計することを、数時間ほどで教わること
ができると断言してもかまわないだろう。そうすれば、英国の田園邸宅
〔country residence〕の大多数の花の庭で見られるよりも、比較にならない
ほどよい結果が生みだされるだろう。
　ジョン・C・ラウドンのこの予想は、妻ジェーンが夫の仕事を手伝いなが
ら知識と技術を着実に増しつつあるという実感に裏打ちされていたのだろ
う。さきに見たジェーン・W・ラウドンの初のガーデニング本『Instruction in
Gardening for Ladies』（ 1840年）の序文と献辞から、ジェーン自身にも夫の期
待に応える自信がすでにあったことがうかがえる。
　じっさいジェーンは1840年以降、女性のためのガーデニング本を次々に出
していく。1841年には『The First Book of Botany』と『The Ladies’ Companion to
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- 207 -
the Flower Garden』、それに『The Ladies’ Flower Garden』の第Ⅱ巻、1842年には
『Botany for Ladies』、そして1843年には『The Ladies’ Flower Garden』の第Ⅲ巻。
　『The First Book』は植物学の入門書であり、主要部分はカンドル18による植
物分類学の紹介だが、その前段として植物の形態学・解剖学と落葉と常緑な
ど生活型による区分が解説されている19。『The Ladies’ Companion』は主とし
て植物の英名と学名を解説した辞典形式の本である20。『The Ladies’ Flower
Garden』の第Ⅱ巻と第Ⅲ巻については、すでに説明した。
　『Botany for Ladies』は植物学（分類と形態）の教科書であり、目を単位に章
分けされ、各章の内容は属ないし族ごとの解説となっている21。彼女は結婚
してまもなくの1831年、園芸協会22が御婦人たちの関心を喚起するために
開催したリンドリー氏23による6回連続の植物学講義に出席し、またリンド
リー『Ladies’ Botany』（ 1834年）を愛読して植物学を学んだ。自分の『Botany
for Ladies』の序でも、リンドリーの教科書だけは他の男性植物学者の本と同
列には語れないと称賛している。
　興味深いのは、『The First Book of Botany』（ 1841年）でも『Botany for Ladies』
（1842年）でも、リンネの分類体系ではなくカンドルの自然分類体系を採用し
ていることである。リンドリーがそうであったからというのも、その理由で
はあるだろう。しかし彼女は『Botany for Ladies』の序を次のように書きだし
ている──「子どものころ、私は植物学を学ぶことがどうしてもできません
でした。リンネの体系（そのころ教えられていた唯一の体系）には、私にはな
んというかどうにも不快な〔repugnant〕なところがあり……」。おそらく雄蕊
と雌蕊の本数による「性体系」への嫌悪感と思われるが、この潔癖感はジェー
ン個人の性格というよりも、あの時代の感覚なのかもしれない。筆者として
は、それ以前の時代の英国でリンネのあからさまに性的な言説がどうして好
まれたのかのほうに、むしろ奇妙な思いを感じてしまう24。
　ジェーン・W・ラウドンはこの時期、女性向けの園芸雑誌も編集していた。
1842年1月に創刊された『The Ladies’ Magazine of Gardening』である。月刊で
各号30ページ、値段は１シリング半（18ペンス）だったが、わずか11号で休刊
となった。休刊の理由は不明だが、前年の夏ごろから夫の健康状態に不安要
素がたびたびあらわれていたことも、要因のひとつだったのではと考えられ
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- 208 -
る。
　このほかに児童書も二冊出している。『The Year-Book of Natural History for
Young Persons』（ 1842年）と『The Entertaining Naturalist』（ 1843年）である。後
者は、すでに定評のあった本を児童向けにリライトするよう出版社から依頼
されたもので、当時の名だたる挿絵画家たちの木版画で飾られている。彼女
の書き手としての能力が社会的に認知されていた証拠といえよう。言い換
えれば、彼女の書いた本が世間で広く求められていたということだ。
　ジェーンの文筆の才能は、夫の認めるところでもあった。『Gardener’s
Magazine』の1842年12月号に彼女の二冊の本、『The Ladies’ Companion to the
Flower Garden』（1841年）と『Botany for Ladies』（1842年）の書評が掲載されて
いる。後者を「成人した人々、アマチュア、男性あるいは女性に植物の自然体
系を紹介する、これまでに出たなかで最高の本」と絶賛し、「この二冊は、これ
までの本のどれよりも我々の誇りである」という。この書評の署名はイニシ
アルで「J.L.」、夫のジョン・C・ラウドンその人であることは自明であろう。
夫の負債と一人娘を抱えて
　1843年に出たもう一冊も出版社からの依頼による。『Glimpses of Nature
during a Visit to the Isle of Wight』であり、ワイト島を娘と散策しながら動植物
を観察し、「ふつうの土地をふつうに旅行しただけでも、どれほど多くのこと
が学べるか」が生き生きとした文章でつづられている。しかし、いま手元に
ある第2版（1848年刊）の序文の冒頭部分を読むと、どうしてこれほど楽しそ
うな本が書けたのか首をかしげてしまう。
　1843年は8月21日、ラウドン氏と小さな娘のアグネス、そして私は、本
書に記録したワイト島をめぐる旅をなすべく、ベイズウォーターを出発
しました。
　この旅行はその後、私の眼には物悲しさで重々しくうつるようになっ
てしまいました。あわれな夫との最後の旅行になったからで、この本の
出版から一カ月もしないうちに彼の死が訪れたのですが、原稿を書いて
いるときには彼が危険な状態にあるとは露ほどにも意識していません
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- 209 -
でした……
　ワイト島に着いてまもなく夫の体調が悪化し、やむなくジェーンは娘のア
グネスと二人だけで旅行をつづけた。帰宅してからも夫の病状は一進一退
を繰り返し、そしてこの年も暮に近づいた1843年12月14日木曜日、夫ジョン・
C・ラウドンが急逝した。
　夫は負債を死後に残さないため、夜を徹して『Self-Instruction』の原稿を妻
に口述筆記してもらっていた。また負債の返済についての交渉も断続的に
かさねていた。しかし12月13日の夜には刀折れ矢尽きたことを認めたのか、
「Self-Instructionを書きあげるまで生きられない」と大きな唸り声をあげ、考
えごとをするときのいつもの癖で、製図室のなかを行ったり来たりしはじめ
た。やがてカーテンのあいだから冬の朝日が差し込みはじめたとき、夫の顔
色が急激に青ざめ、あわてて駆け寄ったジェーンの腕のなかに倒れこんだ。
60歳の波乱万丈の生涯であった。
　夫の死後のジェーンの人生は、11歳のアグネスを抱えた36歳の女性にとっ
て、当時であっても今日であっても、楽なものであったはずがない。父親が
死んだ17歳のときと同じように、「生活費のためになにかしなければならな
い」ことはあきらかであった。しかも夫が残した膨大な負債が彼女の肩に重
くのしかかっていた。
　彼女にできることは、唯一、本を書くことしかなかった──夫の死から15
年後の1858年、51歳を目前にして世を去るまでに、さらに8冊の本を書いた。
しかし、それらの本の内容について、ここでとくに説明を加える必要はほと
んどないといっていい。
