11月23日(水・祝) 学生礼拝の感話『守られた日々の中で』

2016年11月25日

11月23日(水)授業公開オープンキャンパスが行われました。
当日のテーマは「聖書」「国際」「園芸」。テーマに関連する授業が公開され、高校生の皆さんにご参加いただきました。また、授業前に行われた学生礼拝にも参加していただき、恵泉の大学生と一緒に祈りのひと時を持ちました。
今回のCAブログは、礼拝でお話した学生の感話をご紹介します。

12月4日(日)今年度最後のオープンキャンパスが行われます。
内容:模擬授業、入試対策講座、クリスマス特別チャペルアワーなど
是非ご参加ください。お待ちしております。

12月4日お待ちしています!

オープンキャンパスでの司会

『守られた日々の中で』
新約聖書:ローマ信徒への手紙12章3節~8節
讃美歌:讃美歌21 515番  きみのたまものと

評価について

突然ですが、みなさんは、「評価」という言葉にどんなイメージがありますか?

私は、達成感、幸福感、安心感という明るいイメージとともに、重く、なにか縛られるような苦しさという暗いイメージも持っています。

これは私が今まで日々生活してきて、さまざまな場面で受けた評価をまとめた結果なのだと思います。その評価は家族、友人、学校の先生、お稽古の先生など色々な方から頂いたものでした。勿論、その中には嬉しかったものも、納得のいかないものもありました。

いろいろな場面で評価を受けるなか、私の中には、なにごとも問題なくうまくできたとき=よい評価、という方程式がなんとなくできていました。

この方程式が壊れはじめるのが、高校の文化祭での体験です。

高校生の時、私は文化祭のクラス代表を務めました。結果としては装飾部門で優勝することができましたが、その過程ではたくさんの苦労がありました。

準備に参加しないクラスメートや装飾にかける費用の問題など、どれも自分ひとりでは解決することのできない問題でした。準備期間の初めのうちはなんだか自分だけがたくさんの問題を抱え、焦っているようで孤独を感じていましたが、なにに困っているのか、どうしてほしいのかを、きちんと伝えればたくさんの人がすすんで協力してくれました。

そして文化祭当日に訪れたたくさんのお客さんが教室内の装飾を褒めて下さいました。「手の込んだ装飾は短期間で仕上げるには人手がいる、よくここまで仕上げたね。」という言葉を授賞式でいただき、クラスメートや先生の協力があったからこそ、優勝することができたのだと、再確認することができました。

この経験で、わたしは装飾部門で優勝したという評価そのものよりも、その過程で多くの人と協力し、大変だったことも楽しかったことも分かち合えたことがなにより嬉しかったという思いが強く残りました。

恵泉での評価について

そして、大学の生活園芸を通した経験で私の中の評価の方程式は完全に崩れました。

この恵泉で私が受けた評価は今までのものとは全く異なるものだったのです。

恵泉では一年生の時に園芸の授業が必修となっています。これはどの学科でも同じで、二人ひと組で割り当てられた畑を管理していきます。

入学してすぐにペアの子ができて、初対面同然の子と慣れない園芸の作業を一緒に協力して行う。こんな体験はなかなかできないものだと思います。

また、ペアのどちらかが休んでしまうと一人で作業をしなければならないという点も重要であったと思います。

肥料を運んだり、雑草を抜いたり、初めのうちはお互いに交わす言葉も少なく、なれない作業に戸惑っていましたが、回数を重ねるごとにお互いに役割分担をしたり、声をかけ合って、楽しみながら行うことができました。

天気の悪い日には畑の様子心配になって休み時間に畑の様子を見に行ったりと、始めの頃とは比べ物にならないほど、スムーズにコミュニケーションをとり、お互いがお互いのために努力しました。

わたしは、園芸という授業を通して、初対面の人と出会ってから、言葉を交わし、協力し、一つの目標のためにお互いのことを考えながら努力するという流れを体験することができました。

この授業では、畑でどのくらいの量を収穫できたとか、作業を早く終わらせたということではなく、どれだけペアの人と協力し、相手のことを思いやって作業に勤しんだかが重要だったように思います。自分ひとりの畑ではない、そう思うとひとつひとつの作業が自然と丁寧になっていきました。

恵泉で学び、感じたことは、いい点数がとれたとか、結果が出せたとか、もちろんそういうものも大切だとは思いますが、それよりも結果にはあまり出ていなくても自分が最も努力した部分や気持ちを込めた部分をみて、そこを評価してくれる人が必ずいるということです。

今回、選んだ聖書の箇所には「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っている」とあります。

わたしたちはそれぞれ違ういいところ、輝くものを持っています。それがなにかを自覚することはとても難しいと思いますが、そこをきちんと見て、評価してくれる先生や友人たちが恵泉にはたくさんいます。

そして、その賜物は自分の努力だけによるものではなく、必ず誰かに支えられ、多くの人に協力してもらい、与えられたものだと思います。

なので、恵泉での評価は感謝につながっているのではないかなと私は思います。今までの自分を一緒につくりあげてくれたみなさんに、そして自分を受け入れ、評価してくれた人々に、感謝するきっかけとして評価という場面があったらいいなと思います。

