恵泉祭での礼拝感話~「野の花のように」

2016年11月07日
恵泉女学園大学学長 大日向雅美

11月5日(土)・6日(日)の2日間に亘った恵泉祭は晴天に恵まれ、無事、終了いたしました。

かねてよりご案内しておりましたシンポジウム『女性の「生涯就業力」と高等教育の新しい役割』も盛況のうちに終えることができました。韓国梨花女子大学前総長と内閣府男女共同参画局長のお話は大変示唆に富み、大いに刺激を受けましたが、そのご報告は追ってさせていただきたいと思います。

礼拝「感話」のタイトルに"あなたらしく輝いて"を

今日は恵泉祭2日目の日曜日にチャペルの礼拝で行った私の感話について書かせていただきます。

恵泉祭の礼拝は学長が感話をすることが恒例です。
私が選んだタイトルは「あなたらしく輝いて」でした。
といっても、選んだ後でとても戸惑い躊躇する思いで、礼拝の壇にあがりました。自分らしいとはどんなことか、この年になっても戸惑っている私です。

ただ、「あなたらしく輝いて」とのタイトルを思いついたのには、それなりの訳もありました。今年の恵泉祭のテーマが「百花繚乱」だからです。
「学生を花にたとえ、恵泉女学園大学でさまざまな個性を咲かせながら咲き乱れてほしいとの願いを込めました」と、恵泉祭実行委員長の言葉です。

「百花繚乱」と「世界に一つだけの花」と

たしかに「百花繚乱」とはけっして一色の美しさではありません。花屋の店先のようなにぎわいです。色も形もそれぞれに異なる花が自分をしっかり主張しながら、他の花の美しさを邪魔したり消したりせずに、仲良く並んでいます。

そんな花屋の店先に立つと、いつも聞こえてくるのがあの歌です。
"小さな花や大きな花 一つとして同じものはないから NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one"(作詞・作曲:槇原敬之 アーティスト:SMAP 2003年「世界に一つだけの花」からの引用)

ただ、"NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one"でいいと口ずさみながら、ときどきちょっと変な感じがするのも正直な気持ちです。
" NO.1にならなくてもいい"というけれど"特別なOnly one"でいることの方がずっとずっと難しいのではないでしょうか?

もちろん、何事においてもNO.1になるのは大変です。多くの人の中で抜きん出るためには、並々ならぬ努力が必要でしょう。
でも、そこでの努力はわかりやすいようにも思います。誰かと自分を比べる基準があって、その基準で人よりひいでることを目指すということです。

他方、自分が"特別なOnly one"であると言うことに、私たちはどのようにしたら気づくことができるのでしょうか。ひとつ間違えば、独善的ないやらしい人にならないとも限りません。

もちろん、「世界に一つだけの花」の中で歌われている"特別なOnly one"は、けっして独善的な、ひとりよがりのOnly oneではありません。むしろ、自分のあるがままを認め、ぶれずに生きていきましょうというOnly oneなのだと思います。それは、どのように生きることなのでしょうか。

 たとえば、「野の花」のように咲くことではないかと思います。
「野の花」は温室に咲いている花ではありません。冷たい雨風にさらされながら、じっと耐えて、風に揺れながらも、けっして折れることなく咲き続ける花です。

悩み戸惑う人の優しさと強さと

私はこれまで研究を通して、さまざまに悩み苦しむ多くの女性たちの声を聞いてきました。

たとえば、子どもを産んで母となった女性たちは、わが子を愛おしく思いながらも、自分の時間がひと時も持てないほどに世話に明け暮れる日々に悲鳴をあげ、ときに子どもに心ない言動をとってしまうと言います。そうして自分は母として至らないのではないかと苦しんでいます。
仕事と育児、あるいは介護との両立に悩み、苦しんでいる女性もいます。

他方で、母となることのない女性たちの中には、不妊の苦しみの中で、夫を父にしてあげられない自分を責め、あるいは夫が原因で子どもが授からない時は、子ども欲しさのあまりに、心の中で夫のことをつい責めてしまう自分の醜さを嘆いています。

こうして多くの悩みを聞かせていただきながら、苦しみ、悩む人の優しさと強さを感じてきました。けっして相手を傷つけることもしない。なぜなら、傷の痛みを誰よりも知っているからです。
自分の弱さや至らなさをみつめるのは、勇気がいることでしょう。
でも、人はだれしも弱さも欠点も持っているのです。

これまでの40年近い研究者生活の中で出会い、私に胸の内を、自分の弱さと至らなさを正直に打ち明けて下さった方々の思いに耳を傾けながら、私自身の心の叫びを聞く思いです。弱さも迷いもいっぱいある私自身の心の叫びでもあるとの思いで、いつも聞かせていただいています。

「思い煩うな」と聖書には書かれています。でも、私はいつも思い煩ってし 
まいます。ただ、神様は単に「思い煩うな」とだけおっしゃっているのではないと思います。思い悩む私たちの弱さを認めて下さっているからこそ、そんなことはしなくていいとおっしゃって下さっているのだと思います。
そして、思い悩み、懸命に立ち直ろうとしたことに対して、必要なものを与えて下さるのだと思います。

「あなたらしく輝いて」とは、けっして人よりひいでて輝いてということではありません。自分の弱さも至らなさも認める謙虚さと強さをもちたい。そして、そこから一歩でも前に進む勇気をもちたい。当たり前のことを誠実にやり続けることの尊さをいつも心に刻みたいと願います。
ときに雨風に打たれ、揺れながらも自分を見失わない「野の花」の姿に見る人は励まされ、悩み傷ついている人の心を落ち着かせる力を持っているのではないかと思います。

「あなたらしく輝いて」とは「野の花」のように生きていきたいという私自身の願いなのです。