「クメール・ルージュ時代の虐殺の傷跡を訪ねて」タイ・カンボジア短期フィールドスタディ参加学生から報告が届きました②

2018年02月15日

タイ・カンボジア短期フィールドスタディ(2月10日~20日)の学生報告・第2弾です。

7人の学生たちが半年の事前学習を経て、現在、タイ・カンボジアの都市と農村に滞在し、現地の人々がその抱える課題をどのように乗り越えようとしているのか、人々と直接語り合いながら、体験的に学習をしています。

引率者の高橋清貴教授は、20年以上、ODA(政府開発援助)とNGO(貧困や環境問題などに対し民間の立場から取り組む非政府組織)で国際協力の仕事をしながら、様々な途上国の現場を歩いてきた先生です。

学生の現地報告・第2弾、ご一読ください。

今日(2月11日)は、午前中に王宮に行き、歴史的な建造物を見学しました。カンボジア人ガイドのポーキーさんの案内はとてもわかりやすく、王室と人々をつなげる背景に、宗教が重要な役割を果たしていることがよくわかりました。

多芸なポーキーさんは、ときおり葉っぱで笛をつくって音楽を奏で、私たちを飽きさせないようにしてくれました。私も挑戦したら、大成功!早速、「お土産」ができました。

その後、ストリートチルドレンの支援を行うNGO、フレンズ・インターナショナルが運営するレストランで昼食。隣のショップで、フレンズから職業訓練を受けた子どもたちにネイルアートをしてもらいました。これも小さな支援になるのでしょうか?

午後は、クメール・ルージュ時代の虐殺を伝えるトゥールスレーン収容所を訪問。事前に調べてはいたものの、実際に拷問に使われた道具や部屋を自分の目で見て、足を踏み入れ、起こった事実の重さに何とも言えない気持ちになりました。次に見学したキリングフィールドでは、処刑されて埋められた穴にまだ人骨や赤ちゃんが叩きつけられた木が残っていて、出来事の残虐さがヒシヒシと伝わってきました。

同様なことを二度と起こさないために、私たちに何ができるのか?明日からの虐殺歴史教育活動に取り組む団体の訪問を通して、何かヒントを得たいと思います。

(濱中奈々、国際社会学科3年)

第3弾もあります。
ご期待ください。

「国際性」で首都圏女子大第1位の評価を獲得した恵泉の国際交流プログラムについてはこちらをご覧ください。

用語解説

【クメール・ルージュ】

1975年から1979年までカンボジアを支配したカンボジア共産党「民主カンプチア」を指導した知識集団(リーダーがポルポト)。カンボジアは1970年に親米主義のロンノル将軍のクーデターから内戦に突入したが、ベトナム戦争の戦局転換を図る米国による空爆に反発した民衆の支持を得てクメールルージュが75年4月に首都プノンペンを陥落した。クメールルージュは極端な共産主義政策を推し進め、都市住民に農村での強制的な重労働を課し、体制に反対する、もしくは疑惑のある者を次々と処刑していった。これにより、約170万から200万人近くが死亡したと言われている(精確な数字は不明)。

【トゥールスレーン】

クメール・ルージュ支配下のカンボジアにおいて設けられていた政治犯収容所のひとつ。暗号名はS21。現在は地名を取ってトゥール・スレンと呼ばれている。当時の様子がそのまま残されていて国立の虐殺犯罪博物館となっている。当時、こうした政治犯収容所は「セキュリティセンター」と呼ばれ、カンボジア全土に設置されていた。クメールルージュ時代、ここだけで約2万人が収容され、そのうち生き残ったのは8人と言われている。今回のFSでも生存者の一人、チュン・メイさんにお会いした(高齢のため、現在はメイさんを含め2名しか生存していない)。

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