「生涯就業力」講座 特別シンポジウム報告
女性国会議員と語る女性施策・子育て支援施策

2017年05月01日

日時 2017年310日(金)
共催 恵泉女学園大学 ・ NPO法人あい・ぽーとステーション
場所 子育てひろば「あい・ぽーと」麹町

目次

  1. 開催のご挨拶
    大日向 雅美 (恵泉女学園大学学長・NPO法人あい・ぽーとステーション代表理事)

    <PART1>議員になった理由と私のやってきた女性支援施策・子育て支援施策
    <PART2>フロアを交えての対話
    「子育てと議員の両立で大変なことは」
    「貧困やシングルマザーの問題こそが重要では」
  2. コーディネーターから
    定松 文 (恵泉女学園大学大学院 平和学研究科長)

開催にあたってのご挨拶

大日向 雅美
(恵泉女学園大学学長)
(NPO法人あい・ぽーとステーション代表理事)

本日はお忙しい中、しかも、金曜日の夜にこうしてたくさんの方がお集まりくださいまして、有難うございます。開催にあたってのご挨拶として、本シンポジウムを企画した趣旨についてお話をさせていただきます。

昨今、各方面で女性活躍が話題となっておりますが、本当に女性が活躍できる社会になっているでしょうか。母親となった女性たちは子育ての日々に孤軍奮闘するつらさを「ワンオペ育児」と訴えています。働く母親たちは、待機児童問題や職場の無理解に苦しんでいます。育児と介護のダブルケアも昨今は深刻化しています。女性活躍の時代到来と言われていても、女性の人生には今なお多くの壁が立ちはだかっているのが現実です。

しかし、時代は動いています。一昨年の8月には「女性活躍推進法」が、さらに同年の4月に遡れば、女性の人生に深いかかわりを持つ子育てを社会の皆で応援しようという「子ども・子育て支援新制度」も成立しています。

女性の人生を支える法制度や施策は着実に整えられつつある今だからこそ、女性自身が立ち上がるときだと言えるのではないでしょうか。誰かに言われるまでもなく、真の活躍に向けて人生を歩み続けようとする強い意志と力を女性たちが持つときだと思います。
それは、換言すれば「何があっても どこにあっても 目標と希望を失わずに探し続ける姿勢と努力」です。生涯にわたって、常に自分を見つめ、自分にできることは何かを考え続ける中に、身近な大切な人のために、地域・社会のために尽くす喜びも見出していく。それを私ども恵泉女学園大学は「生涯就業力」と呼び、その基礎となる力を磨くことが女子大の使命と考えて、若い女性たちの教育に努めております。

「生涯就業力」の基礎は若い時に身につけるとして、それが本当に身を結ぶには、生涯にわたって磨き続けることが必要です。女性の人生は長く変化に富んでいます。結婚や子育て・介護などに直面し、岐路に立つ度に、あきらめずに、めげずに自身の人生に挑戦する必要性を、私はNPOの子育て・家族支援の活動を通しても痛感しているところです。

女性活躍が言われ始めた今だからこそ、年齢や立場を超えて女性たちが集い、真の女性活躍とは何かを語りあいながら、共に困難を乗り越える道を模索したいと願っております。

本日は女性施策や子育て支援に尽力して下さっている女性国会議員の方々を囲んで、これまでの施策の足跡を振り返りつつ、現状の課題をみつめ、政治で解決される方法と共に、女性自身の主体的な生き方としての女性の「生涯就業力」についてご一緒に考えることができたら嬉しく存じます。

<PART1>議員になった理由と私のやってきた女性支援施策・子育て支援施策

超党派でつないだ「子ども・子育て支援新制度」

高木 美智代 議員(公明党・衆議院)

党の女性活躍推進本部の本部長と待機児童プロジェクトチームの座長を務めています。私たちは法律をつくり、生活を支える制度を作ってまいりました。そして今度は女性の方々に使っていただき、前に進んでいただく、その両方の力がなければ、真の女性活躍の社会はできないと思っています。

私は2003年初当選しました。東京比例ブロックからですが、その時以来、一貫して"輝け女性!"をテーマにかかげ取り組んできました。児童手当、教科書無償配布は結党以来取り組んでおり、そこから育児休業法の拡充、育児休業給付金、奨学金拡充にも取り組み、少子社会のトータルプランとして子どもを真ん中に置いた社会のあり方を考え、子どもを産み育てやすい社会、チャイルド・ファーストを目指してということで冊子にもまとめました。2008年には女性サポートプラン、女性の健康、子育て、仕事、悩み相談の4分野に分け、特に女性の健康に関する医療が進んでいなかったので、子宮がん検診・マンモグラフィー装置の導入といった性差に基づく医療を特に広めました。

