学長Blog★対談シリーズVol.3 この方と『生涯就業力』を語る

2017年02月06日

今回のゲストは、ハンドベル奏者の第一人者として世界的に活躍される大坪泰子さんです。恵泉中学・高校の卒業生。ご家庭では、小学1年生、中学2年生、高校1年生と3人のお子様のお母様でいらっしゃいます。恵泉での学びや仕事と子育てについて語って頂きました。

「対談シリーズ」

第3回ゲスト:大坪泰子【Taiko Otsubo】

ハンドベルの既成概念を次々に覆す若き第一人者。その意志に共鳴した作曲家たちから数多くの新作も献呈されている。世界初のハンドベルによるカーネギーホール公演、大統領夫妻の招待によるホワイトハウスでの演奏会なども行う。1992年、自らチェンバーリンギング・ソロイスツ(CRS)を結成、主宰。その全く新しい演奏スタイルと深い音楽性で注目され、ハンドベル界のパイオニア的存在となる。国内外で人気を博し、ウィーンフィルのトップメンバー達と共演するなど欧州でも活躍。TVにも「題名のない音楽会」「徹子の部屋」NHK「おはよう日本」等数多く出演。CD「天使の復活」「ハンドベル・バッハ」の2枚を東芝EMIよりリリース、そのライナー執筆も手がけるなど文筆面での人気も高い。2001年、結成10年となるCRSを惜しまれつつ解散。その後アメリカのトップグループ、ソノス・ハンドベルアンサンブルの日本公演をプロデュース、メンバーとしても日米のツアーやレコーディングに度々参加し絶賛を博す。2002年に若手を集めて結成した「きりく・ハンドベルアンサンブル」は、2007年のアメリカツアー時より「世界で最も素晴らしいハンドベルアーティスト」と評価され、その後も数々の海外ツアーを経て、「ハンドベル芸術の最高峰」として欧米で絶賛されている 。

KIRIKU Handbell Ensemble
ブログ

恵泉の教えに導かれ、根を張って柳のように生きてゆく。

---大坪さんは恵泉中高の卒業生でいらっしゃいます。恵泉に入学された理由は?

中高一貫教育の恵泉に入学をしたのは、単純な理由で家が学校のすぐ近所でしたので母は学園祭があるたびに通うファンでした。4歳上の姉の学年で一番成績優秀なお友達が恵泉に進学されたというのもあって、うちの母が私に恵泉を勧めました。中学高校の6年間を恵泉で過ごし、大学は早稲田大学に進学しました。

---恵泉での中高6年間は、どんな学生生活を送られましたか?

とても楽しい学校生活でした。女子校ですが自由で、自由であっても崩れるということがなく、皆自覚をもって過ごしていました。入学して教えて頂いた「あなたがたは世の光、地の塩である」という聖書の一節、この言葉が象徴しています。世の中で自然に役立つ人として生きていくことを教えて頂けました。間違っても『女性は慎ましやかに生きろ』などという教えはなく、自分の頭で考えて自分の意見を言うことを求められました。校歌も『砂漠に花を咲かせ、平和を切り拓くために闘ってゆけ』という勇ましいもの(笑)。人生の一時期にこうした価値観を経験できたのは素晴らしいことでした。

---恵泉女学園の創立者河井道先生は、「家庭に入るだけが女性の生きる道ではない」とおっしゃっていましたね。1929年のことですから、当時としては随分と先駆的なお考えだったと思いますが、大坪さんにとっては、それが生きる一つの指標となられたのですね?

12歳の私にとってそれはとてもしっくりくる倫理観でした。「柳に雪折れなし、風折れなし」と言いますが、一見細くて頼りなげな柳は、根がしっかり張っているから折れない。根を張る時期が10代、20代前半の若い時期なのでは?と思います。そこで軸ができて悩んで揺れても根がしっかりしていれば折れない。女性が社会に出ればすごい大雪が降って来るし、大風にも吹かれます。そこでも柳のようにしなやかに生きていけるのは女性ならではの強さがあるからこそ。女性って同時に考えていろいろ処理できる能力を持ち合わせている。そういうことをもっと社会で評価されるようになるといいなと思っています。

自ら開拓してセカンドキャリアを築く同期たち。

---冒頭から対談テーマの核心に迫るお言葉をいただいた思いがいたします。大坪さんは世界的なハンドベル奏者でいらっしゃいますが、演奏家としてのお仕事とご家庭のことの両立に御苦労も多いのではありませんか?

