蓼科ガーデンについて

蓼科ガーデンのコンセプト

蓼科ガーデンの骨格は英国風ガーデンとなっていますが、しかし作庭にあたっては可能な限り自然をそのまま受け入れることが念頭におかれ、八ヶ岳の石や、風土にあった植物が使われました。それにはガーデンの創設を指揮した、当時恵泉園芸センター所長森山倭文子氏(園芸科1回生)をはじめ、山口美智子先生(恵泉女学園短期大学名誉教授)、百瀬和子氏(園芸科8回生)らの「緑の木々、水、花や小鳥たち、都市から失われた自然が持つ本来の姿を尊重し、育てつつ、それを活用することによって人々の生活環境の向上、精神的安らぎに役立つガーデンを造り上げたい」という意向があったからです。
現在このガーデンを管理する私は、試行錯誤だった日々の作業を通しておのずと「一番の教師は自然であり、植物から学ぶ」という姿勢に行き着くのでした。「ここの土地に合った植物は辺りの野の草花から学ぶ。植物が倒れないように本来の姿に保つには化学肥料に頼り過ぎない、水やりは雨にまかせる」など自然の力を尊重した管理方法が、人技ではつくり得ない自然美があふれた、伸びやかな庭をつくりだすのです。人はこの自然を心で感じることで、ものの本質にまで迫る感性が磨かれるのではないでしょうか。よくガーデニングは五感を働かす力を持っているといわれています。しかしこれらの目、耳、鼻、皮膚、舌、といった五官にもう一つ「心」を六官目に加え、園芸には六感を研ぎ澄ます力があると私は思っています。このような園芸の素晴らしさを蓼科ガーデンから発信できればと考えています。

ガーデン長 小澤文子

蓼科ガーデンの変遷

1954年 4月 世田谷校内購買部に「恵泉園芸センター」を開設する。
学園の基本姿勢の一つ「額に汗して土に親しみ植物を育てることによって心身の健康をはかり、自然を愛する精神を養う」を受けて「花のある生活」をモットーにし、卒業生有志によって仕事が進められる。
1983年 3月~10月 恵泉園芸センター次長 百瀬和子氏(園芸科8回生)が研修で渡英。
帰国後、蓼科ガーデン創設の足がかりをつくる。
1984年 初頭 恵泉園芸センターの新たな展望を理事会に提出。
人々と自然とのかかわり合いを深める為に役立つ園芸センターとして「自然と人間生活の融和」というテーマを事業の中に加える。
1984年 3月 蓼科に土地を購入
1985年 7月 恵泉園芸センターの研修施設として「蓼科ガーデン」がオープンする。
1988年 6月 百瀬和子氏ご逝去 「百瀬メモリアルガーデン」がガーデン内に加えられる。
2006年 4月 恵泉女学園事業部の管轄となり「恵泉蓼科ガーデン」と名前を改める。
2010年 4月 恵泉女学園大学の管轄となる。

蓼科ガーデンの風土

長野県は海岸から離れた内陸に位置しているので、内陸特有の気候となっています。基本的に朝晩の気温差が大きく、湿度が低いことが特徴です。また周囲を山脈に囲われているため、台風、低気圧、前線などの影響を比較的受けにくいため、一年に降る雨量も少なく、日照量も全国的にみても多い地域になっています。
蓼科ガーデンが位置する茅野市は、諏訪湖の南部、標高770mから八ヶ岳の西側の稜線2900m前後まで広がっています。その八ヶ岳の広い裾野、標高1150mにガーデンは位置しています。標高が高いため、季節は関東と比べて春は一カ月遅く、ゴールデンウィーク頃から草木の芽吹きが始ります。秋は急激に気温が降下し、一カ月足早にやってきます。

  • 4月下旬4月下旬
  • 11月中下旬11月中下旬