2009年に政権交代があり、野党となりましたが、2012年に突然、当時の民主党小宮山洋子厚生労働大臣から野党である自民党・公明党で子ども子育ての政策を取りまとめてほしい、協議をさせてほしいとご要望をいただき、野党である私たちがやるんだと石井政調会長に報告したことをよく覚えております。そして、自民党の田村議員と一緒に作らせていただき、与党と協議、合意しました。それが施行されました「子ども・子育て支援新制度」です。作業の途中では、課題が出るたびに私の事務所に関係省庁の担当者たちが集まり、野党でありながら、一緒に悩んで解決策を見つけました。時折、「私は野党なのよ、なのになぜこんなに悩まないといけないのよ」と言いながら、それでも未来の子どものために女性のためにとやってきました。

大事なのは女性が子どもを産み育てたいという希望、自分の能力を発揮したいという希望、その両立をかなえたい、それが女性が幸福かどうかに行きつくのではないかというそうした視点からこの「子ども・子育て支援新制度」をまとめました。

その後政権交代があり、IMFの緊急リポートで日本の女性就業率のM字カーブへの挑戦が始まりました。2014年に「女性の元気応援プラン」を作りました。公明党の議員は全国で3千人、そのうち3割の女性議員千人とともに303の識者・団体に聞き取りを行い、一部のキャリア女性だけでないすべての女性が輝くために取りまとめたものです。これが「日本成長戦略」(閣議決定)にも取り上げられ、法律にしなければならないと2014年に「女性活躍加速化法」を提出し、その中の仕事の部分が「女性活躍推進法」として引き取られました。企業には数値で女性の活躍を見える化するようにしました。仕事以外の部分を「すべての女性が輝く政策パッケージ」としてまとめられ、制度設計がされました。

こうした女性に関する施策はまさに超党派で女性議員が取り組んでいくテーマではないかと考えます。先ほどの打ち合わせでも4人で確認した次第です。

女性が動けば政治は変わる 普通の女性の声を国会に届けたい

山尾 志桜里 議員(民進党・衆議院)

高木先生のおっしゃったように超党派で女性議員でやれることやりましょう!と打ち合わせで話していましたら、「でも、山尾さんってちょっとこわい」と言われまして。一緒にお仕事をしている先生方から「怖い」という印象をもたれているとしたら、みなさまにはどんなふうに思われているのだろうと思っていますが、今日のこの私が素ですので、ぜひイメージチェンジをしていきたいと思っております。

私はもともと検事をやっていまして、「女検事」も「怖い」感じがしますが(笑)、そんな私が議員になろうと思ったのは、検事として関わった事件でした。男子中学生たちがどこにも居場所がなくて、河原で生活していた60代のホームレスの女性を殺した事件がありました。ここから、どうして子どもたちに居場所がつくれていないんだろう、どうして60歳を過ぎた女性が一人でテントに住んでいなきゃいけなかったんだろうと、事件の後に刑罰を与えるより、こういうことが起こらないように少しでも社会をよくしたいとの思いで2009年に議員になりました。

与党で3年3か月務め、2012年の選挙では民主党への逆風が吹いていましたが、どうしても当選したかったんです。というのも、周りを見渡して、小学校就学前の子どもをもった女性議員はいなかった。私は何もない中で当選したので、普通の女性でも、普通のお母さんでも議員ができるというのをみせたいと思っていました。しかし、落選し、2年間愛知で次の選挙に向けた浪人生活を続けました。その中で、女性であること、母親であること、政治家であることが私にとって大切であると本当に強く感じました。普通の女性の声を国家に届けたいと、議員の立場を失くしてみて、改めて思いました。そして2014年に小選挙区で当選しました。

昨年「保育園落ちた!」のブログを国会で取り上げました。普通のお母さんが声をあげてる、私も子どもをもって分かったのですが、子育て中の母親が社会との接点を見出すのはとても難しい。家の中で子育てをしていると社会が遠くなる、まして政治なんてほど遠い。今はネットという手段があって社会に伝えることができる。もちろんあのブログを書いた方は国会に届けようなんて思っていなかったけど、自分の辛い思いや憤りを誰かに気付いてほしいと思っていたはずです。

