「現地の人々と語り、虐殺と偽りのメディアについて考える」タイ・カンボジア短期フィールドスタディ参加学生から報告が届きました③

2018年02月16日

タイ・カンボジア短期フィールドスタディ(2月10日~20日)の学生報告・第3弾です。
7名の参加学生を引率する高橋清貴教授は、20年以上、ODA(政府開発援助)とNGO(貧困や環境問題などに対し民間の立場から取り組む非政府組織)で国際協力の仕事をしながら、様々な途上国の現場を歩いてきた先生です。観光ではわからない現地の実情や社会問題を専門家から解説を受けながら、体験的に学べるのがフィールドスタディ(FS)の醍醐味です。

今回は、国際社会学科3年の千葉莉紗さんが報告を送ってくれました。
これまでFS参加学生たちは訪問地について事前学習を半年間みっちり行ってきましたが、現地を実際に訪問し、虐殺の歴史について現地の人々から直接お話をうかがい、千葉さんは何を感じ、考えたのでしょうか?

午前中は、クメール・ルージュ時代の虐殺や人道に対する罪を裁くクメール裁判に関する当時の証言や証拠を調査し、提供しているNGO、DC-CAMを訪問しました。また、DCーCAMは最近、高校生などの歴史教育にも力を入れています。最初に短いドキュメンタリーを観てから、代表のチャン・ヨックさんに話を聞きました。いきなり「なぜカンボジアに来たのですか?」と問われ戸惑いましたが、どうにか「アイデンティティ」、「ライフスタイル」、「政治」などの単語で答えました。ヨックさんは、これらのキーワードを軸に植民地時代から内戦まで外国に翻弄された歴史、農村と都市、外国で暮らす多様なカンボジア人、そして長期政権化に伴う政治問題など様々なことをとてもわかりやすく話してくれました。カンボジアは若い国であり、ダイナミックに変化していて、「カンボジア人とは何か」を今まさに若者が中心となって模索しているということでした。「10年後にまた来てください。新しいカンボジアが見られますよ」と笑顔で見送られ、2時間の訪問を終えました。

午後は、著名なカンボジア人映画監督のリティ・パニュさんが設立したNGO、Bophana Art Centerを訪問しました。内戦時代をふくめ国内に残された様々な映像、約3000点がデジタル化され一般公開されています。Bophana(ボパナ)とは、クメール・ルージュに引き離された夫にラブレターを送り続けたことが発覚して殺された女性の名前です。夫も、別の場所で同じ日に殺されました。Bophanaはカンボジア人の美徳を象徴する言葉になっています。観せて頂いた資料の中にクメール・ルージュがプロパガンダに使った集団労働の映像がありました。みな笑顔で働いています。実際には、この強制労働で170万人の人が殺されているにも関わらず!「偽りのメディア」を現代社会に重ね、強い恐怖を感じました。

1日を終えて、私の心の中に当時のカンボジアがたくさんのモノクロ映像として残っていました。夕食後、はじめてトゥクトゥク(オートバイによる乗合いタクシー)を体験。風が気持ちよく、キラキラしたプノンペンの街の光を浴びて少しずつ色が戻ってきました。

(千葉莉紗、国際社会学科3年)

第4弾もあります。
ご期待ください。

「国際性」で首都圏女子大第1位の評価を獲得した恵泉の国際交流プログラムについてはこちらをご覧ください。

用語解説

【クメール・ルージュ】

1975年から1979年までカンボジアを支配したカンボジア共産党「民主カンプチア」を指導した知識集団(リーダーがポルポト)。カンボジアは1970年に親米主義のロンノル将軍のクーデターから内戦に突入したが、ベトナム戦争の戦局転換を図る米国による空爆に反発した民衆の支持を得てクメールルージュが75年4月に首都プノンペンを陥落した。クメールルージュは極端な共産主義政策を推し進め、都市住民に農村での強制的な重労働を課し、体制に反対する、もしくは疑惑のある者を次々と処刑していった。これにより、約170万から200万人近くが死亡したと言われている(精確な数字は不明)。

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