　唯一の例外といえるのが、『The Lady’s Country Companion, or How to Enjoy
a Country Life Rationally』（1845年）。結婚して田舎の屋敷で暮らすことになっ
た「姪のアニー」という若い女性を想定し、田園邸宅での暮らしのアドバイス
が手紙の形式で書かれている25。この本の特徴というべきは、ジェーン自身
の体験（退職後の父親との田舎暮らしと、結婚後のベイズウォーターでの「別
荘風住宅」での暮らし）にもとづいていると考えられることと、そして当時の
「中流上層階級」の「家庭婦人（専業主婦）」のあり方が描かれていることであ
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- 210 -
る。
　使用人が何人もいる生活であり、今日的な意味での「専業主婦」の実態とは
あまりにもかけ離れてはいるが、ジェーン自身や彼女と同じような社会的な
位置づけにあった主婦の暮らしぶりを知ることができる。夫の急逝と負債
がなかったなら、彼女自身がそのような生活を実践しつづけていっただろう
暮らしである。
　だが現実はそうではなかった……本稿がおもに依拠している評伝（注2参
照））のこの時期から以降のページは、ため息なしに読み進むことはできない
だろう。ジェーンは屋敷の維持に苦労しながら、やや奔放な娘アグネスの
二度の失恋をただ黙って見ているほかなく、結局は、彼女の幸せを願いつつ
世を去ることとなった。アグネスは才能ある両親のもとで育った一人娘と
して、さまざまなチャンスに恵まれながらも児童書をいくつか書くにとどま
り、母親を数年遅れで追うように人生を終えることとなった（享年31）。
　ジェーンの書いた本も、また彼女が改訂した夫の本も、売れ行きが着実に
下りはじめていた。19世紀も半ばを迎えて産業革命の成果が社会に定着し、
時代は急激に変化しはじめていた。
　夫の園芸雑誌『Gardener’s Magazine』はその死をもって廃刊となり、代わっ
て1841年に創刊された週刊園芸新聞『ガーデナーズ・クロニクル』が急速に
勢力を拡大していった。編集人の一人パクストン26は業務用や家庭用の温
室など、園芸関連資材のビジネスにも才能を発揮し、その絶頂は1851年のロ
ンドン万博の会場「水晶宮（クリスタル・パレス）」27の設計であった。この雑
誌の共同編集人リンドリー28は、1829年にロンドン大学の初代の植物学教授
に就任して1860年までその席にあり、またロンドン園芸協会（後の王立園芸
協会：RHS）の事務局長としてフラワー・ショーを開催するなど協会の基盤の
確立に主導的役割をはたしていた。
　ジェーンは園芸協会の庭園（当時はChiswickにあった）やフラワー・ショー
では「ミセス・ラウドン（Mrs. Loudon）」として歓迎されていたが、自宅から目
と鼻の先のケンジントン・ガーデンに隣接するハイド・パークに建設された
「水晶宮」で1851年5月1日に開催された「ロンドン万国博覧会」の式典には、
自宅を貸しに出して大陸を旅行していて出席していない。自宅の周辺は地
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- 211 -
方からの見物客などでごったがえしていた。帰国したのは6月10日で、その
翌日には「水晶宮」をアグネスと訪れ、青春時代の作品『The Mummy』で描いた
未来の宮殿との共通点を探したり、植栽されている熱帯植物などを見ては夫
のことを思い出したりしているが、見物客の群衆のなかに二人が何者かに気
づいた人がいたかどうかは疑問だろう。
　暗雲がたちこめるような状況のなかでの唯一の救い（ジェーンとアグネス
にとっても、また一世紀半後に彼女たちのことを調べている私にとっても）
は、夫の死の翌年、傑出した園芸家の未亡人として王室費（the Civil List）から
年間100ポンドの年金の下賜が決定したことだろう。また博物学者、探検家
で随筆家だったウォータートン（Charles Waterton: 1782-1865）が、風変わりな
援助の手を差し伸べてくれた。彼の二冊目の『随筆集（Essays）』（ 1844年）の
印税を、「不幸な友人であるラウドン氏の未亡人への、求められてはいない寄
付」としてくれたのである。
　夫の死後のジェーンの行動には、今日の視点からみて理解しがたいことが
いくつかある。その第一は、ベイズウォーターの自宅の維持が困難になるた
びに、この屋敷を知人などに数カ月から半年ほど貸しては大陸を旅行し、フ
ランスやイタリアの知人（画家や作家）を訪ね歩いていることである。出版
社などからの依頼があっての取材旅行ではない。アグネスと自分の教養を
高めることだけが目的であり、今日の基準に照らせば金持ちの遊興であり、
家計をさらに悪化させるだけの散財としか思えない。
　しかし彼女の性格から考えて、当時は屋敷の維持より旅行のほうが経済的
にずっと安上がりだったのだろう。使用人を何人も雇っての屋敷の維持は、
今日からは想像もつかないほど経費がかさむことだったにちがいない。
　理解しづらいもう一点は、喪の期間が過ぎると、しばしば晩餐会（dinner
party）を開いていることである。常連客は小説家や画家などであり、たとえ
ば画家のエッグ（Augustus Egg: 1816-63）はアグネスを誘って作家コリンズ
（Wilkie Collins: 1824-89）の作品を上演し、アグネスの初舞台の観客のなかに
はコリンズ夫妻のほか、人気作家ディケンズ夫妻もいた。作家や芸術家、あ
るいは出版者や編集者29との交際は、夫の生前からの習慣だった。
　
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- 212 -
女性週刊誌の編集長に抜擢される
　ラウドン夫妻の交友関係のなかで、本稿との関係でもっとも注目すべき
は小説家ディケンズ（Charles John Huffam Dickens: 1812-70）30とその一派で
ある。上記のエッグとコリンズもディケンズ一派であり、またディケンズ編
集の週刊誌『the Household Words』の副編集長ウィルス（Mr. Wills）、週刊風刺
漫画誌『パンチ（Punch）』の編集長レモン（Mark Lemon: 1809-70）、風刺画家の
リーチ（John Leech: 1817-64）、劇作家のジェロルド(Douglas Jerrold: 1803-57)、
小説家のサッカレー（Thackeray: 1811-63）などが、ジョン・C・ラウドンの交友
関係に名前を連ねていた。
　ディケンズその人というよりも、ここに名前があがってきたふたつの雑
誌、『the Household Words』と『パンチ（Punch）』にこそ注目すべきなのかもしれ
ない。前者は1850年、後者は1841年の創刊だが、発行元はいずれも「Bradbury
and Evans」社である。
　アグネスが母親から日記帳をプレゼントされた17歳の誕生日（ 1849年10
月28日）の数日後、「Bradbury and Evans」社のエヴァンズ氏からジェーンの
もとに書状が届いた。良識ある女性向けの週刊誌をできるだけ早急に創刊
したく、その編集長になってほしいという内容だった。雑誌の名前は『The
Ladies’ Companion: At Home and Abroad』。ジェーンが即座に快諾したことは
いうまでもない。なによりも生活のためであり、また文筆活動の新たな分野
に挑戦したいという気持ちもあっただろう。
　この雑誌を舞台にジェーン・W・ラウドンがどのような活躍をしたか、ある
いはどんなことを試みようとしたかについては、今後の課題としたい。その
理由は、この雑誌の該当する巻が大英図書館（the British Library）31にしかな
いことが判明し、実物を手にする機会をまだ得ていないからである。ただし、
主要な号の目次はウェブ上で見ることができる32。ここでは概要だけを手短
に紹介しておこう。
　創刊号は1849年12月31日発行。クリスマス・イブにジェーンはお祝いの