物理的にはそうですね。高1と中2の上の息子二人が2歳違いということもあって幼い頃は特に自分の思うようにならず、今何をしているのかさえわからなくなることもたびたびでした(笑)。少し離れて生まれた娘を育てる時は、上のお兄ちゃんも協力的でしたから少し違いましたけれど。結局それで仕事をしようとすると寝る時間を削るしかない。疲れて泣いたり倒れたこともあります。

---それでも演奏活動を続けていらしたのですね。昨今、"女性活躍促進"という言葉が社会に流行していますが、どのように思われますか?

私は男女雇用機会均等法制定から何年後かに就職をした世代ですが、私も仲間もその恩恵を受けていたとは思えません。同学年の友人が勤務している会社で、新人教育から育ててきた後輩や同期の男性がいつのまにか上司になっているのに、女性は肩書きはもらえなかったり...。ですから今度は国が数値目標を掲げて女性管理職を増やすと言う方向性を掲げましたが、それは大いに結構ですけれど、法整備をしないとそうならないなんて正直情けない。「女性を輝かせてあげましょう」なんて恩着せがましいことを言われなくても、女性は足を引っ張らなければ勝手に輝きます。女性を特別に引き立てるのではなくて、男性が履いてきた高下駄を脱げばいいだけの話です。実際は、女性には社会的不遇と物理的負担の他に、パワハラ、セクハラ、マタハラ、すべてあるのが現状であって、音楽の世界だって例外ではありません。
私の同期をみると出産や子育てを経て、もう一度勉強し直してセカンドキャリアを歩き始めている人がいます。以前と同じ職種であってもステップアップして自分でキャリアを開拓して、例えば中国語の勉強をして転職をしたり、未経験から編集の勉強をしてライターとして活躍していたり、向上心のある人が多い。最近はSNSで昔の友人とつながって再会したり、情報を得ていますが、皆しっかり根を張った柳として活躍しています。

好きなハンドベルを続けているうちに今のスタイルへ。

---政府は2020年までに各界でリーダー的に活躍する女性の割合を3割にするという「202030」運動を数年前から続けています。世界水準で比較しても、日本の女性の活躍は遅れていますので、こうした目標数値の必要性は大きいと思いますし、それを励みとしたいという女性たちも少なくない一方で、「これ以上頑張れっていうの?」という女性の声も聞かれます。今日は世界的に活躍していらっしゃる大坪さんから、女性活躍の意義と難しさについて本音をお聞きできた思いです。ところで、大坪さんご自身、大学は音大ではなく早稲田大学へ進学されましたね。

そうです。演奏家になるつもりは当時なかったんですね。恵泉で始めたハンドベルを一言でいえば辞めなかった。出合った時からこの楽器に興味津々で学生時代は勉強した記憶よりもハンドベルを練習していた記憶の方が多い(笑)。大学では演劇や文学を選択して、それなりに好きな勉強をしました。一方でハンドベルはもっといい音を出せる、もっと可能性があると思って続けていました。ここまでできるのだから、これもできる...という繰り返しをしてきて、その延長でハッと気づいたら皆と違うことをやっていたという感じです。純粋に自分の作る音に対する欲とか、演奏すると楽しいからとか、本当に好きなことをやってこられたのは良かったと思います。

---大坪さんの演奏スタイルはまるで踊りながら演奏するハンドベルで、私は初めて拝見しました。あれは大坪さん独自のスタイルでしょうか?

ハンドベル界の異端児として、やっていることもスタイルもまったく違うところに来てしまった(笑)。中高でハンドベルクワイア、大学では新たに当時活躍していたグループに所属し学生の頃から演奏の仕事を始めていました。大学卒業後に社会人となり独立して自分のグループをもちました。5オクターブ以上ですと14,5人グループが常でしたが、私のグループは7人制。誰もやっていないことでしたので、どこまで何ができるか?わからぬまま、まず行動。人数が少ないというのはネガティブなことでなく、音が濃密になります。指揮者もおかないので音に鋭敏にならざるを得ず、それがとてもわたしのやりたいことに合っていたのです。その7人グループで10年演奏活動を続けました。

---人数が少ないという通常ならネガティブな要素をプラスにとらえる姿勢はすばらしいですね。大学をご卒業されて社会人としてお仕事もされる一方でハンドベルの演奏活動も続けていらしたのですね?