そう言った意味での評価とは、決して一方的ではなく、お互いを思いやる気持ちの上に成り立つものだと思います。

恵泉の日々を振り返る

私は、この礼拝の機会をいただき、はじめて恵泉での日々について振り返りました。もう3年生で、学生生活ももう少しのはずなのに、目の前のことばかりで、これまでを振り返ったことはあまりありませんでした。

振り返ってみると、入学前の自分と比べて、内面が大きく変わっていたことに気づきました。以前の私はどちらかというと結果を重視しがちで、良い結果を出すにはなにをすればいいか、ということをまず念頭に置いて物事に取り組んでいました。それにより周囲と衝突することもありましたが、それはしょうがないことだと思っていました。確かに、今でもそれが全て間違いだとは思いません。

しかし、恵泉に入り日々学んでいく中で、自分が努力し、大変だった部分を人に話すようになりました。それまでは、なんとなく自分がひとつのことをやる上で大変だったことを話すのは情けないような気がしてあまり話せなかったのです。             

しかし、こちらから話してみると、それを聞いた人が自分の大変だったことを話して、共有してくれたのです。そこでわたしだけがうまくできなくて、困っていたのではないのだということを知りました。みなさんの中では、そんなこと当たり前じゃないと思う方もいると思います。少し恥ずかしいのですが、私は見栄っ張りの部分があったようです。入学前のわたしは必死で、困っていない、大丈夫だという態度を出してきました。もし、苦戦していたり悩んでいたりしていることを知られたら、こんなこともできないのとがっかりされるのではないかと心配していたのです。

しかし、恵泉ではそんな見栄は張らなくてよくなりました。自分を繕わなくても、評価してくれる、ひとりひとりに合わせて、その人の輝く部分を見つけてくれる人がたくさんいたのです。

そして、自分自身もそのひとそのひとによって違う、尊敬するところを見つけられるようになりました。人前でも堂々と話せる人、人の話を本当に親身に聞いてくれる人、いつも笑顔の人、責任感が強く諦めない人、などなどここではお伝えしきれないくらい素敵な賜物を持っている人々に出会うことができました。

今ではこうして大学生活を振り返り、出会った素敵な方々のお話や自分の経験を話すことができていますが、大学に入学する前、わたしは強い不安を感じていました。

だれでも、新しい環境に身を置くということはとても緊張し、不安に思うことです。

勉強にはついていけるだろうか、友人はできるだろうか、大学に馴染むことはできるだろうかと、考えてもしかたないことだとわかっていましたが、考えずにはいられませんでした。

しかし、大学生活が始まり、すぐにその不安は消えていきました。入学式でとなりの座席になった子とはすぐに仲良くなり、今でも大切な友人の一人です。農業高校出身で、高校では普通科に比べ座学の時間が少なかったため大学で学ぶことの多くはわたしにとってとても新鮮で、面白く、どの授業でも必死にノートをとっていました。

先ほどお話した、園芸の授業もわたしが早いうちに大学に馴染めたことのきっかけのひとつになっていると思います。

恵泉で見つけた「賜物」

私は二年生の頃からCA(キャンパスアテンダント)として活動しています。この活動では私が入学前に不安を抱えていた経験がとても役に立っています。自分が高校生の頃に大学に対しての不安を抱えていた日々を昨日のことのように思い出せるのですから。

そのため、きっと私は大学を卒業して社会に出たあとも、今抱えている社会に出ることに対する不安を忘れないと思います。そして、CAの活動で高校生の頃の記憶が役立ったように、どこかで大学生の時に感じていた社会に出ることへの不安の記憶が必ず役に立つと思っています。

しかし、わたしは不安に思っているだけではありません。社会に出ることが怖い、不安だと思っている反面、社会に出たときに、その地点から振り返った、今現在はどう見えるのか、とても興味があります。

私が今こう思えるのは、恵泉で私の持っている賜物を評価してもらえたからだと思います。もし、一時的な数字だけを評価されていたのなら、それは新たな場所に行ってしまえば、何の意味もなさなくなってしまいます。

しかし、私は私の持っているこれまでの人生から得ることのできた賜物を評価してもらい、自分でもそれを認めることができたのです。

それは、どこへいっても変わることのない、自分自身に対する評価です。

どこへいっても、自分を信じて、胸を張って行動できる。これは女性の自立を目指す恵泉でだからこそ、わたしは学ぶことができたのだと思います。

この学びは一生モノです。これから生きていく上で、たくさんのことを経験し、様々な立場に立つと思います。

その時に、ぶれない軸、賜物を持っているということは自分にとって大きな自信となります。

みなさんの賜物は何でしょう?

自分で見つけるのは難しいかもしれません。そんなときは、仲の良い友人や家族やお世話になっている先生、職員の方に思い切って聞いてみましょう。

そうすればきっとあなたの輝いている賜物を嬉しそうに教えてくれるはずです。

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