晩餐会を、ベイズウォーターの自宅（いまや編集室）で開いた。集まった客人
のなかには、トラファルガー広場の4頭のライオン像を制作した画家・彫刻
家ランドシーア（Edwin Henry Landseer: 1802-73）夫妻、作家のウィルキー・コ
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- 213 -
リンズとその末弟で画家チャールズ・コリンズ（Charles Allston Collins: 1828-
73）、挿絵画家で昆虫学者でもあったハンフリーズ（Henry Noel Humphreys:
1810-79）とその妻、作家ウィリアム（William Howitt: 1792-1879）と詩人メア
リー（Mary Howitt: 1799-1888）のホウイット夫妻がいた。
　ジェーンは夫の雑誌を手伝いながら身につけた編集の腕をふるい、自身も
創作、実用記事、読者からの質問への回答と、毎号何本もの記事を書きつづけ
た。しかし、創刊後すぐに風向きが変わりはじめた。版元のエヴァンズ氏に
呼び出され、副編集長のホラス・メイヒュー（Horace Mayhew）33が抜けて、ト
ム・テイラー（Tom Taylor: 1817-80）34が副編集長になると告げられた。よう
するに、売れ行きが思惑ほどではなかったということらしい。その後、二転
三転を繰り返したが、結局、ジェーンは編集長の地位から引き下がらざるを
えなくなった35。
　『Ladies’ s Companion』のジェーンが編集人を務めた最終号は、1850年6
月22日に発行された。その号に彼女は、「女性の状況について一言（A Few
Words on the Condition of Woman）」という一文を書き残した。
ほんとうの生き生きとした幸福は、ただその人自身のみにかかっていま
す。もし心がこの真実をいったんつかみとることができたなら、そして、
そこからのみ湧き出してくる唯一の源泉から幸福を引き出す決意と勇
気とがありさえすれば、私たちは永遠に、迫りくる嵐に動じることはな
いし、恐怖に打ちのめされることもないし、試練に打ち負かされること
もありません。
　この前後の時期のアグネスの日記には、どん底に突き落とされた思いをし
めす取り乱した言葉が残されている。しかし母親のジェーンが嵐に動じた
り恐怖に打ちのめされたり試練に打ち負かされたりした形跡はない。
　女性週刊誌の編集長として奇跡の復活をはたした彼女だが、その後、復活
のチャンスは訪れないまま、8年後の1858年7月13日に息を引き取った。最
後まで自分を見失うことのない50年と11カ月の生涯であった。肺など呼吸
器系の疾患が死因だが、その遠因が「過労」にあることは疑いないだろう。
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- 214 -
1 本稿は園芸文化研究所の一般研究助成「ジェーン・ラウドンと近代初期の主婦の
園芸」の2009年度の報告書である。
2 Howe, Bea, 1961. Lady with Green Fingers: The Life of Jane Loudon. Country Life
Limited (London). 表題に使われている「Green Fingers （緑の指）」という言葉を
OEDで調べてみたところ、初出は「1934年：R. Arkell, Green Fingers (title)」で、
1940年代半ばから一般に使用されはじめたとなっていた。私は古い言葉だと誤
解して、「緑の指」と聞くとヴィクトリア朝の女性とガーデニングをイメージし
ていた。おそらくバーネット『秘密の花園』（1909年）の印象が強すぎたのだろう。
なお、Arkell, R., 1934. Green Fingers がどのような本か、ウェブ上の古書情報など
を調べてみると、詩集で副題はA Present for a Good Gardenerとなっている。ガー
デニング賛歌のような詩集なのだろう。続編もあったようで、またさまざまな
版がでているので、根強い人気をうかがうことができる。
3 アグネス・ラウドン（Agnes Loudon, later Agnes Spofforth:1832-63）。 二冊の児童
書を書き残した。『Tales for Young People 』(1846)と『Tales of School Life』 (1849)で、
前者は母親との共作。また1844年に、やはり母親との共作の The Lost Groves が
週刊の『Chambers’ Journal』誌に掲載された。
4 この日記は、17歳の誕生日に母親から贈られ日記帳からはじまり、アグネスは
1863年に他界するまで彼女にとって大切と思われたことを書きつづけた。した
がって1849年、すなわちジェーン・W・ラウドンが42歳（夫の死から6年後）から
の記録が、この日記に残されている。
5 注2の評伝の扉絵より。所蔵は曾孫のMrs Rex Spofforth。
6 この屋敷は赤レンガ造りのジョージ王朝様式の建物で、父親はジェーンが生ま
れた直後に購入していた。この建物は1950年代までは現存していたが、中学校
建設のために壊されてしまった（Howe, 1961. p. 29）。
7 “Lines Addressed to my Father on his Birth Day”. From Editor’s Introduction of Jane
(Webb) Loudon, The Mummy!: A Tale of the Twenty-Second Century, edited by Alan
Rauch (1994, Univ. Michigan Press), pp. x-xi.
8 “A Short Account of the Life and Writings of John Claudius Loudon”. By Jane
Loudon. Preficed to John C. Loudon, 1845, Self-Instruction for Young Gardeners,
Foresters, Bailiffs, Lond-Stewards, and Farmers.
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- 215 -
9 メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー（Mary Wollstonecraft
Godwin Shelley: 1797-1851）は英国の小説家で、もっとも初期のフェミニストと
して知られる。
10 Mary L Pendered, 1923. Jon Martin: His Life and Times. Hurst and Blackett.
11 前掲（注7）の“A Short Account of the Life and Writings of John Claudius Loudon”.
12 この家はいまも現存している。住所は「No. 3 &amp; 5, Porchester Terrace」。2世帯用に
設計され、No. 3にラウドンが、No. 5にはラウドンの母親と彼の二人の姉妹（Jane
and Mary）が暮らしていた。新婚のラウドン夫妻が暮らしはじめたのは、いうま
でもなくNo.3である。この場所は、当時はロンドン郊外の別荘地だったが、現在
の地下鉄の駅ベイズウォーター周辺は中華料理をはじめ各種のエスニック料理
の店が立ち並び、バックパッカー向けの安宿もたくさんある。ロシア正教の大
きな教会があり、「モスクワ通り」などロシアにゆかりの地名がいくつか残って
いるので、一時期は移民が数多く住んだ地域だったのだろう。
13 前述の注３参照。
14 Loudon, Mrs., 1840. Instructions in Gardening for Ladies. London: John Murray. pp.
v-vi.