ええ。ずっと全力で突っ走っていましたが、長男の出産を機に中断せざるを得ず、10年目にいったん解散して新たなキャリアを築いていくことになりました。日本のハンドベルはレベルが高いのですが、他の国ではどうなのだろう?と思って、アメリカの楽器メーカーの社長に手紙を書いたら指揮者を紹介され渡米。その方は私がハンドベル奏者として演奏している姿をよくご存じで、「好きなだけ何でもやって良い」と歓迎してくださりそれからアメリカでも活動の場が少しずつ拡がりました。妊娠中から産後、子連れで渡米したこともあります。そういう中で家族をはじめ多くの方に協力してもらえたことは感謝しています。

男性も女性も当事者であると意識すべき。

---お子さん方が小さいときも何度も渡米されたとのことですが、お連れ合いの協力も大きかったのでは?

夫もそうですが、他にも支えてくれている家族や友人に恵まれていますね。日本人は「人に迷惑をかけてはいけない」と言われて追い詰められて育っていることが多い。子育ては一人でできることではないので、誰かの力を借りるしかない。お世話になった分だけ感謝の気持ちが生まれて、人生観が豊かになります。

---恵泉は自立する女性の育成を大切にしていますが、自立は何もかも一人で頑張る、というような狭い意味ではないということですね?

時には世話になって感謝の気持ちを持つことが大事ですね。できるかどうかはともかくとして、頼られた方も悪い気はしないと思います。私はどちらかというと堅物なところがありましたが、子どもを産んで育てるうちに「人は迷惑をかけ合って、支え合って生きているもの」というのがわかるようになりました。家庭を築くこと、そして子どもを育てることは、父親も母親も当事者なのに、母親がすべてを負わないとならないという幻想がある。旦那さんに「お願いする」とか、休日に子どもの相手をするくらいでイクメンと呼ぶのも違うと思います。

---女性が活躍するというと、仕事も家庭も両方とも、女性一人で頑張るというイメージがいまだに根強く残っている社会ですので、そんなこと自分にはできないとしり込みする女性も一部に増えていると言われています。こうしたことについて大坪さんはどのようにお考えですか?

女性の演奏家の中には、キャリアを中断したり仕事を失う恐れから子どもを持ちたがらない人も多いです。でも、今の私の楽団は、15年目ですけれども、出産したメンバーが全員戻ってきています。何年もかけて育てた奏者ですから、休んでも待ちます。女性がキャリアか出産かのニ択で追い詰められるようなことは、あってほしくないです。
女性の労働力を増やすことで税収をあげたいとか国の目論見をいろいろ感じますが、仕事も家庭もどちらも女性の負担だけを増やして「輝いてほしい」なんて大きなお世話です。女性活躍促進に必要なのは、本来は相互理解の文化やセンスでしょう。仕事も家庭もどちらも当事者である夫とその都度相談しながら支え合うことが必要。決して女性だけが頑張る話ではないはずです。たとえ夫と仕事がバッティングしても、いつも折れてスケジュールを調整するのが妻...というのもおかしい。仕事を続けるには夫婦だけでなく、社会全体がそういう意識を育てていくことも大切だと思いますね。

---大坪さんの生きる姿勢のモットーとして、「柳に雪折れなし、風折れなし」とおっしゃったことがとても印象的でした。恵泉ブランド「生涯就業力」のモットーとして、私が常々、言っている「しなやかに、強か(したたか)に」とまさに一致するお言葉を冒頭からいただいてスタートした対談でしたが、恵泉スピリットに充ちた大坪さんの生き方とお言葉に魅了されたひと時でした。女性が活躍するためにはいまだに困難な厚い壁が立ちはだかっているのが現状ですが、どんな時でもプラス思考で乗り越える大坪さん。同時に多くの人の力をお借りしようとする謙虚さと感謝の心もまた、恵泉が目指す自立した女性の姿のように思えました。対談を終えた後、チャペルに向かわれた大坪さんでしたが、そこで中高時代のハンドベルクラブの1年先輩の関本恵美子先生と再会。関本先生は中高を卒業後、東京芸術大学に進学し、現在、大学のオルガニスト、ハンドベルの指導者として活躍されています。懐かしい再会に喜ぶ大坪さんのお姿に、中高時代の愛らしさが彷彿されました。お忙しい中、多摩キャンパスにお運び下さり、在学生たちにも心強いメッセージをいただきましたこと、心から感謝いたします。本当に有難うございました。

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