この問題を提起することに背中を押してくれたのはインターンで来ていた19歳の女子学生だった。彼女にとってこの問題は近未来のこと、しかも、自分は何かをどんなに頑張ろうとしても、それを阻む壁。だから安倍総理に質問して、解決してくださいと言われたんです。しかし、ヤジもあり、男性議員には届かなかった。デマとさえ言われました。しかし、ここでまた女性が立ち上がってくれた。一週間で28672人の署名が届き、名前を名乗れというなら名乗るよと出てきてくれました。

思えば、女性の声と行動が政治を動かしてきた1年だった思います。私は本当に勇気づけられて、女性が動けば政治は、社会は変わる。女性はしなやかですので、合言葉は「できる人が、できるときに、できるかぎり、粘り強く続けていこう」とやっていますし、今年も待機児童問題で声をあげています。

これを機会に、女性議員もつながりたい。「できる人が、できるときに、できる立場で、持続していく」ことが大切です。この時代に女性であり、母親である私が国会議員としてやれることをみなさんとともにやっていきたいと思っています。

介護や子育てを経験した人が議員になってその声を国に届ける

宮沢 由佳 議員(民進党・参議院)

2016年の参議院選挙で初の当選をして、一番年数の少ない議員です。まずお伝えしたいことがあります、子育て中の皆さん、介護中の皆さん、毎日毎日本当にお疲れ様です。この言葉は私が一番言ってほしかった言葉で、私は子育てと介護のダブルケアをしてきた人間です。自己紹介をいたしますと、23歳と25歳の娘がおりまして、孫もいます。名古屋市立短期大学を卒業して、保育士として6年間名古屋市で勤務しておりました。結婚を機に山梨に移り、保育士をしていて子ども大好きで、子育てを楽しもう、4人は産もう、男2人、女2人、もう期待いっぱい、夢いっぱい、自信がいっぱいでした。しかし、妊娠した時から不安が募ってきて、産まれてきたら友達ができなくて、孤独で、こんな状態で楽しく子育てができない!と思って、子どもが3か月の時に子育てサークル「ちびっこはうす」を始めました。それから24年の間に、NPO法人にしています。当時は土地神話もあって、自分でお金をためて、土地を買って、プレハブを建てて、子育て支援センターを作りました。今は指定管理をしている子育て支援センターになりましたが、25年一生懸命子育て支援をしてきました。子育て支援と言いながら、自分支援なんですね。「ちびっこぷれす」も月一で1万4千部発行していますが、もともとはB4の紙に二つ折りで、全部手書きで、4千部まで全部ママたちで手作りで無料配布しました。そして子育て支援センターに来れないママをどうやって救うかということで、初め7組のママしか集まっていなかったんですが、1年後には100組のママがいて、そのママたちが今度は自分が立ち上げるといって、山梨県内に45のサークルを立ち上げ、1000人のママたちのネットワークができました。ちょうどその時に追い風のように子育て支援がでてきて、実は今山梨県内に子育て支援センターは100か所以上あるんです。そこでリーダーだった人たちがNPOを立ちあげて、運営しています。

こうして、子育てが楽しめるようにいろんな工夫をしてきたつもりですが、娘が5歳と3歳のときに、同居していた義母が認知症になり、育児と介護のダブルケアを10年間経験しました。この話をすると泣いてしまいますが、子育てと介護は似ていて「私がやらなきゃ」と思いこみすぎる、社会に頼るのはよくないと思われがちで、助けてと言いづらい。そんなダブルケアをしながら仲間と共に支援の波を作ってきました。3年くらい前に、もう一歩進みたいのに進めない、この壁なんだろうと思いました。それが女性議員がいないことだったんです。それで2年前に、理事長を降りて、山梨県内に女性議員を増やすと宣言しました。私は地方の女性議員をたくさん誕生させるためにお茶会を開いて、統一地方選挙でたくさんの女性議員を誕生させよう宣言したのですが、ちょうど1年ぐらい前に、うちの選挙区の引退を予定されていた議員から連絡があって、後継者になってほしいと言われ国会議員になることになりました。本当に驚いているのですが、私が国会議員になれたなら、ほかの女性も自分もなれるかもという波をつくりたい、また介護と子育てを自分で経験した人が議員になってその声を国に届ける、これをやってほしいと言われた時に決意しました。選挙も大変でしたが、当選した時にこの感じは出産のときと同じ、喜びと同時にすごい責任感、正直今泣きながら勉強しています。子育て支援一本できたのに、防衛だ外交だと言われてもわからないので、わからない言葉をノートにとって勉強しています。私の夢は2年後の統一地方選挙で、普通の女性が議員になること、また人形劇が好きなので、世界中の人と人形劇で交流することです。

病気を克服して、女性の一生の健康を守る法を

高階 恵美子 議員(自民党・参議院)