15 以下の引用は初版（1840年）による。
16 いまでは192点の版権無料の図版集が「CD-ROM」版で手に入る。Jane W.
Loudon., 2007. Ladies’ Flower Garden CD-ROM and Book. Dover Publications.
17 1841年には『ガーデナーズ・クロニクル（Gardeners’ Chronicle）』を創刊し、園芸雑
誌界に不動の地位を得る。また1851年のロンドン万博の会場「クリスタル・パレ
ス」を設計し、経済的・社会的にも大きな成功をおさめた。
18 カンドル（Candolle Augustine Pyrame de: 1778-1841）スイスの植物学者。世界の
高等植物の100以上の科について膨大な植物誌を編纂しようとし、死後は息子
（Alphonse Louis Pierre Pyrame de: 1806-93）が引き継いで、100以上の科をまとめ
あげた。生涯のあいだに7000以上の新種、500以上の新属を記載したとされ、彼
の分類体系は英国のJ・リンドリー（後述の注22参照）やJ・D・フッカーなどの分類
学の基礎となったとされる。また植物器官学の基礎も築いた。
19 1870年、つまりジェーン・W・ラウドンの死後に刊行された新版による。
20 1858年刊の第7版による。
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- 216 -
21 第2版（1851年）による。
22 「ロンドン園芸協会」（the Horticultural Society of London）は1804年に創設され、
1861年に勅許をえて「王立園芸協会」（the Royal Horticultural Society）となった。
23 リンドリー（John Lindley: 1799-1865）は、英国人の植物学者、園芸学者。1829年に
ロンドン大学（後のユニヴァーシティ・カレッジ）の初代植物学教授に就任。リ
ンネ式分類体系に反対し、自然分類体系を展開したことにより、近代植物学の父
といわれる。王立園芸協会の庭園事務局長補佐、協会副事務局長、名誉事務局
長などを歴任し、またダーウィンの愛読誌だった「ガーデナーズ・クロニクル」誌
の編集人も長くつとめ、園芸学の発展にも多大な寄与をした。ロンドン大学教
授就任直前には、ジョン・C・ラウドン『植物百科（Encyclopedia of Plants）』（ 1829
年）の大部分を匿名で執筆していた。
24 一例として、チャールズ・ダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィンの詩『植物の
愛』（ 1779年）をあげれば、当時の女性たちがどうして赤面せずにそれを読めた
のか、また厳格な家父長制のもとで男性たちがなぜそれを許していたのか、誰も
が不思議に思うのではないだろうか。『植物の愛』の全文は、Ｅ・ダーウィン他（荒
俣宏編訳、一九八四年）『英国ロマン派幻想集』（『世界幻想文学大系35』国書刊行
会）で見ることができる。
25 初版のファクシミリ版による（Baker, N. ed., 1984. Published by The Paradigm
Press for the Members of The National Trust.）。
26 パクストンについては、前述の注17参照。
27 「水晶宮」については、松村昌家『水晶宮物語──ロンドン万国博覧会1851』（1986
年、リブロポート）がとても参考になる。またこの前後の時代の温室の発展に
ついては、拙論「英国の温室の歴史と椰子のイメージ」（『園芸文化』第1号：16-39
ページ）を参照されたい。
28 リンドリーについては、前述の注23参照。
29 そのうちの一人、雑誌編集者のロバート・チェンバーズ（Robert Chambers: 1802-
71）は、妻とともにロンドンに出てきたときにはラウドン夫妻の自宅に泊まって
いた。チェンバーズはスコットランド人の著作家、編集者、出版者。彼が兄と発
行していた『Chambers's Edinburgh Journal』は当時の有力な学芸雑誌で、最盛期
には8万4000部が発行されていた。アグネスの作品「The Lost Groves」が、この
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- 217 -
雑誌の1844年のいずれかの号に掲載された。チェンバーズはまた、匿名で出版
した『創造の自然史の痕跡（Vestiges of the Natural History of Creation）』（ 1844年）
でも歴史に名を残している。この本は進化論を唱えた英国では最初の本であ
り、ダーウィン『種の起源』（1859年）が出るまでもっともよく読まれた。ダーウィ
ンはこの本の観念論を極度に毛嫌いしていた。
30 英国の小説家。下層階級を主人公とした社会的弱者の立場に立つ作品を次々に
発表した当時の人気作家。代表作は『オリバー・トゥイスト』（ 1837-39年）、『クリ
スマス・キャロル』（ 1843年）、『二都物語』（ 1859年）など。新聞記者の経験を基盤
にした社会的な発言でも知られ、救貧法に強く異議を唱えた。当時の下層階級
の風俗の資料として、今日でも価値を失っていないとされる。別稿（170ページ
～も参照されたい）。
31 もともとは大英博物館の一部だったが、1973年に分離され独立し、かつて亡命時
代のマルクスや明治の鬼才・南方熊楠が勉強に通ったドーム屋根の図書室は、い
まは記念館となっている。
32 HP「Victorian Short Fiction Project」（http://vsfp.ctlbyu.org/index.php?title=Category
:The_Ladies_Companion_at_Home_and_Abroad）。
33 『パンチ』の創刊時からの編集部員。兄ヘンリー・メイヒュー（Henry Mayhew:
1812-87）はジャーナリストで、ロンドンの下層階級の調査報告『ロンドンの労働
とロンドンの貧民』（ 1851年）で知られ、また前述のマーク・レモンとともに『パ
ンチ』を創刊した。『ロンドンの貧民』からの抜粋編集版の邦訳は、ヘンリー・メイ
ヒュー（ジョン・キャニング編）『ヴィクトリア朝ロンドン路地裏の生活誌』上下
巻（植松靖夫訳、原書房）。
34 劇作家などさまざまな分野で活躍するとともに、『パンチ』の編集者の一人で
あった。
35 興味深いことにディケンズが編集人をつとめた週刊誌『Household Words』（ 1850
年3月27日創刊）も、発行元のBradbury &amp; Evansとの意見の食い違いのため、1859
年5月28日号をもって廃刊された。ただし、ディケンズはただの編集人ではな
く出資者でもあり、この雑誌もBradbury &amp; Evans社から完全に独立し、『All the
Year Round』と装いを変えて継続され、ディケンズが1870年に死去した後も1895
年までつづいた。
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- 218 -
2009年度事業報告
園芸文化研究所一年間の委員会、出版事業、公開講座を報告する。
１． 園芸文化研究所企画運営委員会報告
〈委員会構成〉
委員長　新妻昭夫（人間社会学部教授・人間環境学科主任）、藤田　智（人間
社会学部准教授）、小林幹生（人間社会学部准教授）樋口幸男（人間社会学部
准教授）、澤登早苗（人間社会学部准教授）、本多洋子（本研究所准教授）
〈委員議事録報告〉
第1回　4月30日（木）
　町田市花壇コンクールについて
　　町田市より審査員に学生を加えるよう要請があり、新妻所長が学生を選
抜した。　
　公開講座講師（恵泉女学園短期大学園芸科卒業生）との懇談会開催につい
て
　・ 講師からは、満員等の処理について質問があった。
→満員規程を設けている大学は全国で３校程度であり、他大学ではその
ような処置は必要ないようである。
原則先着順ではあるが、抽選は、電話での受付を行っておらず（Fax・郵
便・メールで実施）、時系列で受付順を決められないため、やむを得な
い処置であること。
・ 広報が十分ではないとの指摘があり、特に町田市方面を今後強化して欲
しいとの要望があった。
・ 2009年度研究助成申請の審議
