2019年度9月卒業式を終えて

2019年09月23日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

9月19日、学部生10名の9月卒業の式と祝会を執り行いましたので、式辞と共にご報告いたします。

それは内なる想像力から

皆様、ご卒業、おめでとうございます。
今日のよき日を、ご両親、ご家族、ご関係の皆様と共にお祝いできますことを、教職員一同、大変嬉しく思います。

今日から、皆さんはご自分の人生の新しい頁をお開きになります。
それは、一言で言えば、自身の言葉で自身を語るということです。

これまでの皆さんは、他の人、社会がつけてきた言葉で表現されてきました。
たとえば、6歳になったとき、皆さんは「小学生」と呼ばれ、12歳になると「中学生」、その3年後は「高校生」、そして、ここ数年間は「大学生」でした。

しかし、今日からの皆さんを一律に表す言葉はありません。
どのようにご自身を語るのか、それは皆さんお一人おひとりがこれからの時をいかに紡いでいくかにかかっています。
どうかご自身を豊かに語れる女性であっていただきたい。本日の式辞タイトル「それは内なる想像力から」には、そんな願いをこめております。

このようにお話しすると、これまでもいろいろな場で自分を語ってきたと思われるかもしれません。
たしかに、新しい環境で友人を見つけるとき、サークルやSNSで、究極は就活の場で、ご自分を表してこられたことでしょう。

しかし、そこに本当のご自分がいたでしょうか?
フェイスブックやブログなどで、わずかな字数で語る言葉の中、あるいはエントリーシートや面接で、自身の長所短所を3つあげなさいなどと言われて綴り、語ってきた中にいたご自分とはなんだったのでしょうか?
他者の目を意識し、他者の目で作られた自分ではなかったでしょうか?
いつしか、私たちは短い言葉で自分を語り、他者にアピールすることに慣らされ、本当に見つめなくてはならない自分から目を反らしてはいないでしょうか?

私たちには、字余りのような、語りつくせない余韻の部分がたくさんあるはずです。人にはけっして語れない自分もあるはずです。

こんな言葉があります。
自分自身の弱さをとこととん知っておくことが、無頼の大前提です。「俺は救いようのないダメな人間だ。世の中で一番の怠け者かもしれない」そう自覚して、そこから動きだす。そういう人はなかなか負けるものではない・・・。
作家の伊集院静さんの言葉です。

私たちはだれでも、自分の弱さやダメなところを見つめることはつらいですし、できれば目をそむけたいところです。自分の弱さをとことん知ったら、何もできなくなると言う人もいることでしょう。

でも、自分の弱さやいたらなさを知る強さを得て、はじめて人に優しくなれるのではないでしょうか。人生は強くなければ生きていけません。でも優しくなければ生きていく意味がないとも言います。

皆さんのこの先の長い人生には、いろいろなことがあるでしょう。
どうか強く、生きていただきたい。そして、周囲の方々に優しい女性として生きていただきたい。

そのために見つめるべきは、ご自身の欠点や失敗だけはありません。
ご自身が誇れることもどうかしっかり見つめてください。それもまた、この先、皆さんがしなやかに、凛として生きる力の源になるはずです。
人に語ればうぬぼれや自慢話にもなりかねないことも、自分自身に向かって語れば、生きる力の源となります。

自分の本当の弱さを、そして、誇りを見いだすために、大きな声で人に語る必要はありません。ご自身を真摯にみつめてください。内なる世界に想像を豊かにし、今まで気づかなった自身に出会うことで、他者の痛みに共感し、他者の喜びを共にする心の広さへ、そして、真に闘うべきものに挑む強さを見いだすことに繋げていただきたい。

今、世界には、そして、この日本社会には、真に怒りをもって対すべきことが山積し、日々、平和が遠のいていく様に胸が痛みます。
平和のために尽くせる自立した女性の育成を目指して学園を創立された河井道先生の教育理念の意義の大切さを、今、改めて思います。

「聖書」「国際」「園芸」の学びを礎とするこの恵泉で、皆さんは人を愛する心、世界に広く目を拓き、命の大切さとそれを他者と共に育むことを経験されたことに誇りをもってください。他者とご自身への愛をもって、平和のために闘い続ける女性であっていただきたいと思います。

「愛の聖戦 勇み闘わん」。恵泉の校歌に刻まれているこの一節にふさわしい人生を、どうか誇り高く生きていただきたいと心から願って、式辞を結ばせていただきます。