超党派で女性議員が集まるのは大変珍しいことで、この日を楽しみにしておりました。国会に94名の女性議員がおりますが、たぶん私は2番目に大きい女性国会議員ではないかと思います。背の高いという意味ですが。名前が変わっていますので「仕事にはやりがい、暮らしには生きがい、私は『たかがい』」と自己紹介をしています。

見た目が元気そうなので、生まれたときから元気だったと思われがちですが、生後三カ月健診で見つかったのは、先天性の股関節脱臼。今でこそ様々な治療法がありますが、私は重症で、人並みに立って歩けるかどうかわからない状態でした。小学校低学年は養護学級、ジャンプも走るのも禁止で卒業まで体育は見学でした。普通の人と同じ暮らしがしたいと素朴に願う子どもでした。そうした制約が無くなったのが中学生になったときでした。もうみんなと同じように運動してもいいよといわれて、一番困ったのは運動会で走り方が分からないことでした。練習をし続けて、中学校卒業時には健康優良児になっていました。そこから、人間って可能性があること、一足飛びに成し遂げるのでなく自分らしい努力をコツコツとすることが大切なんじゃないかなと思いながら、宮城県で育ちました。こうした経験もあって、誰かの役に立ちたいと思って選んだのが看護師の仕事。県の職員として保健所で働いていました。様々な障害をもつ方と地域の組織づくりを一生懸命やっていきました。また大学で勉強し、教鞭をとり、その後厚生労働省でも仕事をし、今から6年半前、野党だった自民党から立候補して当選しました。私たちの声を伝えていく、普通に生きている人たちが感じていること望んでいることを実現していくためにそれぞれできることをするというのが重要なのだと思います。私自身も、きちっとその場に身を置いてやっていかなくてはならないなという思いでいます。

当選して8か月後、故郷で東日本大震災がおこり、野党のなかで災害対策本部に入りました。看護学の中でも、私の専門は地域看護学です。災害にみまわれた中で、お母さんたちがどんな思いで子どもたちと暮らしているか、生活を再建していくためにどういった苦労があるのかを知り、対策を講じてきました。災害と言っても男女でダメージも違います。女性は男性の2倍うつ病になりやすい傾向があり、ホルモンのバランスに影響もされつつ、心身ともにダメージが残ることがあります。女性の健康にも焦点をあてながら、政策をやさしく作っていくことが大切であると、災害対策に議員として関われたことは大変貴重な経験であったと思います。まだまだ心の復興まで成し遂げていないですし、時間がかかると思っています。それを一つ一つ関わっていくのも女性議員の役割ではないかと思っています。

今提案しているのは3つです。生涯を通じた女性のライフデザイン、一人一人が自分らしく自分の人生を生きるために小さなころから自分の人生設計を考えることのできる環境が必要だと思います。2つ目は女性が社会参加していくためのジェンダー平等、エンパワーメント環境をつくっていくこと、これをあらゆる側面から進めていきたいと思っています。そして3つ目は、生涯を通じた女性の健康支援、女性には平均でも87年という長い時間がありますが、この国には妊娠出産の時期にしか女性の健康を守る法はありません。小さいころ、初潮を迎えるころ、出産と仕事をどうしようか悩むころ、その後も87歳を迎えるまでさまざまなことがあります。そうした女性の一生の健康を支える法がないので、今日はみなさんからまた何か教えていただけることを楽しみにしております。

<PART2> フロアを交えての対話(抜粋)

子育てと議員の両立で大変なことはなんですか?

高木議員
私は28歳と30歳の娘がおりますが、子育て中で一番困ったのは子どもの預け先。日々格闘でした。手当たり次第、預かるわよと言ってくださった方にお願いしました。いろいろな方に支えていただきました。幼児の時はいつまでこんなことが続くのだろうと長いトンネルの中にいるような思ですが、大きくなるとこんな楽しいこともあったと振り返ることができます。こうした経験をした人が政治家になるのが一番正しいことだと思います。

山尾議員
この春で小学校に上がる息子がいます。この国は子育てをしながら選挙活動をするのが難しい。日本の選挙は握手をした数、ひと夏で何回盆踊りに参加したか等々が大事。当時子どもが2歳から3歳ですと、絶対的に時間がないんです。子育て中の女性がどうやって選挙に当選したらいいんだろうと、本当に途方にくれました。時間には限りがあるが、気持ちとやる気がある子育て中のお母さんも含めた女性が挑戦できる土壌がもっとほしいと思います。

宮沢議員
私を支えてくれたのは仲間。全員子どもが通う学校が違うので、批判にならず、視野が広がって、不登校、不登園も誰かが経験していたので、自分の子どもが当事者になったときも「きたよ、不登校」と予習して対応できたと思います。あまりに密な関係ではなく、軽いネットワークでつながっているといい情報源になるかなと思います。また人の苦労を聞いておくのが、いざというときにいいですね。すべての過去は未来の幸せのための準備ですとお伝えしたいなと思います。

普通の女性とひとくくりにできない。この場に来られない、貧困やシングルマザー など日々の暮らしに追われている人々の問題も重要ではないでしょうか?