　研究プロジェクト3件、一般研究3件を審査し、申請通りに助成するこ
とを決定した。
・ 恵泉スプリングフェスティヴァル参加については、既企画通りに実施す
ることを了解した。
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- 219 -
・ 研究生制度について
　既存規程による研究生制度での登録料等の費用では、研究目的を持
たない留学生に悪用される危険性があること。また、在留資格が容易に
得られ、学費が安くなっている現状があるので、この現状の制度を改め、
研究目的での運用を目指したいので、園芸文化研究所の規程に定められ
ている研究生制度を廃止したいとの説明があった。また、既存規程があ
る大学院での運用で一本化されたいとの付帯意見をつけることで、この
制度の廃止を決議した。
・ 本学学生の受講料無料を見直すべきとの意見があった。
第2回　6月11日（木）
・ 恵泉スプリングフェスティヴァルについて
　「エコ布ぞうりづくり」やG103教室での「ボタニカルアート」と「ポーセ
リン・ペイント」受講生の作品展示、G102教室の「ガーデニング相談コー
ナー」、G004教室で「花と親しみ花を撮る」受講生の作品展示を実施した
との報告があった。次年度については、担当者の人選は、広く求めるよ
う意見があった。
・ 公開講座2010年度企画について
　同窓会に、同窓生から企画コーディネーターの選出を依頼することを
了承した。会議に出席し、企画立案の他、講師への依頼等をお願いする。
第3回　10月15日（木）
・ 2009年度秋期公開講座について
　資料により、受講状況の報告があった。園文研の講座は、受講生減の
徴候はないが、他は確実に減じていると言える。クラブツーリズム主催
の『藤田智先生の実習講座「野菜を作ろう」』の共催申込があり、実施する
ことにしたとの報告があった。
・ 恵泉多摩フェスティバルについて
　11/8（日）藤田智先生の特別講座に、朝日新聞アスパラクラブからのコ
ラボレーションの申し出を、承認した。
・ 研究成果報告書について
　他の研究所ではWebのみによる公開を前提に作業等を進めてきた。
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- 220 -
しかしながら、学会によっては業績にカウントしないということがあ
り、Webで公開する成果報告書の形式に再考検討要請があった。本研究
所は、『園芸文化』によって公開をしているが、今後３研究所の公開方式
の統一が議せられる事態も想定されるので、本研究所としてどのように
対応していくか、今後協議を行う必要があるとの報告があった。
他大学での最近のWebによる成果報告書の公開では、リポジトリ形式
で、オープンで検索の対象にも成りうるなどの利点があるシステムが使
用されている。現在の国立情報学研究所での論文公開より優れている
ので、これを本学でも採用し運用することを、研究所事務室として今後
検討していくとの報告があった。
・ 中長期計画の目的と目標について
　「公開講座企画会議（仮称）」の設置と同会議に同窓会からの代表委員
として、徳田一恵氏を迎えることにした。
　この企画会議は、作業部会であり、正式な決定機関ではないことを了
承した。
　資格を授与する計算方法として、例えば、８コマで１か２単位で計算
する。長期ではなく短期で修得可能としたい。学生は、正規授業の単位
で補完する。既に所持している他の資格もカウントするなどの方法、展
開を今後協議していく。
・ 第１回　公開講座企画委員会報告
　日時：2009年10月30日（金） 15:40 ～17:00、場所：第４会議室（Ａ203）
　参加者、新妻昭夫所長、徳田一恵氏（同窓会）、藤田智、小林幹夫、事務：
杉山始めに、この委員会の目的について新妻所長より説明があった。
園芸文化研究所として資格授与ができるような、一連の講座を展開した
い。南野を利用することも可能である。園芸文化研究所の将来計画を
策定することが、今重要である。
協議報告
１．公開講座に加えて、公式授業を履修させることも含んで、一般社会
人に単位を出し、資格制度とする。
２．グリーンライブセンターの買取または指定管理者なども視野に入
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- 221 -
れ、事業展開を企画したい。
３． 2010年度秋期からの講座を提案、実施することを、前提に作業を進
めたい。
４．次回は11月下旬または12月上旬に実施したい。議案として、具体
的な資格制度の提案とする。
第4回　　11月19日（木）
・ 恵泉多摩フェスティバルについて
・ 11/8（日）藤田智先生の特別講座に、朝日新聞アスパラクラブからのコラ
ボレーションで、受講生37名を受入、午後はコミュニティガーデン野津
田で野菜収穫が行われた。
・ クラブツーリズム主催の『藤田智先生の実習講座「野菜を作ろう」』を、受
講生10名で実施中との報告があった。最終回は11/20。
・ 自己点検・自己評価報告書について
　請求があったデータは、提出済となっている。本文の報告書を至急作
成したい。町田市の花壇コンクールへの関与も含めることにした。
・ 2010年度春期公開講座について検討した。
第5回　12月3日（木）
・ 2010年度研究助成募集について
　　応募締切日を2010年4月12日とする。
　　報告締切日は、2011年3月31日とする。
　　重点テーマは、今年度と同文とする。　
・ 2010年度春期公開講座について
・ 奥峰子先生には、講座を設置していただくよう、連絡することにした。
・ イギリス見学旅行は、野村先生を案内係として、実施することを承認し
た。
・ 澤登早苗先生から提案があったカリフォルニアの視察を含む講座の設
置については、前向きに検討することを承認した。
・ 「園芸文化」第7号投稿募集について
　　5月末の発行を目指して、公募することにした。
　　掲載原稿の締め切り日は、4月15日（木）必着とする。
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- 222 -
第6回　2月17日（木）
・ 三研究所建て直し作業部会（仮称）について
　3研究所体制を見直し、予算・公開講座開催等を財政健全化すること
を目的とする。
委員構成は、三研究所長、二学部長、谷本寿夫教授、斉藤小百合教授の七
名。
次年度より改組し、運用したい意向であることの報告があった。
・ 2009年度決算予想として、公開講座は収益がでるとの報告があった。
・ 『園芸文化』印刷発行を予算化。研究助成を60万円に減額したことを、
了承した。
・ 2010年度春期公開講座について
　平和文化研究所とキリスト教文化研究所の受講料は、一回1,700円に
値上げしたが、本研究所は、そのままの1回2,000円を据え置いた。開講
講座（資料）を了承した。
・ 資格制度について、企画会議での協議報告を行ったところ、意見があっ
た。
・ 民間資格での制度化ではなく、現行の公開講座による資格制度を構想す
べき。
・ 短大卒業生に与える資格は、それなりの価値あるものとすることが望ま
しい。
・ 正規授業の履修も含めたい。
　　新資格制度を検討することにした。
・ 「園芸文化」第７号投稿募集について
　　掲載原稿の締め切り日は、４月15日（木）必着。完成予定を5月29日
とすることを了承した。
・ 旧南野高校跡地のビニールハウスについて
　　これは、園芸文化研究所が経費負担し、藤田智教授、本多洋子准教授
が使用することを了承した。
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- 223 -
2.　出版報告
　研究所報告「園芸文化」第6号発行（2009年7月31日）
　平野恵氏、落合けいこ氏の外部からの投稿や、森山倭文子氏の恵泉園芸セ
ンターの歴史を、西村悟郎教授を中心とする助成研究プロジェクト班がまと
めた報告などなど、充実した研究報告を掲載。『大学の園芸にふれる一日』報
告も本部の協力により掲載した。
　本文228ページ、A5サイズ、表紙「アカシユリ」ボタニカルアート：角田葉子
氏、解説文：箱田直紀名誉教授
本誌は、当研究所サイトから閲覧ができます。
http://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/engeibunka/engeibunka06.
html
3.　公開講座報告
　中部イングランドファンタスティックツアー　　　報告
　2009年度のイギリスの庭をめぐるツアーは、9月13日発という花きの咲き
誇るシーズンではない時期となりました。またその訪問先も一工夫もあっ
た、非常にユニークな企画となりました。
　訪れた名園は、コッツウォルズのヒドコートマナーガーデン、キフツゲー
トコート、オックスフォード大学植物園、ロウシャムパークハウス＆ガーデ
ン、ブレッシングガムガーデン、ネブワースハウスの庭園、そして今一番注目
されているベスチャトーガーデンを見学しました。今回の案内係りである
小泉美智子先生は、ハーブ研究家、HTネットワークに所属され、園芸療法、セ
ラピューティックホールティカルチャーの普及と展開を目指され、活動され
ておられます。そのような意味で、チェルシーフィジックガーデンとアロマ
テラピー研修を組み込みました。日本人観光客がめったに行かないサホー
ク州海岸やヒースの丘をめぐったのも今回の特色でした。
　コッツウォルズとサホークの田園風景と名園をめぐった今回のツアー参
加者には、帰国後に実施したアンケートで、非常によかったとの評価をいた
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- 224 -
だきました。
　恵泉らしい特色あるツアーができたのではないかと、自負しております。
　参加者18名、案内：小泉美智子先生、引率：新妻昭夫教授、添乗：稲森多恵子、
旅行企画実施：株式会社ジャックラビット
　2010年は、北イングランドのヨークや湖水地方にゆっくり滞在する、皆様
にお楽しみいただける企画を立てました。現在の申込み状況は、キャンセル
待ちがでるほどで、ご迷惑をおかけしております。（2010/4/30）
コッツウォルズコッツウォルズコッツウォルズ
コッツウォルズキフツゲートコートキフツゲートコート
オックスフォードオックスフォード
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- 225 -
イプスウィッチの街並イプスウィッチの街並ブレッシンガム・ガーデン
サフォーク海岸のヒースベス・チャトーさんと記念写真チェルシーフィジックガーデン
アロマセラピー講師の森田京子氏ネブワース・ハウスハーブ・ガーデン
帰国後のおもいで会（10月27日） おもいでの記録
ロウシャムパークハウスの
ボーダー花壇
はと小屋ダリア
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- 226 -
恵泉女学園大学園芸文化研究所
研究プロジェクト　2009年度募集要項
1　目　　的
　恵泉女学園大学園芸文化研究所では、園芸文化に関する研究を推進す
るために、研究プロジェクトおよび一般研究に対しての規定に従い、研究
助成を行う。
2　応募資格
　研究代表者は、学校法人恵泉女学園の専任教職員とする。
3　テーマ
　恵泉女学園大学園芸文化研究所の中核的研究として適当と考えられる
テーマであれば、いかなる分野にまたがるものであってもよい。
　なお、2007年度より重点テーマを設定することになり、今年度は、「園芸
教育と地域貢献に関わる研究エリアのテーマ」を優先します。
4　助成金額
　一件につき30万円までとする。
　支払い行為は、通常の会計期間内に行うこと。
5　応募方法
　応募者は、所定の研究助成計画申請書を本研究所企画運営委員会に提
出すること。
6　応募締切
　2009年4月13日（月）
</texts>
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- 227 -
7　研究成果の報告
　助成を受けた者は、その成果を別に定める本研究所研究助成報告規定
により報告書（附表および図・写真は任意）にまとめ、2010年3月31日（水）
までに、本研究所企画運営委員会に報告しなければならない。この報告
書は研究所報告等で公表されるものとする。
8　選考と決定
　研究助成の採否については、研究所企画運営委員会において審議・決定
し、教授会に報告する。
（2009年5月上旬に決定し、速やかに通知する。）
以上
問合せ先：大学園芸文化研究所事務室
担当：杉山信義、野間良子
電話042-376-8332
email：kenkyujo@keisen.ac.jp
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- 228 -
恵泉女学園大学園芸文化研究所
一般研究助成　2009年度募集要項
1　目　　的
　恵泉女学園大学園芸文化研究所では、園芸文化に関する研究を推進す
るために、研究プロジェクトおよび一般研究に対しての規定に従い、研究
助成を行う。一般研究は原則として研究プロジェクト実施のための予備
調査を兼ねるものとする。
2　応募資格
　研究代表者は、学校法人恵泉女学園の専任教職員とする。
3　テーマ
　恵泉女学園大学園芸文化研究所の研究として適当と考えられるテーマ
であれば、いかなる分野にまたがるものであってもよい。
　なお、2007年度より重点テーマを設定することになり、今年度は、「園芸
教育と地域貢献に関わる研究エリアのテーマ」を優先します。
4　助成金額
　一般研究については、一件につき5万円から15万円までとし、8件程度。
　支払い行為は、通常の会計期間内に行うこと。
5　応募方法
　応募者は、所定の研究助成計画申請書を本研究所企画運営委員会に提
出すること。
6　応募締切
　2009年4月13日（月）
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- 229 -
7　研究成果の報告
　助成を受けた者は、その成果を別に定める本研究所研究助成報告書規
定により報告書（附表および図・写真は任意）にまとめ、2010年3月31日（水）
までに、本研究所企画運営委員会に報告しなければならない。この報告
書は研究所報告等で公表されるものとする。
8　選考と決定
　研究助成の採否については、研究所企画運営委員会において審議・決定
し、教授会に報告する。
　（2009年5月上旬に決定し、速やかに通知する。）
以上
問合せ先：大学園芸文化研究所事務室
担当：杉山信義、野間良子
電話042-376-8332
email：nsnew02@keisen.ac.jp
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- 230 -
2009年度公開講座報告
講 座 名担当教員名回数開始日終了日
受講
生数
人と花の係わりあいを探る「花の文化（西洋編）」
Part-1
鶴島　久男5 4月18日6月27日5
花の栽培－初心者からのステップアップ村上　睦朗5 4月22日7月1日20
ガーデナー入門　前期香山　三紀7 4月24日7月24日18
タネから育てる花壇づくり山　浩美6 4月22日7月8日26
風景スケッチ入門横山　裕幸8 4月16日7月23日5
花壇ボランティア養成講座　入門編山　浩美7 4月15日7月15日10
有機園芸指導者（サポーター）養成講座2009春
澤登　早苗、
竹島　洋子