高階議員
普通になりたいと思ってきた子どもでしたので、普通ということは非常に魅力的です。私の普通の基準はその人らしくいられる姿。どうしたら普通になれるのだろうと思っていたのですが、その悩みを人に言ったことはないんです。しかし、今政治の場にいる人、何かを決定する立場にいる人は、そういった言えない人たちのところにこそ声を聞きに行くべきだと思うんです。一昨年から党の女性局長をやらせていただいて、へき地や島嶼部へも出向き、車座での座談会という形で4人でも10人でも女性の皆さんが集まってくださったら1時間ぐらい話をうかがっています。女性だけで集まっていただくと、まさしく子育て中のお母さんや自分の健康で悩んでいる方などいろんな立場の方が来られます。そこでは本当に貴重な話をしていただけ、まさしく女性政策で取り上げること、それを政策にしていくと、こぼれてしまうようなことも拾い上げられるのではないかと思います。

高木議員
子ども食堂などをまわっています。ボランティアの食材の支援やフードバンク活動等々、行政、NPO、ボランティアの方々と手を携えてやっていきたいと思います。

宮沢議員
子育て支援サークルに来られる人はいいけれど、来られない人にどうやったらつながるのか、私たちはいつもそこにぶつかります。身近にいるママに声をかけて、その方にさらに声をかけてもらう。こうした女性の接着剤のような力で人と繋がる波を日本中に広げたいと思っています。

山尾議員
シングルマザーの貧困問題をはじめとして、女性の多くが非正規の仕事で苦しんでいる、男女の賃金格差が大きいということにしっかり光を当てていかなくてはいけないなぁと思っています。他方で、性の多様性や子どもをもたない人生を選択する女性がいることもいつも心の中にあります。

会を終えて

定松 文
(恵泉女学園大学大学院平和学研究科長)

女性の生き方を考える「生涯就業力」講座の拡張版として、NPO法人あい・ぽーとステーションと恵泉女学園大学の共催で「女性国会議員と語る女性施策・子育て支援施策」シンポジウムを開催させていただきました。

2015年8月に「女性活躍推進法」が成立し、女性の力を社会に活かす時代の到来と言われています。女性差別撤廃条約の採択(1979年第34回国連総会:日本は1985年に条約締結)から今日まで、男女雇用機会均等法・育児介護休業法・DV防止法など女性議員の連携と活躍によって成立した女性施策や子育て支援施策も少なくありません。その一方で、2016年世界経済フォーラムにおけるジェンダーギャップ指数は144カ国中111位。それは経済的格差と女性議員の少なさに多く起因しています。正規職の同じ年齢の女性の賃金は男性の70%ともいわれ、男性の国会の女性議員比率は衆議院9.5%、参議院15.7%という、女性の活躍と言われつつも、日本の女性の活躍は非常に限られている現状があります。ある集団において、影響を与えることができる割合は30%と言われていますが、今の女性国会議員の割合とくらべて非常に低く、これが立法の場で女性施策を拡充できない一つの要因です。

女性が活躍できない状況に慣れてしまっていたり、育児・家事・介護に長時間労働とこれ以上働かされるのかと「活躍」の内実に後ろ向きになる女性もいることも確かでしょう。しかし、声をあげないとその負担も差別も変化しません。本シンポジムでは、女性としての生きづらさや悩みを抱え、活躍がほど遠いと感じる女子学生、社会人の女性、地域の方々、中高年の方々がそれぞれの立場で、疑問を投げかけ、議員の方々と対話を重ねることで、政治で解決される方法、女性の主体性を見出せたら、そして立場を異にする女性たちが、つながりをもち、しなやかに、強か(したたか)に生きていくための機会にできたらと願いました。これまで、そして現在、女性施策や子育て支援にご尽力下さっている4人の女性国会議員の方々から、それぞれのバックグラウンドを生かしてどのような施策を推進しているのかおうかがいできたことは大変有り難いことでした。

国際女性デーと近い日に、女性に関するシンポジウムを開けたこと、政治的なことから目をそむけないことの重要さを再認識した会でした。

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