9 4月15日7月8日15
バラを育てて楽しむ野村　和子5 4月15日8月26日49
ハーブの楽しみ小泉　美智子7 4月24日7月17日18
果樹栽培の基本技術小林　幹夫5 5月14日6月11日16
花壇ボランティア養成講座　実践編山　浩美7 4月15日7月15日11
ガーデナー入門　中級編香山　三紀6 4月17日7月17日11
窓辺を彩るプチガーデンをつくる
中本　美和、
山根　景子、
浅岡　みどり
5 4月18日6月20日22
花のある暮らし－欧州　花めぐり №2－ 本多　洋子7 4月17日7月17日13
ヨーロッパの名窯を知る（磁器上絵付け実習） 小松　千恵子5 5月23日7月18日6
花に親しみ花を撮るｼ叢　眞智子6 4月16日6月25日8
ボタニカルアート入門（通年） 角田　葉子10 6月13日3月13日20
高尾山のスミレと巨樹の観察竹内　高子2 4月6日5月11日23
中部イングランドファンタスティックツアー(企画・
実施　ジャックラビット）
小泉　美智子1 9月13日9月21日19
大地からの食と健康－安全な食をとり戻す第一歩を
踏み出そう－
森村　洋子6 4月18日6月20日19
家庭菜園教室（通年） 藤田　智18 4月11日2月13日35
家庭菜園教室－講義編藤田　智4 4月25日6月20日20
アンディ＆ウィリアムズガーデン等見学日帰りツ香山　三紀1 5月27日27
恵泉園芸センター蓼科ガーデン実習（日帰り） 香山　三紀1 7月22日18
ビル・ヒクソン　レクチャー＆デモンストレーショビル・ヒクソン1 7月16日19
花の文化（西洋編）Part-2　～植物の発見と新品種
を育成した人たち～
鶴島　久男6 9月26日12月5日10
花の栽培－初心者からのステップアップ村上　睦朗5 9月30日11月18日15
ガーデナー入門香山　三紀7 10月16日1月29日20
タネから育てる花壇づくり山　浩美7 9月24日1月13日25
風景スケッチ入門横山　裕幸8 9月24日1月14日8
花壇ボランティア養成講座　入門編山　浩美8 9月16日1月20日9
有機園芸サポーター養成講座2009秋
澤登　早苗
竹島　洋子
12 9月9日1月30日12
バラを育てて楽しむ野村　和子5 10月14日2月17日42
ハーブの楽しみ小泉　美智子6 10月2日12月11日20
果樹栽培の基本技術小林　幹夫5 11月4日12月2日11
ガーデナー入門　中級編香山　三紀6 10月9日1月22日13
窓辺を彩るプチガーデンをつくる
中本　美和、
浅岡　みどり
山根　景子
3 11月28日12月12日
8
12
13
ヨーロッパの名窯を知る（磁器上絵付け実習） 小松　千恵子5 9月26日12月5日8
花に親しみ花を撮るｼ叢　眞智子6 9月24日11月26日9
大地からの食と健康－風土がつくる安全な食と健や
かな体－
森村　洋子6 10月17日1月23日19
学ぼう！家庭菜園教室藤田　智4 8月29日11月28日20
パンフレットは、無料にて希望者に送付。
公開講座Ｗｅｂサイト　http://www.keisen.ac.jp/extension/open-class/
パンフレット請求・受講申込み・お問い合せ先：教育研究支援センター　研究所事務室
電話042-3476-8332、ＦＡＸ042-376-8426
講座内容のご案内は、春期は3月上旬、秋期は8月上旬に公開。
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- 231 -
2010年度　春期　公開講座　受講申込状況
分類名
講座
番号
講座名担当教員名
回
数
受講料受講区分締切日開始日終了日
募集
人数
開催時間
開催
曜日
申込
者数
園芸入門210226 花の栽培－初心者からのステップアップ村上　睦朗6 15,500 全回申込のみ4月4日4月14日6月23日20 15:00～16:30 水21
園芸入門210227 ガーデナー入門　前期香山　三紀7 24,100 全回申込のみ4月6日4月16日7月23日20 11:00～15:30 金14
園芸入門210228 タネから育てる花壇づくり山　浩美6 19,800 全回申込のみ4月11日4月21日7月7日25 11:00～14:50 水19
園芸入門210230 身近な樹木に親しむ宮内　泰之5 10,000 全回申込のみ3月27日4月6日6月15日30 13:10～16:00 火10
育てて楽しむ210231 花壇ボランティア養成講座　入門編山　浩美7 14,000 全回申込のみ4月4日4月14日7月14日25 13:20～14:50 水4
育てて楽しむ210232 花壇ボランティア養成講座　実践編山　浩美7 14,000 全回申込のみ4月4日4月14日7月14日15 11:00～12:30 水6
育てて楽しむ210233 有機園芸指導者（サポーター）養成講座2010春
澤登　早苗
竹島　洋子
10 20,000 部分参加可3月28日4月7日7月28日20
13:20～14:50
11:00～12:30
水
土
23
育てて楽しむ210234 バラを育てて楽しむ野村　和子5 24,000 全回申込のみ4月18日4月28日8月25日30 13:20～14:50 水39
育てて楽しむ210235 ハーブの楽しみ小泉　美智子6 14,800 全回申込のみ4月13日4月23日7月9日20 13:20～15:20 金22
育てて楽しむ210236 果樹・育て方と失敗しないコツ小林　幹夫5 10,000 全回申込のみ5月23日6月2日6月30日20 15:00～16:30 水12
愛でる210237 ガーデナー入門　中級編香山　三紀6 20,300 全回申込のみ4月13日4月23日7月16日15 11:00～15:30 金20
愛でる210238 和の庭を楽しむ宮内　泰之5 19,000 部分参加可4月14日4月24日6月26日20 13:00～16:00 土6
愛でる210239 一年中楽しめる寄せ植えづくり浅岡　みどり1 5,000 全回申込のみ4月27日5月8日10 14:00～15:30 土8
愛でる210241 白い器に花を描く（磁器上絵付け実習） 小松　千恵子5 19,500 全回申込のみ5月12日5月22日7月24日10 13:00～16:00 土7
愛でる210242 ボタニカルアート入門（通年） 角田　葉子10 40,000 全回申込のみ6月2日6月12日3月12日20 13:00～15:30 土17
愛でる210243 高尾山のスミレの観察会竹内　高子2 6,000 部分参加可3月30日4月5日4月12日15 9:30～15:00 月23
愛でる210244 多摩の自然と植物をみつめる宮内　泰之4 8,000 部分参加可4月1日4月10日7月3日20 10:00～13:00 土18
愛でる210245
奥峰子先生の案内で”昭和記念公園のガーデニングショー”を見
る
奥　峰子1 4,000 全回申込のみ4月12日4月21日15 9:30～12:00 水22
愛でる210246 自然と人間とのかかわりを考える －恵泉蓼科ガーデンを通じて－ 小澤　文子3 12,000 全回申込のみ6月5日5月29日7月16日35 毎回異なる
土
金
27
愛でる210247
野村和子先生と行く　北イングランドメルヘンツアー(企画・実施
ジャックラビット）
野村　和子1 398,000 全回申込のみ4月21日6月14日6月22日27 ７泊９日
月～
火
32
作って食べる210249 家庭菜園教室（通年） 藤田　智18 40,000 全回申込のみ4月1日4月10日2月19日30 10:00～14:30 土32
オプション210250 アンディ＆ウィリアムズガーデン等見学日帰りツアー香山　三紀1 9,500 全回申込のみ5月14日5月27日20 8:00～18:00 木15
オプション210251 恵泉園芸センター蓼科ガーデン実習（日帰り） 香山　三紀1 未定全回申込のみ未定7月21日15 8:00～18:00 水－
310024 エコ布ぞうりつくり（J205教室）(主催：たまたま多摩の会） 水本　純子2 無料5月19日5月29日
10
10
10:30～12:00
13:30～15:00
土
10
9
「ガーデナー入門　中級編」紹介展示室(G102教室） 香山　三紀1 無料申込不要5月29日10:30～15:30 土
「ボタニカルアート入門」－受講生の作品展示会（G103教室） 角田　葉子1 無料申込不要5月29日10:30～15:30 土
「白い器に花を描く」ｰ受講生の作品展示会（G103教室） 小松　千恵子1 無料申込不要5月29日10:30～15:30 土
３月上旬　パンフレット発送・Webで公開開始397
３月１５日（月）申込受付開始
４月１日（木）　受講料払込用紙発送開始
公開講座Ｗｅｂサイト　http://www.keisen.ac.jp/extension/open-class/
パンフレット請求・受講申込み・お問い合せ先：教育研究支援センター　研究所事務室　
電話042-3476-8332、ＦＡＸ042-376-8426
講座内容のご案内は、春期は3月上旬、秋期は8月上旬に公開。
パンフレットは、無料にて希望者に送付。
2010年5月10日現在
多摩スプリング
フェスティバル
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- 232 -
恵泉女学園大学園芸文化研究所発行「園芸文化」第８号
掲載研究論文等の募集について
掲載研究論文等は、下記の投稿論文規定による。
　掲載原稿締め切り日　2011年4月14日（木）必着
　掲載原稿提出先　　　研究所事務室
　連絡先　　　　　　　電話　042-376-8332、email　kenkyujo@keisen.ac.jp
　公開予定日　　　　　2011年5月28日（土）
恵泉女学園大学園芸文化研究所報告 投稿論文規定
1． 研究論文、調査報告、翻訳・解説、研究ノートなどの基本的に園芸文化に関
わる日頃の研究成果を公表できるもので完全原稿とする。
2． 本誌への投稿は、原則として専任教職員により推薦を受けた者とする。
ただし、掲載の可否は、本研究所企画運営委員会が決定する。
3． 使用言語は日本語または英語とする。
日本語の場合は2,000～10,000字程度（ 400字詰め原稿用紙換算で5～25
枚程度）。
外国語の場合は、4,000～20,000字程度（ダブルスペース、A4サイズ、12ポ
イントで作成すること）。
4． 原稿はパソコンまたはワードプロセッサーによる。プリントアウトした
原稿および記憶媒体を提出する。（記憶文書は、テキスト形式、一太郎形
式、Word形式のいずれかとする）
なお、手書きの場合には楷書で分かりやすく書くこと。
5． 日本語の原稿には、表題（副題を含む）の英語タイトルをつけ、数行の英文
要旨を付記する。
6． 校正は執筆者校正とし、原則として再校までとする。
7． 掲載された研究論文の著作権は、恵泉女学園大学に帰属する。筆者自身
が自分の論文を利用することは差し支えない。ただし当研究所に事前に
申し出ること。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上
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- 233 -
＝＝編集後記＝＝
　今号も新たな投稿者をえて、『園芸文化』の内容に幅と深みを増すことがで
きました。
　東方和子さんは恵泉女学園中学校教諭を退職後、長年にわたって大学で
学生たちに英語を教えてくださっています。「園芸療法」についての東方さ
んの論考は、修士論文（桜美林大学大学院老年学専攻）の副産物であり、また
本学で「園芸療法」の講義を担当する澤田みどりさんとも結びついています。
教員たちのこのような研究活動は、学生たちにとってよい刺激になることで
しょう。
　水島かな江さん（奈良教育大学）の寄稿は、偶然のきっかけからでした。本
学HP掲載のPDF版『園芸文化』について問い合わせを受け、家庭経営学・家族
関係学を専門とする方がどうしてと調べたところ、「近代における園芸領域
への団らんの浸透 : 女学雑誌と園芸書の分析から」（『家政学会誌』）という論
文を見つけました。明治期における「家庭」の大きな変化のなかで「家庭園
芸」を位置づけた、じつに興味深い論考でした。
　恵泉女学園の創設者・河井道が、1929（昭和4）年の設立当初から「園芸」を
重視していたことの意味を考えようとするとき、明治から大正期の「家庭園
芸」の実態は欠かせない視点です。園芸文化研究所のプロジェクト研究「恵
泉の園芸教育の歴史をたどる」の2010年度の重点テーマは、1926（昭和元）年
創刊の『実際園芸』の調査。この雑誌の編集・発行人「石井勇義」は、1945（昭
和20）年に設置された「恵泉女子農芸専門学校」の初代の園芸担当教授です。
また学園所蔵の『実際園芸』（ 1部欠号）は、資生堂名誉会長・福原義春さんか
ら寄贈されたものです。
　本学も昨今の「事業仕分け」の流れから無縁の聖地ではなく、『園芸文化』の
印刷費を削減せざるをえなくなりました。紙媒体は本号を最後とし、次号か
らは体裁は変えないまま電子媒体（大学HP）での発行とする予定です。不満
の声も聞こえてはいますが、恵泉の園芸を社会により広く伝えていく機会と
とらえ、前向きに検討を開始しました。　　（A.N.）
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- 234 -
園芸文化研究所　教職員構成
所　　　　長 新妻　昭夫
企画運営委員 大橋　正明　　藤田　　智　　樋口　幸男
　　　　　　 小林　幹夫　　澤登　早苗　　
専任研究員 本多　洋子
学内研究員 西村　悟郎　　山崎　正氣　　藤田　　智
　　　 樋口　幸男　　片倉　芳雄　　小林　幹夫
澤登　早苗　　宮内　泰之　
事務担当 小関　毅彦　　杉山　信義　　野間　良子
恵泉女学園大学園芸文化研究所報告
園芸文化
第７号
2010年７月30日発行
編集兼発行　恵泉女学園大学園芸文化研究所（KIＨ）
　　　　　　　東京都多摩市南野２丁目10－１
　　　　　　　電話　042-376-8332
　　　　　　　FAX　042-376-8426
印刷製本　株式会社インフォテック
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